5話 媛は朱金に舞いて、君よ因果を断て4
「
晶の叫ぶ名前は眼前の相手に向けたものでなく、その視線は
思考するよりも早く、黒衣の怪人はその瞳が向ける先を辿る。
その視界に映ったのは、瓦礫の積もる大路だけであった。
――その頭上。雨撃つ
希少な霊鋼を惜しげもなく
蒼炎が猛る眼光は鋭く、しかし、猛る神気の一切が
精霊力は疎か、生命の揺らぎすら覗かせない静謐の飛翔。
それ故、晶の誘導に乗せられた
当然のように、見失った。
重力に絡め取られ、墜ちるに任せた
闇夜を翔る猛禽の爪と見立てた
――瞬後、
丹田で神気を練り込み、強化した
「
踏み込みに地面が震え、
残炎が爆発し、炎を捲いた
視線に在る総てを、容赦なく灼き祓う。
そう思えるほどの一撃は、それでも被害を
「……やれ、追いつかれましたか」
ぬうるりと嗤う囁きが耳に届き、
渦巻く熱波を突き破り、
「!」「させるかぁっ!」
迫る牙を迎え討つべく、
神柱の加護を防御へ回す
――考える余裕も無かった。
暗転する視界の中、
ただ、間に合わせる一心のみが、晶を衝き動かして大きく地を蹴らせた。
ごおう。耳元で
何時か聴いたその風鳴りに、晶は薄く瞼を上げた。
眼下に広がるのは、
遙か上空を翔る非常識な体験。2度目とはいえ、晶の思考は軽く混乱に陥る。
「う、ぁっ!!」
「……落ち着いてください、晶さん」
囁く声で我へと返る。視線を胸元に落とすと、縋るような格好で
晶よりも落ち着いた素振りで晶の腕深くに収まり、満足そうに少し微笑む。
「これが
歴代の
……慣れは必要でしょうが、随分と気持ちが良いですね」
「……
喉を転がし鳴らして、
「あの男、どうやら目的は晶さんのようですね」
「ええ。
――
「! ――なるほど、それで」
何か得心がいったのか、
晶たちを追おうとしてか、眼下で
「……守備隊の本部が
応援を
「! はいっ」
守備隊本部の膝元でここまでの騒動が起きているのに、警邏隊は疎か、守備隊も姿を見せないのは変だと思っていたのだ。
騒ぎがあちこちで起きているなら、納得もいく。
「相手の狙いは、晶さんでほぼ間違い無いでしょう。
……
「俺もそう思います」
「……相手の思惑に乗るのは
晶さんは、何故、
「それは、その……」
痛いところを突かれて、晶は視線を伏せた。
その先を無意識に追った
「制御できない可能性を危ぶんでいるのですか。
――
「はい」
「ですが、そうであるならば、尚のこと、
「――え?」
矛盾する
視線の先で、
沈黙。僅かな後に、
「
どう望もうが、どう決定しようが、晶さんの意思にこそ世界は応えるでしょう」
「それは、……むぐっ」
どう云う意味か。問い返そうとした晶の口元を、
微笑む少女は晶の胸元に掌を置いて、晶の裡に眠る刀の柄を掴んだ。
「
――晶さんは、
微笑みながら、
止める間もない。少女の身体はすぐさまに落下を初めて、蜈蚣目掛けて雨天の闇へと消えていった。
晶の指先が、
しかし指先に返ってくるのは、雨に濡れる感触ばかり。
飛翔の権能も消え、落下を始めた晶の耳元に
「もう少し、
それこそが、晶さんに勝利を呼ぶでしょう」
♢
日輪の象徴。南天を泳ぐ
ここまで慣れていないものだと、如何に
――だが、
この身体は南天の意思と斉しく、神器も応えぬ道理は無い。
飛翔の権能を意識してみる。
地を這う
墜ちる姿勢のまま、夜天に
向かう
奇襲が望めないのは承知の上だ。
だからこそ、蜈蚣も逃げるという選択肢は選べないだろう。
逃げずに抗う事こそが、生き延びる最善手と理解できるからだ。
「その思い切りの良さを見るに、間違いなく
往生際の悪かった
「
――苦痛なく終えてやる事こそ、私からの慈悲と知りなさい」
神気を精緻に編み上げる。それは
墜ちる星の輝きが、
「――
大地を裂くことも、果て無き熱量を放射することも無い。ただただ、灼熱の塊と化した刀身が、
質量ではなく、熱量で対象を圧壊する
この
黒く
――だが、その熱量を受けて尚、面に護られた頭部は原形を保っていた。
その時、蜈蚣の面の正中に、一筋の見逃せないほど確かな
否、その熱量に耐えられただけでも大した物か。
その様子を目にして動揺したのは、寧ろ
先刻に看破した通り、面は神器であると
神器は
それは、世界の常識と云っても良い知識だ。
神柱とは事象そのもの。人々が抱く認識でもある。
それが破損に至る。
――……悩むのは事の後。
長蟲の生命は図抜けている。今も尚、
「本当にしぶとさだけなら随一ね。
私手ずからに与える、二度の奥伝。
……これを、黄泉への手向けと誇りなさい」
中段平突きから、相手にもよく見えるように
―――疑、戯、戯イィ!
人間であった頃の何もかもは、もう既に欠片も残っていないのだろう。
それでも蜈蚣は、何処か人間臭い戦慄きに牙を開閉して見せた。
未だ、生き恥を晒そうと、足掻いているのか。
それでも躊躇無く、
長蟲の体内で爆発した熱量が、辛うじて残っていたその半身を消し飛ばす。
少女の持つ神器を起点として下から上へ。莫大な浄滅の炎が巻き上がる流れに沿って、
終わることを知らない灼塔が、
大きく
――その時、南天が大きく歓喜に揺れる。
何が如何なろうと、この場での戦闘はこれで終わるか。
朱金に輝くその先に立つ晶を思考に浮かべた。
知らず、己の唇に指先を当てて、晶の残り香を確かめる。
男性に口を赦すのは、
一般にはしたないともされる女性からの行為に、それでも
♢
落下する違和感に、内腑が悲鳴を上げた。
当然のこと支えは無く、耳元で風を切る音だけが唸り声をがなり立てる。
勢いに際限の無い落下の速度に、それでも危機感は僅か。
恐怖の感情も遠く、晶は迫る地表を見据えた。
――
晶にとっての信頼とは、限られた相手としか共有しないものであった。
普通であれば最初に信頼する相手は家族であったろうが、畢竟、晶にとっての
……特に祖母が亡くなった後は、家族とは敵と等しいとさえ認識していた。
それこそが
家族間の信頼とは、親愛の感情だ。だが、晶にとっての
……だからこそ、
咲や
だが、晶の感情すら受け入れて、それでも
――信じてみよう。
今まで晶を守護してきたその感情を振り切って、晶は大きく息を吸い込んだ。
「願い奉るは、
容赦なく迫る地表に焦ることなく、希う声は高らかに。
それは、火行の象を降ろす
「
南天を願う晶の声が終わるや否や、その視界が映す世界そのものが
天を衝く
その向こうに、星の満ちる夜闇が垣間見えた。
「――本当に妾を待たせるのが好きじゃのう、晶」
「申し訳ありません。
――
「善い。晶が気にする事でもない。
妾を気遣う其方も、愛おしくは思うがのう」
悪戯に微笑む囁きが、晶の耳朶を擽る。
高所からの自由落下にも関わらず、晶の爪先は僅かな衝撃も伝うことなく地に触れた。
くるりと、首に巻いた繊手を伝い、
胸元で嬉しそうに鼻を鳴らしてから、眉根を寄せて不満気に唇を尖らせた。
「なんじゃ、
「
であろうさ。然程、気分を害した様子も無く、
そうしてから、楽し気に視線を巡らせた。
辿る視線の先には、
流石に無視もできない相手と思い知っているのか、緊張も露わに視線が返る。
「ふ。随分と懐かしい
――
「……久しゅう
何処で、と問われましても、方々で、としか応えられませんが」
「くふ、随分とおいたが過ぎたようじゃの。
侵した業が、貴様の在り様を歪めておるぞ」
指摘する
その遣り取りに、晶は
「
「
まぁ、知っておると云えば知っておる。
千年は行かん程度の昔、
「……あの頃は
念入りに選んだ華族を駒に、出世街道を
――足元から幻と崩れた駒の絶望と
「其方の火遊びで、今でも
……妾の目の前で、貴様は確かに浄滅したはず。どうやって逃げ延びた?」
「神柱は
「
――じゃが、記憶は不滅ではない。死ねば、記憶が残る道理は無かろう。
あの時の記憶があるという事は、貴様はあの時に糸を引いていた存在に他ならん」
神柱は嘘を吐けない。絶対である筈の前提を容易く崩した目の前の存在が、何よりも異質であると漸くに理解できたからだ。
「斜陽に沈め、――
朱金の神気を捲き上げて、神器が昏い炎を立ち昇らせた。
晶の背後に回った
「これで、
――ここが貴様の終焉じゃ、
「ええ、ええ! 元よりこうなる事は予定のうち。
その捨て台詞を皮切りに、晶と
初手は晶。強化した身体能力に任せて、一直線に斬り込んだ。
先刻の剣戟で、間違いなく
悔しいが、経験やそれに伴う力量が明確に及んでいないのだ。
――だが、勝機が無い訳ではない。
そこに小細工が入り込む余地はない。一直線に斬り込む太刀には、真っ向からの防御しか対抗の術はないからだ。
激突。
――一方的に、
半分の長さに目減りした得物をそのままに、晶の間合いから
逃す
晶は二の足を大きく踏み込み、返す刃で斬り上げた。
上段の一撃で防御を崩し、返す刃で致命を狙う二連撃。
僅かに反応が遅れた
神気が迸る切っ先は、偶然にも面に入った
渦巻く爆炎が
地面に落ちる面の欠片が、現実を思い出したかのように燃え尽きて。
その奥から覗く
「それが貴様の本当の姿か、
「如何にも。随分と長い間、付き合ってきた身共の相貌で
圧倒的な不利にも拘らず、折れた刀の切っ先は晶の正中を狙って向けられた。
「もう
……次で詰みだ」
「策は充分に仕込みました。
果てるのは貴殿で
吐くようにそう応え、
火花が舞う度に、瘴気と神気が互いを刃鳴り散らす。
僅かな優勢は刹那に裏返り、忽ちに晶は劣勢を強いられた。
それでも、晶の瞳に焦る感情は浮かばなかった。
晶の胸中に去来する想いは、僅かに一つ。
――信じてみよう。
ちっぽけで情けない晶が唯一、眼前の怪人に勝れるのは、
――きっと、そんなものくらいしかないのだから。
「神域解放」
決意に背中を押され、晶は自然と己の奥底に眠っていた詩を口に遊ぶ。
「――落日に、燃える
闇を泳ぐ晶の指先から撃符が放たれ、爆炎が
怯む
「盛りは過ぎて、
朱金に染まる世界に、蝕の輝きが差し込む。
昏く影に燃え立つ炎は止まること無く、広がっていった。
その逸話がたどる終結こそ、その神髄。
如何なる神柱ですら、自身の影から逃れる術もなく。
――生まれぬはずの影が辿るのは、如何なる守護も貫く無窮にして矛盾の刃。
如何に神性を得ていたとしても、現世に受肉している以上、この刃に対し無傷でいられない。
晶が突き出した
莫大な瘴気が嗤う怪人から噴き上がり、神域の輝きに千々と消える。
呆気ないその消滅に、晶は神器の消えた掌中を確かめた。
手応えが返ることも無い、だが、僅かに耳朶を撃つ
雨撃つ音が再び世界を支配して、それでも耳に残るその音だけが晶の疑問にささくれて痛みを刻んだ。
―――パキ。
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