5話 媛は朱金に舞いて、君よ因果を断て2
「一寸ばかり遅くなったな。
……これなら、濡れるのを我慢して歩けば良かったか」
「だから云ったろ。
晶と迅が1区と3区の境にある
高位の華族とも思えない迅の性格に、自然と砕けた応酬が二人の間を行き交う。
呆れた指摘を受けて、迅は僅かに口だけを尖らせた。
「ま、そう云うなよ、後輩。
それに
「乗ったことがないのかよ、先輩」
「これが初だな。
……
利便性が目に付く
その上に収益を見込むならば、利用者の移動がある程度は固定されていることが前提となってくるからだ。
この規模の交通手段を賄うには、如何に文明開化
それを理解しているからこそ、移動に
苦笑いに過ごしながら二人。肩を並べて、傘を差した。
ぱたぱたと軽く雨撃つ音。傘の油紙を伝って、水滴が地面に落ちる。
「……そういや
何か謂れでもあるのか?」
「応、それを訊くか。
周囲の奴らは気を遣って、口にしないようにするのによ」
「悪い。
訊いちゃ不味いことだったか」
軽く返されたその言葉に、晶は内心で眉根を寄せた。
雨月もそうだったが、華族は面子を重んじる傾向がある。
ともすれば、それは血縁よりも優先される事例があるほどだ。
その犠牲でもある晶にとって、迅の
「いんや別に。寧ろ、
……単純な話だよ。元々、
迅から告げられたその内容は、晶にとって衝撃のものだった。
領主から一介の分家に身を落とす。それは、誰もが気を遣う醜聞の類でもあるからだ。
「400年前の内乱は知っているよな。その当時まで
事の顛末はさておき、内乱に
「本来なら追放か断絶って瀬戸際なんだろうが、
だからこそ
もう一つ理由はあるが、まあ、それは良いだろうさ」
軽い口調に秘められた感情は、それこそ誇りに満ちているようにさえ思える。
八家である咲や諒太とも違う華族としての考え方に、暫く晶は目を奪われた。
「しっかしまぁ、
「海外との玄関口である
流石にあそこまで洋装が主になったら、違和感しか残らないが」
「行ったことがあるのか?」
「つい先月に。
発展ぶりだけならば
洋装の洒脱さは認めるが、着物にもそれなりの良さや愛着はある。
単純に、晶の洒落っ気が低かっただけの可能性も高いが、それは考えないようにしておく。
晶の懐は相も変わらず寒いまま、服装に気を遣う余裕までは無いからだ。
「
まぁそれは、
「平民の俺が
懐が幾ら在っても足りなくなる」
「そりゃあそうか」
2人、肩を並べて、防人の羽織が濡れて
他愛のない世間話に盛り上がる小雨の中、
――と、
「……先輩」
「後輩も感じたってことは、気の
足の裏に伝わる、微細な
ひりつくような焦燥感が、晶の腰を落として臨戦の姿勢を選ばせる。
「どこから?」
「さあな。
雨に混じって瘴気の出所が読めん」
苦く応える迅の視線も、瘴気の出所を探れずに宙を泳いだ。
周囲の華族たちも感付き始めたのだろう。武装していないものたちが、狼狽えながら騒ぎ始めている。
その呑気な醜態に晶は
それ故に、守備隊は
都市内部の治安を維持するのは警邏隊の領分であり、こちらは当然にして
周囲の様子からしても、恐らく交戦に耐えうるのは晶たちだけだ。
相手の場所が判らない、脅威も、数も。
――間違いなく、晶が周囲全てを護り切ることは叶わない。
己の判断で仲間を失った記憶に、晶の足元が怯懦の感情で震えた。
ちらりと視線を横に走らせる。緊張は残しているものの、それでも感情に余力を残しているだろう迅の姿が視界に映った。
冷静なその態度に随分と救われて、晶の視線が定まる。
深呼吸を幾度か繰り返すと、足の震えも治まってくれた。
その時、
―――
耳に障る
振り向く二人の視界に飛び込んできたのは、轟音と共に
「「は!?」」
覚悟はしていたものの、思わず二人の声が重なる。
呆然とするなかで、蠢く肢が
砕け散った硝子を撒き散らし、
「流石、大都会
あんな化生も飼っているとは……」
「んな訳あるかっ」
惚けた迅の呟きに晶が突っ込む。
その隙を好機と見たか。雨の帳を貫いて、
「「!!」」
傘が二つ、無惨に喰い裂かれて宙を舞う。
その主であった二人は、強化した脚力に任せて後方高くに跳ねて退いた。
「無事か、後輩!」
「何とかな!」
交差する声に、蹴立てる土煙の向こうから
乱杭に生えた牙を切っ先に、赤黒い槍と化した
飛び散る瓦と上がる悲鳴。それらを余所に、晶は地面へと飛び降りる。
屋根の上だと足場が弱く、崩れ落ちる可能性があるからだ。
同じ結論に達したのか、迅も地面に降り立ち蜈蚣を見上げた。
「後輩を狙っているみたいだが、知り合いか?」
「つい先日に、お仲間を浄滅したばっかりだよ。
……大蛇と云い、なんだろうな。俺って長蟲に好かれる体質なのか?」
「
―――
余裕が無いなりに軽口を交わす2人、応じるように
見せつけるように開く牙に、毒液が糸を引く。
下段に
「何としてでも、俺が奴の顎を搗ち上げる。後輩は、頭を叩き落せ」
「応」
昂る2人の戦意に応じたか、蜈蚣の頭部が赤黒い閃きとなって落ちてくる。
高みから低みへ。高所の勢いをつけて迫りくる牙。
明確な脅威に恐れもせずに、迅の刃が下から上へと斬り上がった。
「
暴風を従えた
下から上へ。無形の槌が、蜈蚣の顎を正確に捉らえた。
―――疑ッ!!
落ちる速度も相まってか、
落下する巨体が天へと仰け反る隙を突いて、赤煉瓦の壁を蹴った晶は蜈蚣よりも遥か高みに跳び上がった。
腰から白刃が引き抜かれ、朱金の輝きが閃く軌跡を染める。
溢れんばかりの精霊力が炎に換わり、
防御も回避も考えず、最悪手とされる最上段の構えから放つ破壊の一撃。
しかし、それだけに威力は折り紙つきでもある。
如何なるものも爆砕の意思に沈めるそれが轟然と虚空を刻み、
「!!??」
鋭くも鈍い響きと共に圧し負けたのは、
轟音と共に炸裂する爆炎が硬質な蜈蚣の眼球を舐め、傷一つ負わせられないままに晶へと牙が向く。
晶の
――だが莫大な精霊力が、その拙さを埋めて尚、余りある威力を引き出しているはず。
滑りついた甲虫の外殻とはいえ、嵩が化生の護りを砕けなかったのは晶としても想定していない。
蜈蚣の巨躯が晶の眼前を過ぎていき、振り抜かれる曳航肢が空中を泳ぐ晶の身体をさらに撥ね飛ばした。
「ぐうぅっっ」「無事か、後輩!?」
「何とか!」
気遣う迅の声に、跳ね起きて晶は身構えた。
循環する精霊力が晶の身体を癒し、たちどころに痛みが消える。
「威力自慢の火行を防ぐとか、
「違う。前の奴はもっと柔かったし、先輩の一撃には敗けていた。
此奴、別の硬さを持ってやがる!」
「その通り。これぞ
現世の刃に砕ける道理は赦されておりませんよ」
「――誰だ!?」
吐き捨てるように迅の言葉に応じた晶は、自然と差し挟まれたその声に
破壊された蒸気管から噴き上がる白い帳の向こうから、滲み出るように晶よりも大柄な老爺の姿が浮かび上がる。
好々爺然としたその姿は晶の記憶に無いものであったが、相手にはあるのか迅よりも晶の方を注視しているようであった。
「
……さても
場に漂う緊迫を余所に、老爺が和やかに顎を擦る。
その姿に記憶を探るが、晶には思い当たる節が無い。
「俺を知っているのか?」
「何を云っている、後輩。
……あいつが総隊長の
「
面識のある迅の指摘に、晶の眉間に皺が寄った。
事実、晶を排除するべく蠢動していた
だがそれ以上に、解せない事実が晶の視界に映っていた。
「面をしているのに何で判るんだよ、先輩」
「面!?」
晶にとって、そこに立つのは老爺の面をした黒衣の男。
特徴の無いその立ち振る舞いは、それでも老爺のそれとは思えない。
表情すら窺わせない。
僅かの沈黙を経て、男の両肩が嘲りに揺れる。
「―――卑、非。想定はしていましたが、やはり貴殿にも通用しませんでしたか。
如何にも。現世の因果を有するものを演じるが、我が九法宝典の権能なれば。
想定よりも早くなりましたが、大神柱に捕らわれ貴殿と遭うは予定の通り。
守備隊本部ではないことが心残りですが、ここに百鬼夜行の狼煙をあげましょうか!」
哄笑する男の
蜈蚣だけでも手に余っているのだ。形勢が一気に傾き、晶たちは別々に飛び退って蜈蚣の牙を遣り過ごす。
「先輩、防御は?」
「
防御なんか考えちゃいねぇよ」
「御自慢の
「
単体の猪程度なら兎も角、基本、あれは対人専売だ」
使えねぇっ! 投げ捨てるような晶の台詞を無視して、迅は
それは、相手の懐に飛び込んで迎え撃つための姿勢である。本来の
防御を捨てて、至近の距離に活路と見出す。
それが
刹那に溶ける彼我の間合い。大きく開かれた
「
口蓋の裏に風圧が直撃し、
過ぎる蜈蚣の脇腹を限り限りに通り、
「
鋭く研ぎ澄まされた疾風の斬撃。しかし、噴き上がる炎に圧し潰されて、迅の体躯ごと
宙を舞う迅の身体が
「くそっ! 手応えが水気じゃない。野郎、見た目は
―――
正鵠を射られた
その胴体に目掛けて晶が
相手の男も黙ってそれを見ていた訳ではない。
「身共を忘れてもらっても、困りますなぁ」「黙って見ていろよ、卑怯者!」
刀の柄で切っ先を受け止め、返す刃で弾くように互いが距離を取る。
嗤いながら飛び退った男の胸元から、晶の記憶にもある意匠の首飾りが零れるように姿を覗かせた。
「――その首飾り」
「おや、これはしたり。そう、貴殿は
「見た事があるぞ。確かそう、『導きの聖教』の意匠。
お前、」
核心を探ろうと揺れる晶の視線を誤魔化すように嗤いながら、男は呪符を持った左の掌を晶に向けた。
人差し指と中指だけを立てて剣指を象り、斬るように虚空をなぞる。
「然り、漸くに邂逅が叶いましたな。
身共が演出いたしました
「
嘲る声に追い打たれ、晶の記憶が正答に結ばれた。
『アリアドネ聖教』を唆し、一度も姿を見せることなく逃げ果せた正体不明の男。
嘲笑の気配に囚われた晶は残炎を足元に刻み、その懐深くに踏み込もうとした。
「―――卑、卑。
貴殿と遊びたいのは山々ですが、
故に、
嗤う声と共に
飛翔する呪符の先から回避した迅の後を追うように、爆炎が幾重にも追い縋る。
幾度かの炎が爆ぜては消えて。迅と
赤黒く瘴気の炎が燃え立ち、その奥から筋骨が隆々と盛り上がる巨腕が
次いで、鍛え抜かれた巨躯にそれを支える足。
「此れなるは
身共の技量では2体が限界に
―――
術に呼び寄せられた
晶が
一歩、気圧される晶に向けて、覚悟を決めた迅の声が飛んだ。
「――済まん後輩。
暫くの時間稼ぎを
「ああ」
晶とも
今の迅に選び得るのは、出来るだけ早急に
その事実を理解して、返す晶の決意も跳ねるほどに早かった。
「有難うよ。
……礼の代わりだ、良いものを見せてやる」
返す声もそこそこに、迅は虚空に手を差し伸べた。
「
――それは
「――一太刀、
声と同時に爆風が奔り抜け、
莫大な精霊力が熱量に換わり、降り頻る雨を蒸発させて視界を白く染める。
奪われる視界。しかし、続く剛風が満ちる蒸気ごと虚空を上下に断ち切った。
斬るとは無縁の武骨な刃金が、それでも鋭く虚空を踊る。
その柄を握った迅は、自身の血脈に宿るその銘を高らかに名乗って見せた。
「――
♢
TIPS:止め技について。
奧伝に到れない中位精霊の防人たちが、奧伝並みの威力を求めようとした結果、生まれた
力無きものが上位のものに抗うための技。
……と云えば、非常に格好が良い。
実際は、威力に威力をぶち込んだら俺的最強技の完成! と非常に頭の悪。もとい、思い切った発想の元で創られたものが大半。
取り敢えず威力を求めた結果の
但し、中伝程度の難易度で威力は奧伝並みにある。浪漫砲というヤツである。
……奧伝が行使できるのに、行使するやつもかなり多い。だって派手だし格好良いし。
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