5話 媛は朱金に舞いて、君よ因果を断て1
朱金の輝きが雨天に踊った。
青の炎に染まった眼光が、迫りくる
「――
その瞬間、
―――
同じ火行である筈なのに、無視できない熱波に灼かれて
本来、火行とは陽気の極致に相当する。
その本質は、浄化。
如何なる汚濁も赦さない絶対の浄滅。それこそが、火行の在り様だ。
だが、
浄化の炎と瘴気が喰い合い、毒液に濡れた牙を振り翳す蜈蚣の頭部が
―――疑、戲、戲ィィッ。
後少し、後一歩。抜け出そうと藻掻くその鼻先に、ひたりと
「ふ!」
――
然程に力も込められない体勢なのに、少女の掌に従って
見た目とは裏腹に威力は確かか、蜈蚣の頭部を起点に生じた衝撃の余剰が蜈蚣の巨躯を大きく波打たたせた。
――轟!
神気に煽られたか、黄金に染まった
たった一合。それだけの後に、少女と蜈蚣は決着を迎えた。
「―――卑、非。お見事に
流石は
――神柱までは、降ろす
「……
踊るように宙を舞い、懐から取り出した
対する相手は微動だにせず、精霊器の切っ先は真っ直ぐに
――ガギ。
「!?」「不遜、ですなぁ」
鈍く衝撃が
腕に残る痺れを確かめ、相手の面に注視する。
充分に神気は籠めた。たかが木彫りの面如き、強化された精霊器なら貫くにも容易いはず。
本来ならば、自殺行為でしかない無手での
――
個たる正者の内面は、一個の宇宙に等しいとされている。
その領域に
先刻の一撃を無傷で防ぐ。
それこそは、
――それを有するという事は、つまり、
「……神器。其方、何者か」
「俗世と斉しく名を捨てたため、名乗りはご容赦いただきたい。
――そうですなぁ、敢えて呼ばうならば……」
「……
何処か記憶に障るその台詞。思い出そうとする
「武藤! 退きなさい!!」
「そうは参りません。
――陰陽師! 有りっ丈の水界符を用意しろ!!」
武藤の指示に、陰陽師たちが立ち上がる。
水干から伸びる指が複雑に印を組み、強靭な糸の結界を素早く編み上げた。
武藤が放つ苦無が、
「遠距離から結界を投擲する。
本来、至近で構築せねばならない結界を投げるとは、随分と器用に乱暴な真似をする。
……ですが少々、」
結界の構築は、簡易であっても一個の家を建てるようなものである。
それを投げるという事は、建てた家を土台ごとぶつけると同義。
確かに有効ではあろうが、家をぶつけるくらいならば建築資材をぶつけた方が早いし無駄がない。
呆れと称賛が入り混じり、男は抵抗も僅かなままに結界へと囚われた。
念入りに九字結界で覆い尽くされ、充分に安全を確保できたとみたか、陰陽師たちが周囲から間合いを詰める。
「ご無事ですか、
後背から駆け寄る武藤に視線を向けず、前だけを見据えながら
体勢を充分に取ることもせず、少女の身体が武藤と入れ替わりに後方へと移る。
「退避しなさいっ!」「遅ぅございましたなぁっ!!」
呆気に取られる武藤の前後で、警告と嘲笑が交差した。
面で演じるが、本質はそのまま。それは、蜈蚣へと堕ちた
結界の耐久限度を超えた瘴気が水気で編まれた結界を蝕み、容易く熔けて崩れる。
爆発するように瘴気が撒き散らされ、その奥から
「ぐうぅぅぅっ!?」
赤黒い瘴気に耐えながら前方を見据える武藤の視界に、自由を取り戻した
「結構、結構。いやはや、煽った甲斐が
「貴っっ様ぁっ!!」
吼える武藤を一顧だにせず、男は蜈蚣と共に屋敷の屋根へと飛び移る。
降り頻る雨粒が視界を濡らす中、傲然と
「やはり、予定が少し早かった。身共はこれにて、失礼
追って来られるならば、急がれるが宜しいと進言させていただきましょう」
―――
耳に障る哄笑を残し、男は
そのまま屋敷の向こうへと姿を隠した。
「追え!」
「止めなさい、先ずは部隊の再編制。
――動けるものは?」
「……誘い込まれた際に吹き飛ばされて、大半が瘴気に中てられています。
防人も、最初の交戦で同様に」
見た限りでは死者は出ていない。それが唯一の幸運か。
「衛士は?」
「
警邏隊は……」
武藤の返答に、
警邏隊は市中の治安維持が主な任務である。当然、
守備隊の総隊長を捕らえるのだ。情報の漏洩を危惧して、守備隊の応援を呼ばなかったことが裏目に出た。
「武藤は部隊の再編成に専念なさい。
気になる事があります」
あの男は、予定よりも少し早いと口にしていたのだ。
つまり、こうなる事は予定通りで、何かが予定では無かったという事。
ならば、相手が望んで、こちらに間に合わなかったものがあるはずだ。
「――武藤。準備に間に合わなかったものはある?」
「いえ、不備なく揃えましたが。
……ああ、守備隊の信用が確保できなかったので、応援を控えたくらいですか」
他愛ない。意味すら無いかもしれない直感だ。
だが半神半人たる彼女の直感は、予知とも云うべき鋭さを誇っている。
「
「一足先に、私は守備隊の総本部へと向かいます。恐らく、奴の目標は守備隊よ」
そう言葉に残し、
蒸気自動車はあるが、道路は迂回する必要がある。一直線に目的地まで向かうなら、屋根の上を疾走った方が速いからだ。
「
「武藤は再編を終えた後に、守備隊本部へと向かうように。
残した言葉は短く。追い縋ろうとする声も聞く事無く、少女は速さを増す雨足の中へと身体を躍らせた。
♢
守備隊本部の1階受付は、
誰も彼もが少しでも詳細な情報を求めて、右往左往と行き交う。
その混乱を壁際で眺めていた
……所詮、他洲の出来事である。本音はと云えば、目の前にある湯呑みの中身の方が
「――本部はあまり寄りたくないが、新物の煎茶を味わえることだけが魅力だな」
「第8守備隊では、
「……言い訳はさせてもらうが、
殆ど無いと云うことは、数度は有ると云うことだろう。
味わっていないのは、その前に逃げ出したか叩き出されたか。
――
否。余裕が欠片も残っていないのだろう。
怒号が飛び交っていないだけ、未だ状況は落ち着いている方なのかもしれない。
「随分な小物と思っていたが、
「? ……ああ。いや、違う」
的外れな感心を浮かべた
「人望じゃ無くて、証拠を漁っている最中だ。
……
「
君は随分と人望があるようだったが」
自業自得だな。そう笑う
だが、呑気に笑う
「派閥を作れ、と? ……第8の小僧共を預かっているだけで、俺は一杯一杯なんだ。
遠慮しておくよ」
「……その計算が出来ているならば、私は何も云わないでおくよ」
出世争いに興味を示さない
生まれたときから
蚊帳の外の傍観者を気取った二人が、仲良く煎茶を口にする。
――と、
「……
打てば返す響きに、
足元から忍び寄るように、ゆっくりと瘴気がちらつき始めている。
常に携帯している陰陽計に視線を走らせると、気のせいでは片付かない段階まで瘴気濃度が上昇している事実に気がついた。
それも、上昇の仕方が急激すぎる。
明らかに誰かの意図が含まれていることに、
だが周囲の混乱を見る限り、この異常に気付いたものはいない様子だ。
つまり、当てになるのも、
「……全く。これが終わったら、本部の連中は鍛え直しだな」
「こちらからも進言させてもらうよ。
幾ら何でも、鈍りすぎだ」
「耳に痛いな。
……来るか」
肩身が狭くなる同意を受けて、
その刹那、何処からともなく
一瞬で静まりかえった暗闇に、雨の音だけが忍ぶように残った。
――爆発。
噴き上がる瘴気の波濤が、職員たちの足元を浚う。
その隙を縫い赫怒に狂った鼠が走り込み、
思い出したかのように、それまでとは別種の喧噪が満ちて混乱が生まれる。
へたり込みかけた女性職員を目掛けて、大柄な
「き、きゃあぁぁぁっ!!」
悲鳴を上げられただけでも大した物か。
牙が女性に届く寸前、精霊力を宿した太刀が
「防人、刀を取って戦え!
精霊力を炎と猛らせ、
響き渡る大音声に、書類を持っていた防人たちが我に返る。
漸くに刀を振るい始めた彼らを一瞥して、
ここが分水嶺。混迷を極める状況は、未だ始まったばかりであった。
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