4話 不穏を食みて、生きどまる1
――状況が動いたのは、晶が襲撃に会った翌日の事であった。
「……つまり、
言い逃れは利きませんぞ、
「――ふむ」
昼にはやや早い頃。
得意気に言葉を募らせる
――表情からは理解し辛いが、師匠も状況を掴むのに内心必死だな。
などと、これまた表情を変えずに、
黒幕が接触してくるとは思っていたが、それは使者を立てて間接的に迅を呼び出すだろうと想定した上の事である。
――一晩跨いだだけの朝一番で、当の御本人が乗り込んでくるとは間抜けにも程があるだろう。
事情を理解している迅も我関せずの姿勢を決め込んでいたが、
最低限の面通し程度はしていたのだろう、的確に迅を狙っている。
……それだけは評価してやる。
苛立つ感情を宥めるために、迅は的外れな思考に集中した。
「――私の弟子が何か?」
「いや、何。この件に関して、弟子どのには心当たりが有る御様子。
是非とも、お話を聴かせていただきたいのですが」
「そうなのか? 迅」
「――いえ。心当たりはありませんが」
「何を白々しい。
昨日、儂の手のものが貴殿に撃退されたと、報告を受けておるのだ。
空惚ける迅の応えに
……迅たちから見れば
「――だ、そうだが?」
「と云われましても。
……あぁ、そうだ。昨日と云えば、平民の子供を悪漢から助けました」
「……報告は聞いていないが」
「すみません、師匠。
真逆、
「貴様……っ!!」
この時点で
当人からすれば非公式の会談を気取った
本来ならば叩き返されていても文句は出ない。しかし、守備隊総隊長の肩書がその無理を押し通していた。
――だが、無理を通した上で
その事実に辛うじて理性が勝ったか、
「確かに、私の弟子も軽率であった事は詫びよう。
――それで、本題はそれだけかな?」
「……いいえ。
それを、儂らに引き渡していただきたい」
「先ず、
その上で断言させてもらうが、私は玄生と云う者を知らないが?」
非公式とはいえ、間者を他洲に向けているなどと云う事実を断言できる訳がない。
その部分に断りを入れつつ、
知らないものは知らないのだ。
「儂らは以前から、玄生が他洲の間者であるとして追っておりました。隠し立てすると後悔しますぞ」
「と云われましても、知らぬとしか応えられませんな。
存在しないものを引き渡せとは、随分と無茶を云ってくれる」
「くっ……!!」
結果として暖簾に腕押しの応酬に埒が明かないとみたか、肩を怒らせて
立つ跡を濁す罵声もそこそこに、礼節を欠くほどに足取りも荒く
台風一過。扉の向こうから人の気配が消えた後、静けさだけが残る室内で
「それで、実際のところはどうなんだ?」
「俺は無関係ですよ。昨日、後輩が
「後輩? ……あぁ、晶くんか。
確かにそれなら無関係か。何を間違えたら子供と老人を見間違うのか、よく理解できないが」
迅の応えにも、今一つ状況が見えてこない。
沈思黙考に暫し耽るが、そもそも繋ぎ合わせるべき情報が全くないのだ。
「――
痛くも無い肚を探られるだろうが、理性で会話をしてくれる分には、
「分かりました、向こうに予定を訊いておきます。
しかし一昨日に会った時も思いましたが、あれに守備隊の総隊長が務まっているんですかね?
正直、組織の長に置くとしても品性に欠けると思いますが」
歯に衣着せぬ迅の物言いに、
「優秀なものよりも凡人を長に据えている方が組織にとって都合が良い場合と云うのは、何処であっても何時であっても良くある事さ。
……とはいえ、確かに変だな」
「?」
首を傾げながら
この後は、
背中に白抜きで染められた
「凡人の方が都合良いのは、黙って座ってくれている間だ。
――
♢
好々爺然と礼を述べながら、
「おぉ、おぉ。ありがとうございます、紫苑さま。
恥ずかしながら、この年齢ともなれば立つだけでも億劫に
「ええ。私の方こそ、呼び立ててしまって御免なさい。
最後に会ったには10年前だったかしら、
――
記憶を探る紫苑の問いかけに、
「左様ですなぁ。
――いやはや、あの頃は儂も血気盛んに
「ふふ。私も
今、思い返せば、お恥ずかしい限りですね」
「いやいや。
――
正直、10年前と立場は
その歴史の長さに任せて、
その規模は当の
昨今は諜報のお株を公安に奪われたことで凋落も久しかったが、それでも隠然とした組織力には
決して表に浮かばない、水底に降り積もる
――粗も多いのだ。
「さて、四方山話は尽きませんが、本題に入らせていただきましょうか。
「ふむ。ご存じの通り、
「惚けずとも結構。
――ここ最近も、幾許かの私財を放り込んでやったことも含めて、此方は掴んでいますよ」
跳ねるように返る紫苑の追及に、
髭も見えない皺だらけの感触だけが、老人の指先に残った。
嘘の吐けない
「参りましたな。
……儂の甥にその名前があることは、記憶に
特に問題が無いと思っておりましたが、奴めが何か?」
「という事は、詳報は届いていないのですね。
此方に使者として訪れている
――どうにも間者との繋がりを疑われたようで、乗り込んでこられたとか」
老人からの探る視線を、真意を覗かせない紫苑の笑みが迎え撃った。
愚図が。
口の中で、この場にいない甥に向けて悪罵を吐く。
「……確か玄生と云う老人と
「
――先ず、玄生に関しては私の知己でもあります。
その上で客観的な事実として断言しますが、相手は
「馬鹿な。複数の報告で、
「密談を交わしていたのなら、沈黙を図った方が早い。
「…………左様ですか」
高位の回生符が書けるとは云え、老爺の身柄一つに拘って
「それと、ここ最近に上がってくる
老境の身に守備隊の長は余るでしょう。
……そろそろ年齢のようですので、引退を勧めたらいかが?」
「――仕方ありませんな。
鹿之丞に身辺の整理を命じておきましょう」
「結構。
過怠なく進退を納めれば、
「は。
とは云え、完全に無視も出来る訳がなく、皺だらけの拳が僅かだけ感情的に震えた。
「――全く。図体が大きいだけの過去の遺物が、利権欲しさに勝手を仕出かしてくれるわね」
「お疲れ様でございました」
革張りの背もたれが軋み、その眼の前に焙じ茶が置かれる。
側役の淹れてくれたそれを一口だけ含む。香ばしい旨味を含んだ熱が胃腑に流れ落ち、気鬱な会談の疲れを癒してくれた。
「まあこれで、
公安主導で警邏隊を動かしてちょうだい。適当な犯罪に免罪をちらつかせれば、老後の金子惜しさに引退も受け入れるでしょうね」
「応じなければ?」
「老後の心配しか出来ないような生活しか残らないわ」
「それでも退かない場合もありますが」
陰りが落ちる手元に、窓の外へと視線を向ける。
何時の間にか雲が広がり厚みが重なり、風に湿り気が含み始めていることに気が付いた。
「――その時は、老後の心配もする必要が無くなるわね」
言外に無情な判断を下しつつ、紫苑には言葉にできない気がかりもある。
……
特に洲議への転向に色目を向け始めた頃から、言動の乱高下が激し過ぎる。
それはまるで
「取り敢えず、
――家探しで、何か手掛かりを掴めると期待しましょう」
「畏まりました。
予定ではもう直ぐ、
送迎の車は、」
「そうね、丁度良いわ。此方に戻る前に、公安に合流させてちょうだい。
――
一通りの指示を終えて、紫苑は深く嘆息を吐いた。
背もたれに身体を委ねて思考を緩めるが、どうにも気がかりが晴れない。
順当に相手の退路は詰めた。
……そうである筈なのに、紫苑の胸を曇らせるのは、重苦しく押し寄せる高波のうねりに似た予兆であった。
♢
「――という訳で、
「はあ……」
曇天が更に重みを増して、吹き付ける風に肌が湿り気を覚え始める夕刻の手前。
その一報を携えた迅が守備隊の屯所に姿を見せたのは、一足早く晶が遅番の支度をしている最中であった。
昨日の今日。しかも与り知らない場所で問題が終わったことに実感も湧かず、生返事で相手に返す。
「何だよ。随分と不満そうだな」
「不満って云うか、随分とあっさり終わったなとしか」
「それだよな。
……全く。もう少し手間取ってくれても良いのによ」
「は?」「いや、こっちの話」
結局、
「
――何で、俺を?」
「いや、後輩は無関係だろ。
追っていたのは、
「ああ、そうだった」
玄生と晶が同一人物であると、迅が知らないことに思い至る。
努めて平坦な口調を保った晶は、横目で新しくできた友人を眇め見た。
「玄生を追っていた理由は、そいつが
どうにも聴く分には、俺と後輩が一緒にいたってのが根拠らしいが」
「おかしいだろ、それ。
俺と先輩が一緒にいたのは追われていた後だ。……順番が逆だぞ」
渋い表情のまま、迅は晶の指摘に肯いを返した。
「……玄生の身柄を押さえる理由をこじつける為に、
つまり相当に後ろ暗い理由で、
「後ろ暗い?」
「誘拐とか、拷問とか。玄生って爺さん、どうやらかなりの人気者らしいな。
知っている相手か?」
当人です。等と軽口を叩ける状況でもなく、晶は肩を竦めて返事と返した。
「だよな。まぁ、
師匠と
――俺が
「
後で問題になりそうだけど?」
「師匠もそれ込みで動いている、その辺りは気にするな」
「そんなもんか」
軽く応酬を交わし、晶は迅と連れ立って屯所の表に出た。
その視線の先で、
「
「晶くん。今し方、守備隊総本部より防人の協力要請が来ました。
急ぎ、1区にある総本部に向かってもらえますか」
「……総本部に出向くなら、副長の方が適任では?」
至極真っ当な晶の反応に、
彼本人としても
「そうしたいですが、巡回任務とはいえ
他の防人は出払っていますし、若輩の晶くんに現場を委ねる訳にはいきません。
総本部には
与えられた指示に、二人は横目で視線を交わす。
しかし断る理由も無い。深く考えることなく、晶と迅は揃って
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