閑話 騒めいて日常は、穏やかに咲けば
――その話題が
早朝の練武疲れに浮つく
そんな仲間たちを余所に
「聴いたぜ、
何時の間に、婚儀を挙げたんだ?」
「……挙げて無ェよ。
誰だ、そんな出任せを広げてんのは」
「そこら中。
――如何にも確かな筋だと」
厄介な。乱雑に肩を叩く手を払い除け、諒太は視線を逸らす。
何処から漏れたか判らないが、随分と積極的に流されたようだ。
面白おかしい話題に飢えた
……この分では一日と経たずに、真実は原形すら止めていないだろう。
ともあれ、目の前の友人は疎か、噂を聞きつけたであろう周囲からも好奇の視線が向けられている事に気付いた。
朝から妙に視線が絡むとは思っていたのだが、その内容を知るに諒太の胃腑に苛立ちに似た感情が
「婚約だよ、こ、ん、や、く。
華族なら珍しくも無いだろ」
「照れんなよ、相手は
――何が不満だ?」
「その話題で盛り上がれんのは、
中等部男子が話題にするのは、軟派も良い所だろうが」
嫌そうに口にする諒太に向けて、学友は
「それで、どうなんだ?」
「……何が?」
「惚けるなよ。
――
諒太自身は隠している
何しろ、他の男子が咲と話そうものなら、端から間に割って入ることなど茶飯事であったからだ。
――だがひと夏を過ぎた現在、その感情を指摘されても尚、諒太の眼差しに
「…………さあな。
そんな
「訳ありかよ。ま、あんまり気負うなよ。
直接、顔を合わせた訳じゃないが、結構な年上美人なんだろ? 許婚もいない俺としちゃあ、羨ましい限りだぜ」
慰めがてらだろうその台詞に、諒太は胸に溜まった空気ごと想いの残滓を吐き捨てた。
視線を明後日の方向に向けたまま壁に背を預けていると、雨月
吐き捨てるように視線を逆へと逸らし、学友の思案気な面持ちに意識が向く。
「どうした?」
「いやな。このところ、
水気の龍脈に瘴気が混じっているって、
「ああ。そう云えばそんな噂も聴いたな。
このところは落ち着きを見せているから、南部としても一安心だが」
「確かに龍脈はな。
……それでも収まらんのが政治だろ。現在、原因が雨月にあるかもって大騒ぎだ」
「は! 歴史が永いと腰を高くしていたら、足を掬われてたってか。
雨月の御曹司には、冷や水も良い薬だ」
「なに他人面してんだよ、
「さてね。大人たちの話し合い次第だろ。
……本当に、如何する
諒太の本音は、口の中だけで溶けて消えた。
諒太自身としても、説明されていることはそれほど多くないのだ。
唯一、理解できているのは、諒太の初恋は相手に伝えられる前に終わったという事だけ。
「本当に、どうなるんだろうな……」
誰に向けた訳でもない鬱屈の行方は、諒太の口の中で溶けて消える。
大きく吐かれた嘆息だけが、秋晴れの高天に踊って散った
♢
――同刻。
僅かな
「ねぇねぇ。特ダネよ、特ダネ!!」
「……なに?」
綴られる風情の連なりを断たれ、姦しく割り込んできた学友へと胡乱気に視線を向ける。
目の前の少女の瞳が好奇に輝いているところを見止め、内心で嫌な予感に身構えた。
無類に噂話を好む彼女だが、耳にするその真偽は半々を越えて
――情報源として信頼するのは、無謀な賭けだからだ。
「
「ああ、それ」
「あれ、驚かないの?」
事の真偽は二の次と言に断じる少女が、窺うように覗き込んだ。
実のところ、
しかし、感情に揺れる事の無い咲の双眸に肩透かしを覚えたのか、残念そうに肩を落とした。
「会っているもの。
「なぁんだ、残念。
てっきり、小説のような
咲の前にある机に陣取り、つまらなそうに突っ伏した。
教師に見つかれば怒られそうなほどにだらしない格好だが、男女が分かれてしまえば実情はこんなものである。
「――あはは、無理無理。
咲は今、素敵な男性とお付き合いしているから」
「え! 本当に!?」
背中から掛けられた声に、噂好きの少女は瞳を輝かせて喰いつく。
突然に上げられた己の話題に咲が視線を上げると、名瀬の隣領を治める領主の一人娘である
大方、情報源はその辺りか。眉間に寄ろうとする皺を抑えるために、咲は額に指を当てた。
「…………
「え~、今更に隠さなくても良いじゃない。研修の時に噂になっていたよ。
あの
「嘘ぉっ!!」
頬を押さえて面白がる学友に、閉じた小説の背を落とす。
痛くも無いだろうに頭を抱えて痛がるフリをする学友を余所目に、咲は抗議の矛先を
「防人の教導に入ったのは事実だけれども、二人が期待しているようなことは何もないわよ。浪漫を期待するのは、活動写真の中だけにしといて」
「え、格好いい男性って聞いたけど、
……違うの?」
「それは、…………まあ、別に関係ないじゃない」
反射で否定を抗弁しそうになるが、肩を並べて戦ったその横顔が記憶に過ぎる。
朱金に彩られ踊る刃と晶の決意。
辛うじて言葉でのみ誤魔化しに返す咲の様子に、
「あれ、これって……」
「え、本気なの? 咲」
見た目と性格の良さ、加えて八家直系という看板を持つ
そんな少女に男っ気が生まれた。
話題半分の
「へえぇ、これはこれは」
「咲にも春が訪れたのねぇ。……お母さんは嬉しいよぅ」
「面白そうな話をしているじゃないか。
――僕も混ぜてくれないかな?」
少しでも浪漫の欠片を搾取せんと二人して詰め寄り、
――背中から掛けられた声に、三人揃って硬直した。
振り向く視線の先には、女性としては敬遠されるはずの短い髪と
学院でも最優の一人と名高い少女が、片手を上げて立っていた。
「友人との語らいに水を差して悪いね」
「いえ。それで、御用は何でしょうか?
……正直、お応えできることは少ないと、ご理解もいただけていると思いますが」
有無も云わさずに人目のない廊下へと連れ出された咲は、今一つ感情の読めない
何しろ、前期には視線すら交わすことの無かった相手だ。
それ故に、相手が何を探りに来ているのか、予想も容易く立てられる。
既に状況は混雑しているのだ。これ以上、入り込む相手を増やしてしまったら、
――間違いなく、咲の胃が保たない。
だが少女の警戒とは裏腹に、影を覗かせない笑顔を誉は向けてきた。
「あはは、正直だね。じゃあ、率直に。
――
伴侶選考が始まったという情報が欠片も入ってこなくてさ、何時、決定したのか訊きたくてね」
「……何のことか、判りかねますが」
努力は実ったか、然程に不自然な間を残すことなく応えを返せた。
――が、
「隠さなくてもいいよ。
今後の事もあるしね、僕としては早めに知っておきたいだけさ」
「……少し前に聴いたことがあります。
何でも、
朗らかな断言に、咲の双眸が眇められる。
嘗て
「
……もしかして、
「
「やっぱり! 優秀だろう、彼女。僕の側役にならないかと粉を掛けたが、本家からの都合とやらで袖にされてね。残念だったよ。
――さておき、知っているなら話は早い。先日、
……嗣穂から盗み聞いたのは、婚約の情報のみが確定。
「申し訳ございません。私にはお応えする権限が赦されていません」
「つまり、決定は事実だね?
――それが、聞きたかったんだ」
「………………………」
深まる誉の笑みに、咲は敗北を悟らざるを得なかった。
ベネデッタの時もそうだ。咲には、圧倒的に交渉の才能が足りなすぎる。
簡単に言質を盗られる現実に、割と自身に嫌気が差した。
「気にしなくても、
――何だったら、僕の名前で誓いもするけど?」
「……お願いします」
「咲くんに迷惑を掛ける
お相手の名前も訊きたいところだけど、
……それは難しそうだね」
咲の表情に覚悟を認めたか、軽く肩を竦めて誉は前言を
軽く肩を叩いて、終わりとばかりに距離を取る。
「お尋ねしたいことは以上ですか?」
「うん。手間を取らせて悪かったね。
とは云え、これで終わりも味気ない。
会話を
「――っっ結構です!」
先刻の軽口も、しっかりと聴かれていたらしい。
分かり易く頬に朱を浮かべて、咲は爪先を反対の方向へと向けた。
「……地頭は良いのだろうけれど、
足早に去っていく咲の後背を見送り、誉は意地悪そうに呟いた。
周囲に聞き耳を立てる輩がいないことを確認して、自身も教室へと戻るべく身体を
咲から得た情報を漏らさないことを、確かに彼女は誓った。
……だからこそ、咲から
殊更に咲の警戒を煽ったのは、その事実に境界線を引くため。
その上で誉は、半神半人たる自身の特性を強調したのだ。
人間には、警戒できる対象に上限が存在する。
問題の処理に対する緊張と弛緩の連続は、自身でも意識しないうちに相当な負担を思考に強いるためだ。
僅かとはいえ落ちる思考処理を経験で埋める事は可能だが、咲にはその経験が皆無であった。
足りない経験を誤魔化すために、人間がとる行動は退避の一択である。
――故に咲は、
「踏み止まって相手の名前を教えれば、情報の価値がなくなるまで僕の口を塞げたって云うのに。
残念だったね」
半神半人たる三宮四院は、間違いなく嘘が吐けない。
だが、相手の思考を誘導するために必要なのは、真実だけでも可能なのだ。
誉は、
――しかし、静美から盗み聞いた情報を口外しないとは、一切、口の端に上げていない。
だから、
「さてさて、誰なのかな?
――
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