2話 他者に問う、知らぬと問う2
「――驚いたよ。
何時、
自分の椅子に腰を下ろし、対面の席を
日に焼けた書類の束を脇に寄せて、
勧められるままにその水を一口頬に含み、
「昨日だよ。
私の隣に立つ御仁は探りを入れたいだろうが、滸さまから
「隣、ね。
お前とも顔を見せるのは久しぶりだな、元高。
警邏隊に入隊したと風の噂で聴いていたが、洲の要人を送迎する立場になっていたとは初耳だぞ。
云ってくれりゃあ、祝い言の一つも贈れたのによ」
「旧来の友人へ白湯を
そこの棚に置いているのはなんだ」
「――
「? 毒という訳でもないだろ」
「腹痛に瘴気毒の一時凌ぎ。とりあえず効能は保証してやる。
……何よりも、嫌な客には能く効くんだこれが」
にやりと笑って見せた
「――ああ、
今度、試してみようと笑う
「そう云えば聞いたぞ、
「俺だけって訳でもないがね。
ま、反りが合わんのはお互い様だが、ここ最近は特に、な」
竹を割ったと評するに相応しい
「……みたいだね。
実は、顔見せは昨日にする
足を運ぶのを一日遅らせたんだ」
「賢明だな」
白湯を呑み干して、
本部で
だが、根拠のない噂であろうと、繰り返せば根も葉も育つ。
いきなり空中から生まれた失態が
「……で? あれが件の、防人擬きか?」
「その云い様は止めておけよ。
やんごとないお方が後見に立っておられる、温厚な方だが、この件に関しては随分と神経質だ」
親指で道場を指す武藤に、
2ヶ月前に起きた百鬼夜行の際、衛士でも有り得ないほどの大功を収めたことで認められた、平民出身の見做し防人。
功の詳細は伏せられていたが、この件で
とは云え、少しでも情報は欲しいのか、今度は
「ほう。相手をお訊きしても?」
「……
百鬼夜行の2日後にはお膳立てを全て終えて、三女を後ろに就ける程度には入れ上げている」
「
……随分と珍しいな」
「ああ。それも、かなりの強勢で望まれたようだな」
行動の早さと手の早さから考えても、
結局、口にできたのは表向きの後見だ。それでも過分すぎるほどに高位の
「成程、訳ありか」
八家の、それも出不精で有名な相手が動くのだ、相応の理由があっての事かと勘繰りたくもなる。
下世話に考えれば、
「「無いな」」
不謹慎にも二人の呟きが重なり、同時に苦笑を交わした。
性格から考えても家族間の仲から考えても、
腕を組んで思考に耽る
「まあ、百鬼夜行の手間を随分と削ってくれたからな。防人の後見程度は安いものと考えてくれたんだろう。
――
「手合わせは横紙とも思ったのだがね、待つだけに時間を持て余すよりはと出しゃばらせて貰った。その様子だと、やはり
眉間に皺を寄せた
早朝に行われる修練での素振りを見て、その太刀筋に影が生まれている事は理解していた。
そのままにすれば、修練とは名ばかりに力量が腐りかねない危険性も。
だが、
矯正は容易いが、その場限りで
横からの差し出口とは云え、
「……原因は判っているんだ。
昨日は防人として初めて指揮も任せたが、あれの指揮下で1人犠牲が出てな」
「防人に被害が?」
「いや、練兵だ」
「それは……、随分と甘すぎるだろう。
練兵の犠牲程度で落ち込まれたら、この後が続かんぞ」
武藤が上げた言葉は、常識で考えれば当然のものであった。
防人だろうが、畢竟、人間という事実には変わりがないのだ。
口減らしの意味も兼ねている練兵の死傷一つに気持ちを持って行ったら、その重みで直ぐに潰れてしまう。
最低限、練兵の死傷を数字と認識できるようにならなければ、守備隊などやっていけるはずも無い。
「そう云わんでくれ。
俺も忘れがちになるが、晶は防人になって未だ2カ月だ。
その前は練兵で、……死んだのは昔馴染みの仲間だ。
流石にそこは責めれんよ」
「ああ、そうか。それは……、侭ならんなぁ」
晶の前歴を指摘され、武藤は天井を見上げた。
一人の失態が生死に繋がる守備隊では、正規兵でも練兵でも横の結束や帰属意識が強くなるのは当然だ。
晶が防人になったとしても、既に在った連帯感を変えるのが非常に難しいのは予想に容易い。
慨嘆は既に吐き尽くした。これ以上無いと手を振って、
「まあ、其処は良い。時間が解決してくれる。
――それで、手合わせの評価を聞かせてくれるか」
「そちらも色々と疑問だな。
晶くんの出身は何処か訊いても?」
「
当然だろうと、
……当然、晶の身体の動かし方にも気付いたはず。
「……基礎には
運体法は
修練に明け暮れているのは判るが、随分と纏まりが無い。
――悪いとは思ったが、手合わせで矯正を入れさせてもらった」
「いや助かった。あのままじゃあ、実力も底止まりなのは見えていたからな。俺も強引に剛の太刀を教えた手前、どうしたものか悩んでいた」
5つある門閥流派は各々が五行の
晶は火行に属しており、当然、
「一応、
それでは
「理解しちゃあいるんだが、これが中々に難しい。
晶と同じ年齢で同じ技量辺りの防人を当てるのが手っ取り早いんだが、周囲には候補もいなくてなぁ」
現在、
晶にしても大事な時期だが、付き合いを強要する訳にもいかない。
細かい所であるが、
腕組みに悩む
「仕方がない。友人の悩み、私が一肌脱ごう」
「うん?」
「奇縁だが、弟子を
――手合わせの感触からして、力量は大方に比肩しているとみているが」
その言葉に、
あまり気に掛けていなかったが、
「そりゃあ、有り難いが。
……良いのか?」
「問題ない。……実は私の弟子も伸び悩んでいてね。
どうやら、
腐るよりはと私の仕事に付き合わせていたんだが、どうにも学院に戻りたがらない」
「ああ、俺の耳にも及んでいた。『
……『北辺の至宝』だったか? 随分な二つ名が幅を利かせていたな」
それだ。
上には上がいるとは云え、手が届かなければ、下しか見なくなるのも又、道理である。
「相手は
あの子も
晶くんと切磋琢磨してくれれば、此方としても助かる」
「そういう事なら、有り難く頼らせて貰おうか。
顔合わせは…………」
どおんっ!
すわ襲撃かと、事務室に居た全員が引き戸に駆け寄る。
引き戸の硝子窓越しに外を覗くと、道場の外では砂に塗れた晶が握り締めた木刀片手に立ち上がるところであった。
晶が
その光景に、
「……する必要が無くなったようだね。彼が私の弟子で、名前を
済まない。直ぐに止めさせようか」
「いや、血気盛んで結構じゃないか。
木刀で私闘ならば、俺たち
――拳骨は、弟子どもの気が済んだ後でいいだろう」
「ふむ。それもそうか」
大方の事情を察した
私闘は禁じられているが、ここには彼らの師も揃って肩を並べている。
制止するにも容易い状況なら、
思い切り振り下ろすための拳を温めながら、
♢
時は少し遡る。
秋の涼風が渡る道場の中央で、晶は再び木刀を振っていた。
攻め足、上段。今度は残心から納刀まで、一つずつ丁寧に重ねていく。
――疾。疾。疾。
思考に過ぎるのは、先刻に
木刀を構えて振り下ろす刹那に、鮮烈に打たれた軽い幻痛が身体を奔った。
その瞬間、避けるように庇うように、
蹴り出す左の踵を重く、踏み込む右の爪先を均等に柔く。
上がろうとする脇を庇うようにして締め、振り切る二の腕は最小限に。
――木刀を振り下ろす手の甲は、直前で握り締めるように。
その瞬間、重く鋭い斬撃が宙を奔った。
――斬!
「あ」
静かに揺ぎ無く、虚空を断ち割るその一刀に、思わず口から呟きが漏れる。
それまで放ってきた漫然とした軌跡とは違うその一撃には、
「――は。漸く、
「なん――!」
木刀を振り切ったその背を打つ嘲笑混じりの声が、呆然とする間も与えずに晶の背中を
振り返る視線の先には、投げ掛けた声そのままの表情を浮かべた少年が腕組みに立っていた。
背格好から年齢の頃は、晶と同じか少し上。袖を通している羽織には、
――二重囲い、車輪に
何処かで記憶に触るその意匠に首を傾げる晶を余所に、少年は傲然と言い放った。
「
そんな機会を潰して素振り一つを漸くなんて、自分を恥じろよ凡愚」
「んだと!」
「事実を指摘しただけだろうが。
反骨する前に、才の無さを恥じろってんだ」
余りの言い草に流石の晶も怒気を覗かせるが、何処吹く風とばかりに少年はせせら笑う姿勢を崩さない。
「……衛士
この身は防人になったばかりの凡愚ですので、基礎に重きを置くべきが当然かと」
相手が衛士ではないことを理解しつつ、晶は故意に間違えた。
段位を別にすれば、晶も防人で同格となる。要は、お前も
「――は。云ってくれるじゃないか。
吼える才能は認めてやろうか?」
「いいだろう、買ってやるよ」
正確に晶の意図を悟った少年は、壁に掛けていた
「掛け声が欲しい年齢じゃないだろ、攻めの一歩は譲ってやるよ」
「結構。何なら、くれてやってもいいぞ」
「抜かせ。
――
「晶、だ」
同年代であろう迅に悠然と頭から見下され、晶の負けん気に火が点く。
相手が意地でも構えを動かさないところを確認し、初手で決着を望むべく精霊力を練り上げた。
道場を薙ぎ渡る微風が、両者の沈黙を浚う。
その刹那、晶は脇構えから深く
「――
横薙ぎの軌跡に沿って、炎の斬撃が宙を翔ける。
――しかし、
瞬きも無い刹那の後に迅へと迫った飛燕の刃は、
「効くかよ!!」「だよなぁっ!!」
先刻に視たばかりだ、驚きは無い。
元より予想できていたその結末に、拘泥は無い。迅が攻めに転じる前に、晶は迅の懐に潜り込んだ。
晶の精霊力に任せて放たれた
畢竟、彼が守勢を維持する限り、攻勢は常に晶へと味方する。
振り翳す木刀に精霊力が渦と捲く。向かう微風の最中に、晶は強化した木刀を袈裟懸けに打ち込んだ。
対する迅の初動は、晶の予測通り僅かに遅い。
体勢も定まらないまま斬り結んだのなら、間違いなく攻勢を保った晶に軍配が上がる!
閑静な空間に破砕音が響く。互いの意地が軋みを上げて競り合った後、
「ぐっ!」
――拮抗を制したのは迅の方であった。
完全に攻勢が崩され、晶の
二転三転。抵抗もできずに道場の外へと蹴り出され、視界が快天の明るさに満たされる。
腹に響く激痛と土埃の味。目舞う思考のままに立ち上がると、迅が道場から日差しの下に踏み込んだ。
優勢の確信からか、歪むその口元に晶への警戒は露ほども無い。
「おいおい、もうお仕舞か? 達者なのは口だけだな」
「……抜かせ!」
追い打つ
迅の実力を侮った積もりは無い。少なくとも、正当に訓練を重ねた衛士相当の防人なのは間違いないだろう。
加えて、
火克金。本来なら競り勝てるはずの相克関係を越えて
その術理も見えないままに、晶は劣勢を強いられていた。
過剰なまでの精霊力を背景に、木刀同士が軋みを上げて鎬を削る。
強化されているはずの木刀に
秋の微風が破片を浚い、晶の後方へと流す。
――
その光景に記憶が繋がり、晶は大きく飛び退った。
「……確かその
「は。ここまで痛めつけられて、漸く術理の一端だけは理解できたか」
「微風を維持し操作する。器用な真似を……」
迅の笑みが深まり、晶は正解を引き当てたことを悟った。
晶に向かって
意識もしないほどの微風だが、風圧ともなれば無視もできない。
要所に風圧を集中させることで晶の勢いを削り、転じて追い風を受けて自身の攻勢を維持し続けているのだろう。
「一つ覚えだろうがっ!」
「
唸りを上げる木刀の軌跡に沿って疾風が迸り、精霊力が迅の戦意を飛斬と変え、
――迅の斬撃が波濤と迫る衝撃に呑み込まれたことで、晶は推察が正しかったことを悟った。
つまり、
「
大気を掻き乱す類いの
飽和する熱量の衝撃が連続して
晶の木刀が迅に目掛けて正中から叩き落とし、
舌打ちすらもどかしいと云わんばかりの焦りを浮かべた迅の木刀が、存分に強化された晶の木刀と噛み合う。
――その瞬間、鈍い破砕音を立てて、二人の木刀が木片と散らばった。
本来の仕合ならば、両者相打ちの上で引き分けの判定が出るのだが、
「こんなんで止めねぇよなぁっ」「当然だっ。やられた分は拳で返してやるっ!!」
頭に血が上り切った二人は、仲良く互いに拳を振り上げ喧嘩の継続を叫んだ。
……互いの背中に、拳を振り上げた師二人が立っていることを気付きもせずに。
「「――仕舞いだ、馬鹿もの」」
唸りを上げて振り落とされる拳二つ。鈍い音が秋日の高い天に響き渡った。
♢
TIPS:
弓削孤城が独自に編み出した攻防一体の精霊技。
自身を中心とした空気を渦動させ、大気そのものを相手にまとわりつかせる。
相手の体感としては文字通りの微風でしかないが、身体全体に受ける風圧は意識できないうちに相手の動きから精霊技までを減衰させる。
ただし、晶が鳩衝で吹き飛ばした事実と同様に、弱点も多い精霊技でもある。
何よりも問題となっているのが、受ける恩恵の割に難度の高い精霊技でもある事実か。
行使するだけなら可能なのだが、精霊技を維持しつつ他の精霊技を行使するとなれば、思っている以上に難易度が跳ね上がる。
奈切迅が弓削孤城の弟子となれたのは、この精霊技を修得できたからでもある。
それでも、行使い熟しているとは言い難いようだが。
読んでいただきありがとうございます。
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