1話 己に問い、されど日々は巡る2
火焔を払って尚、平原には戦闘の熱が
戦闘は終わったが、練兵たちにとっては寧ろ、これからが本番である。
風も無く茹だる大気に晒される中、勘助は練兵仲間たちと肩を並べて
一際大きい鹿の死骸を持ち上げようと勘助が屈んだ時、背後からの手が勘助の伸ばそうとした先を掴む。
「――手伝う」
「晶か。
……すまん。そっちを頼む」
言葉少なく応じる声に、晶は鹿の後肢を持ち上げた。
常の応酬すら無いまま死骸を運び、晶たちは死骸を穴に放り捨てる。
清め水を振り掛けると、死骸から漂う瘴気の残滓が音を立てて青白く燃え上がった。
ちりちりと音を立てる炎に煽られたか、晶の纏う羽織が微かに踊る。
言葉の無いまま暫しの後、努めて冷静を装い晶が口を開いた。
「誰だ?」
「……
「そうか」
言葉短く告げられたその名前に、晶は僅かに目元を歪める。
犠牲となった練兵の名前は、晶も良く知る一つ年配のものだった。
「彼奴、残り何年だったっけ?」
「さぁ。
――もう直ぐ、もう直ぐ。馬鹿みたく繰り返してたから、1、2年ってとこじゃ無ぇか?」
「丁稚先は?」
「大工の……、いつも通りだろ。
食い扶持が減ったことに喜ばれて、雑用が増えたことに愚痴を云われて。
――終わり」
「故郷は?」
「知らねぇよ。
誰だって云いたく無ぇし、……訊く
「だけど……」「あのさ、晶」
云い募ろうとする晶を遮り、勘助はその視線をひたと迎え撃った。
「安吉が最初じゃない。
今年に入って8人はやられているし、その前はもっと酷かった。犠牲の無かったこの2ヶ月が異常なだけだ。
……お前だって見たことあるだろ、気にし過ぎると潰れるぞ」
仲間の死に直面したことで精神に変節を来すのは、練兵において普通の出来事だ。
ただ塞ぎ込むだけなら問題は無い。だが極端な行動を取り、他人を巻き込んで破滅するものも年に一定数出てくるのが問題だった。
晶の言動に同様の気配が滲んでいることを、付き合いの長い勘助は嗅ぎ取っていた。
「…………………………」
云わんとする事は自覚してもいたのだろう。口から出ようとする抗いの意思は形にならず、僅かに唇が震えるに留まった。
「……片付けが終わったら帰ろうぜ。
握り飯食って寝ちまえば、明日はまた仕事だ」
「……そうだな」
後に交わす言葉は無い。
2人肩を並べて、黙々と死骸を片付けた。
安吉が最初じゃ無い。そんなこと、晶だって充分に理解している。
守備隊に籍を置いている以上、犠牲無く終わることは不可能だという事も当然に。
練兵の時は良かった。仲間の死も、現実の不満も、全て上に押し付ければ気は済んでいたのだから。
――だが今回は、晶が正式な防人になって初めての任務だったのだ。
作戦の流れも、配置も、全て晶が決定した。
誰にも責任を押し付けることが赦されない。
安吉の犠牲は、その結果であるという現実。
これは晶だけの問題だ。
それは神柱ですら手出しできない、晶だけの心の
……
♢
いるのは、日頃の
手軽な酒を求めた酔漢が
――やがて男は、場末の奥に建つ一軒の前へと辿り着いていた。
暖簾が下げられたままの呑み屋。気配はあるものの、胡乱な様子に客が覗くことも無い。
僅かに灯明が漏れている店の前には、見るからに華族出の文官然とした男だけが佇んでいた。
中年男の到着に、僅かに視線を上げて自然と逸らす。
「――
「……
卑屈に頭を下げる中年男は、言葉少なく返す
慣れた店内。興味も無さげな店主の脇を通り、ぎしぎしと建付けの悪く狭苦しい階段を上る。
「随分と早い
「気にしなくて結構」中年男に追従する
「こちらも暇ではありませんので」
「左様で」
その返答に抗弁も持たず、男は軽く肩を竦めて応じるに留めた。
2階に上がって直ぐの襖を開ける。
建物自体が傾いているのだろうか、建付けの悪い音と共に襖を半ばまで開ける。
橙色の灯りが男を迎えるその奥で、初老の男性が
「お久しぶりです。
――
「……来たか。まぁ座れ」
奥座敷の窓際には、守備隊総隊長である
ひらひらと掌を払い、
「失礼いたします。
――ささ、一献。お注ぎいたします」
「ふん。随分と、気が利くようになったじゃあないか。
「はは。永い年月を生きていますと、こういった小技も莫迦にならんと実感いたしますので」
「……そんなものか」
新たな酒を傾ける前に、
奥まった場所だが、やはり人通りも多い。更には宵の口だというのに、遠くからは怒号が飛び交う様子さえ届いてくる。
「窓をお閉めいたしますか?」
「要らん。
――見ろ、
実際のところ、
血縁と政治力学の結果である
「ご不満、心中お察しいたします」
「全くだ!
特に昨今の
更にはその練兵を防人に取り立てて、代わりとばかりに
痛い
守備隊に
……最近では文字通り、椅子に座るだけの日々しか送っていない。
――そして、それが事実であると、
「……厄介な練兵ですなぁ。
「
浮かぶことを考えるな、沈むことを覚えろ。それが出来ないから、儂の弟であるにも関わらず何時まで経っても
「――これは耳に痛いお言葉を。本家を目立たせるわけにはいきませんものなぁ」
本家は
名も知られず脈々と続くその一族は、実のところ、郎党総てが影働きである。
当然、表立って助力を請う事は一族の標榜に反している。
処罰とまではいかないまでも、
因みに、3区
「
――本題に入るぞ、玄生の回生符はどうした?」
効果が高く、治癒速度も速い。以前から、陰陽師の間で密かに噂が広がり続けている呪符であった。
裏取引とはいえ登録もしていない乞食同然の老爺から、それほどのものが一枚1円に満たない捨て値以下で入手出来ていたのだ。
目の前の己の弟が欲を掻かなければ、今なら更に仲介料分もごっそりと自身の懐に流し込めていただろうに。
更には、此方がかなりの労を負って不祥事を揉み消したというに、先週から
苛立ちも含めて、目の前で縮こまる中年男を
「は、申し訳ありません。
「ちっ!!」
ただでさえ低い沸点が容易く振り切れ、
感情からか酔いからか、それは男を遠く外れて奥の畳へと落ちる。
安いだけの
「大枚叩いて貴様を庇ったのは、あれの入手を期待しての事だぞ!
洲議への参画を前提に縁故を結ぶためと、儂は何度も説明したはずだ!!」
「ははっ。玄生に対する
――が、どうやら
「……何?」
玄生の回生符の価値は、現在、流通しているだけでも一枚で
格安で入手でき、
「
回生符の裏取引は此方の弱みでしたから、本部も黙らざるを得ませんでしたが」
慢性的な呪符不足に喘ぐ
故に、登録の外にいる
云わば、呪符供給の緩衝策として行われていた裏取引を悪用していた
今後の呪符供給が停滞する事態を招くくらいならば、
「
確かに強力であろうが、そこまで興味を持てるものでもないだろう」
「私も疑問に思って、残しておいた幾つかを費やして効力の確認をしました。
――どうやら件の回生符、効力を別にして治癒上限が無いようなのです」
男から齎された情報に、
治癒上限とは、何処まで癒せるかの限界を示している。
上限が無いという事は、本来は治るはずの無い肉体の欠損すら癒せることを意味していた。
それでも、それが高値で流通しているのだ。
回生符の価値を決定する治癒上限が無い。つまり、その価値も上限知らずであることが、
「忌々しい
それ程の呪符、
「ははっ。
――
平伏しながら
……やがて、
「待て。抑々、その玄生とかいう爺、何処から迷い出てきた?」
「は」
「それほどの回生符よ。これまで噂にも上らぬのは道理に合わんぞ。
ここに来るまでの以前は、何をしていた?」
「玄生の前身は、
……もしかするとあの爺、符術師ではなく陰陽師が前身ではないのかと」
それは、別段に不思議な憶測という訳でもなかった。
元を辿れば、符術も陰陽術の一技術であるからだ。
戦闘面からは一線を退いて久しい陰陽術であるが、龍脈への干渉や土地の浄化など汎用的な能力から重用される局面は多岐に渡ることからも、その有用性は云わずもがなである。
問題は、何処の出身の陰陽師かという事だが。
只の、ではなく相当に高位の陰陽師と触れ込むならば、出身は随分と限られる。
「……陰陽省内部で政変の煽りを喰ったものが
「ははっ。
「下らん世辞は要らん。
……が、読めたわ。陰陽省の
罪にも問えん
……成る程。政治に飽きたならば、逸れの符術師は日銭稼ぎ程度には打ってつけか」
平伏する中年男を余所に、
推測程度でしかないが、その都合の良さは無理のない物語を滑らかに紡ぐ。
「
「いるだろうな。
刺激しないように、高位の回生符だけでも回収しておこうという腹積もりなのだろうさ。
――くは。ならばどうせ欲しいのは、お互いに件の回生符のみよ。
どうせ根無しに落ちた
「いや。身共では如何にも動けぬと、悩み心中の難題。
――
―――ささ。もう一献。
新たに勧められたお猪口を手に、
「……良いだろう。その程度の影働きならば、
――抜かるなよ、
じりじりと電球が瞬き、流れ込む微風に蝋燭が揺れる。
複雑に重なり離れる光源に、座り込む男が落とす影は何処か不気味に踊り狂うように映った。
歓談する声も無いまま蝋燭の灯明が揺れて尽きる頃、呑み屋の引き戸が建付けの悪い音を立てて開かれた。
やけに昏い店の中から、音もなく中年男が姿を見せる。
「―――これは、
「そうですね、
……
「ははあ。少々、酔いに過ごされておられるようで、先に席を外させていただきました」
素っ気ない
深く一礼が返る腰の低さに、
普段通りの
「珍しいですね」
「はは。なんともお恥ずかしい限りに
身共の見送りは気分を害されるかと」
「――そうですか」
漸くは腰の低さに加減も覚えたか。
何処か気配の薄い中年男が、辞去の礼を述べつつ背中を向けた。
じりじりと音が鳴る。人の波が生み出す風のうねりか、赤提灯がゆらりゆらりと一斉に踊った。
男が去る背中を然程も見ることなく、
後に残るものは無かった。
奇妙な程に拍子を揃えた赤提灯の作り出す灯明の波は、人の流れにくっきりと明暗を生み出すのみ。
去っていく中年男の背中は、直ぐ様に行き交う人の流れと明りの狭間に呑まれていった。
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