閑話 夏に戦ぐは、火花と散れる百合二輪2
話をする前に腰を落ち着かせようと選んだのは、同じ中央棟にある会議室であった。
昼下がりも未だ過ぎず、両端の校舎からは賑やかに喧騒が届いている。
華やぐ外とは裏腹に、静寂に満ちた会議室では不穏さを保ったまま
「さて。会談の前に前提として訊いておきますが、静美さまは何処まで把握していますか?」
「……
とはいえ、晶さんの生存を確信したのは、
「回生符?
問うように、咲と側役の二人へと順繰りに視線を巡らせた。
返答代わりに、咲たちは首肯のみを返す。
咲から届いた電報の情報を元に、
玄生の呪符は組合内で名が通っていたため、その総てを
その後も回生符の納入が続くことは容易に予想がついたので、越権覚悟で政治の面から圧力を加えたのだ。
「その呪符ではありません。
玄生の雅号を与える際、
後背に立つ咲たちは戸
該当するであろう回生符を行使した形跡は、
「成る程、経緯は理解いたしました。
こちらの状況もお教えした方が良いでしょうか?」
「……お願いします」
3年の別離は余りにも永い。成長途上にある少年は、背も性格も思う以上に変わっているのは想像に難くなかった。
四院のものであれば偽りを口にすることもあるまい。その事実に唯一の信頼を置いて、静美は
「……とは云え、私もそれほど3年間を知り得ているわけではありません。
晶さんの生活は…………………………」
不穏は残っても何処か穏やかに、幾許の時間だけが流れるに少女たちは身を任せた。
「……といったところでしょうか」
「随分と苦労されたのですね。
私たちの事は何と?」
訊き終えてから暫く、静美は溜息を禁じえなかった
第8守備隊。長屋。そこまで訊ければ晶の在所を辿るには容易い。
だが想像に反してかなり穏やかに生活を育んでいる様子であることは、静美をしても救いであった。
本来であるならば、そのまま
晶は
「私が直接訊いた訳ではありませんが、お母さまが
――過去に持てなかった謝罪を、一言だけでも告げたいと」
「…………………………っ!」
不意を突かれ、零れそうになる涙を静美は堪えた。
――謝罪は別離への裏返しだ。それは最早、晶の心が
だが、はいそうですかと頷く訳にもいかない。
「
「――
退く
だが、
この機会を逃せば、次に
「――はい」
「
「その場合、
裁判権を統括する
こちらが出る行動は、一通り読まれているのだろう。
流れるように返る応えに、静美は内心で歯噛みをした。
これまでの晶の生活を鑑みるに、
雨月を信用し過ぎていたとはいえ意識に及ばなかった
「……
「
「結構」
覚悟はしていたが、
「晶さんの裡に封じている
それだけを言い放ち、
後背に側役が追従する気配を感じつつ、会議室を出ようと踵を返す。
しかし追い打つ
「お待ちください。
晶さんは既に、
「何ですって!?」
正者の器一つにつき精霊が一体しか宿らないことは、最大原則である。
実のところ龍穴であれ風穴であれ、器の大小に係わらず宿せる存在は一つしかありえない。
封じるという事実を裏返せば、晶の裡から
現状に
何故ならば、晶の裡から
――晶の器は、未だ他の神柱に染まり切っていない。
だが、
器が染まり切っていないならば
それは、晶の器に一柱
それを可能とするのは、
神柱の頂へと昇るための偉業を成し、己と云う自我を削り切った空の位と成してこその特権である筈だ。
それは、五洲何れにも存在する
自我を削り取る。その苦痛は、正気の内に耐えうるものでは無いことは想像に容易い。
ほぼ絶対的に廃人しか残らない。成功したとしても、人と云う器しか残らない結果が透けて見える。
儀式が存在することは知っていても、これまでの
「貴女たち、晶さんを『禊ぎ祓いの儀』へと送り出したの!?」
「私たちが企図した訳ではありません。
順序が逆なのです。晶さんが儀式を通ったからこそ、
「――戯言を!!」
「私たちが偽れないことは静美さまもよくご存じのはずかと。
当初、晶さんが
『氏子籤祇』も『禊ぎ祓いの儀』も、対象と条件こそ違えど儀式の入りは同じである。
何故ならば『禊ぎ祓いの儀』の利点だけを抜き出し、極限まで劣化させた技術こそが『氏子籤祇』なのだから。
同じ儀式なのだから、条件と対象が一致さえすればより上位の儀式が優先されるのも、又、当然の帰結であろう。
「晶さんは……」
「ご安心ください。『禊ぎ祓いの儀』は不完全のまま終えています。
晶さんの器自体は完成していますが、人格に然程の影響は確認されていません。
――どうにも捨てたくない記憶と感情があったらしく、相当数の精霊たちが合力して自我を護り切ったようですね」
「無事なのですね?
……良かった」
その姿を目の当たりにして、咲の胸中に曇天に似た感情が渦巻いた。
それは怒りでも哀れみでもなく、それこそ嵐の直前に似た静寂の感情。
「……………………あの!!」
「咲さん!?」
本来、逆らう事の出来ない2人を相手にして、咲はその想いをぶつけるように進み出た。
「晶くんのことをそんなに大切に思っているのなら、何故、お逢いになる回数を増やさないんですか? 私の目からすれば、お2人とも晶くんとの接触を極力に避けているようにしか見えません。
幾ら晶くんだって、婚約なんて思わなくなります!」
「……貴女は?」
「……
静美にとって、
見も知らない相手からの非難ともとれる奏上に、静美の眼差しが鋭さを増す。
その視線に射抜かれ咲の腰が怯みかける、がそれでもその足は後退の様子を見せることは無かった。
取り為すように、
「咲さんには、現在、晶さんの教導に立ってもらっているのです。
――ええ。静美さまの云いたい事は判ります。
咲さんを教導に立たせたのは、此方としても止むを得ない事情があります」
何しろ、時間がありませんでしたから。
独白に零した
「
――咲さん。私であれ
「そうであったとしても、……」
百歩譲ってそれを受け入れたとしよう。だが、現実に起きてしまった問題の遠因は、
晶への扱い。雨月の行いを糺す猶予は、
それは手落ちと判断されても仕方の無い、
どう話したものか、
「出来ないのですよ。
晶さんは
「――はい」
「より正確に言及すると、神子や巫は恣意的に生み出された
加えて、その
最上位の称号という事は、晶が願えば
云うまでもなく、その強制力は下位である
流石に、神柱にまでは効力も及ばないが、神柱は神無の御坐の所業を制止することは絶対に無い。
それは詰まるところ、晶がその気になれば誰であろうと従えてしまう能力があるという事実の指摘に他ならなかった。
そこまでの無茶苦茶な存在が、
これまで晶がこの言霊を行使してこなかったのは、偏に晶が知らなかった事と幸運が重なったからに過ぎない。
下手な教育を与えて、言霊を乱発する専横者を育ててしまうくらいなら、普通の人間として素直な成長を望ませる。
明確に伴侶としての意識を育てるのは、人間としての精神が成熟してから。それが、
そもそも、雨月のような失伝からの放逐という、前代未聞の大失態の方が想定の範囲外なのだ。
「――そこまで理解して咲さんを教導に就けたのならば、
そう負け惜しみに口を挟んで、静美は踵を返した。
「私はこれより、
僅かなれど、
……それで、再会に向けた交渉は?」
「概要は
私も一度、
……そういえば、雨月の始末はどうされるお
「あれは
――何か問題でもありますか?」
「いいえ。
ですが僭越ながら、
どの道、先は長くはありませんし、急ぐ必要も無いかと」
「雨月に慈悲を掛けろ、と?」
予想通りなのか、その反応に薄く
「真逆。ただ、一番の被害者は晶さんです。
……憎しみの向かう先が無くなれば、人は心の整理がつかなくなるかと。
晶さんの成長のためにも、最終的な雨月の処分は彼に預けるのが妥当と思ったまでです」
「……そうね。
どの道、
それでは後ほど、交渉の使者を此方から送ります」
「是非に」
別れ際の言葉も短く、静美は迷う足取りも見せずに会議室を後にした。
去るその後背が、軋む引き戸の向こうに消えて暫く。息の詰まる交渉が終わった安堵から、咲は大きく息を吐いた。
「…………………………はああぁぁぁっっ!」
「ご苦労様。
咲さんは、この
「父さまに連れられて、
ですが、今回ほどに緊張したのは初めてです」
微笑む
引き攣れた頬の痛みがその笑顔のぎこちなさを雄弁に語っていたが、敢えて指摘することも無く
「女性は家内を護ればいいと云うのは、時代遅れの考え方よ。
西巴大陸じゃ、表に出て働く女性っていうのが一般になっていると聴きますし。
さて。学院での用事を済ませたら、私は
――咲さんも、一緒に戻りますか?」
「……いいえ。晶くんも学校が始まった頃なので、私は学院に残ります。
今でも充分に怪しまれているのだ。
性格と裏腹に勘の鋭い
「そう。
でも
――晶さんの準備を手伝ってもらわないといけませんし」
「はい」
返る咲の肯いに
これが余人の知るところに無かった、晶を巡る緒戦の静かな始まり。
――統紀3999年、
秋の足音が遠くに聴こえ始める頃の一幕であった。
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