閑話 夏に戦ぐは、火花と散れる百合二輪1
――
朝も早い頃、夏季休暇の明けた
時刻は7時。意外に思われるかもしれないが、この時間に正門を潜ってくるのは一般の華族たちである。
武家の子弟たちは、更に日も昇らないうちから朝の練武に励んでいるのだ。
交わす言葉はごきげんようとおはようございます、育ちの良さを競うように元気よく。
央都の古式ゆかしさを存分に示した大通りを歩くのは、仕立ての良い詰襟制服の子弟と
そんな大通りの一角を
三人は表面で笑顔を取り繕っていたが、その雰囲気はこれから戦で
周囲の学生たちも
「……あの。何故、私が
そんな一団の傍らから、気配に呑まれつつも
家格故に否応なく
というか、前期の終わりまで顔見知り程度の付き合いでしかなかった面子と肩を並べているのだ。
それだけでも、好奇の視線と場違い感が半端なく咲を
「何故って……、晶さんと
……それに、これからお会いする方にも顔合わせは必要ですよ」
「……………………はい」
しかし、咲が上げた精一杯の反駁は、有無も云わさず言下に封じられた。
そこに返るのは、ただ裏表を覗かせない
その無情さに感情の向け処を喪い、我関せずの澄まし顔を決め込んだ後背の側役二人に恨めし気な視線を向ける。
そこから返る応えも、想像通りの
笑顔で放り出された孤立無援の戦場に歯噛みをしながら、それでも訊かなければならない事があると気分を持ち直した。
「まぁ、良いです。
――昨日にお聴きした情報、本当なのですね?」
「ええ。
「
「恐らくは、
精霊無し。
地味な上に、下手をすれば欠陥品と捉えられかねない特徴だ。
だが、その存在の重要さは、特徴とは裏腹に天井知らずに高い。
何しろ、神柱を宿し現世に神意を
神代契約の失伝に
正門を潜ったその先には、左右対称の校舎が広がっていた。
男女七歳にして席を同じゅうせず。を地の
向こうに広がる鏡合わせの校舎は、男学部の左府舎と女学部の右府舎へときれいに分けられていた。
ごきげんようとおはようございます。繰り返される挨拶と共に詰襟制服と水兵服が二色に分かれて、各々の学び舎へと消えてゆく。
慣れた道程だ。少女たちの流れに倣い、咲たちも右府舎へと足を向けた。
――雄ォオッッ!!
猛る号声が響き、その向こうで少女たちの姦しい声援が飛んだ。
思わず向けた視線の先では、練武館に群がる少女たちの背が見える。
少女たちの声援から察するに練武館では、少年たちが休暇明けの朝練を試合形式で行っているようであった。
呑気な少女たちの姦しい声援を、此方の危機は他人事かと羨まし気に咲は見遣り、
――
囃す淑女の
「……あら?
雨月内部も大変でしょうに、恥知らずにも学院に顔を出す余裕が残っていたのかしら?
――それとも、
まぁ、それは無いわね。咲が向ける視線の先に気付いた、
「
「さぁ? 興味も無いわ。
八家の本分も忘れた愚物の残り滓、処分するのは私の管轄でもないし。
……あぁ。静美さまも、私と同じ意見の御様子ですよ」
「…………え?」
感情すら乗らない
視線を上げると、右府舎の窓際から見下ろす
――
その一葉と咲く静美は笑顔を絶やしたことのない、蕾が綻ぶ儚い鉄砲百合の美しさと謳われていた。
しかし窓の硝子越しに見える彼女は、その微笑みすら凍てつく視線しか覗かせていない。
その視線が映す先が練武館の歓声である事に気付き、咲は暗澹たる未来に憂いを覚えた。
もう片方の百合と謳われる
「接触は昼の方が良いわね。
咲さんも、午後は欠席扱いにしておくわ。
――間違いなく、長引くでしょうし」
「あ、あの。私は……」
「先刻も云いましたけど、顔合わせはしておきなさい。
向こうからすれば、私たちは晶さんを掠め盗った泥棒猫よ。
特に咲さんは教導として晶さんとの付き合いは随一に長い、
「………………………………はい」
教導は
それに
公のものでは無いが、咲は晶の教導を任じられた身である。
その眼から見ても婚約関係とあったにも関わらず、両名とも晶との接触を相当に控えていると見えたからだ。
そればかりか、どうにも意図的に晶との接触を避けている節すらある。
晶を厚遇するために咲を出しにするなど、どうにも政治に近い力関係がそこに働いているように見えるのだ。
――仕方がない、か。
不満の持って行き先を強引に奪われて、嘆息一つ、咲は思考を切り替えた。
訊きたいことは他にもあるのだ、こればかりに意識を注げるほどの余裕はない。
「もう一つ、お尋ねしたいことがあります。
――
困惑を浮かべたまま、咲は己の鞄へと視線を走らせた。
其処には、結わえられた白く
咲は涅槃教の信者ではない。粗雑に扱う
「咲さんには申し訳ないと思いますけど、それは返却できるものでは無いのです。
「……………………策謀したものは、そこまで意図していたのでしょうか?」
咲の記憶に蘇るのは、此方に姿を現さずに逃げおおせた
この神器を放置しても
「いいえ。恐らくは回収する余裕が無かったのでしょう。
守備隊が出払い、『導きの聖教』の信徒たちが立て籠もる。手薄になったその隙に、神社からパーリジャータを奪取する。
報告を見る限り、それが相手の思惑だったはずです」
「そう推察された理由をお訊きしても?」
「
――早々にあれを放棄することは、相手側にとっても誤算だったはずですよ」
その割りには、村の水脈を弄る
口にしないという事は、咲が知らなくてもいいという事だ。
それは詰まるところ、咲が知れば厄介なことになる可能性があるという事でもある。
これ以上、殿上人の思惑に関わる
だが、
「……それは、私がパーリジャータを持たされている理由にはなりませんが?」
気付いていましたか。右府舎に向けた歩みを止めずに、
パーリジャータの返上が咲の意図であることは、気付いてはいた。
晶の経験を鑑みるに、教える事は容易だがそれは咲のためにもならない。
今後のことを考えるに、咲は自身で気付かなければならないだろう。
……だが、気付くためのとば口くらいは良いだろう。
「咲さんに所持を命じた理由は内緒です。
――が、そうですね……。涅槃教の奉じる大神柱、シータが司る象をご存知ですか?」
「……いいえ」
云い淀む咲の姿を微笑ましく見遣り、
「シータが司る象は、
パーリジャータは、28本から為る世界最多の神器。
――忘れなきよう。神器とは、神柱の象を別けたものでありますが、神柱そのものではないと云う事を」
その為か本格的な授業の開始には大幅な余裕を取られており、
「静美さまは中央棟に赴かれたと?」
「はい。姿も目撃されていますし、間違いは無いかと」
「……人目を引きたくない会談だし、都合が良いのはそうだけれど」
人通りの少ない校舎の廊下。怪訝そうな
前期の復習を主軸に置いた午前の授業を恙なく終えた昼下がり。
生徒自治を主眼に置いた部活棟に隣接するそこは、男女共有となるためか男性の利用は多くとも四院の一角となる女性には余り縁がないはずの場所である。
「…………くが行きません。
一体何が問題だと仰りたいのですか?」
「――それが判っていないからだと、未だ理解に及ばぬか」
階段の向こうから響く喧騒に、
片方は静美。であるならば、もう片方は直ぐにも予想はつく。
「……雨月
「
堪りかねた咲の提案を、
下手な第三者が明確に入り込めば、余計に状況が拗れる可能性があるからだ。
溜息一つ。
第三者であっても
階段を上がり切った先には、予想通り静美と
殺気だった静美の側役二人が乱入してきた一団を排除せんとばかりに視線を向けるが、
「――お話し中、失礼いたします。
お久しぶりです、静美さま。少し御用がありますが、宜しいでしょうか」
「……ええ、問題ありません。
話は以上です、雨月
「いいえ、下がる訳には行きません。
此度の雨月に対する冷遇、
自身の領地が追い詰められているからだろう。必死に食い下がる
咲の記憶にある限り常に冷静な微笑みを浮かべていた
「賦役に就かぬ身で、静美さまに言上とは。
優秀と聞いてはいたが、随分と思い上がっているようね」
「
「へぇ。
身の程を教えてあげてもいいのよ」
せせら笑う
その時、
「――やぁ、お取込み中だったかな?」
「
三者三様。話の進まない状況に如何したものかと思案に暮れていると、その背中から快活な女性の声が掛かる。
予想もしなかった乱入者に視線を向けると、其処には意外な人物が笑みを浮かべて立っていた。
その髪と言葉遣いこそ教職員に顔を顰められるが、それ以外は優秀であり、
「……何か御用でしょうか?」
「うん、
僕にまで飛び火させなくても良かろうに、ねぇ?」
「ちょ、一寸、待ってくださ……!」
いいかい? 言外にそう口にしながら、
抵抗の様子を見せるが、
階段下へと去る間際、
邪気の感じさせない笑顔が、茶目っ気たっぷりに片目を閉じてみせて視界から消えた。
台風一過。拗れた状況が原因ごと鮮やかに持って行かれて、残された
「……とりあえず、助かりました。
このお礼は後ほど」
「……いいえ、お気になさらずに。
……ですが、宜しかったのですか? 神嘗祭を目前にしてあそこまで拗れると、婚約関係に後を引きますが」
「そうですね。雨月との婚姻関係も見直さなければなりませんね」
気まずい雰囲気を流すように、静美が口火を切った。
返る
「あら、そこまでではないでしょう。
学院では学生の身分を越える事はありませんし、優秀とはいえ私たちと同年の若輩。
長い目で見ることも必要ですよ」
「それは
――では」
気まずい雰囲気を呑み込み、話は終わりとばかりに静美は
――そして、
その背に投げ掛けられた言葉に、その歩みは数歩で終わりを告げた。
「そうそう。私も婚約が決まりました。
今日は、静美さまにその一報を届けたくて」
「それは、
……おめでとうございます」
「ありがとうございます。
実は平民出身の方なのですが、
「平民出? 選考が随分と揉めたのでは」
「いいえ、選考もしていません。
何しろ、
どの位階の精霊を宿すかは、血統によりほぼ決定されるのは常識だ。
ごく稀に平民が中位精霊を宿すこともあるが、大抵の場合に
だが、大神柱が推したとあれば話も変わる。それは神柱が、英雄の器であると認めたという事だ。
その場合、人の社会が通す道理は総て無視される。
そして、記憶に浮かび上がる。晶を隠していると目した、候補地の一つ。
疑念は、
「どうにも3年前に
――そう、
――確信に変わった。
音も無く、表情も無く。
「……
健やかに過ごされておいででしょうか?」
「――話は長くなりそうですね。
時間はよろしいでしょうか?」
神気すら滲む視線の圧を微笑みと受け流し、
夏の微風が、我関せずの穏やかさで廊下を渡る。より一層の不穏さを孕んだ二輪の百合は制服だけ微風に
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