7話 神託は霧中にて、平穏に迷う2
「くふ」
忌々しい棘が
約定より手出しできぬとは云え、自身の龍脈に打ち立てられた
在るがままの位置に龍脈が戻る感触は、彼女をしても代え難い解放感を伴ったものであった。
……特にそれを行ったものが、己が愛する
それこそが、彼女の愉悦をこれ以上ないほどに掻き立ててくれるのだ。
「首尾よく、晶さんが神託の地へと向かいますか?」
「うむ、
後は、為るがままに任せれば善い」
朱盆に浮かぶ
そのいじらしい後背に、これまで手を掛けた甲斐があったと愛おし気に眺めた。
「
涅槃教の置き土産が、随分な悪さをしてくれました」
「くふ。
水気の龍脈を
手は込んでおるが、あの程度で神託を封じることが出来ると思っていた訳ではあるまい」
神託は止められないだろうが、視え難くはできていた。
それ故に、下手人の姿を掴めなかったのは手痛い。
それは
……恐らくだが、首謀者は逃げおおせた後であろう。
腹立たしくもあるが、それ以上に収穫も多かった。
――特に大きかったのが、
「これで、晶さんも自信を持てるでしょう」
「そうさの。気遣いに長けるのは美徳であろうが、過ぎたれば悪癖よ。
神々の伴侶と目されるなれば、時に獣の如き
くすくす。悪戯に童女が声を潜めるように、生々しく
しかし、上機嫌の
成功体験は確固とした自信の源となり得る。これは
だが、ここまで急激な成功体験に成熟も途上の少年が耐えられるのかと問われれば、
――加護とは、守護であり試練である。
古に残る伝承の御代より
加護で身体は護れても、精神までも護ってくれる訳では無い。
過剰な成長が控えめなあの少年を何処に導くのか、
それでも、背に腹は代えられない。
――
それはつい先ほど、龍脈読みの陰陽師から受けた報告。
そうであるならば、残された時間が無さ過ぎる。
多少、後に問題を残してでも、晶には精神的な成長をして貰わなければならないのだ。
「――さて、そろそろ頃合いかの。
晶と立つ初の舞台、妾も久方ぶりの舞に酔うとしようぞ」
「はい、
――御存分に、彼の地に神威を打ち立ててくださいませ」
しゅるり。僅かな衣
打てる
後は
こびりつく不安を押し殺し、ゆるりと舞い始める童女に向けて
「――お嬢さま!」
「どう云うこと、
咲たちが居る村外れの集会所に息
がらんとした集会所の中、咲と諒太の他には
その
「ああ、そうだ。神託が下ったから、俺たちは『
落ち着けよ、咲。
――何を取り乱している?」
「最初っから変だとは思ってたのよ。廃村の調査程度に
神託が下りているなら、そもそもの前提が崩れるわ。
――神託の内容は? それによって対応を変える必要まで出てくる!」
「それは、」
神託の内容は、簡単に他者に漏らせるものでは無い。
一応、余人の目は無いとはいえ、吹き曝しに近い集会所の真ん中で口にするものでは無い。
だが、咲の剣幕に観念したのか、渋々と諒太は口を開いた。
「……“
この時点で『アリアドネ聖教』じゃなくて、『導きの聖教』が相手になる事が確定していた。
実際に『導きの聖教』が村を占領して独立を謳い始めたし、『アリアドネ聖教』が訪れたのは咲が
五供は盆の入り。つまり今日、『
成る程。その内容ならば、咲も同じ判断を下すだろう。
だが、現実が違いすぎる。
聖教の教徒とは云え、実際は抵抗すらできない老人や女子供が目立つ一団が居るだけだ。
家屋の数からしても、『導きの聖教』の人数に偽りはない。
何かを決定的に違えている。しかも、間違いなく致命的な何かを。
「……確かなのは、ここで何かが起こって
思考に嵌まりかけた咲の意識を、晶の声が現実へと引き戻した。
「晶くん、村の調査は終わったの?」
「はい。
――神社でこれを見つけました」
手
奇妙に
「……これは?」
「水脈を
これを操作する事で、
――どうして忘れていたのか、この村は
断じて、先刻まで会話を交わしていた半助では無い。
急ぎ呼びつけた半助に、
「……
――あぁ、あの方でしたら先だってに旅に出ると」
詳しく訊けば昨年の折、山住に混じって生活をしていた
天啓を得て『導きの聖教』を安寧の地へと誘う役目を負ったと説かれ、その説得に乗った
「しばらくの間、領地や納税などの交渉諸々も引き受けてくれていたのだけど、
――逃げられた。
概要を
『アリアドネ聖教』の動向、そして
姿を見せないまま両者を
「手遅れか」
「……いえ」
悔しさに諒太が零すが、晶の呟きに顔を上げた。
同じく悔しさに染まっているも、晶に諦めの
「“刻限は今夜”、それが土地神からの警告です。
裏を返せば、今夜一杯は猶予があるって事でしょう」
「何で土地神と会話できてんだ、って疑問は棚上げにしといてやる。
――事実なんだな?」
肯定を返す晶の瞳を見返して、諒太は
「
「……帰還編成には、最低でも半刻は猶予をくださいな。
「駄目だ」足手
「『
「――はい。少々お待ちくださいませ」
その返答は予想の内だったのか、特に反論を見せずに
「――本当に、
「晶くん、どう云う事?」
咲も諒太の方針に異論はない。
肯いを返して
「神託が出たのは事実です。
神託で事が起きるのは
「それがこの杭だろ?
お前が抜いて終わりだ」
「違います」晶は、諒太の指摘を否定した。
「神託は必ず起きることが下される。
――つまり今夜、この村以外の
「だが『
あそこを陥落さないと、奴らも次に移れないだろ」
「ここまでくれば、その前提が間違っている可能性を考えるべきでしょう」
不敬と理解しても吐き捨てるように応え、脳裏に
詳細な地図があれば良かったが、望めない現状では暗算で結果を求めるしかない。
「奇妙だとは思っていたんです。確かに
間違いなくあの風穴は、大きいだけの支流です」
最重要となる風穴は、龍脈の基点となる風穴が選ばれる。
出力が大きいだけの支流では、攻防ともに戦略上の価値は生まれないからだ。
「――
村の近辺、
「神社?
それも結構な奴となると、ここ以外じゃ思い当たるのは無ぇぞ」
小粒な道祖神なら山ほどあるが、神域を有するほどのものなど
――だが、
「……あの、在ります」
意外な指摘は、戸口を見張っていた
「神社じゃありませんが、
――
確かにそう云われれば、由緒正しい寺院の存在が記憶に浮かぶ。
なぜならば涅槃教とは
来世浄土を生きる涅槃の教義に人々は安息を求めたが、所詮その思想は現実に寄り添ってくれる神々のものでは無い。
その常識を覆す寺院が、久我家の膝元である長谷部領に存在している事実こそに諒太は瞠目を隠せなかった。
「恐らくはそこでしょう。
――つまり、その寺院は領事権なんです」
晶の脳裏で情報が繋がっていく。
領事権とは、許可が与えられた土地のみに対して自国の事情を優先して適用できる権利だ。
そして、涅槃教の寺院には御神体が在る。それが意味するにその寺院だけは、涅槃教の都合が優先されるのだ。
その事実は、
「
――証拠は?」
「証拠はその杭ですね。
杭の筋に沿って書かれている文字は
それは
晶を教導してくれた直利の言葉が蘇る。
他洲の八家から婿入りした直利は、晶の境遇を憐れむも忌避することなく付き合い続けてくれた稀有な一人であった。
どんな手段か、かなり無理をして祖母が雨月家に
特に呪符関係の知識は雨月であっても認めるほどに群を抜いており、その英才教育を直に受けた晶の知識は呪符関連に限られていてもかなり深かった。
「それに今から
「……まぁ、確かにそりゃそうだ。
いいだろう。
晶の指摘通り、寺院に向かう方が間に合う公算が高い。
否定することなく、諒太はあっさりと決断を下した。
「……ねぇ、その寺院に黒幕がいると思ってる?」
「……いえ、そっちは既に逐電した後でしょう。
寺院にいるのは、『アリアドネ聖教』かと」
「あ、やっぱり」
踵を返して小屋から出ていく諒太を見送りながら、咲の囁きにそう応える。
予想はしていたのか驚く様子も見せずに、咲は肩を竦めてみせた。
「ここまで味方を使い捨てる奴が、最終局面だからって前に出るような下手は打たないでしょ。
だったら相手が用意できる
「はい。
加えてベネデッタは、
あれが嘘でないのなら、
つまりあの会談は、破綻する事が前提の時間稼ぎが目的かと。
なら内容そのものに意味は無いか、」
「――内容を囮にしているか、ね」
晶の推察に飛躍はあるものの、論理の破綻は見られない。
納得に、咲は頷きを返した。
それに何より、晶には神柱から加護が与えられている事を、咲は知っている。
加護とは、守護と試練。
理屈や常識では無い。晶の成長と活躍を、神柱が望んでいるのだ。
無二の戦士として、
――だからこれは必然だ、
晶は疑いなく決戦の地へと辿り着き、
――間違いなく勝利するのだろう。
♢
「………………やぁれ、やれ。どうやら気付かれてしまったのう」
何処かの山中で、のっぺりと蠢く闇が残念そうに
この策を仕込むのに数百年余、西巴大陸に
その趨勢を見極めずにこの地を離れるのは、闇の主であっても心残りが過ぎたのだ。
その上で、
好き勝手に弄るため雑であったというものの、籠めた
『アリアドネ聖教』に与えた作戦は、掛ける時間が勝敗に直結している。
晶たちの速度では聖教の不利が変わることなく、一方的に押し切られてしまうだろう。
……それは困る。娯楽としてもつまらない。
―――
闇が
「それは、退屈じゃのう。
良いじゃろう、人欲に溺れた枢機委員会の
能く踊ってくれた貴様の道化振りに、敬意を示してやろう」
―――
村の周辺に潜ませておいた
その瞬間、
それは、
「ほぅれ、義理は果たしたぞ。
存分に踊れ、アンブロージオ」
―――
これ以上、手を出す事はしない。高みの見物を決め込んだ闇が
――何処か
♢
晶たちの元にその報告が届いたのは、丁度、出立の準備も終わった頃であった。
「
「はい、村の周囲を取り巻いています!」
「畜生が! 下郎の仕業か?」
「うん。
時機も良過ぎるし、
「――それよりも、如何いたしましょう?
私たちだけなら兎も角、練兵たちを連れて
この程度、晶たちだけなら難なく突破も叶うが、練兵班の少年たち込みでは脱出も叶わない程度に速度が落ちる。
諒太は戦力を比較して、晶に視線を向けた。
「おい、
お前、練兵に付いて村から出ろ」
「わか――」「駄目よ」
肯いを返そうとする晶の台詞に、咲の制止が鋭く刺さる。
「晶くんの戦力は、
ここまでやれる相手が万全で待ち構えてるのよ、無駄にできる余裕なんて無いでしょ?」
「ち。じゃあ、どうすんだよ?
練兵どもだけで
実のところ、これを機に晶と咲を引き離す事も企んでいた。
正論に返された事が図星を指されたようで、諒太が顔を背けて反論する。
「――
練兵班は、村に立てこもって
集会所に隠れて削り続ければ、小物の群れならば練兵でも充分に勝機はあります」
その時、
方針が膠着しかけた雰囲気にとって、彼の提案はありがたい。
――だが、
「
敵は
気遣いからくる晶の確認に、
「問題ありません。
自分は軍人になると決めた身であります。
護国の前に自分の故郷を守れるならば、自分の判断に悔いはありません」
「……そうか」
ならば、もう云うことは無い。
「決して無理をするな、無事を祈ってる」
「――は。防人殿もご武運を」
♢
予感がした。
無論、その視界に映るものは何もなく、月明かりが照らし出す
『どうした、
『ううん、何でもないわ』
『…………そうか』
気遣うサルヴァトーレに、虚勢の微笑みだけを返す。
これでも長い付き合いだ。ベネデッタの微笑みに硬さがある事は気付いたろうが、指摘せずに引き下がる。
その気遣いが、ベネデッタにとって何よりも嬉しいものであった。
『さて、
目的地には到着した訳だが、我々の装備は届いているのであろうな?』
『――問題なく、トロヴァート卿』
返事を期待してのものでは無かったアレッサンドロの呟きに、アンブロージオの応えが出迎える。
『これを見越して一足早く、バティスタ船長に動いて貰ったのです。
教会騎士の装備は総て問題なく、寺内に運び込んでおります』
『助かります、アンブロージオ卿。
トルリアーニ卿、トロヴァート卿。騎士装備の確認をお願いします』
状況がどうであれ、応戦の準備を固めておくのは悪い事では無い。
『私の依頼通り、
『そちらは充分に。
しかし、
『良いでしょう。
――こちらへ』
先を歩くアンブロージオの案内で、ベネデッタは石畳が敷かれた寺内を進む。
本来はここまで入り込む者はいないのだろう。
打ち壊された木の柵を踏み越えて本殿の中ほどを進むと、その中央に石造りの杭が突き立つ威容が見えてきた。
見た分には何の変哲もない石の杭が無造作に突き刺さっているだけに見えるが、その実、眼を凝らせば莫大な神気と精緻な術式が杭を構成していることが判る。
『
これを引き抜けば、
後は、向こうで準備しておいた神格封印を
五柱の一角が陥落れば、残り総ても自然と陥落せざるを得なくなるでしょう』
『……そう上手く事が進むでしょうか?
『考えていませんからね。
龍脈を大規模に操作する技術は、
これを引き抜いた後は、沖合に待機している『カタリナ号』に帰還して
とは云え、流石は
――これを引き抜くには、少々お時間を戴かなければなりません』
『具体的には?』
『余裕を見て、5時間は』
アンブロージオの返答に、忌々しそうにベネデッタの眼差しが歪む。
時間が掛かりすぎている。
土地勘のない場所。しかも支援が無い状態で5時間を耐えろとは、簡単に吠えてくれる。
だが、ここまで来たら選択肢も無い。
『分かりました。
――直ぐにでも取り掛かってください』
踵を返して、アンブロージオに背中を向けた。
最初に感じた予感は消える事なく、時間を経るごとに強くなっている。
間違いなく、誰かが『アリアドネ聖教』の思惑に気付いたのだ。
そしてその誰かが晶である事も、ベネデッタは確信の内に気付いていた。
幾許も時を置かずに、
その結果がどうなるかは誰にも分からない。
――ただベネデッタは、己の本分を遂行するだけだ。
四肢に力を入れて、大きく踏み出す。
その先には、本来の装備を取り戻した友人2人の姿が見えた。
♢
TIPS:
より正確に言及するなら、流れの始点と終点を強引に決定する特性を持つ。
武器としての特性は知られていない。
自分の都合の良いように龍脈を弄る事で、相手の領域を侵食するような使われ方をしている。
周辺国家の侵略を企んだのも、この神器が存在していた事に起因している。
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