7話 神託は霧中にて、平穏に迷う1

 廃村は鴨津おうつより西に5里約20㎞離れた場所に位置し、朝早くの出立から一日を掛けてようやく到着できる距離に在った。


 道中で襲撃を受ける可能性から到着の遅れも覚悟していたが、先行した斥候が持って帰る情報も牧歌的なそれであり、昼を大きく越えた頃の練兵たちに気の弛みがちらほらと覗き始めていた。


 予想を違えて随分と早くに道程が消化され、到着までのあと少し。

 完全に弛緩した雰囲気の中、村に続く街道の外れで行軍の歩みが一旦止まる。


「変よね」


「……やはり、お嬢さまもそう感じられますか」


 行軍の中ほどで肩を並べて歩いていた晶たちは、揃って首を傾げた。


「やっぱり、晶くんもそう思う?

……『アリアドネ聖教』が直近の問題だったはずなのに、あるかどうかも判んない『導きの聖教』の問題を久我くが家は重要視しすぎ。

 まるで、武力蜂起が確定しているかのように振る舞っていた」


「はい。嗣穂つぐほさまから拝命した下知は、廃村を占領した『導きの聖教』の調査だったはずです。

 久我くが家の振る舞いでは、立てる必要のない余計な火の粉を立てているようにしか見えません。

 どうにも、前提となる情報が食い違っているとしか……」


「――久我家俺たちが、何だって?」


 2人、顔を突き合わせて悩む中、話題となっていた久我くが諒太が口を差し挟む。

 練兵班の班長として立つ御井みい陸斗りくとと話し込む埜乃香ののかが、背後から申し訳なさそうに会釈を返してきた。

――どうやら、諒太の勘気を抑えきれなかったようである。


 だが、話しかけてくれた時機は丁度いいものだ。

 これ幸いとばかりに、晶が諒太に向き直った。


「申し訳ありません、久我くが様。

 少し、お訊きしたいことがあるのですが」


「ち。外様よそモンが随分と幅を利かせてくれるじゃねぇか」「久我くがくん」


 晶に反発を見せるも、咲の一睨みに口を尖らせて視線をずらす。

 惚れた弱みか、咲相手では舌鋒も鈍るようであった。


「……で、何だよ」


「廃村の調査に関する事です。

 随分と『導きの聖教』を危険視されておられますが、根拠が分からないんです。

 現時点の問題は、『アリアドネ聖教』なのでは? 率いているのが練兵とはいえ、現状で戦力を分ける理由がありません」


「……『アリアドネ聖教』と『導きの聖教』は、元は同じ宗教だった。これは知っているよな。

 問題なのは、『アリアドネ聖教』の宗教勢力が教徒の人数に直結してくるって点だ。

 廃村に住み着いている教徒の人数が20名程度。波国ヴァンスイールの使者だった奴らに合流でもされれば、鴨津おうつのすぐ近くに波国ヴァンスイールの領土が打ち立てられる可能性がある」


「直ぐに取り返せば良いのでは?」


 政治の分かっていない平民上がりが考えそうな事だよな。そう呟いて諒太の視線が地面に向く。


波国ヴァンスイールの領土が生まれてしまう、ってのが問題なんだ。

 西巴大陸の遣り口を聴いた事があるか? 他国に領事権を要求して、そこにいる自国の者・・・・解放する・・・・って謳い文句で攻めてくるんだ。

 それを知らんで、久我くがの先祖は『導きの聖教』を切り捨てる代わりに領事権を与えちまったんだ。

――久我くが家としては、どうにかして今回の一件で領事権諸共に波国ヴァンスイールだけでも追い出したいところだな」


「それは分かるけど、『導きの聖教』の蜂起に気を持ち過ぎじゃない?

 ここまで神経質だと、裏に何かあるのか勘繰りたくなるわ」


 晶の疑念を後押しする形で、咲が後を継ぐ。

 だが、その疑問に首を傾げたのは諒太の方であった。


「何云ってんだ、咲? それは――」「久我くが様、村の代表を名乗る男が挨拶にやってきました!」


「判った、今行く!

――話は後だ。上手くいけば、明日には鴨津おうつに戻れる」


 村に先行した斥候からの報告に、諒太が晶たちに背を向ける。

 話を邪魔する訳にもいかず、取り残された2人は困り果てた視線を交わすに止まった。


「結局、何も分かりませんでしたね」


「うん。

 少なくとも、久我くが家には何か確信があるってくらいかな」


「そうですね。

 ああ。そう云えばもう1人、村の情報に詳しそうな奴がいました。

――御井みい班長、少し話をしたいが良いか?」


「じゃあ、そっちはお願い。

 私は、久我くがくんと村の代表の挨拶に同席するわ」


「判りました、お気をつけて」


 懸念を解消すべく、晶たちは踵を返して背を向ける。

 埜乃香ののかとの会話を恙なく終えた御井みい陸斗りくとが、少女の去る足音と入れ替わりに晶の前に立った。


「――防人殿、何かありましたか?」


「いや、訊きたい事があって呼んだ。御井みい班長はこれから向かう廃村の出身だったな?」


「はい。

 自分の実家は代々、元桑折こうり村の一帯を代任している地主でした。

 昨年の秋終わりに井戸がれて、隣村との水利権交渉もままならず村が立ち行かなくって廃村になったと――」


「――そこだ。

 つまり元の住民は全員、所在がはっきりしている?」


「――はい。収穫終わりだったことも幸いでして、冬前には住民全員の職を鴨津おうつに見つけることができたと親父から聞き及んでおります」


桑折こうり村と云ったな、元の住民の人数は?

――あぁ、ざっくりで構わない」


「30はいかなかったかと」


 元の人数は30。諍いに耐えうる男衆なら10いればいい方だ。

 怪訝そうな陸斗りくとの回答に、晶は今更ながらの違和感に確信を得た。


 廃村から『導きの聖教』の移住までの流れは、何者かの意図が絡んでいる事は間違いないだろう。

 だが、やり方が非常に生温すぎる。


 長期、短期に関わらず、村落を一つ牛耳るための最適解は元の住民を皆殺しにする事だ。

 30程度ならば、準備さえ手抜かりが無ければ面倒だとしても一晩で方が付けられる。

 そして、村から出るものは基本的に村へ戻ることは無い。

――つまり上手くいけば、10年単位で発覚を遅らせる事も可能なはずだ。


 ここまで用意周到に事を進めておきながら、晶でさえ思いつく手段をとっていない。

 村の支配という結果はどうでもよくて、計画した者の臭いを徹底的に消して動くことだけを念頭に置いたような、気持ちの悪い論点の温度差を晶は感じた。


「……その後、『導きの聖教』がやって来たという訳か。

 発覚した切っ掛けは?」


「親父が所用で村に戻った事です。

 全員の家屋が奪われて、井戸に水が戻っているのを確認したと。

 久我くがの御領主様からは、捨てたのなら住み着かれても文句は云えないと。

 ですが、久我くが様が村役場の設立と納税の手続きを求めたところ、『導きの聖教』は珠門洲しゅもんしゅうの神柱に膝をつく謂れは無いと突っ撥ねられました」


 やはり手抜きのあまりか、時を置かずに発覚している。

 しかも、発覚したこと自体も気にすらせずに状況の混迷を放置している。

 鍵となる人物は、やはり……、


神父ぱどれか」


「はい。

 外海とつうみの神柱が民を導き、井戸に水源を呼び戻したと。

 教徒共が見守る中で、奇跡を披露したと聴いています」


「奇跡が気になるところだな。

――御井みい班長、桑折こうり村の案内を頼みたい」


「了解しました。

 直ぐにですか?」


「直ぐにだ。

 土地勘は期待していいんだろう?」


「勿論です」




……事前に聴いた話では、もっと居丈高に接してくると思っていた。


「――“外海とつうみの導きにより、神柱の祝福を賜らんことを”

 『導きの聖教』代表を務めております、半助と申します。

 先日に監査方が入られると連絡を受けまして、案内を仰せつかりました」


 見るからに実直そうな壮年の男性が、ぺこりと頭を下げる。

 その様子にどうにも気勢が削がれ、その場に居た全員が視線を交わし合った。


「……どう云う事?」


「……俺が知るかよ」


 自己紹介もそこそこに、諒太と咲は小声で話し合う。

 ここまで低姿勢に来られると、予想に身構えていた剣で突き合うような舌戦の矛先が鈍ってしまう。

 とは云え、やる事に変わりもしないが。


 後ろで控えていた元桑折こうり村の役員に実務の話し合いを任せ、諒太を筆頭として状況の聴取に臨むことに決めた。


「今年の税を納める必要は無いと聞いた、だと?」


「は、はい。

 領主様の御温情で、今年の納税は不要とお聞きしております」


「それは何処の無能がほざいた台詞だ!?

 俺たちは、お前たちが納税を断ったと聴いているぞ」


……嫌な予感はしていたが、ものの数分で会話の食い違いが目立ち始める。

 結果は何方どちらが見ても同じなのに、見えている状況が都合よく書き換えられているのだ。


久我くがくん、落ち着いて。一筋縄でいかないって事は、予想が付いていたじゃないの。

 半助と云いましたね、村役場の設立を断った理由は何ですか?」


「断った覚えがありません。

 村役場の代わりを務めていた方が居られたので、その方に一任しておりました。

 その方が窓口になっておられたので、不自由もありませんでしたし」


 澱みなく紡がれる半助の口調は、真実を述べている響きがあった。


 くそっ。苛立ちも露わに、諒太が地面を蹴りつける。

 宙に浮いたままじ曲げられている事実が、様々な疑問を棚上げにさせているからだ。


「取り敢えず当初の予定通り、村の調査を行いましょう。

 状況が全て把握できれば、結論も違うものになるかもしれないわ」


「調査? 咲こそ何を云ってるんだ。

 この村で武力蜂起が起きるのは、神託・・からも確実なんだぜ。

 こうなれば、村を更地にして後顧の憂いを断ってやった方が後腐れないだろ?」


「……待って、久我くがくん。今、何て云ったの?」


 神託。諒太の苛立ちを宥めようとしていた咲は、彼の愚痴に含まれた聞き逃せない響きに諒太の肩を掴んだ。




「――随分と簡単に、村に足を入れる許可が下りましたね」


久我くが家が直々に足を運んでるんだ。

 何を考えていたとしても、表立っての抵抗はないだろうさ。

――井戸は?」


「実家の近くにあります。

 ああ、あそこですね」


 少し足元の緑が濃くなっているその中央に、木組みの井戸枠が見えた。

 その周りに女性が何名かたむろする姿も見受けたが、晶たちの陰に三々五々散っていく。


「……雰囲気くうきが悪いですね」


「向こうからすれば、俺たちの方が不審者だ。

 刺激しないように振る舞うのは、処世術の一つと理解してやれ。

――水が来て無いようだが?」


神父ぱどれがこの近くにいないのでしょう。

 彼の者の奇跡とやらが水を出していたと聴いていますから」


「そう云えばそうだったな。

……となると、神父ぱどれの所在は知っているか?」


 流石に知識が及んでいなかったのか、陸斗りくとの首が横に振られた。

 口にした晶にしても期待は然程にしておらず、肩を竦めて神父ぱどれの問題を後回しにする。


 それよりも、気がかりを解消する事が先決だ。


 自身の荷物から太極図と算盤を取り出す。

 流石に暗算は不可能だから、簡単に方角だけを合わせて算盤を弾き出した。


「防人殿、いったい何を?」


「風水計算。少し待ってくれ、面倒なんだこれ」


 龍脈の変更を行うための風水計算だが、応用すれば水脈の流れを読む事もできる。

 ざっと地形を頭に浮かべながら、井戸を終点と仮定して晶は計算を続けた。


――やがて、


「おかしい。

 街道の位置と川の位置、山を背にして田圃が池の代わり。間違いなく地相は充分に整っている」


「何か気がかりでも発見できましたか?」


「ああ、気がかりなことだらけだ。

――御井みい班長、神社はどこに在る?」


「山の麓にあります。

……ですが権禰宜も逃げてしまったので、誰も残っていないはずですが」


「どちらかといえば、居ない方が良い。

 御井みい班長は、神社の禁足地に入った事はあるか?」


「真逆、とんでもない!」


 返事を待たずに、晶は小走りに神社へと足を向ける。

 後背に続く陸斗りくとが狼狽する様子に、彼が禁足地に踏み入った事が無いと理解した。


「だろうな」

 そうとだけ呟いて、鳥居を潜り神社の敷地に侵入する。

 現世と神域の境目が曖昧になった瞬間、魂魄に掛かる霊圧が粘質を帯びたような錯覚を覚えた。

 ここまで近づけば、龍脈の異常がつぶさに感じられる。

 重く硬く、そして杜撰だ。

「……禁足地の役割は幾つもあるが、大まかに挙げるなら3つに分けられる」


 村が離散して以降、手入れがされていないと如実に分かる荒れた本殿の裏に回り、岩間の隙に開いた小さな岩窟を覗き込んだ。


「特に重要な御神体の守護、龍脈の支点、

――そして、」

 岩肌から滲む水滴が、滴りながら晶の頬を濡らす。

「……地域一帯の水源を、ただ・・人の都合から護る事だ」


 れたと思われていた水が、その奥で潤沢に湛えられていた。


「水!? どうして、」


「これが下手人の目的の一環、だったんだろうな。

――先ず、水源をらせて村人を離散させる。

 代わりに『導きの聖教』を呼び寄せて、水を呼び戻す。

 別の神柱を奉じていれば、殊更に違う神柱を祀るなんて考えもしないだろ。神社になんて絶対に寄りつかない。

 後は『導きの聖教』が村を奪ったとバレるまで、それこそ好き勝手ができる。」


「……ですが、どうやって水源をらしたんですか?

 そんな技術、聴いたこともありませんが」


 知らないのは当然、晶は無言で頷いた。


 多くの場合、水脈は水気の龍脈に沿って流れている。

 つまり水気の龍脈に干渉する知識があれば、水脈の流れをき止める事は可能なのだ。


 この技術は風水計算を必要とする。

 そして、それらを持ち得るものは、陰陽師かそれに類する知識の持ち主に限られるのだ。


――それでも、疑問は残る。


「浅い位置の龍脈なら先刻の風水計算でそれなりに干渉可能だが、

……水気の龍脈は五行のうちで最も深い地下に本流が走るはずだ。

 片手間でき止めたり流したりなんて芸当、本来は不可能なはず――」


 ゆっくりと真綿で首を締めるような、用意周到な手練手管。

 それとは裏腹に、今日に発覚する事を問題視していない杜撰さ。

 これを計画した相手は、間違いなく『アリアドネ聖教』との連携を念頭に置いていない。


――……助けて。


 思考に直接、嘆きが囁いた。


 ざあぁ。山間を縫って舞う夏の涼風が、晶の味覚を舐めていく。

 ぞくり。知らず背筋が粟立つ感触は、晶の記憶に焼き付いたそれ。

 それは一ヶ月ひとつき前の『氏子籤祇』の折、神域に沈む感覚であった。


 焦りから振り向こうとすると、そこに立っていたはずの陸斗りくとの姿も見えない。

 不自しかなほどに無機質な静寂が、晶の周囲を取り巻いた。


「……俺を呼んだのは、」


「私です、杭の打ち手」

 確かな肉声が、静寂を揺らして晶の耳に届く。

 本殿の陰から何時の間にか、千早をまとった女性が晶をひた・・と見据えていた。

「能く、間に合ってくれました。

 後少し遅ければ、あの痴れものの思うさまになっていたでしょう」


「……この地を統べる土地神と見受けました。

 水脈に狼藉を働いたものを、ヒメはご存知でしょうか?」


外海とつうみまろうど・・・・にて、

……今は、影を捉える事も叶いませんが」


 逃げられたか、隠れられたか。いずれにしても土地神の視界から逃れるとは、厄介な相手である事は間違いないだろう。

 口惜し気に吐き捨てられる声に、侭ならない怒りが晶にも伝播した。


 それも当然だろう。地相からしても、本来この土地は火行に属しているはずだ。

 水克火。ここまで過剰に水気をき止められたら、火行の土地は無抵抗のまま沈むに任せるしか手段がなくなる。

 原始的だが効果的な、火行の神性封印の手段である。


「……では、水気の龍脈をき止めた方法は」


 一縷の望みを掛けた晶の問い掛けに、女性はちらりと禁足地となる岩窟の上を見る。

 晶の視界からは見えないそこに何かあるのか。釣られて視線を向けた晶の耳に、女性の囁きが再度響いた。


「刻限は今夜。

 神無かんな御坐みくら。結果は決まっていると云えど、南天は其方に全てを与えた事を忘れずに。

 鳳の方には勝利こそ至上の供物と知りなさい」


 それは、どう云う意味か。

 問い返そうと視線を戻した先には、既に女性の姿は無かった。


「――防人殿?」


 その背に、怪訝そうな陸斗りくとの声が投げかけられる。

――何時の間にか神域は消え失せ、良く知る現世に戻っていた事に晶は気付いた。


「……問題ない。

 岩窟の上を調べる、手伝ってくれ」


「待ってください。流石に土地神がお怒りになられます!!」


「大丈夫、許可は貰っている」


 頭を振って白昼夢の残滓を散らし、制止を振り切って岩窟の上へ跳び上がる。


 異常は直ぐに目に飛び込んだ。

 岩窟の直上。隠す気も無い場所に、石造りのねじじれた杭が打ちつけられていたのだ。


――杭の打ち手。


 女性の言葉に杭を掴み、晶は躊躇うことなくそれを引き抜いた。


 抵抗は然程にも無く引き抜かれ、その直後。

――岩窟に満ちる水面みなもに気泡が浮かび、幾重にも波紋を生んだ。


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