7話 神託は霧中にて、平穏に迷う1
廃村は
道中で襲撃を受ける可能性から到着の遅れも覚悟していたが、先行した斥候が持って帰る情報も牧歌的なそれであり、昼を大きく越えた頃の練兵たちに気の弛みがちらほらと覗き始めていた。
予想を違えて随分と早くに道程が消化され、到着までのあと少し。
完全に弛緩した雰囲気の中、村に続く街道の外れで行軍の歩みが一旦止まる。
「変よね」
「……やはり、お嬢さまもそう感じられますか」
行軍の中ほどで肩を並べて歩いていた晶たちは、揃って首を傾げた。
「やっぱり、晶くんもそう思う?
……『アリアドネ聖教』が直近の問題だったはずなのに、あるかどうかも判んない『導きの聖教』の問題を
まるで、武力蜂起が確定しているかのように振る舞っていた」
「はい。
どうにも、前提となる情報が食い違っているとしか……」
「――
2人、顔を突き合わせて悩む中、話題となっていた
練兵班の班長として立つ
――どうやら、諒太の勘気を抑えきれなかったようである。
だが、話しかけてくれた時機は丁度いいものだ。
これ幸いとばかりに、晶が諒太に向き直った。
「申し訳ありません、
少し、お訊きしたいことがあるのですが」
「ち。
晶に反発を見せるも、咲の一睨みに口を尖らせて視線をずらす。
惚れた弱みか、咲相手では舌鋒も鈍るようであった。
「……で、何だよ」
「廃村の調査に関する事です。
随分と『導きの聖教』を危険視されておられますが、根拠が分からないんです。
現時点の問題は、『アリアドネ聖教』なのでは? 率いているのが練兵とはいえ、現状で戦力を分ける理由がありません」
「……『アリアドネ聖教』と『導きの聖教』は、元は同じ宗教だった。これは知っているよな。
問題なのは、『アリアドネ聖教』の宗教勢力が教徒の人数に直結してくるって点だ。
廃村に住み着いている教徒の人数が20名程度。
「直ぐに取り返せば良いのでは?」
政治の分かっていない平民上がりが考えそうな事だよな。そう呟いて諒太の視線が地面に向く。
「
西巴大陸の遣り口を聴いた事があるか? 他国に領事権を要求して、そこにいる
それを知らんで、
――
「それは分かるけど、『導きの聖教』の蜂起に気を持ち過ぎじゃない?
ここまで神経質だと、裏に何かあるのか勘繰りたくなるわ」
晶の疑念を後押しする形で、咲が後を継ぐ。
だが、その疑問に首を傾げたのは諒太の方であった。
「何云ってんだ、咲? それは――」「
「判った、今行く!
――話は後だ。上手くいけば、明日には
村に先行した斥候からの報告に、諒太が晶たちに背を向ける。
話を邪魔する訳にもいかず、取り残された2人は困り果てた視線を交わすに止まった。
「結局、何も分かりませんでしたね」
「うん。
少なくとも、
「そうですね。
ああ。そう云えばもう1人、村の情報に詳しそうな奴がいました。
――
「じゃあ、そっちはお願い。
私は、
「判りました、お気をつけて」
懸念を解消すべく、晶たちは踵を返して背を向ける。
「――防人殿、何かありましたか?」
「いや、訊きたい事があって呼んだ。
「はい。
自分の実家は代々、元
昨年の秋終わりに井戸が
「――そこだ。
つまり元の住民は全員、所在がはっきりしている?」
「――はい。収穫終わりだったことも幸いでして、冬前には住民全員の職を
「
――あぁ、ざっくりで構わない」
「30はいかなかったかと」
元の人数は30。諍いに耐えうる男衆なら10いればいい方だ。
怪訝そうな
廃村から『導きの聖教』の移住までの流れは、何者かの意図が絡んでいる事は間違いないだろう。
だが、やり方が非常に生温すぎる。
長期、短期に関わらず、村落を一つ牛耳るための最適解は元の住民を皆殺しにする事だ。
30程度ならば、準備さえ手抜かりが無ければ面倒だとしても一晩で方が付けられる。
そして、村から出るものは基本的に村へ戻ることは無い。
――つまり上手くいけば、10年単位で発覚を遅らせる事も可能なはずだ。
ここまで用意周到に事を進めておきながら、晶でさえ思いつく手段をとっていない。
村の支配という結果はどうでもよくて、計画した者の臭いを徹底的に消して動くことだけを念頭に置いたような、気持ちの悪い論点の温度差を晶は感じた。
「……その後、『導きの聖教』がやって来たという訳か。
発覚した切っ掛けは?」
「親父が所用で村に戻った事です。
全員の家屋が奪われて、井戸に水が戻っているのを確認したと。
ですが、
やはり手抜きのあまりか、時を置かずに発覚している。
しかも、発覚したこと自体も気にすらせずに状況の混迷を放置している。
鍵となる人物は、やはり……、
「
「はい。
教徒共が見守る中で、奇跡を披露したと聴いています」
「奇跡が気になるところだな。
――
「了解しました。
直ぐにですか?」
「直ぐにだ。
土地勘は期待していいんだろう?」
「勿論です」
……事前に聴いた話では、もっと居丈高に接してくると思っていた。
「――“
『導きの聖教』代表を務めております、半助と申します。
先日に監査方が入られると連絡を受けまして、案内を仰せつかりました」
見るからに実直そうな壮年の男性が、ぺこりと頭を下げる。
その様子にどうにも気勢が削がれ、その場に居た全員が視線を交わし合った。
「……どう云う事?」
「……俺が知るかよ」
自己紹介もそこそこに、諒太と咲は小声で話し合う。
ここまで低姿勢に来られると、予想に身構えていた剣で突き合うような舌戦の矛先が鈍ってしまう。
とは云え、やる事に変わりもしないが。
後ろで控えていた元
「今年の税を納める必要は無いと聞いた、だと?」
「は、はい。
領主様の御温情で、今年の納税は不要とお聞きしております」
「それは何処の無能がほざいた台詞だ!?
俺たちは、お前たちが納税を断ったと聴いているぞ」
……嫌な予感はしていたが、ものの数分で会話の食い違いが目立ち始める。
結果は
「
半助と云いましたね、村役場の設立を断った理由は何ですか?」
「断った覚えがありません。
村役場の代わりを務めていた方が居られたので、その方に一任しておりました。
その方が窓口になっておられたので、不自由もありませんでしたし」
澱みなく紡がれる半助の口調は、真実を述べている響きがあった。
くそっ。苛立ちも露わに、諒太が地面を蹴りつける。
宙に浮いたまま
「取り敢えず当初の予定通り、村の調査を行いましょう。
状況が全て把握できれば、結論も違うものになるかもしれないわ」
「調査? 咲こそ何を云ってるんだ。
この村で武力蜂起が起きるのは、
こうなれば、村を更地にして後顧の憂いを断ってやった方が後腐れないだろ?」
「……待って、
神託。諒太の苛立ちを宥めようとしていた咲は、彼の愚痴に含まれた聞き逃せない響きに諒太の肩を掴んだ。
「――随分と簡単に、村に足を入れる許可が下りましたね」
「
何を考えていたとしても、表立っての抵抗はないだろうさ。
――井戸は?」
「実家の近くにあります。
ああ、あそこですね」
少し足元の緑が濃くなっているその中央に、木組みの井戸枠が見えた。
その周りに女性が何名か
「……
「向こうからすれば、俺たちの方が不審者だ。
刺激しないように振る舞うのは、処世術の一つと理解してやれ。
――水が来て無いようだが?」
「
彼の者の奇跡とやらが水を出していたと聴いていますから」
「そう云えばそうだったな。
……となると、
流石に知識が及んでいなかったのか、
口にした晶にしても期待は然程にしておらず、肩を竦めて
それよりも、気がかりを解消する事が先決だ。
自身の荷物から太極図と算盤を取り出す。
流石に暗算は不可能だから、簡単に方角だけを合わせて算盤を弾き出した。
「防人殿、いったい何を?」
「風水計算。少し待ってくれ、面倒なんだこれ」
龍脈の変更を行うための風水計算だが、応用すれば水脈の流れを読む事もできる。
ざっと地形を頭に浮かべながら、井戸を終点と仮定して晶は計算を続けた。
――やがて、
「おかしい。
街道の位置と川の位置、山を背にして田圃が池の代わり。間違いなく地相は充分に整っている」
「何か気がかりでも発見できましたか?」
「ああ、気がかりなことだらけだ。
――
「山の麓にあります。
……ですが権禰宜も逃げてしまったので、誰も残っていないはずですが」
「どちらかといえば、居ない方が良い。
「真逆、とんでもない!」
返事を待たずに、晶は小走りに神社へと足を向ける。
後背に続く
「だろうな」
そうとだけ呟いて、鳥居を潜り神社の敷地に侵入する。
現世と神域の境目が曖昧になった瞬間、魂魄に掛かる霊圧が粘質を帯びたような錯覚を覚えた。
ここまで近づけば、龍脈の異常が
重く硬く、そして杜撰だ。
「……禁足地の役割は幾つもあるが、大まかに挙げるなら3つに分けられる」
村が離散して以降、手入れがされていないと如実に分かる荒れた本殿の裏に回り、岩間の隙に開いた小さな岩窟を覗き込んだ。
「特に重要な御神体の守護、龍脈の支点、
――そして、」
岩肌から滲む水滴が、滴りながら晶の頬を濡らす。
「……地域一帯の水源を、
「水!? どうして、」
「これが下手人の目的の一環、だったんだろうな。
――先ず、水源を
代わりに『導きの聖教』を呼び寄せて、水を呼び戻す。
別の神柱を奉じていれば、殊更に違う神柱を祀るなんて考えもしないだろ。神社になんて絶対に寄りつかない。
後は『導きの聖教』が村を奪ったとバレるまで、それこそ好き勝手ができる。」
「……ですが、どうやって水源を
そんな技術、聴いたこともありませんが」
知らないのは当然、晶は無言で頷いた。
多くの場合、水脈は水気の龍脈に沿って流れている。
つまり水気の龍脈に干渉する知識があれば、水脈の流れを
この技術は風水計算を必要とする。
そして、それらを持ち得るものは、陰陽師かそれに類する知識の持ち主に限られるのだ。
――それでも、疑問は残る。
「浅い位置の龍脈なら先刻の風水計算でそれなりに干渉可能だが、
……水気の龍脈は五行のうちで最も深い地下に本流が走るはずだ。
片手間で
ゆっくりと真綿で首を締めるような、用意周到な手練手管。
それとは裏腹に、今日に発覚する事を問題視していない杜撰さ。
これを計画した相手は、間違いなく『アリアドネ聖教』との連携を念頭に置いていない。
――……助けて。
思考に直接、嘆きが囁いた。
ざあぁ。山間を縫って舞う夏の涼風が、晶の味覚を舐めていく。
ぞくり。知らず背筋が粟立つ感触は、晶の記憶に焼き付いたそれ。
それは
焦りから振り向こうとすると、そこに立っていたはずの
不自
「……俺を呼んだのは、」
「私です、杭の打ち手」
確かな肉声が、静寂を揺らして晶の耳に届く。
本殿の陰から何時の間にか、千早を
「能く、間に合ってくれました。
後少し遅ければ、あの痴れものの思うさまになっていたでしょう」
「……この地を統べる
水脈に狼藉を働いたものを、
「
……今は、影を捉える事も叶いませんが」
逃げられたか、隠れられたか。いずれにしても土地神の視界から逃れるとは、厄介な相手である事は間違いないだろう。
口惜し気に吐き捨てられる声に、侭ならない怒りが晶にも伝播した。
それも当然だろう。地相からしても、本来この土地は火行に属しているはずだ。
水克火。ここまで過剰に水気を
原始的だが効果的な、火行の神性封印の手段である。
「……では、水気の龍脈を
一縷の望みを掛けた晶の問い掛けに、女性はちらりと禁足地となる岩窟の上を見る。
晶の視界からは見えないそこに何かあるのか。釣られて視線を向けた晶の耳に、女性の囁きが再度響いた。
「刻限は今夜。
鳳の方には勝利こそ至上の供物と知りなさい」
それは、どう云う意味か。
問い返そうと視線を戻した先には、既に女性の姿は無かった。
「――防人殿?」
その背に、怪訝そうな
――何時の間にか神域は消え失せ、良く知る現世に戻っていた事に晶は気付いた。
「……問題ない。
岩窟の上を調べる、手伝ってくれ」
「待ってください。流石に土地神がお怒りになられます!!」
「大丈夫、許可は貰っている」
頭を振って白昼夢の残滓を散らし、制止を振り切って岩窟の上へ跳び上がる。
異常は直ぐに目に飛び込んだ。
岩窟の直上。隠す気も無い場所に、石造りの
――杭の打ち手。
女性の言葉に杭を掴み、晶は躊躇うことなくそれを引き抜いた。
抵抗は然程にも無く引き抜かれ、その直後。
――岩窟に満ちる
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます