6話 交わらぬ会談、ベネデッタの真意3

「――全く、状況をややこしくしてくれたものだ」


 斜陽に沈む中広間で諒太からの報告を聞き終えた久我くが法理ほうりが、嘆息混じりに漏らした第一声がそれであった。


 混濁してしまった現状を端的に表したその言葉に、その場に居る全員が肩を落とす。


「……すまん、父上。

 波国ヴァンスイールの奴らを取り逃がしてしまった」


足跡そくせきは追わせているか?」


「一応は。

――けど、奴らが事を起こしたのが外国人居留地だしな。

 周囲の奴らは『アリアドネ聖教』の教徒だろ? 発見は望み薄だと思う」


 諒太りょうた法理ほうりの応酬に、さきが意見を差し挟む。


「来た船に乗って波国ヴァンスイールに帰還しようとするんじゃ無いの?」


「それはぇな。

 奴らが乗ってきた艦船ふねだが、咲と会談を持つ少し前に出港したそうだ。

 快速帆船クリッパーが停泊できる港湾を擁しているのは鴨津おうつだけだし、補給を兼ねれるだけの上陸船を自前で調達できるとも思えん。

――寧ろ危険視すべきは、『導きの聖教』との合流だろ」


 咲からの意見も含めて一通りの想定はしているのだろう。

 諒太は肩を落としたまま、ベネデッタたちが自らの補給線を断ったまま行動に移したことに言及した。


 鷹揚に肯う法理ほうりが、諒太の報告に結論をつける。


「……領事権を棄ててまで『導きの聖教』に合流するなど正気の沙汰とも思えんが、波国ヴァンスイールとして現状に頼れるのは奴らだけか」


「領事権ですか、確かにベネデッタもその権利を口にしていましたね。

……そんなに凄い権利なんですか?」


鴨津おうつの領地下に波国ヴァンスイールの領地を造る権利、と云えばいいか。

 限定的にだが、あの教会だけは波国ヴァンスイールの権利を優先されるのだよ。

 警邏隊の捜査権限も、余程の事が無ければ拒否ができる」


 それも今日までだがな。そう独白に漏らして、法理ほうりは話を締めくくった。


 波国ヴァンスイールより、内密に会談の要請があった。

 今日の朝方に咲から切り出された相談事は、法理ほうりにとっても悩ましかった波国ヴァンスイールの内情を探れる丁度良い機会でもあったのだ。


 だが咲へと持ち出した提案の内容が、法理ほうりの知る従来のそれと変わりがないことを考えるに、波国の外交官ベネデッタは最初から常識的な・・・・外交を行う心算つもりが無かったようである。

 否。あれでも向こう側としては、かなり譲歩した内容なのだろう。


 どうにも独善的な契約を相手に要求するのが西巴大陸の流儀であると、連中と付き合うにつれて法理ほうりは理解に及んでいた。


 特に、であるが、波国ヴァンスイールの関係者はその傾向が強い。

 絶対的な基準を自分たちに持っているような感覚、自分たちが上位であると確信している傲慢さ。

 央洲おうしゅうの華族たちに覚えるそれ・・と同じ匂いを、彼らから感じるのだ。


 今回の暴挙も誤魔化しきれると思いこんでいたのだろうか。


「取り敢えずだが、波国ヴァンスイールに認めていた領事権の停止を命じておいた。

 これで、長谷部領はせべりょうから余所に移動は出来なくなるはずだ。

 今回、波国ヴァンスイールから渡航しわたってきた戦力になり得る可能性は4名。

――内、3名とは教会で手を合わせたのだな? どうだった?」


「……俺は直接に刃を交えてないからな。

 そっちは咲の方が詳しいはずだ」


 水を向けられて、咲は視線を落とす。

 確かに交戦したのは咲とあきらだ。そして、この場で最も情報を持っているのも、この2人と断言に及べるだろう。


 だが、何処まで話せばいいのだろうか。

 晶に関する情報を併せて口にするのは、間違いなく奇鳳院くほういんの意向に逆らう行為であろうから悪手と云える。


 慎重に情報を吟味しながら、咲は返答を舌に乗せた。


「私が戦ったのは栗毛の男とベネデッタですね。

 男の方は、一応、膝を付かせています。守勢が主なのか手数以上に堅さを感じました。

 立ち位置からしてもベネデッタの護衛役。だとすれば、晶くんと交戦したもう片方の長剣使いは路を切り拓いていく伐採係り・・・・でしょう。

 ベネデッタは、……見せた攻撃からしても呪術を行使つかう陰陽師寄りだと思うけど、見たことの無い呪術だったわ」


「……恐らくだが、波国ヴァンスイールが云うところの法術だろう。

 呪術同様に、呪言と印を組み合わせた技術であったはずだ。

 一度見た事はあるが呪術同様、行使に時間が掛かる技術だったはずだが」


 腕を組んだ法理ほうりからの言葉に、咲は大きく頷いた。

 波国ヴァンスイールとの戦闘は初めてだが、既知の技術とそこまでの差異は無さそうである。

 だがそう考えてくると、彼女たちの技量に感じた歪さに気が掛かってきた。


「呪符は開発されなかったのでしょうか?」


「あれは便利なはずだが、聴いたことは無いな。

 真国ツォンマに寄港しなければ高天原たかまがはらに寄れないはずだから、知識としては有るはずだが」


「隠し玉として隠匿している可能性は排除しない方が良いでしょう。

 ですが見た目からしても、ベネデッタは前に出て戦う相手ではありません。

 近接に持ち込めれば、勝てるかと。

――疑問なのは、彼らから感じた精霊力の出力が異常に低い点です」


 放出している精霊光からしても、彼らが宿す精霊力は最低でも衛士、最悪は八家並みの保有量を誇っているはずだ。


 だが、近接に特化しているはずのサルヴァトーレが、防人になったばかりの晶とほぼ互角に競り合っていた。


 弱い分に越したことは無いとも楽観視はしたくなるが、現実はそこまで上手くできていない。

 頭を悩ませるその違和感に言及してきたのは、意外な方向からであった。


「……多分、精霊力を割く方向性が違うのでしょう」


「晶くん?」


 俯きながらも自身の思考を言葉にしようと、晶は必死に知識を紡ぐ。

 咲たちではこの結論に辿り着けないと、朧気に気付いたからだ。


「基本的に、ケガレとの戦闘は一晩で終わります。

 俺たちもその結果に追随する形で、一回の戦闘で終わらせられるように火力を上げてきました。

 ですがベネデッタは、聖伐……戦争を経験していると俺に云っていた」


「同じじゃないの?」


「前提が違います。

 俺たちは一度での決着を目指せばいいだけですが、彼らは他国を侵略するために複数の戦闘を越えなければいけない。

 火力を落としてでも、次の戦闘に備える必要があったのでしょう」


 サルヴァトーレの戦い方を思い出す。

 大振りであるはずの長剣を振るっていても、隙の無い小回りの利いた攻撃。


 剣技は熟達したそれであり巧緻拙速を極めていたが、小技で畳みかける彼の戦術は防人というよりも精霊技せいれいぎ行使つかえない練兵のそれに近かった。


――何より、


「俺が決定的に叩きのめされた時、精霊技せいれいぎで圧殺できたのにしなかった・・・・・

 剣での止めに飽く迄も拘ったのは、精霊技せいれいぎを行使しなかったんじゃなくて出来なかったからだと思います」


「……精霊技せいれいぎが、行使つかえない!?」


「はい。

 阿僧祇あそうぎ隊長からも教わりましたが、精霊技せいれいぎを行使できる防人の頭数を揃えるのが困難である以上、質を問う事は難しいと」

 鴨津おうつを訪れる前に行った、厳次げんじとの鍛錬を思い出す。

「――何故なら精霊技せいれいぎとは、威力と行使速度を重視する反面、精霊力の燃費が悪すぎるからだと。

 軍隊に必要なのは、何よりも均一化された戦力です。

 足並みを揃えた精霊技せいれいぎを連続で放てる衛士の頭数を軍隊単位で揃えるのは、西巴大陸の人材がどれほど潤沢であろうとも困難を極めるはず。

 なら、彼らが目指す方向性は、精霊技せいれいぎに割く割合を法術に代替する事で軍隊を成立させるくらいしか無いと予想できます。

 現神降あらがみおろしの行使は確認していますが、その他の精霊技せいれいぎは初伝辺りのものしか無いのかもしれません」


 晶の説明に、法理ほうりは腕を組んで大きく息を吐いた。

 晶の予想が事実であるならば、それは朗報と云ってもいいだろう。

――だが、


「……確証がないな。奴らの実力を低く見積もる根拠にはならんだろう」


「低く見積もる必要は無いでしょう。

 あいつらは、決戦に向けて戦力を温存しているだけです。

 精霊技せいれいぎを行使しないといっても、決戦の後まで精霊力を残す理由はありません。

――恐らくですが、精霊力を蕩尽とうじんする何らかの戦術を隠し玉に持っているはずです」


「……成る程、一理有るな。

 どんな手段かはさて置こうが、奴等は最終目標に向けて全力をぶつけてくるという事は断言できるか」


「はい」


「……散々に断言をしていた分、奴等の目標自体は鴨津おうつの風穴で間違いは無かろう。

 直近で怪しい襲撃の時機は、お前たちが離れる明日よりの3日間か」


「応。

 『導きの聖教』と合流されるのが厄介かと思っていたが、こうなってくれば合流のために鴨津おうつの外に出る方が奴らにとっては悪手だろうな。

――どうする? 『導きの聖教』を討滅すると見せかけて、『アリアドネ聖教』を釣り上げる方が良いと思うけど」


 法理ほうりの言葉に、諒太が同意を示した。

 即興で立てたのだろうが、この状況をみれば釣り野伏も自然な手堅い作戦である。

 しかし、法理ほうりは諒太の案に首を横に振った。


「……止めておけ。

 釣り野伏は悪くないが、『導きの聖教』が武力蜂起する事が確定している以上、悪手になる可能性もある。

 背後を突かれるくらいなら、『導きの聖教』を下してからこちらに戻れ」


「だけどよ――」


「奴らは合流が面倒なだけだ。個別ならお前たちでも磨り潰すのに手間も掛からんだろう。

――鴨津おうつの風穴には、今夜から儂が詰める。

 『アリアドネ聖教』といえど、頭数を揃えても精々が4人。

 その程度ならば向こうがどう全力を振り絞ろうとも、久我くがが賜った神器の餌食にできる」


 静かに見せつけられる久我くが法理ほうりの威圧に、その場に居た全員が息を呑む。


 神器とは、神柱の象を鍛造した武器の総称だ。

 それ単体でも不壊の特性を有する強力な精霊器であり、元となる神格にも依るが、ただ・・人の上限を遥かに超越した出力を誇っている。


「戦力を削るのは性に合わんが、背に腹は代えられん。

 明日の別行動に際し、守備隊を2つに分ける。正規兵は総て鴨津おうつの守護に回し、諒太お前たちは練兵班を連れて廃村に向かえ。

 事前に聴いた情報では、『導きの聖教連中』の中に防人はいないとの話だ。

 それならば、お前たちだけでもなんとかなるだろう」


「判った」


 ♢


 夕陽が照らし出す陰影をわたり、息を潜め続けていた者たちが3人。

 鴨津おうつの街を脱け出し、ようやく暑苦しい外套を脱ぐ余裕を得たベネデッタたちは一息を吐いていた。


『……これで良かったのか?』


『ええ。彼らからしたら鴨津おうつの風穴を無視できなくなったでしょうし、アンブロージオ卿への義理は果たしたわ。

 どう足掻いても、鴨津おうつの領主は風穴を守護する事に固執せざるを得なくなるわね』


 サルヴァトーレからの短い気遣いに、ベネデッタは首を振ってやせ我慢を見せた。


『随分と派手に落とされていたようだけど、トロヴァート卿は大丈夫かしら』


『何とかな。相手がお嬢さんだからと甘く見過ぎてしまったか』


『トロヴァート卿にはいい薬だったかしら。

 決戦に臨むのには問題無さそう?』


『聖女殿に癒しの法術を貰えば、が前提になるが』


 軽い口調の応酬に深刻な影は見られない。

 懸念が一つなくなり、そう、とだけ安堵の息を吐く。


『……アンブロージオ卿はこれで良いだろう。だが、ベネデッタベティはどうなんだ?

 随分と、あの小僧ガキを気に掛けていたようだが』


『聖下の託宣を無碍にしてしまったことは残念だけど、こうなっては仕方ないわね』


『託宣か。

 そう云えば教会でもそう云っていたな。アンブロージオ卿の望むようにはいかないと?』


 ベネデッタの口調を聞き咎め、サルヴァトーレは問いただした。


 神柱が下す託宣は当てずっぽうの予想ではない、必ず起きる事象が告げられる。

 その上で結果の改変が可能となるように、動くことが叶うのだ。

――そしてその性質上、基本的に慶事が告げられる事は無い。


『ええ、出立前に聖下から託宣を頂いたわ。内容は、

――彼の地にて、我等は鳳を見上げるしか赦されぬであろう。勝利は遠く、我らが望んだ千年王国の終焉を眺めるに任せるしかあるまい』


ベネデッタベティ、それは……』


 既に告げられていた『アリアドネ聖教』の敗北に、2人は色めき立った。


 託宣で起きることが断言されている以上、首席枢機卿のステファノ・ソルレンティノが主導した聖伐を止めること自体は不可能である事は間違いない。


 つまりベネデッタは勿論、後背に続く2人は敗けると確定している戦に駆り出された事になるのだ。


 だが、『導きの聖教』による教義破綻の回避を越えて『アリアドネ聖教』の敗北を告げられていたのは、流石にベネデッタの直衛たる2人であっても予想外であった。


『結論を急ぐな、トルリアーニ卿。

 託宣に勝利は遠くとある。つまり、未だ確定はしていないという事だ。

 どの道、決戦は源南寺げんなじなのだろう? そこで取り返せばいいだけの話だ』


『ああ、そうか。そうだな。

 あの小僧ガキの加護をそれなり程度も削れなかった事は心残りだが、我々の武器はもう向こうに運び込んでいるのだろう?

 あれを行使つかえば、どんな護りもその上から斬り落とす事が可能だ』


『……ええ、そうね』


 懸念を口の中で濁し、サルヴァトーレの確認にのみ同意を示す。

 不安を押し殺しそれでも付き合ってくれる友人たちに、口には出せない感謝を捧げた。


 アリアドネが齎した託宣には、確かに勝利は確定されていない。

 そして、先刻にベネデッタが口にした託宣もまた、それで総てでは無かったからだ。


 ベネデッタの、否、アリアドネの目的希望は、託宣の続きにこそあるのだ。

 生命を賭けてそれを果たすまで、ベネデッタが高天原たかまがはらを離れるという選択肢はあり得ない。


 真実を歪めた罪悪感を押し殺し、行きましょうか、と2人を促し立ち上がった。

 陽光は何時の間にか遠くに沈み、音もなく夜闇が世界を支配する。


――欠け始めた月だけが、3人の道行きを照らし出していた。

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