4話 日々は過ぎて、眠るように謀る5
『――
あの
『ええ。色々と』
返るベネデッタの声音は、幼馴染のサルヴァトーレですら久しく耳にしていない程に浮かれたそれ。
『
この旅路、気は進まなかったけど意味は在った。
――おそらく結末は、アンブロージオ卿の望まない形になるだろうけど』
『
言葉の最後に付け加えられた幽かな呟きは、サルヴァトーレに向けたものではなかったはずだ。しかし、静寂に支配された夜の
聞き逃せないその呟きを問い返そうとサルヴァトーレが声を上げるが、折悪くその時に3人は、拠点となっている教会の入り口に立っていた。
詰問しようにも、神柱の御許たる教会の前でそのような醜態を晒す訳にはいかない。
押し黙るしかなくなったサルヴァトーレの目の前で、教会の扉が重い音を立てて僅かに開いた。
『……休暇を堪能されたようで、随分と悠長なお帰りですね』
『ええ。得られた知見は多く、本国にもご満足いただけるものと自負しています』
通された総石造りで囲まれた密会用の小部屋の奥に佇んでいたヴィンチェンツォ・アンブロージオは、中央に配された卓を前にして開口一番の嫌味を吐いた。
長い船旅の間にも会話の合間に差し込まれるそれは、当初こそ辟易としたものであったがここまで続けば流石に慣れる。
ベネデッタは眉間に皺ひとつ寄せることなく微笑みを浮かべながら、アンブロージオと卓を挟んだ対面に立った。
卓上の時計が刻む時間は、22時の少し手前。
予定よりも少し早く、嫌味で目くじらを立てられるほど待ち合わせるに不安な時間でもない。
『――お、もしかして自分が最後でありましょうか?』
『お気になさらず、バティスタ船長。
私も今、来たところなので』
ベネデッタの到着よりやや間が空いた後、扉を開けたのは日に焼けて赤銅色の肌をした偉丈夫であった。
右の壁際に背中を預けたバティスタに対しても、いつも通り嫌味に口が開きかけたアンブロージオ。
彼を牽制する形に、ベネデッタが大急ぎで口を差し込んだ。
言葉の持って行き先を失ったアンブロージオはベネデッタを一睨みするが、どこ吹く風とばかりに努めて無視の立場を堅守する。
『済まんな、アンブロージオ卿。
海の男は、遅くても早くてもいけねぇって方向で時間に厳しいもんで』
『……まぁ、良いでしょう、時間を無駄に
ベネデッタの態度に、これ見よがしに鼻息荒く嘆息を一つ。
アンブロージオはそれで気分と話題を切り替えた。
『先ずは直下の懸念であった、補給に関しての報告をお願いします』
『自分ですな。補給は一応、順調に進んでいますぜ。
……順調であるなら、予定よりも少し早く準備が整いますな』
『――結構。では、予定通りに事を進めるといたしましょう。
どうやら、
『本国? どうやって情報を?』
故郷で何かが起こった。報告すら貰っていない情報に、ベネデッタの片眉が跳ね上がる。
物理的に離れたこの距離を情報という形だけでも越えるのは、未だ有線の電話線しか持ち合わせていない現代技術ではベネデッタが知る限り不可能のはずであった。
『軍事機密です。即時とまではいきませんが、
胸を張るアンブロージオを胡散臭げに見遣るが、アンブロージオの笑顔が揺るぐことは無い。
ともあれ問題にすべきなのは、技術では無く情報の
嘆息一つ、それで意識を切り替える。
『……分かりました。それで本国の状況は何と?』
『教皇の体調が思わしくないそうです。
情報では、
最悪、現時点で崩御されている可能性もあります』
その聞き逃せない情報にベネデッタは勿論のこと、ざわりと周囲が
『本当なのですか!?』
『ええ。
我々の
『分かりました、最善を尽くす事をお約束いたします』
アンブロージオの言葉に、ベネデッタも反論を返すことなく
首席枢機卿のステファノ・ソルレンティノは、アンブロージオが立てた今回の作戦に対する最大の出資者である。
失敗する公算が大きいためか反対するものが多い中、ほぼ独断専行に近い形でベネデッタたちの派遣を決めた人物でもあった。
私財を掻き集めて
その意図は間違いなく、崩御が近づいていた教皇の後継を選出するための
始まりの龍穴たる
逆に失敗は、ソルレンティノの破滅を意味している。
とりもなおさずそれは、作戦に加担したベネデッタたちの居場所が無くなる事も意味していた。
――最悪でもアンブロージオ卿が立案した作戦を成功させないと、文字通りベネデッタに赦された
ベネデッタはアンブロージオに気付かれぬよう、決意で拳を握りしめる。
独断専行でベネデッタたちを動かしたソルレンティノや、アンブロージオの趨勢
『さて、では本作戦の概要を開示させていただきます。が、その前に基礎的な我々の間違いを正しておきましょう。
我々はこれまで、
そして格下ではあれど、5柱もの蛮神がその龍穴を支配していると』
頷く。そう、それこそが始まりの龍穴たるに相応しいと云う論拠だったはずだ。
東西併せた巴大陸の龍脈の源流は、
『そこに、最大の見落としがあったのです。
龍穴の最大原則は、一つの龍穴に一柱の
これはどの龍穴にも、
――ですが
『この程度の島国に、ですか?』
何処で入手したのか、アンブロージオは
詳細に描かれているそれでは無いものの、目下の作戦に使用するだけであるならば問題は無い。
『確かにここまで狭い範囲に龍穴が密集していれば、この島ごと神域に沈んでいてもおかしくはないはずです。
そうなっていない理由は仮説に過ぎませんが、龍脈が相互に循環しているからこそここまで安定しているのだと考えられます』
アンブロージオの骨ばった指が、地図の一点一点を指差してみせる。
東、西、北、中央、そして南。
『基礎の知識が間違っていましたが、それ自体は我々にとって天啓でもありましょう。
要は、最終的な龍脈の出力に違いはなく、一つの龍穴を
『……ですが、新たな問題も生まれたはずです。
本国の支援も覚束ない現状で『
それに、一つの龍穴を
ベネデッタの、否、本国の枢機委員会が本作戦に足踏みを見せていた最大の論拠は、
基礎の知識をどう紐解いても、その現実に
だが、
『――別に龍穴を陥落す必要など無いのです』
本国でも散々に議論され尽くしたベネデッタの反論に動じる事なく、アンブロージオは歯を剥き出して
『彼の蛮神共は、世界の仕組みを5つの要素に分ける事で相互に龍穴を支え合っていると。
つまり、数珠繋ぎの一つが
……
『涅槃教?』
いきなり明後日の方向に主題が飛んだため、ベネデッタの思考が追い付かなくなる。
涅槃教とは、
東巴大陸の支配を目論んだが、その昔に道半ばで頓挫したため現在は
『その昔、涅槃教は龍脈の流れを
我らと同じ結論に至った涅槃教が最後に見据えたのが
……まあ、事が成る前に、東巴大陸の
『興味深い技術ですが、そんな事をしても意味は無いでしょう』
無論、直通させただけでは意味は無い。
そうした処で、霊力の総量には
――だが、直通させる事で生まれる意味が在る。
『霊的に直通させることで、対抗策を講じていない
反対に龍脈を
このためにかなりの投資は行いましたが、大陸側での準備は終えています。後は
『それが可能であるならば、確かに勝利は確定できるでしょう。
……アンブロージオ卿。一つ訊きたいのですが、何処でこの情報と技術を手中に収められたのですか?』
しかし、
内戦状態であれど、易々と入手できるとは思えない。
『――その技術は、私がアンブロージオさまにお伝え申し上げました』
その言葉は、誰もいないはずの左の壁際から聴こえてきた。
特徴など見られない、ひどく
意識すらしていなかった方向からの声に、アンブロージオを除いた全員が背筋を強張らせる。
緊迫した雰囲気の中、蝋燭の明暗が生む影から進み出てきたのは、口調と同じくどこまでも特徴の見えない男であった。
辛うじて特徴を上げるとするならば、風貌が
『何時の間に……!』
『これは異な事を、
耳障りなほどに穏やかな声色が、詰問に声を荒げかけたベネデッタの
――そうか。そう云えば、確かに最初からそこにいたか。
『そう、そうね。
何の意図もなく、アンブロージオが
では、味方であるのは確実であろう。
警戒を解いたベネデッタに、男が深々と頭を下げる。
『『導きの聖教』を指導しております、神父と申します。
よく訊かれますが、出家の際に俗名は棄てております。故に、どうか私の事は
『殊勝な事です。
『導きの聖教』に全てを捧げるため
『成る程。
――貴方はそれで良いのですか?
この行為は背信に他ならないはず、故郷を売っている事になりますが』
『問題ありません。
『導きの聖教』の
頭を下げたままの男の言葉には、躊躇いの響きが欠片も見当たることは出来なかった。
胡散臭さに混乱するが、ベネデッタの精神が逆撫でにされる度に自然と凪いでいく。
『本国の者たちにも見習わせたい信仰、素晴らしい。
――
首尾よく事が成れば、『導きの聖教』の一派を
『ご配慮くださりありがとうございます。
――ご安心ください。龍脈を
現在、過剰な水気が火気の領域である廃村を冒しております。この状況ならば、
『結構です。
では、
我々は本作戦の細部を詰める事にいたします』
アンブロージオの命令に異議を唱える事なく、
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