4話 日々は過ぎて、眠るように謀る4
「こら、
「はい。
……も、申し訳ありません!」
気も
何時から
そこには、
「初めての
でも
「少々、防人の鍛錬に熱を入れ過ぎましたかな?
防人たちと混じっても、問題なくついて来れていたようですが」
朝からの鍛錬は、気は張っていてもどちらかといえば和やかな雰囲気で終始した。
峯松には悪いと思うが、正直に云って鍛錬での疲労は余り残っていない。
いや、これは阿僧祇厳次の鍛錬が厳しすぎる可能性が高いのでは。
そこまで考えて、不毛な結論が浮かぶ前に晶は思考を止めることを決めた。
「はい。
……あの、
流石に自身の失態を、話のネタに引きずられるのは
強引に話題を変えるべく、
「ええ。
――何か気になる事でも?」
「いえ、気になるって云うか……」
後に続けようとした疑問が形にならず
「……すみません。また今度で良いでしょうか?」
「うん。しばらくの間は
交代の時間よ、帰りましょう」
話題変更の意図には気付いていたものの言及はせずに、
その背中を追うべく一歩を踏み出した
「
「16、え!?……」
常よりも高額の支払いに晶が瞠目する。
喜びよりも困惑が先に立つ晶を余所に、何を勘違いしたのか峯松は続けた。
「
「あ、ありがとうございます」
……いや、そうじゃない。
大人に利用されないように気を張っていたのに、相手はその上を行ってたという訳か。
悔しさはあるが、ともあれ峯松相手に文句を云うのも筋が違うだろう。
納得はいかないも、晶は不満を押し殺して礼を口にした。
――ともあれ、
16円もあれば少なくとも後一週間は、高宿の生活であろうと余裕で凌げるだろう。
手
「先刻は、
ぽつりぽつりと街灯が道を照らし出す途上、2人肩を並べるだけの静寂を破って
「……野暮用です。当座の資金を捻出するために、
何という事も無い口調。しかし手の内を曝け出す事に抵抗のあった
成人に満たない13の
――もし玄生という老人が、年齢も満たしていない
良くはしてくれている
「ああ。
でも、当座の資金ってどうして?
「え?」
「当たり前じゃない。
財布は私たち持ちなんて隙を見せてしまったら、
呼び寄せた相手が
大抵の支払いじゃ文句も云わないから、遠慮なく甘えて良いわよ」
平然と告げられたその言葉に、暫し呆然と足を
だが、思い返してみればそれもそうだ。
前払いが原則であるはずの旅籠で、
代わりに見せていたのは、小さな木札。
「じゃあ、あの木の札って……」
「監察札の事?
あれを見せておけば、支払いは依頼を出した領主に回るようになっているの。
実質、私たちが支払う必要があるのは洲鉄で購入する駅弁くらいね」
「……初めて知りました。
余りと云えば余りの事実。
だが、考えてみれば当然の話でもあった。
そもそも
長屋住まいの
それなのに
洲鉄の切符は出掛けに
「……
まあ、回気符を売って少しお金に余裕ができたって思っておけばいいんじゃない。
――それよりも、この先なのよね?」
「……はい」
道行に橙色の灯りが満ち始め、
深夜にも差し掛かっているはずの往来に何時の間にか、三々五々、人の歩みが
道行く人の姿は、圧倒的に男性のものが多い。
女性は店住まいの従業員か、見るからに夫婦連れの相手くらいか。
夜も深まった頃に未婚の女性が出歩くのに外聞が悪い事は、
それもこんな繁華街の入り口で
特に
下手に重箱の隅を突いてくるような隙を、
それでも、
実はあれから1度、
交わした会話は他愛もない世間話の類であるが、だからと云って
1度2度なら兎も角、
そうであるなら間違いなく、
「こんな時間に繁華街に入る訳にはいかないし、今日のところ私は様子見ね。
今日も会うようなら、用件を訊いておいて。私の名前を出す事に遠慮は要らないわ」
「はい。
……じゃあやっぱり、向こうの意図は
硬い声色で確認を重ねる
ベネデッタは顔を合わせた事に対して沈黙を守るよう
意図は明白。
仮に
そうであるなら
――つまり
「『アリアドネ聖教』が私なんかに何を求めているのかよく分からないけど、ここまで手間を掛けられた以上、余計に話が
相手も騒ぎを起こしたくないだろうから心配はないと思うけれど、荒事になりそうだったら精霊器を振るう事を遠慮しないで」
「……分かりました」
♢
「――らっしゃい!!」
ガラリ。やや建付けの悪い引き戸を引いて暖簾を潜ると、すっかり慣れた喧騒が
防人の入店に客の好奇心が集まりかけるが、その機会も3度目となると慣れるのも早くなる。
すっかり定席となった壁際の椅子に腰を下ろし、変わらず掛け蕎麦の注文を店主に通す。
席に腰を下ろして、幾ばくも間を置かず供された蕎麦に手を付けるが、どうにも気持ちが動かず箸が進まない。
蕎麦の泳ぐ椀を混ぜるでもなく、
「相席、よろしいですか?」
「
そして、こちらも慣れ始めた柔らかい声色が、
視線を僅かに上げると、
やはり、店内の喧騒はそよとも揺るがない。
「お嬢さまは来られなかったのですね」
「流石に、こんな場末に気軽に足を運べる
繁華街の前まで、
見られていたという事さえ、指摘されるまで気付きもしなかった。
反駁から言外に異国の華族であろうベネデッタの酔狂を野次るが、
その事実に妙な敗北感を覚えつつ、目の前に置かれた掛け蕎麦を
そのいつも通りの優しい鰹節の風味だけが、ささくれた
「それは残念です。
……ですが、助かりました。私の意図を読んで下さったのですね」
「ええ。
「では、こうお伝え下さい。
――
日時と場所はそちらの都合に合わせます、と」
「……分かりました、確かに
用件は以上ですか?」
「いいえ。もう一つ、
「俺に?」
てっきり、
何の用かと相手の目を探るが、真剣な眼差しが跳ね返るばかりで真意が見えてこない。
「随分と深く何かを考えておられるようなので、不躾かとは思いましたがお声がけを。
よろしければ、話を聴く事くらいなら私がいたしますが」
「酔狂ですね。他国の者の悩み事を聴くのも仕事なんですか?」
「これでも聖職に就く身であります。異郷の子らといえど、迷える子羊の曇りを晴らすのは羊飼いたる私たちの務め。
……告解というにも場所がそぐいませんが、相談事の体裁なら問題ないでしょう」
痛いところを突かれて、確かにと唸る。
異国のものに聴いて貰うようなことではない。だが、相談する相手に困っていたのも事実。
物は試しと、
「……つい先刻、平民の練兵から防人になりたいからどうすればいいのか訊かれましてね。
まぁ、彼が防人になるのは不可能である事は判っているんですが」
「なら、未練を断ち切ってやれば宜しいのでは?
下手に希望を持たせるのも、それはそれで残酷なものですよ」
「ええ。そこに悩んでいる訳ではありません。
問題は、彼が持っていて俺が持っていない
眩しく将来を見据える
その全てが、
「俺は平民です。故郷から放逐された三年前から、一人で生きてきました。
――日々を生きるために、精一杯に足掻いてきた。
そこに不満がある訳じゃない。寧ろ、胸を張って云ってやっても良いくらいだ」
それは
何も無いからこそ、
だからこそ、
「防人に偶然なれて、俺が欲しかったものが全て与えられていた事に気付いて、
――俺は、俺には何も残っていないことに気付いた」
氏子になって
守備隊に居座り続けている意味は、その全てを手に入れる為であったというのに。
すべてが満たされた今だからこそ、
――立ち上がれ! 戦え! 喰らいつけ!
それでも尚、心の中で仔狼が吼え立てている。
だが、その眼差しは、何処か路頭に彷徨う鈍い輝きを宿していた。
「生きているだけで充分、とは考えないんですか?」
「以前のままなら、それでも良かったかも。
だけど、
……俺にはこの先、剣を掴むための理由が無いんです。」
周囲の喧騒を余所に、吐き出される
「――私は過去に2度、聖伐の従軍を経験しています」
「聖伐?」
「唯一神たる我らがアリアドネに
――他の神柱はアリアドネの下にこそいるべき存在であり、それらを支配し管理
その言葉に、出立前に
他の神柱を踏みにじる事を良しとする傲慢さは、微笑みに塗り潰されて毛ほども見えない。それが当然とばかりに慈愛を以てベネデッタは
流石に、彼女の理想に賛同の意思を抱くことは無い。
それでも
……それは、
「それは、
貴女自身が剣を取る理由ではない」
「いいえ。いいえ。同じですよ、
私の生命は、アリアドネ聖教に捧げています。
そうであるが故に、聖アリアドネを奉じる羊飼いとして、その下に跪く数百万の民草を守護し率いる義務があるのですから」
苦しく
蕎麦屋の喧騒は何時の間にか遠く、二人の間を奇妙な静寂が支配した。
「私が剣を取る理由を聞いたところで、貴方の参考にはならないでしょう。
理解する事も不可能なはずです。
何故ならば、それは私の理由であって、
「……」
どうあれ、ベネデッタを前にして
「
「嗚呼、託宣には
私が此処に遣わされた意味は、貴方に在ったのですね。
――
それが、
♢
TIPS:監察札について
元は、奇鳳院や央洲からの使者である事の証明として発行された札。
現在は客人の身分を領主が一時的に保証する、身分証の代わりに使用されている。
領に滞在する間、必要経費はここから領主に回るようになっている。
これを当てにして、手元不如意で贅沢を楽しむ貧乏華族もいたりする。
……乱用は駄目ですよ。
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