4話 日々は過ぎて、眠るように謀る2

「――雲雀突ひばりづき!!」


 あきらから放たれた火焔の一撃が、雲耀うんようの閃きをもって猩々ショウジョウ土手腹どてっぱらに吸い込まれた。


 現神降あらがみおろしを行使しつかった上で、充分に加速の距離をとった最速の一撃。

 それは外すことの方が難しい一撃、のはずであった。


――だが、


 神速のうちに放たれた炎の槍が虚空を貫き、勝利を確信していたあきらの瞳が瞠目に開かれる。

 思考とともに行動もとどまりそうになるが、全力で回避を叫ぶ第六感本能を信じて前方に身体を投げ出した。


―――ィィィッッ!!


 耳障りにあざける叫声が、頭上から圧し潰さんと降ってくる。


――ォンッッ!!


 轟音。

 あきらの視界よりも高くに跳躍した猩々ショウジョウが、瘴気と妖魔の膂力を以ってあきらの立っていた場所に両腕を叩きつけたのだ。


 瘴気混じりの剛風が踊り、猩々ショウジョウの振り回す腕の勢いのままにあきらに向かってすさぶ。

 その脇の下を転がるように潜り抜けて、あきらは必死に猩々ショウジョウの攻撃圏内から逃れようとした。


―――ムナシ、オロカシィッ!!


 あきらを弱者と見たか、あざけりが多分に混じった叫声と共に瘴気をまとった拳が放たれる。


――死ぬ!

 身の危険から半身をよじると、寸で蟀谷こめかみかすめて拳が通り過ぎた。

 猩々ショウジョウの放つ追撃の嵐に抗い、あきらは必死に落陽らくよう柘榴ざくろを拳に合わせる。


 落陽らくよう柘榴ざくろに籠められた神気と猩々ショウジョウまとう瘴気が、火花を散らして互いを削った。

 嗜虐しぎゃくに歪む猩々ショウジョウあか濁光視線と、死の恐怖に揺れるあきらの視線が火花に照り返されて消えたその時、


――あきらが隠し持っていた火撃符が、指を離れて猩々ショウジョウの眼前を舞った。


 その反す手首の動きで剣指をかたどり一挙動で霊糸を斬ると、轟音と共に爆炎が膨れ上がり、呪符に封じられていた炎が解放される。


―――ィィィッ!!??


 たかだか火撃符の一撃であっても浄化の炎は猩々ショウジョウにとって忌避すべきものだ。

 妖魔であるからか、それとも顔面をあぶられる恐怖にか、猩々ショウジョウは断末魔に似た絶叫を上げた。


 猩々ショウジョウが顔面を押さえてのたうつ隙に転がるように距離をとって、仕切り直しとばかりにあきら落陽らくよう柘榴ざくろを構え直す。


……そう、仕切り直しだ。


 猩々ショウジョウは妖魔としては下位に位置し、臆病ではあるがその性質は執念深く厄介極まりない。

 下手に刺激して放置すると、人里深くまで下りてきて猛威を振るう恐れがあるからだ。


 それに、あきら自身の都合もある。

 人間の知識を簒奪し、背格好なりも非常に近い猩々ショウジョウは、当然、戦い方もその見た目にならっている。


 それは対人戦闘、それも防人を想定した仮想敵として最適の脅威度を備えていることを意味していた。


 粗くでも呼吸いきを整えて、現神降あらがみおろしを行使する。


――対人の仕合にいては、精霊技せいれいぎの一撃よりも竹刀の一撃の方が早い。


 技術わざの駆け引きにける明暗は、速度がその優劣を決定する。

 生命を賭したこの局面で蘇った厳次げんじの教えに、漸く一つあきらは大きく首肯した。


 あきらの足元で爆発したかのように落ち葉が舞い散り、吹き荒ぶ颶風ぐふうすら置き去りにする速度で加速する。


 精霊力の充溢した落陽らくよう柘榴ざくろを水平に薙いで、現神降ろしちからに任せた吶喊。

 朱金の精霊光が棚引く軌跡を虚空に刻み、放たれた平薙ぎの一撃は猩々ショウジョウの左腕を正確に捉えた。


 激突。


―――アマシッッ!!


 猩々ショウジョウの腕に濃密な瘴気がこごり、浄滅の意思を宿した落陽らくよう柘榴ざくろの刃が喰いあう。


 拮抗は一瞬。左腕に凝った瘴気が弾け散るのと同時に振り抜かれた猩々ショウジョウの腕が、あきらの身体をね飛ばした。


 確かに、ただの剣技は精霊技の一撃よりも速い。

 だが、決定的な威力に欠けることもまた事実。晶の現神降あらがみおろしは、猩々ショウジョウの剛力に抗えるほど卓越している訳では無い。


 やはり、穢レ相手に決定打を得るためには、精霊技で相手の防御を食い破らなければならない。


「――っっ、まだまだぁっ!!」


 舌打ち一つ。容易く空中に浮く己の身体に苛立ちを覚えるも、あきらを撥ね飛ばしたことで猩々ショウジョウの脇腹が大きく見えた事に心が逸る。

 心の中で仔狼矜持が猛り叫んだ。


――まだ立てる、まだ征ける、まだ噛みつける・・・・・


 喰らいつけ!!

 猛る咆哮に押されるままに両手両足を地面に踏み締めて、転がろうとする慣性を強引に耐える。

 立ち昇る土煙。猩々ショウジョウの膂力を凌ぎきった証明あかしを、4条の傷跡あととして地面に刻み、


 奇鳳院流くほういんりゅう精霊技せいれいぎ、初伝――


「――燕牙えんがぁっ!!」


 己が宿す膨大な精霊力に任せて、炎の斬撃を放った。

 燃え盛る一撃が夜気を引き裂きながら猩々ショウジョウに肉薄、


―――ッッ!


 最早、それ・・は通用せぬと云わんばかりにあざけりながら、悠々と猩々ショウジョウは跳躍をもって回避した。

……なるほど確かに。あからさまな一撃ではこの猩々ショウジョウに届かせることも出来ないだろう。


 この大ましらの首を獲るためには、隙が生まれるのを待つなどできない。

 隙を強請るなど論外だ。

――できる事はただ一つ、


 高く跳躍した猩々ショウジョウは、遥か眼下、己の着地点あしもとで燃え盛る刃を携えた矮小な弱者が待ち構えている姿を見止みとめた。


―――ッ!?


 鋭く交差する視線。あきらの戦意が陰りを見せていない事に、猩々ショウジョウの背筋が云いようなく粟立つ。

 警戒心が回避を叫ぶままに必死に逃げ道を探るが、そんなものは空中に在りはしない。


 仕方ない。拙い思考で刹那の覚悟を決める。

 引きずり出せるだけの瘴気で隙間なくからだを覆う。あれ・・の一撃は手痛いが、高密度の瘴気で防ぎきれる事は先刻の攻防で証明済みだ。


 その後は逃げる。全力で瘴気を撒き散らして、嫌な煙・・・を突破する。

 ここまで大きくした群れを失うのは残念だが、己さえ無事なら次がある・・・・


――相貌カオは憶えた。憶えたぞ。

――次は無い、次はこの猩々ショウジョウがお前たちを狩る番だ!!


 凝る瘴気の奥で瘴気よりも粘つく嗤い、猩々ショウジョウは次に得られるであろう勝利に酔う。

 瘴気の向こうで、あきらが悠然と落陽らくよう柘榴ざくろを構えた事に気付かなかった。

 それが幸だったのか不幸だったのか、それはあきらにも猩々ショウジョウにも判りはしない。


 奇鳳院流くほういんりゅう精霊技せいれいぎ、初伝――


鳩衝きゅうしょう――」


 下から上へ。鳴動する衝撃の奔流が大きく突き上がり、着地する寸前の猩々ショウジョウを呑み込んだ。

 衝撃と共に吹き荒れる朱金の神気が猩々ショウジョウを護る瘴気をことごとく削り飛ばし、き出しになった腹を夜闇の外気にさらし上げる。


 そう。隙が生まれるのを待つなど、猩々ショウジョウは赦してくれない。

できる事はただ一つ、隙を生ませて強引にじ開ける。

 あきらの実力では、それが限界。

――それだけだ。


 奇鳳院流くほういんりゅう精霊技せいれいぎ連技つらねわざ――


「――時雨輪鼓しぐれりゅうごぉっっ!!」


 落陽らくよう柘榴ざくろの切っ先に沿ってうねる・・・火焔の渦が勢いを増し、爆ぜる衝撃と共に猩々ショウジョウの腹を深々と斬り裂いた。


 内臓を撒き散らし、半ば腹から両断された猩々ショウジョウが湿った音と共に地面に落ちる。


―――…………。


 末期の息を漏らす猩々ショウジョウの盆の窪を深々と落陽らくよう柘榴ざくろの切っ先が貫き、大きくあきらは呼気を吐いた。




 己たちの主である猩々ショウジョウを喪ったましらの群れは、目に見えて統制まとまりを無くした。


 逃げまどうしか能の無くなったその群れは、それから4半刻30分もいかない内に一匹残らず鏖殺おうさつの憂き目を見る。


 守備隊の防人たちが精霊器を振るう中、猩々ショウジョウを狩ったあきらは1人、休息を強要されていた。


「――あきらくん、お疲れ様」


「……ありがとうございます」


 周囲の掃討を粗方えたさきが、手拭いを差し出してあきらねぎらう。

 どちらかと云えば気疲れの方が強かったが、その労いに対してあきらは短くも素直に感謝を口にした。


 2人肩を並べ、しばしの沈黙が間に横たわる。

 ましらの掃討は続いているのか、時折、追い立てる声とましらの吠え声が響く。


「……狩りに参加しなくていいんでしょうか?」


「不満?」


「いえ、不満じゃなくて」


 気不味さから口籠くごもった。僅か一か月前まで、あきらは練兵としてあの掃討戦の中に生命の危険と共に加わっていたのだ。

 手持ち無沙汰と云うよりは、しなければならない事をしていない、そんな焦燥感があきらの背中を押していた。


「何となく気持ちは判るけど、あきらくんは身体を休めなきゃ駄目よ。

 人間に最も近い猩々ショウジョウを相手にしたの、キミの負担は思っている以上のはず。

 君自身が気付いていないだけで、実際はかなり興奮しているのよ。

 その感情で動いたら疲弊した神経がささくれて、知らない間に削れるわ」


「……はい」


 奥歯に物が挟まるかのような微妙な表情で、一応のうべないを返す。

 さきの提案を受け入れてはいるのだろう、だが、納得はしていない。そんなところか。


……まぁ、いい。その内にイヤでも実感する。

 精神こころの疲弊は何よりも、自身が気付かない行動にあらわれるからだ。

 それは、自身の体験で既に経験済みであった。


 対人戦闘は、穢獣けものとの戦闘とは全く様相を異にする。

 戦術を思考する生き物との相手は、精神に負担が掛かりすぎるのだ。


 それに、もう一つ理由がある。

……いや、こちらが本当の理由か。

 あきらの気持ちが落ち着くまで、こちらは絶対に教える訳にはいかないが。


――嗚呼、嫌だ、嫌だ。


 じゃりじゃりと、苦い砂が口の中を犯す様を幻味あじわう。


 人間は同じ人間ひとを殺す事に、強い忌避を覚えるようにできている。

 社会を構築する生き物である以上、それは当然の本能だ。


 その本能を麻痺させて、人間ひとかたちをしている生き物ものを壊す事に慣れさせる。それが猩々ショウジョウあきらの手で下す事を強要した、本当の理由。


 昨今の防人では経験していない者も多いと聴くが、衛士であるならば、絶対に通らなければならない経験である。

……それに一度は自分も通った過程だ。酷ではあるが、衛士になる以上、あきらとて例外ではいられない。


「ここに居たら気も休まらないでしょ? 後方に……、

 どうしたの?」


 後方に下がらせようとあきらを見遣ると、明後日の方向に視線を向けて首をかしげているあきらの様子が視界に入った。

 同じ方向に視線を向けるも、視界に入っているのは遠くにある小高い山一つ。


「いえ、その……」


「気になった事があるなら云っといて。斥候を派遣して調べさせるわ」


「問題ありません。

 その、誰かに視られている気がしたもので」


 改めて、あきらの向けた視線の先を見遣る。

 やはり変わらず、何の変哲もない山間の夜景しか視界には映らない。

 あきらの懸念に今一つの緊迫感を持てない。あきらとは真反対の理由で、さきは首を傾げた。


「……何も無いけど、気の所為せいじゃない?

 気になるなら調べさせるけど」


「そこまでする必要は無いです、申し訳ありませんでした。

――やっぱり疲れているみたいですね、後方に下がります」


 自身が口にした一言が大事を呼び込みそうになる気配に、あきらは慌ててかぶりを振った。

 さきの反応も待たずに、後方に設営された簡易天幕テントに足を向ける。


「あ、

……もう」


さきさま」


 反対側から埜乃香ののかに声を掛けられて、天幕に向けて消えるあきらを呼びとどめることを、さきは肩を竦めて諦めた。

 久我くが監視が逸れている内に色々と会話をしておきたかったが、全部ご破算になった形である。


埜乃香ののかさん、お疲れさま。

――ましらの群れは片付いた?」


「粗方は。

 今のところ、包囲網が破られた形跡あとはありません」


「良かった」


 猩々ショウジョウが君臨する群れの雌猿メスは、基本的に猩々ショウジョウのモノである。

 雄猿オスは消耗品に過ぎないが、雌猿メスは後継を産むための大事な部品になるのだ。


 猩々ショウジョウを孕んだ雌猿メスを逃してしまえば、そのはらから出てきた新たな猩々ショウジョウが新たな群れを率いて人里に仇を成す。


 それを赦す訳にはいかない。だからこそ、猩々ショウジョウを殺す際の鉄則が群れごとの鏖殺であった。

 今回の狩りで逃亡を赦した形跡は見られなかった。その報に、さきは一応の安堵を胸に得る。


――だが、報告を行った埜乃香ののかの表情はやや硬く、何処か別の懸念けねんを抱いているようであった。


如何どうされました?」


「……さきさまに一つお伺いしたい事が、

――あきらさんは、何者なんですか?」


「……………………」

 その突然に切り込まれた話題に、不覚にもさきの反応が一拍遅れる。

 唐突な、そして鋭い質問に、滑らかに二句を繋げることができなかった。

一ヶ月ひとつき前に百鬼夜行で大功を挙げたため、奇鳳院くほういんさまの肝煎きもいりで氏子ながら防人に昇任した人です。

 功を挙げたところは私も直に確認していますので、潜在する実力に疑う余地はありません」


そこは・・・私も聞き及んでいます。

 お訊きしたいのは、あきらさんの戦い方です」

 さきが何とか絞り出したあきらに対する当たり障りの無い公的な認識に、埜乃香ののかは尚もかぶりを振って追及の手をめなかった。

「正直、あきらさんが猩々ショウジョウを仕留めるとは欠片も想定していませんでした。

 あれ・・の厄介さはさきさまもご存知のはずです、防人になって一ヶ月ひとつき程度・・のものが単独で挙げられる勲功ではありません」


 猩々ショウジョウは妖魔の中でも下位に位置する。

 だが、ただ・・人の智慧狡賢さを簒奪するこの妖魔は、単純な武力で測れない厄介さが特徴である。


「ええ、本来であるならそうですね。

 ですが、あきらくんの実力は奇鳳院くほういんさまの御推挙あってのもの。

 それに精霊技せいれいぎ教導・・には、珠門洲しゅもんしゅうで10指と名高い武傑、阿僧祇あそうぎ厳次げんじに直々に手を上げて貰っています。

――阿僧祇あそうぎ殿が教導に入られて一ヶ月経つのなら、猩々ショウジョウ如き・・首級くび一つ、上げられないでどうします」


 どう考えても無理のある暴論を並べ立てて、埜乃香ののかの追及をけむに巻こうとする。

 やはり無理を感じたのか、埜乃香ののかの表情は晴れる事は無い。

 疑念を孕んだ視線を受けてなお、この話題に関してさきは努めて無視の姿勢を決め込んだ。


「それよりも、来週にはくだんの廃村に足を向ける予定と聴いていますが、現地の状況はどうなっていますか?」


「……報告はかんばしくありません。

 『導きの聖教』が主体となって村を立て直したのは事実のようですが、どうにも神父を名乗る男性・・が専横を利かせているようでして」


 このままでは場がまとまらないと、直近の懸念へと強引に話題をすり替えたさきに渋々ながらも埜乃香ののかは応じた。


「神父、ですか。本名?」


 だとするならば、神の父とは随分と傲慢な名乗りだが。


「いえ、流石に本名ではないと。

 当人いわく役職名だそうです、神の子らを導く父という意味だとか」


三宮四院神柱の末裔を差し置いて神柱かみの代弁者気取り?

 西巴大陸の宗教って随分と大らか・・・なのね」


 呆れ果てたと云わんばかりの舌鋒に、埜乃香ののかは苦笑を浮かべるしかなかった。

 彼女自身、そこまで詳細に現地の情報を握っている訳では無いからだ。


 報告から聞き及んでいる事で埜乃香ののかが確信を得られたのは、本当にごく僅かな内容でしか無い。


 そもそもからして、村が棄てられた経緯が一切不明なのだ。

 ある朝、庄屋大地主が気付いたら村人が離散していたのが、最初に発覚した出来事である。


その後、元の村人たちが村を棄てた理由も曖昧なまま、『導きの聖教』の信者たちは驚くほど自然な流れで跡地に浸透した。


 久我くが本家へと庄屋大地主の陳情は上げられたが、さき招聘しょうへいするためだけに対応が遅れたのは、埜乃香ののかとしても理解しがたかった。


――久我くが法理ほうりは、断じてそこまでの無能では無い。


 つまり対応が遅れた理由には、さき招聘しょうへいする以外の要因があるのだ。

 そこまでは、さき埜乃香ののかも確信をしている。


 だが、理由が判らない。

その推測すら立てられない現在、時間と忸怩じくじたる思いが緩やかにさきの行動を縛っていた。


 ♢


「――――っっ!!」


思わず呼吸いきを押し殺し、ベネデッタは手にした望遠鏡から目を離した。

しゃこり。軽い音を立てながらに収まるほどに畳まれたそれ・・を懐に仕舞い込み、平原・・から視界が遮られる後方に身を隠す。


「どうした、ベネデッタベティ?」


「……離れましょう、気付かれたわ・・・・・・


「そんな馬鹿な、平原あそこから此処まで何キロあると思っている」


 同じく望遠鏡を覗いていたサルヴァトーレが、怪訝そうな表情をベネデッタに向けた。

 表情には疑念の色が強かったがそれでも彼女の言葉を狭量に切り捨てはせず、行動はベネデッタにならってみせる。


「……大規模な結界を張っていた感触は無かったから、視線を感じたとか」


「我々は千里眼を行使つかっていた訳じゃない、身体強化を行使つかっただけだろう。

あれの痕跡をこの距離で見破るなど、物理的に有り得ないぞ」


 ベネデッタたちが隠れていた丘山から晶たちのいた平原まで、約1里半約6キロメートルは離れている。

 この距離を無視して視界を遠方に飛ばすためには、本来ならば千里眼と呼ばれる聖術の存在が必要不可欠になるはずであった。


 非常に便利な聖術であるが、その反面、視界を飛ばした相手に術の痕跡が露呈しやすくなるという欠点を持ち合わせている。


 その欠点故に、ベネデッタたちは波国ヴァンスイールで開発されたばかりの望遠鏡を秘密裏に高天原たかまがはらへと持ちこんでいた。


 高強度の水晶体レンズと高彩度を可能とする鏡で構成されたそれは一見すると手元に収まる大きさのちゃちな望遠鏡だが、実際は身体強化を掛けた教会騎士が使用する事で本領を発揮する超長距離仕様の望遠鏡である。


 術ではなく機械による視力の強化。未だ文明開化の途上にある高天原たかまがはらの人間では発想にも及びつかない、近代技術の結晶であるはずであった。


青道チンタオの港町で、道術タオの一つに視線を辿るすべがあるって聞いた事があったわ。

 確か高天原たかまがはらの呪術って道術タオが基礎になってたでしょ? 類似の呪術があってもおかしくない」


 サルヴァトーレの疑問に応えながら身をひるがえす。

 慌てて後背についてくる青年の気配を感じながら、ベネデッタは山を下りるべく足を速めた。


 望遠鏡越しの視界であきらの視線がベネデッタを捉えたのは偶然ではないと、ベネデッタは確信している。


 よしんば偶然であったとしてもこの場は離れた方が良いと、ベネデッタの勘が囁いているのだ。

 ベネデッタの勘は当たる。従わない理由が無かった。


 それにたいものは観られた。

 守備隊の練度、一部隊にける戦闘要員の装備と人数かず

――そして、珠門洲しゅもんしゅうの大神柱が加護を与えている者の実力。


「やっぱり、あきらさんは私たちの前に立ち塞がると思う」


ベネデッタベティ一押しの坊やか。

 随分と下品な戦い方だったが」


「でも加護の強度が尋常じゃない。

 あれだけ強かったら、間違いなくこの地の全ては彼に味方すると思う」


 先刻の戦闘を思い出す。

 荒削りの戦術、拙い技術。サルヴァトーレの指摘通り、泥臭い戦い。

だがその身にまとっているのは、世界を塗り潰さんばかりの濃密な加護。


 相手にしていた妖魔ディモンもそれなりの相手であったが、あの加護相手では勝利の可能性は微かも無かっただろう。


「私としては、ピストルが普及していない様子が意外だったな。

 長銃ライフルすら構えている様子が無かった。

――こちらとしては都合がいいが」


「……そうね。

 交戦になったら、サルヴァトーレトトはあれの真価を教えてあげてちょうだい」


 晴れぬ憂いを笑い飛ばすサルヴァトーレ友人の快活さに、ベネデッタは何時も救われてきた。

――今回もそうだ。


 そして、これからもそうだと祈ろう。

 口にはできない感謝を苦笑に込めて、ベネデッタは拠点としている教会へ帰還するために足を更に速めた。


 ♢


TIPS:望遠鏡について

 ベネデッタたちが持っていた望遠鏡は、波国で開発された最新式の望遠鏡である。

 見た目がただのちゃちな折り畳み式だが、強屈折の水晶体レンズで構成されているそれは超長距離仕様の望遠鏡となっている。


 ただし、常人が覘いたところで歪んだ風景が写るだけで、身体強化の術を行使した人間が使用する事を前提としている。


 軍用で開発された割には非常に壊れやすく、本国の軍関係者脳筋どもには渡せないと開発者が渋ったとか何とか。

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