閑話 見えず問い、かごめかごめと探りあい

「――――――起きなさい」


「……………………がっ」


 冷酷つめたい響きと共に、鹿納の脇腹に鈍痛が走る。

 肺腑を直撃する衝撃に息が詰まり、咳き込みながら鹿納の意識が浮上した。


「ぐ、……ぅお」


はしゃぐな・・・・・、愚物」


 痙攣からのたうち回ろうとする鹿納の身体を、何者かが背中から踏みつけて、その鼻先に白銀の刃を突きつけた。


 その物騒な輝きに、意識が落ちる直前の記憶が蘇る。


「……同行殺どうぞくごろしが同行どうぞくを名乗るか。

 雨月に刃を向ける。その意味を理解しての行いであろうな、同行家?

 最悪、國天洲を割りかねん暴挙だぞ」


 ぴくり。鹿納を踏みつけている同行そのみ・・・よりも、周囲を警戒していた千々石楓が憤怒の感情を浮かべて身じろぎをした。


――どの口がそれを云うか。

 彼女の心情は、口よりも目が語っている。


 だが、誰よりも激昂すべきそのみ・・・は、楓に向けて唇に人差し指を当てて見せた。

 そのみ・・・からの沈黙の願い出に、楓は少しの逡巡の後に首肯だけを返した。


「――理解しているわ。だからこそ、鹿納どのを標的に選んだの」


「何?」


「もし、この事が公になったら、当然、雨月家は同行家に報復を仕掛けなければならないでしょうね。

 えぇ、貴殿の言葉通り、國天洲を割りかねないわね。

――では、鹿納どのは・・・・・どうなるかしら・・・・・・・?」


「…………………………………………」


 多分に嘲弄の響きが含まれたその問いかけに、鹿納は沈黙せざるを得なかった。


 現状だけを見れば、鹿納は5人がかりで2人の少女と闘い、完膚なきまでに叩きのめされた事になる。


 ここに、少女側が闇討ちをしてきた、や、同行家のものだった、等の副次的な・・・・情報は一切、加味されない。


 純粋に、大の男5人が少女2人に敗北を喫したと云う事実しか残らないのだ。


 情けない戦闘に情けない結末。

 同行家への報復で汚名を雪ぐ機会が有れば、まだ救いはある。

 だが、間違いなく汚名返上と引き換えに捨て駒扱いされて、磨り潰されるはずだ。


 回避せねばならない。

 少なくとも、どれだけ情けなくとも鹿納自身は沈黙を守らなければならない。


「ご自身の状況もよく理解されたようで何よりです。

 ご安心くださいな。私たちは、ここでの事を殊更に吹聴する気はありません。

 鹿納どの・・が口を噤めば、噂が広がることも無いでしょう」


「…………保証は」


「有る訳ないでしょう、敗けた手前で求める権利があるとお思いで?」


 鹿納の視線が泳いだ。

 拒否と承諾の狭間で、打算的に自身の利益を計算する。


 その様を、冷酷な視線でそのみ・・・たちは見守った。

 選択肢は有るようで無い。結果は訊かずとも分かっていたからだ。


 やがて、沈黙の後に鹿納は渋々と口を開いた。


「……………………何が望みだ?」


「まぁ! 素早い・・・ご英断、助かりますわ。

 では、お言葉に甘えて、幾つかお尋ねしたいことがありますの。

 正直に答えて頂けたら、お手間はそれほどかかりませんわ」


 華やいだ声音で、そのみ・・・が鹿納の判断を褒めそやした。

……鹿納が少女たちの表情を見ることができなかったのは、彼にとっての幸いであったのだろう。


 年頃の少女らしい弾んだ声とは裏腹に、非道く冷酷つめたい2人の視線が鹿納を見下していた。

 それは、如何にして鹿納の記憶から情報を搾り取ろうか、鹿納のそれとは格の違う酷く冷徹な計算を働かせている女の目であった。


「まず、今日の宴会、どういった理由で開かれました?」


「……何?」

 一体、何を訊かれるのか? 内心、戦々恐々としていた鹿納は、その余りにもくだらない内容に、思わず肩透かしを覚えた。

「何故、そのような事を聞く。特に隠している訳ではないぞ?」


「……ほんの軽い会話ですよ。正直に話していただくための入り口です」


 素早く、2人は視線を交わした。

 宴会を開いた理由は、晶と関係ないのか?

 会話を逸らすか話を進めるか、逡巡する内にとんでもない内容が鹿納の口から告げられた。


「颯馬さまの嫡男就任と義王院さまとの婚儀が、正式に認められた祝いだ。

 雨月の方々の長年の心残りであったからな、今は一族挙げての祝賀の最中よ」


「!!??」

 鹿納から出てきたとんでもない内容に、2人の口から吃驚が漏れかけた。

 しかし、既(すんで)のところで押し殺し、鹿納に迎合して情報を抜く事に注力する。

「……雨月家の嫡男は颯馬さまだと思っていましたが、違ってまして?」


「対外も内々もそれで決定はしていた。

 だが、義王院さまが認めてこられなかった。

 颯馬さまの前に、晶という穢レ擬きがおったからな」


 忌々しそうに語る鹿納の声色に、得意気な響きが混じる。

 鹿納にとって晶の排除にいち早く参じた事は、実情はともあれ紛れもない自身の功績であったからだ。


「穢レ擬き?」


 対するそのみ・・・の疑問ももっともである。

 晶は産まれた時点より、國天洲の大神柱である玄麗の加護が与えられている。


 これは、國天洲におけるすべての行動に対して、晶は絶対の守護が得られていると同義である。

 判りやすく云うなれば、國天洲に足を置いている限り、いかなる穢れも晶を害することは至難の業であるという事だ。


「ふん。精霊・・よ。

 あれ・・には精霊が宿っていなかったのだ」


「…………………………………………それが?」


 そのみ・・・たちは、疑問符を表情に浮かべながらお互いの視線を交わし合った。


 精霊が宿っていない。

 それはそのみ・・・たちにとっても、既に知る情報だったからだ。

 精霊が宿っていないからこそ、神無かんな御坐みくら足りうるのだ。


 むしろ、その事実は誇りこそすれ、唾棄される謂れなぞない。


「分かっておらんようだな。

 精霊が宿っていないという事は、精霊力が使えんという事だ。

 全くもって、雨月家始まって以来の出来損ないよ。

 御当主さまのお嘆きも相当なものであったわ!」


「「!!??」」


「儂とても、あれ・・の排斥には手を焼いた。

 何しろ、精霊力が使えん無能を、能ある士族たちと共に剣術を教えねばならんかったからな。無能が感染うつるのではないかと、戦々恐々していたわ。

 不破どのが教導に入ってくれなんだら、精霊技の扱いにするのもやぶさかではなかったわ」


 ようやく、そのみ・・・たちにも、何が起きているのか朧げながらに全貌が見え始めた。

 雨月における、口伝の欠如・・・・・。それがもたらす分かりやすい悲劇に想像が至り、そのみ・・・たちは表情から色を無くした。


「……精霊技は? 教えなかったのですか?」


「精霊力を持っておらんのだぞ? そんな無駄な手間をかける訳なかろう」


「……………………」


 余りの言い草に、楓が現実逃避気味に夜空をあおいだ。

――そもそも、前提が間違っている。精霊では無く、神柱が晶を受け入れているのだ。玄麗の神気が晶を満たしている以上、晶は玄麗の神気・・を十全以上に行使することができる。


 よくもまあ、晶が正気を失って神気を暴走させなかったものだ。

 余程、晶は自身を律していたのだろう。


「あ、晶さんは、今、何方どちらに居られますか?」


 そのみ・・・の問いかけも、僅かに語尾に震えが見えていた。


 ここまでやらかしているのだ。間違いなく、雨月に対する晶の心証はどん底と云ってもいい。

 否。雨月をみなごろしにする程度・・で晶が本道に立ち戻ってくれるなら、最早、安い買い物と云ってもいい。


 幼少どころか産まれた時点から、抑圧で鬱屈とした生を送ってきたのだ。

 最悪、人間性が捻じれていてもおかしくはない。


 だが、晶に対して諫めることはともかく、対立する選択肢は玄麗が容認しないであろう。

 玄麗は、神無の御坐の行動の一切を許容するからだ。


 今、この時点からでも晶を義王院の本邸に迎えて、晶の怒りを雨月にのみ限定するよう願うしかない。


「既にくたばった・・・・・わ」


「は?」


 何が起きているのか、理解すらしていない幸せな・・・雨月陪臣鹿納が小気味良さそうに短く返した応えに、そのみ・・・の思考が完全に停止した。


「三週間ほど前か、人別省からあれ・・の魂石から輝きが消えたと報せがあってな、死亡の報せに雨月家は上に下にの大盛り上がりよ。

 人別省は、あれほど渋っていた颯馬さまの嫡男認定を10日程度で認めた。

――全く、こんなことならさっさとあれ・・を処分しておいた方が良かったわ」


「――何処で亡くなったと?」


「知らん。あれ・・は3年前に放逐処分となった。

 何処ぞかで、くたばった・・・・・のであろうよ」


――がつっ。

 そこまで云い終えた鹿納の首筋に太刀の峰が力任せに叩きつけられ、息を漏らす余裕も無く、再び意識が完全に闇に沈んだ。


 後に立っているのは、荒い息を立てるそのみ・・・と、一見には冷静さを保っている楓だけであった。


「――ごめん、我慢できなかった」


「殺してなかったら充分ですわ。

……私も、抑えられるか疑問でしたし」


 流石に腹に据えかねているのか、応じる楓の声音にも激怒の感情いろが濃く含まれていた。


 無理もない。事実を探れば探るほど、状況は最悪なものになっていくのだ。

 ついには晶の死亡をこと得意げに吹聴されるに至って、そのみ・・・の我慢は限界を振り切れた。


「……これから、どうしましょう?」


「とりあえず最初の手はず通り、早急に五月雨領を脱します。

 隣領まで行けば、追手が掛かる心配も無くなるでしょうし、姫さまに電報を送ることも叶うはずです。

――雨月天山の登殿は、いつだったかしら?」


 既に天山に対する敬称もなく、吐き捨てるようにそのみ・・・は即断した。

 地に伏せる鹿納たちを一顧だにせず、楓も同意の首肯を返す。


「……確か、葉月8月の第2週の予定だったかと。

 電報で、晶さまの死を伝えますか」


「…………荒れるかしら?」


「間違いなく。

 くろ・・さまが荒神に堕ちないようにしずめの儀式を執り行っても、どうしても瘴気溜まりの発生は止められないでしょう」


「……判断は姫さまに願いましょう。無能鹿納の証言一つで、くろ・・さまを激怒させる訳にもいかないわ。

――姫さまへの報告は必要でしょうけども、」


 悪手と理解しつつも、そのみ・・・は詳細な報告を躊躇ためらった。


 洲を司る大神柱の激怒は、そのまま國天洲の災害に直結する。

 被害が五月雨領だけで済めばよいが、神柱がただ・・人が線引きをした領境という些事・・に斟酌してくれる訳も無いからだ。


 その結果どうなるか。

――確実に、國天洲が大荒れする。


 その先でどんな悲劇を引き起こすのか、神柱の激怒荒神堕ちを伝承でしか知らない2人には、真実を推し量ることは不可能であった。




「……さて。これ・・、如何しましょう?」


 死屍累々と倒れ伏す男たちを指して、楓が後に残った面倒に唇を歪めた。

 精霊器の刃には布を巻いていたから、手応えは充分にあっても死ぬほどではない。


 闇討ちが終わって残ったのは、ただ気絶しただけの大柄な大人が5人。

 どう片付けるにしても、無能5匹の世話は面倒しか覚えなかった。


「放置しましょう」

 当然、そのみ・・・の口調には迷いが欠片も見当たらない。

「夏だから、一晩放置くらいでは死なないでしょう。

 風邪くらいはひくだろうけど、その程度、知ったことじゃないわ。

――私たちはやるべき事をやりましょう。どうせ、こいつらの処分・・は近いうちに行われるんだし」


「……そうね。どうせ未来の無いカス、ここで寝てくれていた方が都合が良いわね」


 ここまでの面倒を引き起こしてくれたのだ、事の顛末を聞けば義王院が直々に裁可を下す。

 これ以上の情報も持っていないだろうし、この程度の愚物にかかずり合って時間を浪費する謂れも無い。


 至極あっさりと鹿納たちを見捨て、楓が身体を翻した。

 その後を追って、そのみ・・・もまた暮明くらがりの奥へと姿を消す。


 後に残るは、気絶した5人の男たちと夏虫の鳴声こえのみ。

 そこに有った戦いの痕跡など何も知らぬと云わんばかりに、ただじりじりと鳴き続けていた。


 ♢


TIPS:晶の加護について。

大神柱の加護は大別して3つ、加護を受けたくににおける絶対の安全、神柱の有する神気の無条件行使、洲にいる精霊の合力。


ただし本来、これらは奇跡の領分であり、発動には晶の意思による決定が最低原則となっている。


さらに、洲に足を踏み入れているに限りという制限が掛けられているため、加護を得ている洲から離れればこれらは発動もしなくなる。


ちなみに晶が珠門洲で呪符を書いていられた理由は、それ以前に玄麗が神気を満たしていたから。

呪符を書くだけならば、神気はそこまで消費する事も無いため。

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