閑話 行きて交い、こおり鬼の比べあい

「ちいぃぃ、えりゃあぁぁぁっ!!」


 相対する楓たちと鹿納たち。

 戦端が開かれると同時に、鋭く斬り込む初撃を放ったのは、鹿納の部下であった。


 独特の呼気と共に、現神降あらがみおろしで強化された身体能力にものを云わせて突きを放つ。

 やや強引に捻り込む形の突きは、それでも正確に薙刀を持った楓の正中を捉えていた。

 楓は、迫りくる太刀の切っ先を見据え、


「――ィィィィッッ!!」


 放たれた突きに、それでも怖気ることなく裂帛れっぱくの気合と共に滑らかな歩法で一歩、楓は力強く地面を踏み込んだ。


 薙刀の穂先に籠められた膨大な精霊力が、唸りを上げて山吹やまぶきの軌跡を宙に刻む。

 狙うは、迫りくる太刀の脇腹。


 激突。


 ガリガリと互いに霊気を削りながら、薙刀の穂先が太刀の表面を滑る。

 霊力同士の干渉による反発でしのぎを削り、遂には突きの軌道を明後日の方向にいなした・・・・


ゥッ!!? ぐっ」


 突きをいなされて泳ぎかける上体に耐えた瞬間、男の鳩尾に薙刀の石突いしづきがめり込んだ。

 その堪えようのない激痛に、文字通り、男の身体がの字に折れ曲がる。


 初手で得られた数呼吸分の隙を逃さず、楓は精霊力を練り上げ、


 義王院流ぎおういんりゅう精霊技、初伝――


「――半月はんげつ鳴らし!」


――ゥンッ

 無形の衝撃波が男の内臓を直撃し、問答無用でその意識を刈り取った。


「貴ぃ様あぁぁっっ!!」


 崩れ落ちる男の陰から追撃に二人、左右から挟み込む形で刃を振りかざすのを視界に納め、


――上手い。

 素直に楓は感嘆した。

 眼前に立っているのがたった一人、それも女。

 面目メンツに拘りたくなる状況を作ったのに、見栄を張らずに一人を囮に視界を塞いでから、追撃の連携で逃げ場を奪いつつ確実に首を取る。

 お手本になるほどの、定跡セオリー通りの対応。

――これが武門筆頭、八家第一位の雨月家か!!


 だが、だからこそ・・・・・読みやすい。


 彼我の距離は未だ離れているが、右の男が唸る精霊力のまま太刀を袈裟切りに振るう。

 それは、遠間の相手を攻撃する基礎の精霊技。


 義王院流ぎおういんりゅう精霊技、初伝――


「――偃月えんげつ!」


 放たれた水気の斬撃が迫る。

 迫りくる死に怖気ることなく、楓は薙刀を八相構え木の構えから舞うように穂先を躍らせた。


 義王院流ぎおういんりゅう精霊技、中伝――


「――まど弄月ろうげつ!」


 山吹色の精霊光が薙刀の軌跡を宙に刻み、偃月えんげつを正面から迎え撃つ。


 独特の轢音れきおんと衝撃を残して水気の刃が霧散。精霊光が撒き散り、

――その陰を潜るようにして三人目の男が楓の懐に入り込み、止めの一撃を放ってきた。


 義王院流ぎおういんりゅう精霊技、中伝――


「――弓張月ゆみはりづき!」


 下から上へ掬い上げるような太刀の斬撃が、楓の左肩目掛けて伸びる。

 その軌跡に沿って、精霊光の刃が虚空を刻んだ。


――やはり、それなりに・・・・・手練れだ。

 中伝からの連技つらねわざで追撃を狙っているのか。堅実に確実に楓の退路を断って仕留めようとする姿勢は、充分に評価に値する。 

――だが、詰めが甘い。おそらくは、薙刀使いとの経験が少ないのだろう。


 薙刀の最大の利点は、太刀と違い、穂先と石突きを回転させることにより間断なく攻勢を維持できる点にある。

 薙刀相手に、太刀で連技つらねわざの速度比べを図った時点で、楓の勝利は確定したのだ。


 男が放った弓張月ゆみはりづきを半身でかわし、楓は巻き取るように薙刀を引く。

 その瞬間、薙刀の穂先が後ろに、石突きが男の顎を跳ね上げた。


 義王院流ぎおういんりゅう精霊技、連技つらねわざ――


「――ふたつ独楽こまっ!」


 石突きを起点に衝撃波が男の脳を揺さぶり、二人目の意識を闇に沈める。


 その姿勢のまま、精霊力を叩き込みながら薙刀を振るい、最後に残った男が放った偃月えんげつを砕いて前進・・

 男の太刀と薙刀の穂先が、火花を散らして噛み合った。


「ぬっ……、ぐぅ」


 刃先が噛み合った瞬間、男の咽喉から思わず息が漏れた。

 上背も膂力も、更には経験も勝るはずの己の体躯で、これ以上、押し込む事ができない。

 のみならず、じりじりと押し込まれてさえいる。


 少女から立ち昇る、尋常では無い精霊光。

 上位精霊を背景に、実力差を強引に覆しているのだ!


 後先を考える事を放棄して、精霊力の限界を絞り出す。

 そこまでして漸く、少女の膂力との拮抗が叶った。

 故に、事ここに至って、男は認めざるを得なかった。


「……強いな」


「あら? 殿方は意地でも認めたがらないものと思っていましたが」


「三人がかりでこの為体ていたらくでは、認めんほうが逆に恥だ。

 だが、ここまでだ。直に鹿納かのうさまと柳どのが、後ろの女を潰してこちらに参戦される。

 あのお二方の実力は、我らの比ではないぞ。間違いなく貴様程度・・・・では勝てん」


「えぇ、えぇ。無論の事、承知の上にて」


 楓の声音に、思わず嘲弄の響きが混じった。


 闇討ちの定跡に、退路を塞ぐものは正面の戦闘を苦手とするものを充てるとある。

 当然、闇討ちの対処はこの定跡を下敷きにしたものであり、鹿納たちもこれに沿って判断している。

 戦術の概要としては、数で正面の相手を牽制しつつ、持ち札最大の手札で退路を塞ぐ相手を叩き、後に反転し、残りを掃討すると云うものだ。


「故に、こちらの・・・・勝ち、なのですよ。

 定跡は、私たちも理解しているのですから」


「な……、に…………!!」


 その言葉の意味を理解して、愕然と振り返る。

 その視界に映ったのは、そのみ・・・が放つさえとした白銀の閃きであった。


 ♢


 戦闘に決着が付く少し前。


 楓と男たちの戦端が開かれると同時に、柳と呼ばれた男がそのみ・・・に向かって滑るような歩法で間を詰めてきた。


 想定通りであるならば、やなぎは鹿納の手駒の中では最強のはずである。

 少なくとも、剣の技量においては間違いなく上を行っているだろう。


 放つ精霊光からして、精霊の格は中位のかなり上。

 そのみ八家直系が宿す上位精霊なら充分に勝機はあるが、それぐらいは相手にも勘付かれているだろう。


 同じ水行の使い手である以上、手の内はばれているし苦戦は免れない。

 柳に手間取って鹿納が参戦すれば、そのみ・・・の敗北は確定してしまう。


「仕掛けてきたのは貴様たちだ。

――まさか、卑怯と云うまいな!」


 柳の背後から、鹿納の挑発が飛ぶ。

 その台詞に、そのみ・・・は苦笑を口の端に浮かべた。


 それこそ、そのまさかだ。

 まさか・・・、数をたのみにされた程度で勝ち誇られると、正直、後が困る。


 それでも、その苦笑を隙と見たか、柳がそのみ・・・3間約⒌4メートル手前で大きく踏み込んだ。


 義王院流ぎおういんりゅう精霊技、初伝――


「―― 偃月えんげつ!」


 精霊力の刃が幾条もの水気の尾を曳きながら、そのみ・・・を襲う。 


――基礎の精霊技ゆえにか、偃月えんげつは千差万別、個人の癖が最もよく顕れる技でもある。

 柳の放った偃月えんげつもその一つ。

 斬撃としては今一つの威力だが、迎え撃たれたら衝撃波となって相手を弾く特性があるのだ。


 ひどく脆いため穢獣ケモノ相手には不向きという欠点と引き換えにだが、対人戦にはそれなりの威力を発揮する特性でもある。


 相手を弾くことで生まれる一拍分の隙は、対人戦闘において値千金の価値があることを、そのみ・・・も柳も知悉しているからだ。


 故に、そのみ・・・がこの技を迎撃せざるをえない状況に陥ったことで、柳は勝利への道筋を確定させたことを確信する。


――だが、


あぁぁぁっ!!」


 そのみ・・・は、気合一閃、太刀を下段構え土の構えから上へと、偃月えんげつ斬り払った・・・・・


 柳が期待した衝撃はおろか、精霊技を破壊する際の轢音すら響かない。

 異常なまでに静かに、偃月えんげつは精霊光になって霧散した。


「なぁっ!!」


 初めて見るその光景に、柳の眼が大きく見開かれる。

 迎撃された事に驚きはない。期待した衝撃がなかった事に驚いたのだ。

 それは即ち、一拍の隙を作れなかった事を意味していた。


 連技は初動における溜め・・の大きさ故に、初撃で相手を押さえる事を前提にしている。

 その目論見が崩れた今、このまま行けば、無防備な腹を相手に晒すのは火を見るよりも明らか。


 それでも身体は、連技を放つための初動に入ってしまっている。

 強引に技を中断して、仕切り直すだけの技量を持ち合わせていなかったのが、柳の敗北の決定打であろう。


 義王院流ぎおういんりゅう精霊技、連技つらねわざ――


「――ねじりかんざっ!……ぐっ」


 連技を放つため、大きく平突きに構えた柳の懐深くに滑り込んだそのみ・・・が放った一閃が、柳の意識を容易く刈り取った。


「何だと……!!」


 精霊技でも剣技でもないただの横薙ぎが柳を沈めるのを目にして、鹿納は動揺を隠せなかった。


 柳は、間違いなく鹿納の手駒の中では最強の一人だ。

 衛士には届かなくも、中位精霊を宿している防人としては最強を見据えることが許されるほどの才があるのは、鹿納にあっても認めている。


 少なくとも、対人の仕合い・・・において、白星が9割を超える逸材であるのは間違いは無かった。


 その柳を碌な抵抗も赦さずに一撃で仕留める。

 信じがたい光景に、不可能と理解しつつも退避の可能性を無意識に探った。


 やはり、無理だ。


 少なくとも、目の前のそのみ・・・を沈めない限り、鹿納に生き残る選択肢は残らない。

――それに逃げたところで、この一件が公になった瞬間、鹿納の雨月陪臣としての生命歴史は終焉を迎えてしまう。


 次の席次を狙う士族たちの数は、それこそ10の指では足りないからだ。


 倒れ伏す柳に一顧だもせず、そのみ・・・が間合いを詰めてくる。


「…………な、舐めるなあぁぁぁっ!!」


 刹那に溶けようとする彼我の距離に、挫けそうになる己の感情を必死に鼓舞する。

 既に酔いは無く、精霊力も体内を充溢みたしている。


 距離は充分。精霊技の撃ち合いは、間違いなく鹿納に初手が与えられる状況。

 鹿納は、最も己に馴染んだ精霊技を練り上げた。


 義王院流ぎおういんりゅう精霊技、中伝――


「――清月鏡せいげつのかがみ!」


 居合抜きに抜かれた太刀の軌跡に沿って、幾重にも精霊力の波紋が広がっていく。

 一度の衝撃に対応できたとしても、二度、三度と重なる衝撃全てに対処は出来ない。


 攻めにおいても守りにおいても優秀な精霊技。

 それなりに修得難易度は高いものの、如何なる状況にあっても対応可能な撃つ場所を選ばない技が、鹿納の切り札であった。


――だが、鹿納は、自身が相対しているものが、そのみ同行家である事に終ぞ気付かなかった。それが、勝敗の明暗を分けた。


 迎え撃たんと迫る精霊力の波紋に、そのみ・・・脇構え金の構えから太刀を疾走らせる。

 太刀に精霊力が込められているものの、剣技とすらいえないただ・・の一撃。


 それが波紋と激突した瞬間、波紋が全てまとめて上下に斬り裂かれた・・・・・・


 そのみ・・・を弾くでも、轢音すらも無く、非常に呆気ない消滅。


「貴様っ! 真逆、同行の……!!」


 精霊技を斬る。その現象に、鹿納はようやく相対しているものの正体に感づいた。


 そのみ・・・の着物がふわりと舞い、小袖の淵に小さく縫われた家紋が垣間に覗かせる。


――二つ扇に一枝の梅花。


 八家第七位 同行どうぎょう家。


 八家の中に在っては、最も精霊力に特出しない一族だ。

 公的な場に姿を見せることはあまり無く、領有の華族だが華族としての付き合いをしない一族としても有名である。


 だが彼らには、ある有名な特性があった。

 彼らが宿す精霊は必ず水行の精霊であり、必ず陽気ようきの相を帯びるのだ。


 太極図において、水行の相は陰気いんきの極致に相当する。

 だが、絶対に陰気のみしか無いのではなく、え星として陽気の相が存在する。


 そして、同行家はこれを特性で有している、珍しい一族なのだ。


 水行の陽気。それが意味するのは、水行の技に限り条件下での干渉と無効化を可能にするというもの。

 同じ水行に対する、絶対的な優位性であった。


 故に、義王院流ぎおういんりゅうの中には、同行家にしか行使できない精霊技が存在している。


 同じ水行・・の使い手を殺すためだけの、異形の精霊技。

 畏敬と嫌悪をもっ同行殺どうぎょうごろしとも囁かれるその技は、


 義王院流ぎおういんりゅう精霊技、異伝ことのつたえ――白夜月びゃくやづき


 これに気付けなかった以上、柳であれ鹿納であれ、敗北は決定のものであった。


 そのみ・・・が返す太刀の峰で喉仏を強かに撃ち抜かれ、悶絶しながら鹿納の意識は闇に沈んだ。


 ♢


TIPS:同行家について

八家第七位、そのみ・・・は現当主の次女。

保有する精霊力は八家中で最下位。しかし、一族の血統として水行の陽気を宿しているため決して侮れない相手。

異伝ことのつたえ白夜月びゃくやづき。この精霊技だけで八家に上り詰めたと陰口を叩かれるが、争っても敗けるだけなので陰口止まり。

――ただ、これだけ長い年月が経てば対策も幾つか練られているので、絶対に勝利するためには初見が条件となる。


義王院の側役としてそのみ・・・が登用された理由は、長年の慣習を破って晶を義王院の婿に望んだため、華族内の権力バランスが崩れかけたことの対策として。

側役としてそのみ・・・は様々な裏事情を知っているが、現当主は知らないという悲しい事実が存在するとかしないとか。

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