閑話 暮明の隘路にて、通りゃんせと唄う

「――晶さまを見つけた!?」


「…………えぇ、多分」


 千々石木材商の支社長室で、ようやく入った吉報に楓の声が弾んで響いた。

 しかし、情報を持ち帰ったそのみ・・・は、疲れ切った表情で曖昧に同意するに留める。


そのみ・・・さんは、上級中学校に訪ねていったのですよね?

 そちらで見つけたのですか?」


 そうであるなら、一歩も二歩も前進だ。

 何しろ、間違いなく直前の足取りが追える。

 二人にとって、これ以上ない朗報のはずであった。


 だが、そのみ・・・は力なく首を振って、楓の期待を否定した。


「では、上級小学校ですか?」


「…………違うわ。私が見つけたのは、連翹山れんぎょうさんふもとにある尋常小学校よ」


「――え?」


 予想外の答えに、楓の表情が引きりに固まった。


 ♢


 夏季休暇で静まり返っていても、尋常小学校の門扉は幸いにも開いていた。

 休暇で児童の姿が見当たらないとはいえ、教師の仕事が無くなる訳では無いからだ。


 半数以上の教師が何らかの仕事に出勤をしていて、その中に、4年前に晶の担任をしていた教師が居たのがそのみ・・・にとっての幸運であった。


「晶くん、ですか?

――えぇ、えぇ。憶えてますとも。

 随分と利発な子供でしたね。勉強もかなり進んだところまで学習していたみたいですし、身体を動かすのも凄く得意で……」


 中年の人の好さそうな女性教師が何度も頷きながら返した応えに、そのみ・・・は喜色も露わに飛びついた。


「それです! 記録は見れますか?」


「残ってはいますが何しろ3年前の記録・・・・・・ですので、探すのに時間がかかりますが」


「3年前? ……いえ、去年、卒業されたのでは?

 最新のものがあれば、それで構いませんが」


 そのみ・・・の要請に、怪訝そうな表情で女性教師が首を振った。


「3年前が最新のものでございます。

――晶くんは、中途退学されましたから」


 ♢


「……何ですって!?」


 予想の斜め上どころか明後日の方向に向かった報告に、楓の柳眉が逆立つ。

 既にその感情を通り越したそのみ・・・は、楓の反応を待たずに報告を続けた。


「……三年前に中途退学した子供・・の情報は、とりあえず全部、抜いてきたわ。

 名前は、不破・・晶。

 後見は不破ふわ直利なおとし、東部壁樹洲へきじゅしゅうの華族で、雨月に婿入りに縁組されたと。

 不破・・晶は遠縁の豪農の子供で、訳あってこちらで預かりになったと教師は説明をうけてたらしいわ」


「…………待って、待って待って。

 理解できない。壁樹洲へきじゅしゅうの不破って、八家の!?」

 想定すらしていなかった名前に混乱して、とすん、と長椅子ソファーに腰を落とす。

「何で、そんなところが出張ってきてるの?」


「…………そっちは不思議じゃないわ。不破の直系が雨月の縁者に婿入りしたのは、結構、話題に上ったし。

 問題なのは、晶さまが不破・・を名乗っていた方」


 尋常小学校は平民が通う小学校であるが、華族の出が通う場合もよくある。

 多くは没落華族や上級小学校に通うには問題のある子供が送られるのだが、その場合は、部下か架空の姓を名乗らせることが多かった。


――つまり、雨月は少なくとも晶が小学校に上がる頃には、雨月として不適格と判断していたことになる。


 否、可能性はもう一つある。


「…………不破と結託して、壁樹洲へきじゅしゅうに晶さまを売った・・・とか」


 先の見えない状況に楓は、理屈を飛躍させた陰謀論を持ち出すが、そのみ・・・は首を振って否定した。


「皆無とまでは云わないけど、あり得ないと思うわ。

――壁樹洲へきじゅしゅうの不破と云えば、400年前の内乱の原因となった神無かんな御坐みくらを生んだ家系。

 神無かんな御坐みくらの扱いには、人一倍、気を遣うはず。

……雨月も無い・・と思うわよ? 神無かんな御坐みくらに釣り合う対価なんて存在しないのだし、自分たちの未来を売り払って何の得があるの」


 晶を壁樹洲へきじゅしゅうに売る企みが成功したとしても、義王院がハイそうですかと引き下がる訳もない。


 後に残るのが晶という保険をなくした雨月だけならば、その処分・・は苛烈を極めた後に郎党は首を野晒のざらしにされることも覚悟せねばならないだろう。


――であるならば、


「証拠だけを見て単純に考えたなら、雨月は晶さまを疎んじてた。

 少なくとも、自分の直系だと認めていなかった」


「だから、何で・・?」


 そのみ・・・が出した結論を、楓は堂々巡りの疑問で返した。

 仕方がない。結局は、そこに戻ってしまうのだし。


「……………………分からないわ。それこそ楓さんに情報を期待して、こっちに戻ってきたの。

 そっちは何か情報を見つけた?」


「ごめんなさい。こっちは有益なのは……。

 あ、でも、気になる情報が一つ」


 雨月が催す宴会の情報に、そのみ・・・の眉間にしわが寄った。


「宴会? こんな時期に、ですか?」


「それもですけど、支社長によると、内々の開催の割りにずいぶんと規模が大きいらしいですわ」


「理由が知りたいです。

 今日の報告で静美さまにご満足いただけそうもないのなら、多少・・、強引な手段も選択肢としてアリと思ってましたし」


「――そう云って頂けると思いましたから、支社長に潜り込めるか訊いておきましたの」


「流石。

 ですが、面相カオが割れる可能性のある私たちは、遠慮したほうが良さそうですね」


 静美の側役として公的な場に出ることの多い二人は、潜入工作には向いていない。

 荷が重いだろうが、支社長に出張ってもらうのが妥当だろう。


 つまらなそうに呟くそのみ・・・に、楓は茶目っ気を強く滲ませた視線を向けた。


「あら。てっきり私は、もう少し過激な・・・・・・・火遊びに誘われると思っていましたが?」


「…………やる・・の?」


 火遊びの内容中身に気づいて、そのみ・・・は探るように楓の視線を迎え撃つ。


 成功すればこれまでに無い鮮度の情報が、確定で入手できる。

 しかし、事を起こせば事態の成否如何に関わらず、迅速に五月雨領から脱出しなければならなくなる。


 隠密を原則として命じられている現状、それはできるだけ避けなければいけないはずであった。


「えぇ。

――どのみちこれ以上、粘っていても入手できる情報なんて高が知れていますもの。

 でしたら賭けに出るのも、また一つの道、でしょう?」


「――そうね。否定はしないわ」


「流石、そのみ・・・さんです。頼もしいわ」

 ぽん。両の掌を打ち合わせながら、楓はにこりと頬を綻ばせた。

「では、火遊び相手の殿方・・を選びましょうか」


 ばさり。卓上テーブルに人名が列挙された資料が広がる。

 中には、雨月の陪臣が席次順に挙げられているのが見て取れた。


「……理想は、席次が下から数えたほうが早い、実力は凡百、野心は人一倍。

――楓さんは、何人ならイケます?」


「精霊力頼みですけど、3名なら持久戦で粘って見せます。

 そのみ・・・さんは?」


「知ってるでしょう? 水行の使い手で初見なら、同行家八家第七位敵はいない・・・・・わ」


「その看板に偽りなし、と証明してくださいな。

 では、私が壁になりますので、そのみ・・・さんが仕留めてください」


 挑発気味な楓の言葉にも、動揺の素振りも見せずにそのみ・・・うべないを返す。

 ぽんぽんと、人名の中から手頃そうな相手を選び出しながら、期せずして二人の台詞が重なった。


「「それじゃ、闇討ちの場所を決めましょうか」」


 ♢


――三日後、夜半。


 雨月の陪臣である鹿納かのう峰助ほうすけは、やや過ごした深酒で上機嫌になりながら、雨月で催された宴会からの帰路についていた。


 夏虫の鳴く中、左右に田圃が広がるだけの暮明くらがり畦道あぜみちを、提灯の灯りが頼りなく足元を照らしている。


鹿納かのうさま、珍しく酒を過ごされましたな」


「は、はは。雨月の忠臣として、同期たちに余り見せられんなこれは」


 宴会へ参加した部下とりまきからの、からかい半分のおべんちゃらを苦笑いで返す。

 事実、普段は酒を嗜まない鹿納かのうであったが、今日の宴は特別であった。


 何しろ、数年来の気がかりであった雨月うげつ颯馬そうまの嫡男認定が、人別省にようやく通ったのだから。


「御当主も、これで少しは肩の荷が下りた事だろう。

……あの穢レ擬き、随分としぶとく生き汚くしがみついてくれたからな」


「全くにございますな!」


 あからさまな部下の追従にも、心地良く鹿納かのうは首肯する。

 鹿納かのうに限らず、胸を撫で下ろした陪臣は相当にいたはずである。


 3年前の晶の追放だが、雨月の中でも慎重な姿勢を見せるものはごく少数であるがそれなりにいた。


 特に難色を示した筆頭は、不破直利であった。

 雨月の縁者と縁組をしたとはいえ雨月を名乗る事は認められない入り婿だが、それでも八家の直系であり、雨月天山であってもそれなりに気を遣う相手である事は違いはない。


 それ以外にも、陪臣の中には義王院への配慮から、明確な姿勢を決めかねているものもちらほらと居たため、雨月天山も強硬姿勢を取りかねていた時期があったのだ。


 そういった曖昧な状況で、一足早く晶の排除に動いたのが鹿納かのうを始めとした席次の低い陪臣たちであった。


 彼らは、剣術の指南時において、積極的な私刑リンチに及び、悪評の流布に余念無い連携を見せたのだ。


 鹿納らの危惧は、別段に雨月への配慮からではない。

 もし、晶がこのまま成人した場合、当主になれない晶は陪臣へと降りる事になる。

 その場合、雨月の面目を保つ意味もあるため、晶の席次は一位に据えられる。つまり、雨月陪臣の席次は上から一つずつ下がってしまう可能性があるからだ。


 雨月陪臣として用意されている席次の枠は十二位まで。晶が降りた場合、陪臣の間で椅子取り合戦が引き起こされる事になるのだ。


 精霊を宿さない穢レ擬き、それも実力を伴わぬ凡人以下。

 そんなもの・・・・・の下で、他者を蹴落とすための権力闘争を繰り広げなくてはならない将来を、陪臣下位の者たちが嫌ったための暴挙であった。


 晶が生き延びている限り、この危険は常に陪臣たちに降りかかるのだ。

 晶の死と云う報は、雨月天山と同様に陪臣たちにとっても吉報であった。


「ふ。酒匂さこうどのも、此度の報に随分と気分が良さそうであったの。

 儂も、あれ・・の排除に一足早く参じた甲斐があったというもの。おかげで、御当主よりお褒めの言葉を戴いたわ」


「機を見るに敏とは、正に鹿納かのうさまの事にございますな」


「ははは」


 部下たちの阿諛追従あゆついしょうも、酒の巡った今は心地よい。


 そう。鹿納かのうは浮かれていた。

 鹿納かのうの席次は十位。雨月陪臣としての歴史が古い割りに下位に甘んじているのが、鹿納かのうには不満であったからだ。


 それ故に、鹿納かのうは晶排除にいち早く参じた陰功を手に、席次を上げることを密かに狙っていた。


――まだよ、まだこれからよ! 儂の時代はまだ終わっておらん!!


 酒の勢いも手伝って意気軒昂と野心を燃やしながら、提灯で照らされた足元を一歩踏み出し、


――暗い視界の先に、灯りも持たずに立つものがいることに気付いて足を止めた。


「む」「何者だ?」


 部下たちも困惑で足を止めた。


 灯りを持っていない暮明くらがりの向こうに佇んでいるため、風貌も捉えることができない。

 唯一、相手が背丈ほどもある薙刀を手にしている事だけが、鹿納たちが捉えられた相手の特徴であった。


 如何にも・・・・胡乱気うろんげな相手の出で立ちに、鹿納たちも剣呑な空気を纏う。


「鹿納さま」


「うむ。

――答えよ、何者だ! 儂が誰か知っての狼藉か!」


 夜気を裂かんばかりの鋭い舌鋒は、それでも相手の動揺を誘うに至らない。

 そればかりか、ふ、ふ、と僅かに肩を揺らして、嘲笑する気配が返ってきた。


「女、だと?」

 笑い声から、相手が年若い女性だと判り、思わず部下の警戒が緩む。

 しかし、その次に返ってきた言葉に、全員が固まった。


「えぇ、えぇ。無論のこと、知っての行いにて。

 雨月陪臣、十位・・の鹿納どの。

――一手、ご指南いただきたく」


「っっ! 無礼なっ!」「貴様ァ!」


 女の台詞に糊塗されたあからさまな嘲弄の響きに、部下たちが一気に気色ばむ。


 止める間も無く腰の精霊器を抜き放ち、一触即発の緊迫した空気が場を支配した。


「……女性の辻者か。今のご時世に、こんな阿呆な真似に及ぶ輩がおるとはな」


「はい。

 よほど、自分に自信があるとみえますな」


 血気盛んな若者は、女の煽りに簡単に乗ってしまったが、流石に鹿納と古参の二人は冷静に状況を確認する。


 相手の素性は知れないが、こんな暴挙に出る以上、実力はそれなりに自信があるのだろう。


 左右は田圃に挟まれた、やや広い一本道。

 水の張られた田圃に踏み込めば、間違いなく泥に足を取られてしまう。

 ひらけているだけで、逃げ場の無い隘路あいろに誘い込まれたのと同じ状況だ。


 ちらり。後方を確認する。


――予想通り、いつの間にか退路を塞ぐ形で別の女が立っていた。


 すでに太刀を構えて、臨戦態勢を取っている。

 のみならず、太刀から煌々と精霊力が立ち昇っているのが見て取れた。


 場所の選定も、襲撃の時機取りタイミングも上手い。

 僅かに甘いが、油断を装う仕草と裏腹の隙の無さから、相手の技量を無言のうちに伝えてきた。


 不味いな。

 鹿納は内心で歯噛みをした。

 部下たちの技量は判断がついている。相手は仕草から想像するだけだが、部下たちと同等か上辺り。


 勝利をするだけならともかく、確実に、は断言ができない。

 だとすれば、どうするべきか? 酔った思考に喝を入れて、素早く戦力を振り分けた。


吉長よしなが小牧こまき秦野はたの。協力して薙刀の方を抑え込め。

 やなぎは後ろの太刀をやれ」


「「「はっ!!」」」


「儂は精霊力を賦活させて酔いを醒ました後に、太刀の方を叩き潰す。

……少なくとも、貴様らと同等の遣い手だ。後れを取ってやるな!」


「「「承知!!」」」


 全員の声が、意気軒高と重なった。

 場に渦巻く戦意。


――その、あまりにも鈍い・・・・・・・反応に、ようやくか、と薙刀を持つ女が肩を竦めた。


 提灯が田圃の脇に投げ捨てられて燃え上がり、一際、明るい輝きを周囲に残す。


 それを皮切りに、鋭い剣戟の音が暮明くらがりに沈む一隅を彩った。

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