1話 残響は遠く、燎原に思いを馳せて2

 極度の疲労でふらつきつつも晶たち練兵班が第8守備隊の屯所に辿り着いたのは、夜四つの鐘を目前に控えた戌の刻の終わり21時前頃であった。


 既に不寝番ねずのばんの隊員たちも警邏けいらに出払っているのか、屯所内は不気味ささえ感じるほどに静まり返っている。

 そんな静けさの中を、少年たちは顔を洗うのもそこそこに小走りに走り抜け、道場に置かれた賄いの握り飯に飛びついた。


 白米で握られた大振りの塊と沢庵たくあんに、抑えきれない歓声が沸き上がる。


 基本的に練兵として求められている職務内容は、朝の鍛錬と夕刻から夜半にかけての夜番、もしくは不寝番ねずのばんにおける正規隊員の同道及び補助の2通りがある。


 これに加え、少年たちは日中、仕事を覚えるための丁稚奉公に出ているものが大半だ。


 月俸制がようやく浸透し始めた昨今であっても、基本的に丁稚奉公の報酬は技術と寝る場所無報酬である。

 当然、食事を摂る機会というのはかなり限られているため、朝と晩の仕事終わりに振る舞われる賄いの握り飯は少年たちの貴重な活力源であった。


「あぁ、くそ、美味うめぇなぁ」


 見る間に減っていく白い握り飯と沢庵に、誰かが堪えきれずにそう呟いた。


「全くだ。これが無けりゃ、守備隊なんてやってらんねぇよ」


 握り飯をむさぼる合間の愚痴ぐちに、他の誰かがいらえを返す。

 その愚痴の応酬に、さらに別の少年が同意するように首肯を見せてゆく。


「……にしてもよ、最近の隊長、少し厳しくないか?」


「しょうがないだろ。隊長は新しい防人殿・・・・・・の教導にかかりっきりなんだし」


「……おい、よせよ」


だよ? お前らだって同じ事思っているだろうが。

 あの百鬼夜行の後、あいつ・・・ばっかり贔屓されてるじゃねぇか。

 何でも、すげぇ、偉い、お方が、後見に、ついてくれた、とか?

 かぁ~、羨ましいよなぁ。俺たちにもなんかしてくれてもいいのによぉ」


「おいっ!!」


「だから、な……」


 諫める友人に振り向くと、道場の入り口に立つ晶が目に入り、流石に気まずさから続く言葉を失う。

 だが、特段に晶は陰口に突っ込むことはせずに、事務室の方へと消えていった。


 どうにも後味の悪い雰囲気が漂う中、練兵班の班長に昇格した勘助が席を立つ。


「……云いたいことは色々とあるだろうが、筋違いもはなはだしいぞ。

 晶は、防人になってまだ一ヶ月も経ってないんだ。それなのに、練兵の元班長ってだけでここまでよくしてくれてるんだ。

 考えて見ろ。この一ヶ月、練兵おれたちに犠牲は出たか? 全部、防人殿が防いでくれてるだろ?

――他の防人だとこうはいかねぇ事だって解ってるだろ。

 性根の腐った嫉妬混じりのしゃべりは止めろ、晶が生きて練兵を一抜けできた事を祝ってやれ」


 反論は無い。それが事実である事を、ここに居る全員が理解していたからだ。

 沈黙する班員たちを尻目に、勘助は道場を出ていった。




「晶」


 食事を諦めて帰路に就いた晶の背中に、勘助の声が投げかけられた。


「飯、持ってきてやった」


「……助かる」


 防人になって待遇が劇的に改善されたものの、日々の生活や考え方がいきなり変えられるものではない。

 晶の飯が守備隊の賄い頼りであるのも、華蓮の片隅の長屋住まいであるのも相変わらずであった。


 短く礼を云って、新聞紙に包まれた握り飯を受け取る。


「すまねぇな。班員をまとめんのに、お前をダシに使った」


「それについては話し合っただろ。気にしてない」


 練兵班の結束は、晶や勘助にとって急務であった。


 何しろ晶が班長になったとたん班長を抜けて、引き継ぎも碌にできていないままに勘助に責任が移ったのだ。

 結果として、練兵班の内部事情は空中分解を起こしそうなほどに浮つき、応急処置時間稼ぎとして二人が取った対策が、晶に悪感情を向けて一時的な結束を図るという悪手に近い行為であった。


 この手の誰かを槍玉に上げる手法は、過剰な排斥行動を誘発する恐れがある。

 そこは理解してはいたが、それでも、敢えて踏み切った理由は、簡単であった。


「あいつらだって防人になった俺に手出しするほどバカじゃないだろ。練兵班のダシにするなら俺が一番うってつけだ」


「……すまん」


「いいって。

――俺は帰るよ。後始末は頼む」


 もう練兵班の班長でもない。晶は、自分の古巣にこれ以上の手出しは控えるべきだと思い、そう告げた。

 後の仕事を勘助に託して、今度こそ晶は帰路へと就いた。




 虫が鳴く暗闇の中、出穂間近の稲穂が揺れる田んぼ脇のあぜ道を、晶はそぞろ歩く。


 暗闇といっても、月の明かりが思ったよりも周囲を照らし出しているためか、歩くのにはそこまで困難さを感じはしない。

 月明りの中に長屋の佇まいが朧に見えてきた辺りで、田んぼの脇を流れる小川に隠すように仕掛けておいた魚籠びくを持ち上げた。


 軽く揺すると、何かがのたぐる感触が返ってくる。

 泥鰌どじょうが数匹、まずまずの釣果に頬が緩む。


 明日は朝の鍛錬の後は非番だし、贅沢に落とし卵で柳川鍋と洒落こもうか。


 幾ら覚悟していたといっても、練兵たちの陰口に何ら感じるものはないとは云ってない。

 知らずささくれた感情が、泥鰌ののたぐる感触に安直に立ち直った。


 泥を吐かせるために、井戸水を張ったたらいに魚籠の中身を全て放り込む。


 ぱちゃぱちゃ。魚籠びくの中からたらいの中へと、泥鰌が3匹と川エビや田螺たにしがいくつか転がり込んだ。


 活きの良さを主張するかのように、泥鰌が水飛沫をねる。

 頬に重吹しぶいたそれをそでの端で、ぐいと乱雑に拭い、賄いの握り飯にかぶり付いた。




……やがて食事を終えて、くちくなった腹を抱えて布団の上に寝転がった。

 今更ながらに襲ってきた疲労が、鉛の重さとなって晶にし掛かってくる。


「…………あぁ、疲れた」


 思わず漏れた弱音が引き金になって、猛烈な眠気が晶の意識を暗闇へといざない、現実と夢の境界線が曖昧になる。


 慌ただしい、そして、濃密な一ヶ月だった。

 胸に去来するのは、瞬きの間に過ぎ去った一ヶ月の記憶。


 思考が闇に落ちる直前、晶は一ヶ月前の出来事を夢の中で思い出していた。




――一ヶ月前、百鬼夜行の翌日。


 喧騒が晶の耳をさいなんだ。


「……う」


 何だか殺し合い一歩手前の怒鳴り合いのようで、ただ事ではないと思考よりも早く警戒心が立ち上がる。

 結構な時間、眠りこけていたようで、すぐさま明瞭になった思考が、体調が完全に復調した事を伝えてきた。


 目に入るのは杉板を乗せただけの天井、晶が寝転がっていたのは鉄管パイプ組みの簡素な寝台ベッドであった。


――知らない天井だ。等と思わず口にしそうになる光景だが、実際にはよく知っている光景だ。

 屯所にある医務室の片隅である。


「――ようやく起きたか」


「阿僧祇隊長……」


 半身を起こして周りを見渡すと、晶とは対面の隅に阿僧祇厳次が座っているのが見えた。

 身体の爽快さや窓から差し込む明るい陽の光とは裏腹に、厳次が見せる表情はどうにも剣呑なものであった。


 その居心地の悪さに、努めて意識を向けないように廊下に響く喧騒に意識を向ける。


「この騒ぎは…………」


「お前には関係無…………、いや、関係はあるが、新倉にいくらが抑えている。

 今は・・気にするな」


――そんなこと云われたら、余計に気になる。

 

 そう云いたくなったが、そう口にできる雰囲気でも無いので空気を読む。

 黙り込んだ晶に頷き、改めて厳次が口を開いた。


「色々と訊きたい事はあるがとりあえず、だ、

――晶よ、お前は一体・・・・・何だ・・?」


「……………………は?」

 厳次の言葉に、呆気にとられる。

 何だも何も、今、厳次が口にしただろう。

「俺は、俺です。

 晶ですが?」


 そうとしか云えない答えを口にする。

 だが、厳次の渋面がさらに渋くなるだけであった。


「茶化してんのか?

――お前は何だ? と訊いたんだが?」


「茶化していません。

 俺が一体、何だというんですか?」


「…………質問を変えてやる。

――お前、昨日の出来事をどこまで憶えている?」


「昨日?」

 そう問われて、晶の思考がようやく現実に結びついた。

 百鬼夜行に練兵として参加したのは、はっきりと記憶に残っている。

 だが、明瞭に記憶に残っているのは、暴れる大鬼オニに槍一本で立ち向かったところまでだ。

 そこから先は、どこか熱病に浮かされたような一線を越えた昂揚のただ中で暴れているような、ぶつ切りの記憶しか残っていなかった。

 それでも、わずかに残った記憶を辿り、繋ぎ合わせる。

「……何だか凄い荒唐無稽な夢を見た気分です。

 何か空を飛んで、何時の間にか剣を持ってて、振り回したら大鬼とか大蛇が消し飛んで」


 正直に口にしたら、とりあえず変人扱いは確定しそうな光景だ。

 現実味が無さ過ぎて、口にするのも恥ずかしいその記憶を何とか舌に乗せる。

 一笑に付されると覚悟したが、対する厳次の渋面は変わらずそのままであった。


「全部、記憶からすっ飛んでるって云うなら、面倒ごとからひっくるめて表に放り出しているとこなんだがな。まぁ、要訣は押さえてるようだから、良しとしてやる。

――お前が口にした荒唐無稽なモンは、全部、現実だ」


「…………は?」


 呆気にとられる晶を置き去りにして、厳次は容赦なく現実を突きつけた。


「昨日のお前の戦果・・は、確認しているだけで大鬼二体に首魁である沓名ヶ原くつながはらの怪異。その全部を、初撃で浄滅させている。

 穢獣ケモノヌシはおそらく10匹程度、それ以外の穢獣ザコは100匹以上だが正確な数は不明のままで計上した。

 どっちにしても誤差・・でしかないからな」


「ご、誤差って」


「当たり前だろう、妖魔二体に首魁の怪異を挙げたんだ。これだけでも個人じゃ考えられんほどの功をお前は挙げたことになるんだ。

 この時点で、八家当主を除いた個人の功として設定されている上限を、単純に三つは越えている。

 穢獣ケモノの群れを平らげた程度は、戦功論考の俎上そじょうにも上らん」


 せいぜい云って、オマケだオマケ。

 そう手を振って話を締める。


「で、だ。……論功を行うに当たって、当然、功を挙げた奴は誰だって話題は出るよな。

 考えてみろ。洲外から流れてきた外様モンの練兵が、いきなり例を見ない大火力で百鬼夜行の大半を焼き尽くしたんだぞ?

 昨日から今の今まで、上層部うえ第8守備隊したも入り乱れての大混乱の真っ最中だ」


 そこまでまくしたてるように言い立ててから、厳次は晶を真正面に見据えた。


「こっからが本題だ。

…………今、お前には間諜の疑いが掛かっている」


「間諜っ!?」

 未だかつて、己の身に降りかかってくるものとは考えもしなかった嫌疑に、晶は悲鳴を上げた。

「何でまた、俺はただの平民ですよ!」


「ただの、だったらこうなっていない。

 繰り返すが、お前は百鬼夜行を単独で平らげたんだ。

 それも、莫迦みたいに高出力の精霊器を使ってな」


「精…………霊、器?」


「お前が今、云ってたろう、剣の形をした精霊器だ。

 使っていたところは見ていたが、気絶したお前の手元にはなかった。

 まぁ、どさくさで川に落ちた可能性が高いからな、今、守備隊総出で川底を浚っている」


「あの剣、精霊器だったんですか?」


「当然だろう、精霊力を宿す武器なんてもんが他にあってたまるか。

 それで、次に問題になったのが、その剣の出処でどころだ」

 ガシガシと頭を搔いて、腕を組みなおす。

 そんな厳次の所作に、相手の余裕のなさが見て取れた。

「最初は倒れた防人の精霊器を使用したのかと思っていたんだが、防人と精霊器の数は合ったんで、直ぐに違うことは分かった。

 そもそも俺の隊に、奇鳳院流くほういんりゅうの奧伝を撃てる等級の精霊器は、俺のもの以外は登録されてねぇからな、どう考えても出所の筋が通らん」


 一言に精霊器と括ってはいるが、精霊器にも大雑把な等級が存在していることは晶も知っていた。

 単純に精霊力を宿せる量で分けているのだが、晶が知る限り、奧伝を放てるほどの精霊器は甲級か乙級と決まっていたはずだ。


 そこまで考えて、厳次の台詞に含まれている見過ごせない異常さに気が付く。


「奧…………伝? まさか、俺が?」


「そうだ。奇鳳院流くほういんりゅうの奧伝、『彼岸鵺ひがんぬえ』。

 お前が放ったんだ。見ていたものも多いからな、言い逃れは聞かんぞ」


「………………………………ぅ」


 何か弁明の言葉を話そうとするが、そんな都合のいい言葉がある訳も無く無意味に口が開閉する。

 やっていない。違う。俺じゃない。

 そう口にすることは簡単だが、やっていない・・・・・・の証明は、やった・・・を証し立てるよりも難しい。


 それに、やっているところ・・・・・・・・を見ていると云われたのだ。

 記憶に無いといったところで、信用される事も無いだろう。


「出所不明の、しかも上位の精霊器だ。

 それを、他洲の平民が使用したと聞いて、第1守備隊の万朶総隊長がお前に間諜の疑いを掛けたんだ」


「あの、話が繋がってないです」


「……精霊器は非常に厳正に管理されている。華族の血統を証明するために使われるほどだから、その厳しさはおそらくお前が思っている以上だ。

 つまり、お前平民が精霊器を使った時点で、犯罪行為と見做されるんだよ。

 加えて、他洲から侵入してきた奴が上位の精霊器を窃盗して、華族になろうとした事件前例が過去にあったと、記録にあったそうだ」


 今、表で起きている騒ぎは、晶を捕縛するためにやってきた万朶総隊長と憲兵隊が、新倉副長ともみ合っているからだ。

 厳次は、吐き捨てるようにため息混じりにそう云った。


「でも、だからって間諜疑いなんて、」


「あぁ、俺もお前が間諜だなんて思っちゃいない。

 お前が守備隊に入隊して3年だ。幾ら何でも手間をかけ過ぎだし、そもそも、間諜なら百鬼夜行のどさくさで逃げていなけりゃ、話の平仄が合わん」

 そこまで云ってから、だが、と厳次は大きく嘆息した。

「今のお前の立場は非常に悪い。なんたって百鬼夜行をほぼ独力で喰いきったからな。

 本来なら、八家の当主の功となるはずだったんだが、お前が横やりで掻っ攫った形になった。

 おかげで、万朶総隊長殿も立場を完全に無くしてしまった」


――それに、俺に失態をなすり付けて自身の保身を図ろうとした、万朶殿の目論見も完全に崩してしまった形になったからな。


 万朶の焦る理由を、厳次は正確に把握していた。

 おそらく、晶に間諜の嫌疑をかけた理由は、共謀か間諜を見抜けなかった罪で厳次を罷免する、万朶の苦し紛れの一手なのだろう。

 つまり、晶を守る事は、厳次の体面を守る事に直結しているのだ。


――だが、こいつは何かを隠している。


 確証はない。だが、厳次の勘がそう囁くのだ。

 晶を守るためには、晶の持っている秘密を訊き出す必要がある。


 そう考えて、あえて威圧的に晶を睨んだ。


「表の騒ぎは、万朶総隊長殿が官憲を引き連れてお前を捕縛しに来たんでな、新倉に頼んで押し留めて貰ってるからだ。

 万朶総隊長殿は、今回の事態の落としどころをつけるための生贄エサとしてお前を確保したがっているんだ。引き渡されたら、お前程度じゃ好き勝手に適当な冤罪をつけられて投獄されかねん。

 お前を庇ってやるためには、そうなる前に俺が今回の件の落とし前をつけておく必要があるんだ」

 判ったな。そう念を押すように云い募る。

「とりあえず、あの剣をどこで入手したのか、何でもいいから心当たりを教えろ。

 生き延びた連中の話じゃ、戦闘に入った時点ではお前は何も持っていなかったらしいから、その後で手に入れた筈だが」


 晶たちの時代、人権という概念はようやく芽吹いた段階の幼稚なものに過ぎない。

 犯罪やった犯罪の嫌疑かもしれないの扱いはほぼ等しく、容疑者の権利は存在しないも同義であった。


 疑わしきは排除するというのが犯罪に対する世の対処法である以上、官憲に捕まる以前に疑いを晴らすのが最善の策であるのは、晶にも痛いほど理解できた。


 厳次の言葉に必死になって記憶を探った。


「え、えぇっと……、い、何時の間にか持ってたんですけど…………、

 そう、そうだ。を…………」


「――――答える必要には及びません」


 を呼んだら、何時の間にか持っていた。

 そう答えようとした時、医務室の引き戸が軽やかに引かれて、涼やかな鈴の音を思わせる声が、晶の言葉を遮った。


 ♢


TIPS:精霊器の等級について

上から甲乙丙丁の4つに分かれている。

作中で言及している通り、精霊力を宿せる量によって大まかに分別される。

端的に、精霊技が極伝、奥伝、中伝、初伝に分かれているため、それに準拠している。

因みに、実戦に耐えうると想定されているのが丙種から、丁種は精霊技の練習用として扱われる。

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