1話 残響は遠く、燎原に思いを馳せて1
――統紀3999年、
「はっ、はっ、はっ」
晶はそれを根性で抑え付けて、さらに一歩と速度を上げた。
妙覚山の麓には、山から下りてきた
晶の所属する第8守備隊の主な活動内容は、この原野に迷い込んできた穢獣の討滅である。
今もまた、晶は狗の穢獣を追って疾走っている最中であった。
―――
瘴気の異臭を放ちながら狗が数匹、晶と並走するように疾走る。
――やっぱり速度じゃ劣る、か……!!
内心、歯噛みをしながらも狗と自身の差を素直に認めるが、現状の打破には至らない。
分かっていた事だ。
例えるなら、産まれたばかりの赤ん坊がようやく掴み立ちをし始めたのと、練度の尺度は然程、変わりはしない。
構築力も収束率も、
ぎり。歯を食い縛って、心の中で啼き叫ぶ
「――――
「
疾走る先、右手の方に伏せていた勘助率いる楯班が、晶の合図で一斉に立ち上がる。
間を置かずに、楯班の後ろに立つ勢子班の班員たちが、手に持つ
「鳴らせぇぇぇっ!!」
――かあぁぁぁんんん……。
勘助の号声で、一糸乱れぬ動きで獣除けの半鐘が打ち鳴らされる。
半鐘に籠められた獣除けの
1度、2度。幾重にも畳みかけられる呪の波に、狗の速度がわずかに鈍る。
刹那に生まれた狗の隙。それを見逃さず、晶は手にした刀を
臙脂よりもなお昏い色を宿した刀身が、その異質さとは裏腹の華やかな朱金の輝きを宿し、唸りを上げる。
勢いを止めずに、晶は刀を水平に斬り抜いた。
放たれるのは、
「――
その渦を斬り飛ばすように放たれた『
――後、2匹。
背後を斬り抜く無理矢理な姿勢を取った事で体勢が崩れるが、構う事なく更に踏み込むようにして半回転。
精霊力を失った刀身に、精霊力を
晶を慕うように、再度、身体の周囲で炎が渦を巻いた。
生き残った狗2匹目掛けて、朱金の輝きを宿した刀身が放たれる。
完全に崩れた姿勢にも拘らず、炎の軌跡が綺麗な縦の半月を描いた。
それは、晶がようやく覚えた6つ目の精霊技。
「――
上から下へ。
時雨と云うよりも、最早、滝とでもいうべき勢いで、炎の渦が残った狗を呑み込んだ。
朱金の業火は悲鳴はおろか肉も骨も穢獣が存在した
「――――……っぃでっっ!!」
それまで無茶を重ねた動きのつけは、当然のこと、無かったことにはできない。
完全に崩れた姿勢のまま、晶は顔面から地面へと突っ込んだ。
「晶ァッッ!! も
「すいませんでしたぁっ!!」
衝撃と激痛に悶える晶に、その上から有り難くも
鼻血と土でどろどろになった晶は、ここ一月で習慣になってしまった謝罪文句で、声の主である阿僧祇厳次に謝った。
「何度も云ってんだろうがっ。
炎をブンブン回して、仲間ごと灼こうとすんな!」
「はいっっ!!」
「猿じゃねぇんだ! 覚えただけの
戦闘は終了だが、罰として屯所まで駆け足っ。
「――判りましたぁっっ!!」
流石に山狩りほどでは無いとはいえ、疲労しきった身体を鞭打つその指示に、引き攣った表情の勘助からやけくその返事が返ってくる。
その横で、よろよろと晶は立ち上って、手にした
晶の付き合いで駆け足が決定してしまった班員たちが、晶の様子を恨めし気に視線だけで追う。
それでも恨みから揉めることなく誰が声を出すでもなく、よたついた足取りで少年たちは走りだした。
――百鬼夜行より一ヶ月を数えようとする頃、
この一層、厳しくなった日常が、晶と練兵たちの日常となりつつあった。
「…………
這う這うの
「咲お嬢、そちらは大丈夫ですかい?」
明り取りも無い暗がりから、当初の予定を完全に外れて第8守備隊に居着く形になってしまった
厳次が晶の精霊技を教導する役目に白羽の矢が立ったため、咲が周辺の
「うん。狗を8匹ほど仕留めたよ。
精霊技も
「成果は上々ですな、討滅跡の清めは昼連中にやらせるとしましょう」
あまり理解はされない事であるが、生来の獣は当然のこと、瘴気に染まった
何故ならば、霊力やそれが流れる龍脈がある以上、瘴気はどこにだって発生し得るし、山脈の上から降りてくる
山狩りを成功させて
大体において守備隊の日常は、人を寄せ付けない山野から迷い出てきた小さな
「うん、分かった。
――晶くんは?」
「今頃、屯所に向かって駆け足の最中でしょうな。
練兵としちゃあ身体の
予想はしていたものの、厳次の評価はかなりの辛口であった。
咲の眉間に皺が寄り、即断を旨とする彼女に珍しく思考に沈む。
練兵と防人の身体能力差を評価している基準は単純で、
生来の身体能力を跳ね上げる『
端的にどれだけ鍛錬が足りてないのかというと、見た目には
「……やっぱり、時間が足りませんか」
「鍛錬の時間が生む差です、こればっかりは
だが、逆を云うならば、時間が解決する問題でもある。
その現実を理解している為、そんな問題に直面しても二人の会話に渋りはあっても焦りは無かった。
「それで、
重ねて問われた同じ問い掛けに、厳次は思わず咲の方を横目で見る。
その視線は何とも云い難いもので、まるで昔からよく知る少女が別の存在になったような、そんな視線であった。
だが、問い掛けの内容は充分に理解していたため、それについて言及することなく屯所に向かって歩き始めた。
「……まぁ、空恐ろしい才能ですな。
剣術に関しては、基礎は教えてましたんで予想通りでしたが、精霊技の修得速度が
『
一ヶ月も立たんうちに、
異才、鬼才とは、あのようなものの事を指すのだろうな、と、先ほどの怒鳴り声とは裏腹の薄気味悪さを滲ませた声音で、厳次は晶の事をそう評価した。
異才の発揮どころは、修得速度にのみ留まらないからだ。
「今のところ教えた精霊技は、
……こう云っちゃ何だが、まるで、
ぼやくような厳次の評価に、思わず咲の表情が強張った。
無意識なのだろうが、厳次の感想は真実のかなり近いところを言い当てていたからだ。
だが幸いにして、先を行く厳次に咲の内心が悟られることは無かった。
「……晶くんは、回気符を作れたんですよね。
呪符の基礎が分かっているなら、呪歌無しでも精霊技の構築に馴れていたのかも」
厳次の思考をその事実から逸らそうと、わざと的外れな意見を口にする。
それでも一定の説得力があるためか、唸りながらも厳次は直ぐには否定をしなかった。
呪歌とは、精霊技の補助として
それ自体には呪術としての意味は無いが、詩歌の随所に精霊技の構築補助の術式が配置されているため、精霊技と
反面、威力が画一的になりがちになるため、主に、精霊技を覚えたての新人が使うものでもある。
もっとも単純な構成の『
だが、それを除いても、初伝を2つと構成難度が跳ね上がる
「かもしれんが、奴の『
収束の粗い一撃のくせに、狗を2匹まとめて斬り飛ばしやがった。
精霊力の質も量も、下手すると八家以上かもしれん」
「……優秀に越したことはないわ」
「ここまで優秀だと、通り越して胡散臭いでしょう。
はっきり云って、
守備隊総隊長の万朶は、百鬼夜行の際の布陣について恣意を挟んだ責任を問われ、非常に難しい立場に立たされている最中である。
責任逃れの生贄として白羽の矢がたったのが、夜行の主である
間諜疑いで憲兵を引き連れて晶を捕縛しようとした万朶を退けたのが、
洲の最上位に立つ少女の雷声で一旦は騒動も収まったが、さらに立場を悪くして退くに退けない結果となった万朶は、晶の処分を求めて
「大丈夫ですよ。
間諜疑いは、もう晴れたんでしょ?」
「無理やり、だがな」
建前上はそうだが、納得はしていない。厳次は言外にそう告げた。
その心情を表すかのように、厳次の歩みが僅かに早くなる。
尻切れ
そう。厳次の疑義に応えている咲自身も、状況を完全に把握しきれている訳では無かったからだ。
晶の教導役を任じられた都合上、
はあ。
生温い嘆息を吐いて、歩みを止めない厳次の後ろを追うようにそぞろ歩く。
――仕方がない、か。
諦め混じりに、そう内心で零す。
むしろ、表面上は問題なく過ごしているように見せかけられている事こそ、称賛されてしかるべきかもしれない。
そもそも、百鬼夜行の収束からして問題だらけの終わりだったのだ。
咲は、一ヶ月前の百鬼夜行の瞬間を、ふ、と脳裏に思い浮かべた。
あれから、
――そして、
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