牛の襲撃モー大変!
「明日は早いですからもう寝ましょうか。ランタンの油ももったいないですし」
フィアーナは椅子から立ちあがった。
使ったコップなどをその辺に適当に置く。
「ハルカくんは……」
「僕はここでいいよ。というか、もう一歩も動けない……」
「では毛布を持ってきますので」
そう言って隣の部屋へ歩き出す。
「………………………………」
ドアの前で、足を止めた。
机にぐったり突っ伏す春賀に背を向けたまま、
「………ハルカくんは、何も聞かないんですね」
零れ落ちた言葉が、薄暗い床に吸い込まれていった。
その時だった。
家の外から。遠くから鳴る甲高い鐘の音が、ここまで飛んで来たのは。
「なになにっ!?」
さすがの春賀も飛び起きる。
外から響く激しく打ち鳴らされた鐘の音の連続。
今日この世界に召喚されたばかりの彼にも、その意味ははっきりと伝わったらしい。
あの音は、間違いなく警報。
「外です!」
「わわ! 待ってよぅ!」
フィアーナは春賀の手を引いて家の外へと飛び出した。
明るみから急転した彼女の視界に、夜の闇がいっぱいに広がった。
外灯なんてない。
唯一の光源である月も雲に隠れてしまっていた。
一面の黒。
その闇の中に、何かがいた。
次第に目が慣れていき、見上げた空間に獰猛な目玉が浮かんでいた。
稲がこすれる音に混じって荒い呼吸が聞こえてくる。
風が流れ、差し込んだ月明りに右目に縦傷のついた、牛頭のモンスターの顔が曝け出された。
「ミノタウロス……まさか………っ」
フィアーナは息を呑んだ。
自分を見下ろす牛頭の怪物。
その巨体から漂わせる雰囲気に、昼間のような何気ない日常の断片はなかった。
明らかに逸脱している。
凶暴。残忍。危険。
そんな単語が彼女の脳内を駆け巡った。
「フィアーナ!」
向こうから松明を手にした老人たちが駆けつけてきた。
「こいつ突然やってきてワシの家をぶっ壊しちまいやがったんだ!」
「うちの家畜小屋もだ!」
「やいやい牛野郎、こんなことしちまいやがって、どういうつもりでぃ!」
一人がミノタウロスに詰め寄った。
それ以外はすでに臨戦態勢。鍬や鋤ではない、弓や槍という本物の武器を手に即時対応可能な距離を取っている。
すぐに攻撃しないのはモンスターとの共存関係への配慮だ。警告だけで引き下がるのならそれでよしと、穏便に事を収めるつもりだった。
ここまでするのは、人間側にも一握りの愚か者がどうしても存在するからだ。
そして、そんな愚か者の生殺与奪はすべて被害を被った側に委ねられ、加害側はそのことに一切関与しないことで、双方に不必要な遺恨が残らないようにしている。
だから、老人たちは武器を構える一方で全員が願っていた。
そんな誰も望まぬ正当防衛が成立しないことを。
だが、そんな淡い願いは大気を震わせる咆哮と共に裏切られた。
ミノタウロスの剛腕が説教せんと近寄った男に勢いよく振り下ろされる。
「うおっ!」
空振りに終わった拳が地面に亀裂を入れた。咄嗟に後ろに倒れたことが功を奏したが、もし当たっていればただでは済まない。
「こいつワシを……おい! 他には!? こいつだけなのか!?」
「群れが村の外にいるみてぇだが襲ってくる気配はねぇ! こいつの単独暴走だ!」
「ほんだったら……」
男がすぐさま距離を取り、自らも弓を引く。
「そんなら報復の心配はねぇ! けじめの範疇だが!」
「射殺せ!」
限界まで張られた弓が放たれ、ミノタウロスに矢の雨が殺到した。
彼らは老人だ。カラフルな髪には白髪が混じり、顔には年季がしわとなって刻まれ、地球世界ならとっくに還暦を迎えていてもおかしくない。
しかし、地球人がもたらした技術により食糧難を克服し、風呂に入るレベルで清潔を保たれた健康な肉体は、日々の農作業を現役でこなすエネルギーを衰え知らずに備えている。
そんなマッチョたちが本気で殺しにかかったら、たかだか一匹の見慣れた怪物など、ただの獣を狩るに等しい作業だ。
その、はずだ………
「そげな……ばかなっ!?」
老人たち驚愕した。
それは突き刺さるはずだった矢が、分厚い筋肉によって弾かれたからだ。
たった一匹だからと侮っていたわけではない。
モンスターと人間の肉体的スペックの差など、共存関係にある時点で十分に熟知している。そして自分たちは、それらを考慮した上での自衛を日々の労働と訓練で培ってきた。
だからこそ、わからせられる。
絶対に勝てない、と。
「こうなったら私が……っ」
絶望が一帯を飲み込もうとする中、フィアーナはゴーグルをはめた。
箒に跨り、己の内の魔力を呼び起こす。
「フィアーナ!」
箒に魔力を流し込もうした矢先、一喝が飛んだ。
「そんガキ連れて今すぐ逃げろ! おめぇの魔法じゃ無理だ!」
「!」
老人の言葉に、フィアーナはゴーグルの向こうでハッと目を見開いた。
その瞬間、彼女の体から魔力の光が弱々しくしぼんでいく。虚しく握られた箒に、何かを押し殺すような力が込められた。
「く……っ」
フィアーナは春賀の手を掴み、踵を返して走り出した。
背中越しに男たちの号令と弦が空気を弾く音が聞こえた。
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おきな
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