第45話



 去年までの年末年始と言えば。

 だいたいは久遠と大晦日の夜に近くの神社へ初詣に行き、その足で実家に帰り、おせちを食べるというのが常だったのだが。


 それは栗花落との再会と、久遠の大きな恋愛の発展により消え去ることでなくなったのかに思えたのだが……生憎と、そう簡単にことが進むわけはなく。


 なんて、波乱万丈な年初めが俺たちを待っているとは知らず……。




◇◇◇◇


 北海道神宮に並ぶ屋台での腹ごしらえも済み、俺たちは家に帰ることになった。


 帰る、とはいっても二人で俺の家に帰るという意味であり、お互いに気にしすぎてぎこちない雰囲気になってしまっていた。

 しかし、帰りのタクシーでの運転手との会話に花が咲き、俺たちの間に生まれていた若干の気まずさはすっかりとなくなっていた。


「お邪魔します」

「お邪魔されまーす」


 鍵穴に鍵を差すと、隣にいた彼女は慣れた手つきでドアノブを捻り中へ入った。


「すっかり、板についたよな。栗花落も」

「まぁ、伊達に家政婦してたわけではないですからね」


 へへんとサムズアップする彼女。

 実際、栗花落を家政婦として家に招き入れてから約二か月ほど。

 ほぼ一週間に一回ペースで来る予定が最近は週に数回訪れていたためか、さすがに覚えてしまったらしい。


 にしても、着物のままガッツポーズをとる栗花落は可愛い。


「そんな自信満々に言われてもな」

「だって、見離せませんもん。私がいなかったら、今頃ゴミ屋敷なんじゃないんですか?」

「それは言いすぎだって、さすがにないないっ」

「そう……ですかね?」


 はて、とあごに指をあてて首を傾げる栗花落。

 まぁ、見栄を張って首を横に振ったはいいものの、実際ここまで綺麗にまとめられているのは言わずもがな首を傾げている彼女のおかげでもあった。


「ま、まぁ、多少はあるけどな」

「っですよね。ほら、洗濯物」


 何もしていないなんて口が裂けても言えるわけでもない俺は中途半端に頷いた。

 すると、手を洗うついでにすかさず彼女は指を差した。


「あ、あぁ……」


 指さした先は洗濯機の中。

 それも、栗花落のために最近買い換えたドラム式のやつ。

 

「干してないんですけど、やっぱり私がやらないと……ってあれ」

「っふはははは……実はな、乾燥済みなんだよ」


 干していないわけではない。

 俺があくまでもしていないのは取り出していないだけだった。


 訝しげな表情のまま手を入れて、俺の上着を引っ張り出すと栗花落は少し驚いたような表情に変わり呟いた。


「って、そういえばいつの間にかドラム式に変わってるじゃないですか」

「そ、そうだぞ~~。これでも栗花落なしでもなんとかできるように買ったんだ」

「これでも栗花落なしとか言ってるじゃないですか」

「あ」


 胸張った俺の片棒を担いでくれるわけもなく、栗花落はジト目でツッコミを入れる。


「でも、そうですね。これで多少楽にできますねっ」

「まぁな。それにまだあるぞ?」

「まだ、ですか?」

「あぁ。掃除機も新調したし、食洗機も買ったな」

「えっ……そこまではしなくても」

「いいんだよ、いつも手伝ってもらってるし。何よりも家事の時間があるならその分栗花落と話がしたいからな」


 正直、家政婦の時は仕事だから手伝うのは少し違うのかなとも思っていたけど。これからはあくまでも栗花落が手伝いに来てくれるだけなのだ。

 俺が何もしないというわけにもいかないし、何よりも俺からしたら関係を進展させるチャンスでもある。


 何もかも栗花落に任せていては仲良くできる時間もなくなってしまうしな。


「っ……」


 しかし、本音を伝えてみると彼女は目も合わせず、頬をぼーっと赤らめてその場に固まった。


 手を拳にして握りしめ、プルプルと震え、視線を明後日の方向へ逸らす。


「おい、大丈夫か?」

「……な、なんでもないですっ。別に。ほらっ、先輩!」

「うぉっ、ちょっと引っ張るなって!」

「いいからっ! せっかくお酒かったんですから今日は飲み明かしますよ、私は酒豪ですから!!」

「え、えぇ~~」


 半ば強引に引っ張られ。

 そして、俺の家なのにもかかわらず強引に座らされたのち、隠れ酒豪栗花落ことりが開く――新年の酒初め飲み会が開催されたのであった。



 本来であれば、三が日の朝から飲み明かそうというつもりで奮発して買った――やや高めの麦焼酎で。




◇◇◇◇


 何とか着物だけは脱いでもらい、普通の部屋着に着替えてもらったのだが……。


「うへへぇ……そうなんすよぉ~~しぇんぱいがぁ、あのときはもうすぅごくかっこよくてぇ~~」

「お、おう。それは嬉しいんだけどさぁ栗花落」

「うへぇ? どうしらんれすかぁ~~しぇんぱい?」

「飲みすぎじゃないか……さすがにさ」


 時刻はすでに深夜二時。

 丑三つ時を回ったところで、飲み会の話は一段落ついた。

 栗花落から語り始めた過去の話。

 お互いに小学中学、そして高校の時の思い出話に花が咲き、ついには体育祭でのプレーだったり、文化祭での話だったりとなつかしさ溢れるものになっていた。


 しかし、そんな言い出しっぺの栗花落はもう見ての通り。

 呂律が回らないほどにべろんべろんに酔っぱらっていた。


 酒豪の名はいざどこに。

 もはやその面影すらなく、ソファーに腰かけていた背中もいつの間にか俺のひざ元にチェンジしてしまっている。


「っおい、ほんとになぁ」

「しぇんぱぁい、あれ、しぇんぱいがため息ついてましゅ~~」


 ため息も何も、一応冷静を装ってはいるが内心は焦りまくりだった。

 本来の予定ではいい雰囲気までもっていって告白し、そのまま三が日を二人で過ごしていくのもありだなとも思っていたのだがこれではそれも不可能。


 今でも襲いたいくらいに酔っぱらった彼女は魅力的で、理性で抑えつけなければやばいことになっているほど。


 それに、なんとなくというか。

 栗花落からの構ってと寄ってこられている気もする。

 さっきから俺の方へ両手を広げてきて、抱き着きたいと合図でもしているのかのようだった。


 とはいえ、俺も酔っぱらっている女性を襲うほど肝も座っていないし、栗花落との馴れ初めは素面がいい。


 慎重すぎるのはよくはないけど、気分的にも状況的にも今は絶対に違う。


「ろぉしたんれすかぁ?」

「……なんでもないよ」


 言わずもがな頬は赤く、口元はにへらと緩んでいる。

 ろぉしたんれすかぁ――って、一度言わせてもらいたい。


 エロ漫画でしか聞いたことがない台詞だ。

 三澄さんからは栗花落がここまでべろべろになるとは知らなかったぞ。

 

 何より、この前の飲み会ではこんな姿一ミリも見せなかったし。

 いや、考えてみればあの日の栗花落はあんまり飲んでいなかったかもしれないけど。


「なんれもないのに、ため息はつからいれすよぉ?」

「何でもないものは何でもないんだよ……ってもぅ、涎が」


 涎が――エロい。

 じゃなくて、涎が垂れてるし。


 でろりと垂れたそれが俺のズボンの黒い染みへと変わっていく。

 その一部始終を喉を鳴らしながら見つめ、胸がきゅっと引き締まる。


「あ、よだれぇ」

「っお、おい」

「しぇんぱいがよだれみてる~~へんたいらぁ!」

「……ち、違うって。しっかりしてくれよ」


 いつもの栗花落であればあり得ないあられもない姿。

 これがさっきまで着ていた着物であれば胸元がはだけて危ういところだ。


「うへへっ。ごめんらさぁ~~い。あ、しぇんぱい、ジャーキー取ってくらしゃい!」

「っはいはい。ていうか、吐くなよ」

「はきましぇんよ、こんなおいしい食べ物!」

「そういう話じゃなくてだなぁ、まったく」


 俺の心配も不安も意に介さず。

 なんでもないかのようにジャーキーを頬張り、嬉しそうな笑みを浮かべる。


 まったくもって、いつも以上に可愛いのが反則だ。


「……おいしぃ」

「それは良かったよ」


 まぁ、この状況は状況でいいとして。


 色々と狂ってしまったがゆえに明日から、朝からはどうすればいいのか。

 案外、栗花落のことだし、この前の熱が出た日みたいにひょこんと起きて何事もなかったかのようにお雑煮を作ってそうだけど。


 餅は買ったし、一応具材になりそうなものは一通り揃ってはいる。

 普段はそのままの足で実家に帰って、朝には御節料理とお雑煮を食べていたからこれはこれで新鮮だ。


 妹に鶏肉と鳴門を盗まれないようにする必要はないというのもいい。


「……しぇんぱぁい。ねむぃれすぅ……ぎゅぅしてくらぃ……」


 なんて考えを凝らしている俺をよそに、膝に頭を置いた彼女はもうジャーキーの袋をそばに置き、欠伸をしながら漏らしていた。


「ぎゅーはだめだよ。ほら、ベットに——」

「……すぅ……ぅ」

「って、寝ちゃったよ」


 そして、どうやら強烈な眠気が来たらしく栗花落はすっかり目を閉じてしまっていた。


 足が少し痛い。

 寝るのはいいことだとして、一つ懸念が残ってしまった。


 俺はこの状況でどうすればいいのかと。






 

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