第15話


◇◇◇



”どう、楽しめた? うちの粋な計らいは伝わったかな?”


 ちょうど私が家に着いた頃。

 相合傘をする羽目になった原因の純玲から、合図のようなラインが送られてきた。


「純怜……」


 送られてきたタイミング、そしてその文面。

 それを見て、同時に私はその真意を理解してしまった。


 まるで、予定調和の様に。

 というか、私と先輩が一緒に帰ってくることを見計らっているように。

 彼女のニヤニヤ笑いが瞼の裏に浮かんできてため息を吐き出す。


「まったく」

 

 何が楽しめた? だ。

 楽しめたも何も正直、どうしようかと思ったくらいだ。

 最初は焦って真っ白になって、結構内心慌てていたんだから。


 まぁ、でも。

 それすらも彼女は楽しんでそうだけど。明日あったら笑って聞いてきそうだし。


 実際、楽しめたかどうかもよくわからない。

 一緒に帰り始めて、それで……。


 いや、やっぱり楽しめたかもしれない。

 久々に相合傘なんて学生じみたことしちゃったわけだし。

 柄にもないのに内心ずっとドキドキしている自分もいた。


 先輩が触れられるほどに、匂いも感じられるほどに近くにいて。

 意外と背が高いことに気づいちゃったりもして。

 先輩の鼻が高いことに改めて感心しちゃったりもして。


 そんな年齢に見合わない忘れてしまった、あの頃に置いてきてしまった緊張感を感じてしまっていた。


 我ながら、本当に変なこと考えてた。

 何が、このままお持ち帰りされる雰囲気なのかなぁ——だ。

 危うく先輩の前で口にしてしまいそうだったし。


 だけど、先輩もヘタレすぎると思う。

 普通に女の子、しかも二十五の女の子、いや女の子と言うには少し歳だけど。

 とにかく大人の女性と夜に一緒に帰ることになったら、大抵の男性はお持ち帰りしようとし出すというのに。


 先輩は微塵もそういう雰囲気を作ろうとしなかった。


「……はぁ」


 でも、その分。

 先輩の優しさだったり、誠実さだったり。

 そういう先輩らしさがひしひしと感じられて、嘘をついている自分がどんどん嫌いになっていきそうで。


 何も分からない、分かっていなかった自分が恥ずかしくて。

 今すぐあの場所から逃げ出したくなってしまって……。


 そんなことを見透かしたかのように送ってくる純玲に対し、私は隠す様に悪態をついた。


”粋の意味知ってるかしら?”


”え、もしかして二人今一緒じゃないの?”


”当たり前でしょ”


”うわぁ~ひく。ていうか中坊じゃないんだから”


”はいはい”


”ちぇ~~、何かあっただろうと思ったのに”


”ないない”


 そう送って、私はスマホを閉じる。

 中坊じゃない、ただそういう状況に見えるかもしれないけど。

 私と先輩は少し別だ。


 再びバイブして新しいメッセージが来ているのが分かったけど、見ないように机の上に置いた。


 実際、私たちは何もしようとはしなかった。

 いや、むしろ先輩は無理やりなんて絶対にしないのだ。

 だって、私が濡れないように自らの肩を濡らすような人なんだから。

 あり得るわけがない。


 それなら私が動くことも。

 あそこで寄っかかって身勝手に私から誘うことができた。

 あのままハグをして、キスをして、肩の力を抜いて過ちを犯すことだってできた。


 でも、少なくとも嘘を本当にして。

 心残りを打ち明けて。

 ——謝らないと、そんなことをできない。


 そんなことをしていいわけがないんだ。


「……寝よう」





 結局、逡巡して。

 時間が遅いからと言い訳をして、目を閉じて、翌朝。

 仕事に行く準備をしている最中に電話がかかってくる。

 どうせ純玲からだろうと高を括っていると、通知は母からであった。


 慌ててボタンを押すと、声が聞こえてきた。


「お母さん?」

『今、仕事準備中かしら? 大丈夫だった?』

「えっあぁ、ううん。もう準備は終わったから時間まで待ってるだけだよ」

『そ、そう?ならよかったぁ~~ごめんね、こんな朝早くから』


 母さんにしては珍しい時間帯で、少し驚いたが私の言葉に安心したのか落ち着いて謝ってくる。

 放任主義的なのに、面倒なことは母に押し付けるし。

 最後もすべて自分の身勝手さですべてを捨てた私の父親。

 今どきの言葉で言うのならば毒親とも表現できるだろうあの人とは違うははのこえは電話越しでも心配しているように声をかけてくる。

 そんな母を心配させまいと私は首を横に振った。


「いや、いいの。それにこんな時間に珍しいし何かあったの?」

『あっそうそう! 再来週にはもうクリスマスじゃない、それでせっかくだし何か欲しいものを買ってあげようかなって思って』


 もうクリスマス?

 一瞬だけ、何を言っているのか理解できなかった。

 ハッとしながら、壁に掛けたカレンダーを見つめると日付は二桁台に突入していてクリスマスまでは残り二週間ほど。


 そっか。

 考えてもみなかったけど、もうそんな時期になってたんだ。


「あ、うん……でもなんで?」

『うん。最近何もあげられてなかったじゃない?』

「何もって、私って別にもう子供じゃないよ?」

『いいじゃないの、私からしてはいつまでたっても子供よ~~それに今までの感謝だってあるしさ』

「感謝って……」

『いいの。私が病気になった時にすぐに助けてくれたのはことりちゃんじゃないの』


 確かに、そうだったけど。

 あの頃は色々と大変だった、というか大変すぎだし。

 でも、別に感謝されるためにやったわけじゃない。


「まぁそうだけど、別に引け目は感じなくていいんだよ?」

『それは私が考えることよ、ね、いいからさ?』


 主観の問題だと言うのはいいとして、この年齢にもなって母親からクリスマスプレゼントをもらうのは少しだけ恥ずかしい。


 なんて言うのが本音だったけど、母さんがこう言って止まったことはなかった。


「で、でもね」

『いいからさ、何か欲しいものないの? ほら、洋服とかさ』

「それはやだよ、母さんが選ぶ洋服って全部ドレスみたいのばっかりじゃん」

『えぇ、プリンセスだから似合うわよ』

「っ」


 本当にいいことしてくれてると思うけど。

 それでも、自分の娘をプリンセスって言うのはやめてほしい。

 まるで溺愛してるお父さんみたいだし。


「じゃ、じゃあ分かったよ。えっとね、それじゃあ……」

『うんうん』

「普通に家電、とかで?」

『家電、例えば?』

「電子レンジ古めだから、ほしいかな?」

『へぇ、いいの、そんなので?』

「そんなのもこうも、普通に欲しいの。駄目なの?」

『分かったわ。それじゃあ楽しみにしておきなさいね!』


 朝っぱらからどうしてここまで元気なのか、というのは置いておいて。

 一人だけノリノリだということは言わないでおこう。


 

「それで、そろそろ私は行くけど。大丈夫そう?」

『ん、あぁそうね! それじゃあね――って、あ』

「ん、どうしたの?」

『いやいや、私のことじゃなくてさ』


 そろそろ家を出る時間だからと電話を切ろうとすると、母さんは何か思いだしたように声で止める。

 何かあったのかなと聞いていると母さんはさっきまでの高いトーンを抑えて真面目な声で聞いてきた。


『最近、本当に大丈夫?』

「えっ……い、いや、うん」

『ほら、仕事のこととかさ……その、さんのこととかも。何かあったら心配よ?』


 その瞬間、胸がキュッと引き締まった。

 ハッとして、ここしかない。

 そう考えられてしまった。


 昨日の夜、寝る前に考えたことが翌日の朝。

 もう起きてしまっていた。


「っ……」

『心配なのよ』


 言わなくちゃ。

 今こそ、言わなくちゃ。

 分かっていた。


『何かあるのならちゃんと私に言いなさいよ? 大丈夫?』

 

 過保護なくらい。

 いつもなら気にしなくていいよって言えるのに。

 でも、今の私は何も言いだせなかった。


「っう、うん」


 理性では分かっていても。

 私の口は嘘をついていた。


『そう、ならよかったわ。じゃあ仕事頑張ってね』

「うん。ありがとう」


 そう言ってスマホを口元を離し、ボタンを押そうと指を動かす。

 その瞬間、慌てて持ち替えて声を掛けようと動き始めた。


「——母さんっ」


 でも、時はすでに遅く。


 つーつー。

 すぐに電話が切れた音が鳴り、そのままその画面を見つめて。

 気付いたときには私は家を出て仕事場についていた。




「ん、ことっち大丈夫、手動いてないよ?」

「あ、あぁうん」

「そう」

「あっ、そんなことよりも純玲昨日!」

「バレちた! 逃げろぉ!」


 そうして今日も追いかけっこ――まではしなくても。

 気づかないように、勘付かないように。

 馬鹿なことをやりながら。

 私は私を、そして母も純玲も……そして何よりも先輩を騙し続けていた。




あとがき

 今回は少し重い話だったかなと思うので次回はまた明るめのお話です!

 うぉ、むずいぞ葛藤が!


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