第九章 少女は迷い込む

 春季しゅんき八日、リュウナ・キラはアステリア魔法学校の門の前でガタガタとふるえていた。


「どうしてこんなことにぃ~、、」


 さかのぼること一週間前。

 リュウナ・キラはどこにでもいる普通の女の子だった。少しだけ臆病おくびょうなところと、フワフワし過ぎるところは普通をえていたが、それでも一般人として生活していた。

 もうすぐ始まる新生活に心をおどらせる日々。

 普通人家庭出身である彼女は、本来ならば普通人の学校に通うことになっていた。

 大変だった一年間の受験勉強を乗り越えて、リュウナは合格を勝ち取ったのだ。うれしくないはずがないだろう。

 その日も鼻歌はなうたを奏でながら、ルンルンでアステリアの路地裏ろじうらを歩いていた。

 魔法使いが大半のティンベルの首都で生活するのは普通人家庭のキラ家にとって決して良いものではないが、それでも他の国や都市よりは差別がない方なのだ。

 さらに言えばリュウナの青髪あおがみが差別を押さえていた。両親は普通人らしい黒髪なのだが、リュウナはそのどちらとも全く違う。

 リュウナが生まれた当時は母親の浮気うわきだと思われて、それはそれは大変だったと、リュウナは母から聞いている。

 空を飛んでいるほうき絨毯じゅうたん、楽し気に使い魔と歩いている姿を見てうらやましいと思わないわけではないが、そんなことは最初からあきらめていた。

 リュウナはいつも通りお気に入りのメロンパンを食べながら歩いていると、ふと分かれ道から変な感じがする。

 顔だけヒョコっとのぞかせると、そこには全身に火をまとっている人のようなものがいた。


「え、なにあれ、、」


 リュウナがそう思うのも無理はないだろう。

 その手にはドロドロに溶けた人だった何かが握られていたのだから。

 驚いて思わず尻餅しりもちをつくと、その火がリュウナの方へ向いた。


「ひっ、、!」


 火は地面をると、リュウナに向かって急速に距離を詰めてきた。

 臆病なリュウナはすべりながらなんとか手をついて立ち上がり、路地裏を全力で駆け始める。

 熱で背後から確実に迫っているのが分かった。

 今にも泣きだしたかったリュウナだったが、どうにか路地裏を抜けて大通りまで出ることが出来る。

 リュウナは魔法のことなど何もしらないが、少なくともこの火が魔法によるものだということは分かった。

 魔法に対して普通人は完全に無力むりょく。ここは大通りにいる多くの魔法使いに対処たいしょを任せた方が良い。

 そう判断して大通りに出たのだが、にぎわっていた魔法使い達はリュウナの後ろを走る火を認めた瞬間、混乱しながらどこかへ逃げて行ってしまう。


「そ、そんな~!」


 心の底から悪態あくたいをつくが、立ち止まることは許されない。今も背後から火が迫ってきているからだ。

 酸素さんそが不足し、どんどんと感覚が失われていく足を必死に動かす。

(私が空を飛べれば、、魔法が使えれば、、)

 ないものねだりしても仕方ないことは分かっているが、背後から迫ってくる死に、気が動転どうてんしてしまう。普通人ならなおさらだろう。

 すると、リュウナの視線の先に大きな広場がある。

 その広場の中央には巨大な噴水ふんすいがあり、人間ほどの大きさの火を消すくらい容易に感じた。

(あれしかない!)

 リュウナは最後の力をしぼって走るが、噴水まであと十メートルほどで足がもつれて地面に転がった。

 皮膚ひふれる嫌な感覚が全身に走る。

(痛っ!?っていうかこの服お気に入りだったんだけど!?)

 そんなことを思いながら、リュウナはもう寸前まで来ている火を見た。

 魔法を使えない普通人は、超常ちょうじょうを前に何も成すことが出来ない。例えそれが死そのものであったとしても。

 その瞬間、リュウナの体に不思議な感覚が流れる。

 気が付くとリュウナは、右手を噴水に伸ばしていた。

 届くはずのない距離だったが、なぜかこの時は『届く』という事実だけがリュウナの中でうなっていた。

 そして、噴水を流れていた大量の水が一塊ひとかたまりとなって、ちゅうへ浮かび始めた。

 リュウナは振り返って、もう目の前にいる火に右手を振り下ろす。


「これでも食らえっ!」


 火に直撃した巨大な水は、広場全体に広がっていく。

 リュウナはボロボロになった服がれても、今更不満を吐く気も起きなかった。

 今目の前で起きていることは一体何なのか。

 それを認識するよりも先に、リュウナの頭の中に知らない女性の声が響いた。


「ようやく目覚めましたね。リュウナ」

「え、誰、、?っていうか、なんで私の名前、、」

「詳しくは言えませんが、私はこの時を待っていました。リュウナ・キラ。あなたは選ばれたのです」

「選ばれたって、何に、、?」


 そんな会話をしていると、広場に向けてたくさんの魔法使い達が駆けつけてきた。

 どうやらこの騒ぎを聞きつけてきた、魔法士まほうしたちらしい。

 リュウナはあっという間に魔法士に囲まれると、アタフタとあわて始めた。


「え、わ、私は襲われただけで、、!な、なんにも悪いこと、、!」


 リュウナがそう言うと、魔法士の中から一人だけ服が違う長髪ちょうはつの女性が前に出てきた。彼女の登場に、魔法士たちもなにやらざわついている。

 周りと違うのは見た目だけでなく、魔法使いとしての雰囲気ふんいきそのものが違う、そうリュウナは感じた。

(きれいな人、、。シャンプーなに使ってるんだろ、、)

 女性はリュウナの目の前まで来ると、おごそかに口を開いた。


「お前が何もしていないのは分かっている。むしろ感謝されるべきだ」

「へ?感謝?」


 リュウナは自分だけで何とかできないから大通りに火を引き連れ、街中を混乱におとしいれた。何も感謝されることはないと思っていたのだが、女性は真っ黒にまった遺体いたいを見て言う。


「こいつは最近アステリアで殺人さつじんを繰り返していた魔法使いだ。それを討伐したのだから、感謝されるのは当然だ」

「そ、そうなんですね、、」


(な、なにこの状況、、)

 全く関わりのない魔法士たちに囲まれ、なぜか感謝されている。

 落ち着かない様子のリュウナに、女性は続けた。


「私の名前はシャンラ・ランパート。アステリア魔法学校の校長をしている」

「は、はぁ、、。って、ええぇぇぇぇぇぇ~~~!校長先生!?アステリア魔法学校の!?」


 リュウナがこれだけ驚いてしまうのも無理はない。

 アステリア魔法学校とは、魔法大国ティンベルにおける魔法の名門。その校長と言えば、現代で最強の魔法使いであることを証明されていることと同義どうぎだからだ。

 いくら普通人家庭出身と言えど、それくらいは知っている。

 シャンラは数秒だけだまると、リュウナが思ってもみなかったことを口にする。


「お前、アステリア魔法学校に入らないか?」

「え、ええぇぇぇぇ~!無理です無理です!だって私、普通人だし!」


 リュウナが両手を左右に振り回し、慌てて弁明べんめいすると、シャンラが目を見開いた。

 リュウナの発言に周りの魔法士たちも次第にざわつき始め、なにやらおだやかな様子ではなくなっている。

 シャンラは周りの魔法士たちへ言い放った。


「ここは私が収拾しゅうしゅうしておく。貴様きさまらは去れ」


 シャンラの言葉で続々と去っていく魔法士たち。

 去り際でもリュウナの方を見ていたのは、きっと勘違かんちがいではない。

 広場にリュウナとシャンラしかいなくなり、シャンラは再び口を開いた。


「どういうことだ。お前は確かに魔法を使って、こいつを討伐したはずだ」

「それが、、私にもよくわからなくて、、。なんか噴水の水が急に宙に浮かび上がって、、。でもでも、私普通人なんで!多分別の人が魔法使ったんですよ!」

「、、こえ

「え?」

「誰かの声がしなかったか?恐らく女性の声だったと思うが」

「しましたけど、、あっ、もしかしてその人が魔法を?」

「違う。魔法を使ったのは正真しょうしん正銘しょうめいお前だ」


 シャンラが結局何を言いたいのかが分からない。

 リュウナは魔法を使えない普通人。シャンラが言っていることが理解できないのは当然だ。

 しかしなぜだろう。何故かそれが真実だと、心の中でひそかに感じている自分が居るのは。


「お前はこの瞬間から、魔法使いになったんだ。原因は言えないが」


 その日は『リュウナが魔法使いになった日』となった。

 それから、リュウナの当たり前は彼女から離れて行った。代わりに近づいてきた空想くうそうを信じきれないまま、気が付けばアステリア魔法学校の入学式の日になっていた。

(絶対ヤバいんですけど、、)

 あの日以来魔法のような現象げんしょうは一切起こっていない。シャンラはああ言っていたが、本当は普通人のままではないのか。そんな不安で胸がいっぱいだった。

(あの声もあの日以来聞こえないし)

 シャンラが言っていた声は、結局再び聞くことはなかった。

(これで盛大せいだいなドッキリとかだったらヤダなぁ)

 気分は全く乗らないが、もうすぐ入学式が始まってしまうので、リュウナは仕方なく門をくぐった。

 昇降口まで来ると、青色のローブに身を包んだ女子生徒がリュウナに声をかける。


「ねえ君。名前は?」

「え、あえっと、、リュウナ・キラです」


 そう答えると、女子生徒は手に持っていた結晶けっしょうを光らせ、何かを空中に浮かび上がらせた。

(なんだろう、、名簿めいぼかな)

 リュウナが数秒首を傾げていると、女子生徒は結晶の光をうばった。


「君はリヴァイア寮だね。あの魔法陣に触ればいいから」

「は、はい」


 昇降口にはいかにもな像が四つ建てられていて、それだけでリュウナは足がすくみそうになる。

 だが、いつまでも進まないわけにはいかない。ゆっくりと青色の魔法陣まほうじんにまで歩みを進めた。

 初めて見た魔法陣は、想像よりも禍々まがまがしく感じる。

 恐る恐る魔法陣に触れると、リュウナは気が付けば水中すいちゅうにいた。

 慌てて息を止めてみるが、なぜかまばたきができるので、普通に息をする。水中にいるはずなのに息ができる、不思議な空間だ。


「これも何かの魔法なのかな」

「少し違いますかね」

「うわビックリ!?」


 リュウナに聞こえてきたのは、あの時の女性の声だった。

 やっぱり姿は見えないが、それでもあの時の女性だと、なぜか確信を持っている。


「あなたなの?私に魔法をくれたのは」

「そうとも言えますし、そうではないとも言えます」

「なにそれ。意味わかんない」


 リュウナの体に魔法自体は宿っている。それを発揮はっきできていないだけで。


「これから、私はどうなるの?」

「それはあなた次第です。まだ何になりたいか決まっていなくても、あなたの魔法はきっとその時、役に立つはずですから」


 それだけ最後に聞こえて、リュウナはまた別のところにいた。

 何もない水面みなも。反射する雲の景色がどこまでも続いていく場所は、リュウナを飲み込んでしまいそうなほどに深い。


「ホントに不思議なところ」


*************************************


 入学して次の日には魔法の授業が始まる。

 まだ人間関係のきざしすら見えていないような状態なので、リュウナは当然教室の端で魔法技術の授業を迎えた。

 最初の授業ではまず、それぞれの適正てきせい属性ぞくせいを検査することになっている。

 リュウナもあまり詳しいことは知らないが、適正属性によって使える魔法が限られるということを、つい昨日知った。

 まあ目立たずにやり過ごせるなら、リュウナはどうでもいい。

 担当教師のルカ・スカーレットが順番に生徒を呼んでいき、順調に検査は進んでいる。

 いつ呼ばれるのかとビクビクしていたのだが、リュウナが呼ばれたのは結局一番最後だった。


「次が最後ね。リュウナ・キラ」

「は、はい」


 教室中の視線を全身に集めながら、リュウナはルカの元まで進んだ。

 目の前の水晶に恐る恐る手をかざすと、その中に青いオーラが現れる。


「これは水属性だねぇ」


 水属性適性。通りであの時噴水の水を操ることが出来たわけだ。

 何事もなく済ませて、内心安堵しながらリュウナは元の場所に戻り始める。

 だが、リュウナが恐れたのはここからだった。

 ルカは両手を胸の前で合わせると、生徒達に呼びかける。


「はい。じゃあこれから実際に魔法を使ってもらうよん」


(あ、終わった)

 リュウナは心の底からそう思った。

 アステリア魔法学校に入学して二日。リュウナの学校生活の終わりが淡々たんたんと近づいてきている。


「じゃあ、今度は逆の順番でいこっかな」


 まだ歩いていたリュウナの足がピタッと止まる。

 ためらいがちに振り返ると、無邪気むじゃきな笑顔のルカがリュウナを見つめていた。

 のそのそと再び前に出ると、リュウナはルカにひっそりと耳打みみうちする。


「あ、あのぉ、、私まだ魔法使えないんですけど、、」

「シャンラちゃんから聞いてるよん。大丈夫ダイジョブ。なんとかなるって」


(こんな人を頼ろうとした自分をなぐりたい、、)

 リュウナはもうダメ元で右手を前に伸ばした。


「え、え~っと、、。水」


 適当に『水』と言ってみると、目の前に巨大な水の塊が出現した。

 それはどんどん肥大化ひだいかが進んでいき、このままでは教室をくしてしまうほどの規模になってしまう。


「やるね~」

「やるね~じゃないですよ!どうするんですかこれ!?」

「自分の魔法なんだからなんとかしてよねん」

「えぇ、、」


 助けを求めても何もしてくれないルカにあきれつつも、リュウナはどうにかしておさえようとする。

(こういう時は、イメージ!これがしぼんでくイメージ、、)

 リュウナは右手に神経を集中させ、さらにイメージを強く頭の中で昇華しょうかしていく。

 次第に水の塊が小さくなって、最終的に一滴いってきも残さずに消えた。

(な、なんとかなったかな、、)


*************************************


 次は魔法実戦の授業。

 同じリヴァイア寮の生徒達から謎の視線を向けられつつ、リュウナは第一競技場に来ていた。

 どうやら初回の授業は三人一組で模擬もぎ試合しあいを行うらしい。

 他の生徒達が互いに組む相手を探し始め、リュウナも周囲へ視線を彷徨さまよわせ始めた。

 だが、リュウナに近づいてくる生徒はいない。

(えぇ、、どうしよぉ、、)

 リュウナは人付き合いが得意なタイプでもなく、勢いで押し切るタイプだが、現在は魔法学校という不慣ふなれな環境に置かれ、それを実行する勇気もない。

 アタフタしていると、リュウナに二人の生徒が近づいてきた。


「ちょっといいかい?」

「え、うん」


 片方は緑髪の男子生徒、もう片方は明るい水色の髪の女子生徒。

(話しかけられて思わず強く返事しちゃったけど、感じ悪くないかな)

 リュウナは内心ないしんあせりながらも、気丈きじょう振舞ふるまってみることにした。


「僕達、あと一人を探してて。君に入ってもらいたいんだけど、良いかな?」

「ふーん?あなた達、強いの?」


 魔法を今までで二回しか使っていないリュウナが言うセリフではないが、ここはえんじ続ける。

 すると、男子生徒は眉一まゆひとつ動かさず、おだやかに言い放った。


「まあまあ強いとは思うよ。どうかな?」


 リュウナはわざと考えるフリをしてから答える。


「いいよ。リュウナ・キラ。よろしくね」

「僕はダンテ・ハルバーン」

「私はアンナ・フローゼルだよっ」


 こうしてリュウナ達は試合にのぞむこととなった。


*************************************


 結界けっかいの中に入り、アンナが不安そうに聞く。


「作戦は?」

「うーん、正直まだ何も情報がないからね」

「え?作戦とかるの?」


 リュウナは魔法を使った戦闘せんとうの経験はない。そのため、てっきり単純たんじゅんな魔力だけの勝負だと思っていたのだ。

 その天然てんねんな発言に、ダンテとアンナは口をあんぐり開けてしまう。


「まあ確かに、実力差じつりょくさがあるなら必要ないけどね。リュウナは勝てる確証かくしょうがあるの?」

「ふっふっふ。無論むろんだね」


 腕を組みながら不敵ふてきに笑うリュウナ。

 リュウナはダンテとアンナを背にして前に出る。


「試合、、開始!」


 担当教師のグラン・タリタがそう宣言せんげんし、試合が開始する。

 リュウナは右手を真っすぐ相手に向けて伸ばし、詠唱えいしょうした。


「水」


 巨大な水が出現し、リュウナは右手を振り下ろした。

 かなりの勢いで水を叩きつけられた相手の三人は、すべなく水に飲み込まれる。

 すで気絶きぜつしていた。


「これって解除かいじょした方がいいやつ?」

「うん、、そうだね、、、」


 ダンテに言われてリュウナが魔法を解除すると、水の中に閉じ込められていた三人が力なく地面に倒れた。


「なーんだ。これだけで勝てちゃうの?」


 それはリュウナが演技で言ったわけではなく、純粋な感想だった。

 アステリア魔法学校は大陸たいりくでも有数の魔法の名門。そこに入学できる生徒がポッと出のリュウナに負けるはずがないと思っていたのだ。

 すると、結界から出たリュウナにグランが近づく。


「キラさん。すごい魔力だね」

「え、そうなんですか?」

「うん。君が使ったのは『水』だよね?」

「そうですけど、、?」


 リュウナは現状でその魔法しか知らない。

(え、もしかして『水』って名前なのにめっちゃ強いとかある、、?)

 もはや不安にすらなってくるリュウナだったが、それは杞憂きゆうに終わる。


「初級魔法で上級魔法並みの威力いりょくがあるなんて見たことがないよ。相当魔力が多いんだろうね」

「あ、そうなんですね」


 魔法には階級かいきゅうがあり、その区分くぶんによって威力が分かれている。初級、中級、上級の順番で強力であり、基本的にその階級をくつがえすことは不可能だ。

 リュウナが使った『水』は水属性の初級魔法であり、あれほど威力が高いものではないのだ。


「ま、私なら当然ですよ」


あたまいいし)


*************************************


「あ、おはよう。ダンテくん」

「おはよう、リュウナ。試験は大丈夫かい?」


 入学して一か月ほどが経過し、一学期中間試験を迎えた。

 リュウナは未だに一つの魔法しか知らずに、魔力量だけで余裕に学校生活を過ごしている。

 リュウナはダンテの言葉に首を傾げた。


「え、なんだっけそれ?」

「、、やっぱり、覚えてなかったんだね、、、。今日、一学期の中間試験だよ」

「そういえばそんなのもあったね」


 リュウナは努力することを嫌う。現状が満たされているなら何も気にしないのだ。

 完全にあきれているダンテに、リュウナはほほふくらませて言う。


「どーせ私が勝つんだからいいじゃんっ。ダンテくんは不安なわけ?」

「リュウナ個人なら、確かに万に一つも負けはないけどさ。もし団体戦だったら、絶対に勝てるなんて僕は思えないよ」

「それも私がなんとかするんだってっ」


 リュウナ個人だけなら誰にも負けるわけがない。それはこの一か月間でほとんど確信していた。

 だが、団体戦なら話は別。一つの寮につき三十人の生徒が所属しょぞくしており、残りの二十九人をカバーしながら最大九十人と戦うのは、流石のリュウナでも不可能だろう。

 それは頭では理解しているのに、リュウナは思わず感情的に言い返してしまった。

 数秒の沈黙ちんもくてからリュウナは頭を左右に振る。


「ごめん。でも、みんなと一緒いっしょでも、絶対に勝てるよ」


 反射はんしゃする水面の上を軽やかなステップで跳ねると、リュウナはダンテと正面から向き合った。


「ダンテくんもアンナもいるしね」

「うん。任せて」


*************************************


 リュウナは急な轟音ごうおんに耳をふさいだ。

 一学期中間試験が始まってすぐのことだった。巨大な魔物まものが天井のガラスを突き破って第一競技場に侵入しんにゅうしてきたのは。

 響き渡る咆哮ほうこうに頭がおかしくなりそうだったが、リュウナは反射的に席から立ち上がっていた。

 一番後ろの席から前の席の背もたれを蹴って跳躍ちょうやくし、右手を伸ばして詠唱する。


「水」


 巨大な水が出現すると、そのかたまりの中に何枚もの羽が染み込む。

 その手数に水を維持いじするのがやっとだ。

 どうやら入ってきた魔物が魔法を使って、自分の羽を飛ばしてきているようだ。

 他の寮からは悲鳴ひめいや血があふれ出ている。

 リュウナは今にも足が震えそうだが、くちびるんだ痛みでこらえる。


「リュウナ!」


 ダンテがリュウナの隣に来ると、リュウナはめずらしく難しい顔をしてダンテの方へ振り返った。


「ダンテくん。みんなを守って」


 ダンテは初めての表情や声色こわいろを目の当たりにし、数秒唖然としてからうなずいた。


「任せて」


 ダンテが離れて行って、リュウナは再び前を向いた。

 今までにない魔法にかかる圧力あつりょく。左右からの羽はダンテやアンナを中心に複数人で守ってもらってはいるが、一番多くの羽が飛んでくる正面はリュウナ一人でしか守っていない。

 ここでリュウナがやぶれるわけにはいかないのだ。

(こんなことなら、ちゃんと魔法やっとけばよかった!)

 リュウナは怠惰たいだになんとなくで魔法を使っていた自分をぶん殴りたくなった。

 どんどん水の塊が萎んでいく。

(このままじゃ、、)

 リュウナは真剣に負けを覚悟した。

 とうとう隙間から突破した一枚の羽が背後の級友きゅうゆうに襲い掛かろうとする。

 (せめてこれくらいは、、)

 リュウナが左手を羽の軌道上きどうじょうに伸ばした瞬間、リュウナはまばたきから目覚めて、入学式の時と同じ水中にいた。


「あれ、どうして、、」


 リュウナが動揺していると、あの女性の声が聞こえる。


「お久しぶりですね」

「別に一か月ぶりでしょ?」

「あなたにとってはそうですね」

「、、?」


 やはりこの女性が言っていることは、リュウナには理解できない。

 最後にリュウナがこの女性と話したのは、入学式の日。談話室だんわしつへと繋がる魔法陣に触れた時だ。


「それで、なんで私をここに呼んだの?」


 リュウナはこしに手を当ててそう聞く。

 みんなを守り切れなかったくやしさで、リュウナは多少なりともいらだっている。

 女性はそれも見透みすかしたうえで、いつもよりもきびしい口調くちょうで言い放った。


「あなたが私を呼んだのです」

「はあ?なんで私が呼ぶのよ」


 リュウナには皆目かいもく見当もつかない。

 なぜならリュウナが望んだのはこの女性ではなく、さらなる力だからだ。

 だが、よくよく思い返してみれば、リュウナに魔法をくれたのもこの女性だった。

 なら、あながちこの女性が言っていることは、間違いではないのかもしれない。


「あなたは魔法を授かってから、もらったものに胡坐あぐらをかいて、全く向上心を持ちませんでした。ですが、今になってようやく変わりました」

「、、、」

「あなたは今、どんな魔法使いになりたいですか?」


 今までのリュウナであれば、ここで一蹴いっしゅうして何も答えなかっただろう。しかし、今は違う。

 リュウナは数秒だけ目を閉じて、ゆっくりとまぶたのカーテンを開いた。


「私は、みんなを引っ張る魔法使いになりたい。歴史に名をのこすとか、そんなのには興味ないけど、みんなの気持ちとか命とか、ちゃんと安心して預けられるような、そんな魔法使いになりたい」


 それがリュウナの『今の』本心だった。

 きっとダンテやアンナ達は、アステリア魔法学校で魔法使いとして完成するために、必死で魔法を学んでいる。

 そんな必死な彼らの上に立つ人間が、何の向上心の無い人間でいるのはあり得ない。

 リュウナの言葉に、女性は少し微笑ほほえんだ気がした。


「ならばここが変わる時です。あなたには力があります。自分を信じて、戦えますか?」


 女性の言葉に、リュウナは口許に弧を描いた。


「もちろん。私を誰だと思ってるの?」

「では、またいつか会いましょう」

「はいはーい」


 気が付くとリュウナは元の第一競技場に戻っていて、左手に鋭利えいりな羽が迫っていた。

怪我けがしちゃダメでしょっ)

 リュウナは頭の中でイメージを広げる。

 すると、詠唱も何もしていないのに、左手の手の平に小さな水の塊が出現した。

 水が羽を受け止めることで負傷を防ぐ。


「ちょっぴり本気、出しちゃうか」


 リュウナは妖艶ようえんに笑って見せると、萎んでいたはずの水が巨大化を始め、むしろ萎む前よりも巨大になっている。

(不思議な感覚、、。今なら、どこまでも魔法が使えそう)

 リュウナの長い青髪が、まるで水中にいるかのように揺れ動く。青い魔素が辺りに溢れ、ひとみが光を宿やどし、リュウナは真に魔法使いとして覚醒かくせいする。

 魔力は水のように、つかめない曖昧あいまいな物。

 でも、リュウナはそれを掴む必要なんてないと、知っている。

 魔力は掴んで掌握しょうあくするものではなく、信じて体を預けるもの。変に恐れて力を入れては、ただ自分がしずんで行ってしまうだけ。

 魔力だって自分の一部なのだから、認めてあげる必要があるのだ。


「リュウナ、、!?」


 ダンテが目にしたその少女は、魔女そのものだった。


*************************************


 ドラグーン寮の生徒のおかげで無事に魔物は討伐され、リュウナ達リヴァイア寮の生徒達は無傷むきずで談話室に戻った。

 とっくに消灯時間は過ぎているのだが、どうにも熱が冷めないリュウナが水面の上に立っている。

 今日の試験でリュウナは確実に、魔法の核心かくしんに近づいた。

 このどこまでも広がる水面も、今では心地よく感じる。

 そんなリュウナに、一人の少年が近づいてきた。


「まだ寝ないのかい?」

「それはダンテくんもおんなじでしょ」


 ダンテはリュウナの隣に立つと、少し間を空けてから口を開いた。


「今日のリュウナを見て思ったよ。君は、本当にどこまでもだ」


 よくわからないことを言うダンテがあの女性と重なって見えて、リュウナは頬を膨らませた。


「なんか悪口わるぐち言われてる気分なんだけど」

「あ、ごめん。気を悪くしたね」


 ダンテは別に悪意あくいがあってそう言ったわけではない。リュウナもそれが分かって、頬を元に戻した。

 隣に立つダンテの表情はどこか神妙しんみょうな様子だ。


「最初に君の魔法を見たときに思ったんだ。君には才能さいのうがあるって。それが今日で確信に変わったよ」


 ダンテはリュウナの方を向くと、ゆっくりと頭を下げた。


「守ってくれてありがとう」


 その瞬間、リュウナはむくわれた気がした。

 こんなにも人の言葉は綺麗きれいなのかと、そう思った。

 少し緩みかけた瞼を正してから、リュウナはいつもみたく笑って言う。


「何バカなこと言ってんの。私だけじゃ、みんなのことは守れなかったよ」


 その言葉で顔を上げたダンテに、リュウナは右手の拳を差し出した。


「これからもよろしくね。相棒あいぼう


 ダンテはすぐには拳をぶつけず、少しの間唖然として、目の前の少女を見つめた。それから笑って、静かに右手の拳をぶつける。


「うん。よろしく」


 リュウナはこうして、魔法の世界へとまよい込んだ。


*************************************


 目を覚ますと、まだ見慣れないコテージの天井てんじょうが視界を満たした。

(そっか。もう思い出すくらいか)

 少女は天井に伸ばしかけた手をベッドに放り投げ、しずくこぼした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る