Tier57 東京拘置所

 東京拘置所。

 東京都葛飾区小菅にある東京拘置所には死刑囚、懲役受刑者、刑事被告人、被疑者などを3000人近く収容する日本最大級の施設らしい。

「らしい」と言うのは、僕はそれをウキペディアで調べて知ったからだ。

 調べる前までは、「東京拘置所」という名前ぐらいは聞いたことがあるぐらいの認識だった。

 警視庁本部の霞ヶ関駅から千代田線綾瀬行に乗って北千住駅で乗り換え、東京スカイツリーライン東武動物公園行に乗って小菅駅へ。

 小菅駅の改札を出るとロータリーなどは無く、いきなり小さな路地に出た。


 僕はここから東京拘置所までの道筋をマップアプリで調べようとズボンのポケットからスマホを取り出そうとする。


「調べなくていい。行き方は覚えてるから、伊瀬は俺に付いて来るだけでいい」


「わかった、ありがとう」


 マノ君がそう言ってくれたので、僕はスマホを取り出そうとするのをやめて、マノ君の後を付いて行く。

 行き方を覚えていると言うだけあってマノ君の足取りには迷いがない。


「マノ君は東京拘置所には何度か来たことあるの?」


「あぁ。六課の仕事柄上、今までに何回かは行ったな。道は一回来れば大体覚える」


「へぇ~、一回来ただけで覚えられちゃうんだ。すごいね」


「別に、すごかねぇよ。これぐらい出来る奴は世の中にたくさんいる」


「それでも、すごいよ。少なくとも僕は道を覚えるのはあんまり得意じゃないから」


「お前、方向音痴なのか?」


「えっと……少し?」


「……その歳で迷子になるのは笑えないからな」


「なッ……少しだから! いくら僕でも、そこまでじゃないから!」


「どうだか」


 マノ君は面白そうに口角を上げる。

 心外にも、僕が言ったことをあまり信じていないようだ。


 そんなことを話しているうちに、僕達は路地を抜けて丁字路に出た。

 路地を抜けた頭上には縦に乗って来た東京スカイツリーラインがあり、その上を首都高が横に交差している。

 そして、目の前には通りに沿って土手が続いていた。


「面会まで少し時間があるな」


 マノ君は右手首に付けている腕時計を見ながら言った。


「せっかくだ、少し遠回りにはなるが土手の上を通っていくか。その方が気分が良い。ここからだと、空は低いし、圧迫感があるからな」


 頭上には首都高があり、僕達はこの高架下に沿って歩いて行かなければならない。


「そうだね、そうしよっか」


 僕はマノ君の提案に乗ることにした。


 近くの横断歩道から通りの反対へと渡り、土手を上る階段を上がる。

 上りきると、手前には野球場があり、その奥には大きな川が流れている。


「あの川って荒川?」


「あぁ、そうだ」


 土手の上は青空が広がっていて、温かい午後の日差しと気持ちの良い風が吹いていて散歩には持ってこいな気候だった。


「う~ん~」


 僕は思わず大きな伸びをしてしまった。


「何してんだ、伊瀬」


「あ、ごめん、つい。でも、本当に気持ち良いよ。マノ君もやってみたら?」


「こんな場所でやるわけないだろう」


「え~、こんなに気持ち良いのに?」


「どんなに言われても、俺はやらねぇぞ」


「そこをなんとか」


「くどい!」


 こんな風にたわいもない会話をマノ君としながら、しばらく土手の上を歩いてから東京拘置所へと向かうため土手を降りた。

 首都高の高架下を左に外れて道なりに進んで行くと、「面会所出入口」と書かれた看板が見えて来た。

 僕とマノ君が丈人先輩達と別れてから、ここまで来るのに一時間弱くらい経っていた。

 看板を左に曲がって、僕達は東京拘置所に足を踏み入れる。

 だけど、僕は立ち止まった。


「あれ? 面会が可能なのって平日のみじゃなかったっけ? 来る途中に調べていたサイトに書いてあったような?」


「当ってるぞ。面会可能なのは平日だけだ」


「え? でも、今日は土曜日だよ?」


「だから、俺達は特別なんだよ。それに、他に一般人がいない方が都合が良い」


「それは、確かに」


「ほら、分かったらさっさっと行くぞ」


 そう言って歩き出したマノ君だったが、今度はマノ君がすぐに立ち止まった。


「どうしたの?」


「うん? あぁ、手塚課長に言われてたのに認証するのを忘れててな。ちょっと、待ってくれ。すぐ、終わらせる」


「認証?」


 僕の疑問を他所にマノ君はズボンのポケットからスマホを取り出したと思ったらすぐにまた元に戻して、少し手探ってからガラケイを取り出す。

 どうやら、取り出したかったのはスマホではなくガラケイの方だったようだ。

 マノ君はガラケイを片手でパッと開くと何やら操作をする。

 親指を素早く動かしてカチカチと鳴る音は、スマホのフリック入力では味わえない心地良さがあった。

 操作が終わると、また片手でガラケイをパチンと閉める。

 そして、ガラケイの裏側に付いているカメラのレンズを両目に片目ずつかざしていく。

 かざし終わると、少しの間を置いてガラケイから機械音声が流れて来た。


「……認証しました……天野悠真によるマイグレーション使用を申請……事前許可を確認……受理されました……使用可能範囲は、現時刻から本日23時59分59秒までの天野悠真による広崎光に対してのみのマイグレーション使用を許可するものとします」


 機械音声が流れ終わると、ガラケイをポケットにしまった。


「悪い、待たせたな」


「今のは?」


「あぁ、虹彩認証だ。虹彩網膜は指紋のように個々人によって異なる。また、遺伝的影響がほとんどないため一卵性双生児であっても、同一人物の両目であろうと左右で異なる。さらに、生後二年経過すると顔や指紋ように経年変化することがない。そのため、生態認証バイオメトリクスの中で最もセキュリティが高いと言われている」


「へ~そうなんだ。それって、マイグレーションをする前は毎回やらないといけないの?」


「緊急時でなければな。通常は、認証による申請と上からの許可が必要だ。申請と許可の順序は問わない。今回の場合だと許可が先だったわけだ」


 だから、深見さんが許可を取りに行っていたのか。


「伊瀬が配属されて来た時の事件のように、緊急時の場合だと申請も許可も全て繰り上げてマイグレーションを使用する。まぁ、後で『緊急時マイグレーション使用事後申請書』っていう面倒くさい書類を作って提出しないといけないんだけどな」


「そういえば、僕が六課の皆と顔合わせした時にマノ君はずっと作業してたよね? あれって、その事後申請書を作ってたの?」


「よく覚えてんな。そういうことだ。で、その事後申請書を提出して、マイグレーション使用に正当な理由があったと判断されれば、晴れて事後申請が承認されるわけだ。承認されなければ最初からやり直し、最悪の場合だと査問会議が開かれる」


「査問会議?」


「マイグレーション使用に正当な理由があったのかの最終判断を下す会議だ。そこで正当な理由があったと認められなければ、同じマイグレーターの誰かに殺処分されるってことだ」


「……」


「大丈夫だ。今の所は査問会議なんて一度も開かれたことはない」


 僕が心配そうな表情を見せたせいか、マノ君が安心材料を付け加えてくれた。


「あ、やべ。ちと、長話し過ぎたな。面会の時間、13時30分の予定だから早く行くぞ」


「うん」


 こうして、僕達は広崎さんの面会へと向かった。

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