Tier51 表札

ブラックスーツに身を包んだ僕は玄関を出る。

これを着ると妙に緊張感が出るのはなぜだろう。

僕はまだこの服を着ているのではなく、服に着られているのだろうか。

慣れない革靴に戸惑いながらも玄関扉の鍵を閉めていると、隣から扉が開く音が聞こえた。


「あ、マノ君。おはよう」


「うん? あぁ、伊瀬か。おはよ」


慣れた足取りと手つきで素早く戸締りを済ませたマノ君は僕の右隣の扉を見つめている。

すると間もなく、丈人先輩が扉を開けて出てきた。


「お、二人共おはよう」


僕とマノ君は丈人先輩に挨拶を返す。


「それにしても、皆して同じ時間に出るとはね」


「そりゃそうでしょう。住んでいる場所も同じで行先も同じだったら、出る時間だって同じでしょう」


それが分かっていたからマノ君はそろそろ出て来るであろう丈人先輩の部屋の扉を見つめていたのか。


「となると、これは必然ってやつかな?」


軽快に笑いながら丈人先輩は言う。


「それにしても、六課の皆を全員招集するなんて、よっぽどマイグレーターに関する有力が入ったんですか?」


「俺も手塚課長からは何も聞かされてないからな~。こればっかしは、行って聞いてみるまでは分かんないと思うよ」


「ま、そうなりますよね」


招集がかかった理由をマノ君は気になっているようだった。


「あっ、そうだ。波瑠見ちゃんが今日の招集ちょっと遅れるらしいんだ。なんでも、生徒会の仕事が終わらなくて招集の開始には間に合いそうにないんだって。最近の学校の生徒会はかなり忙しいんだね」


その話を聞いて僕とマノ君は顔を見合わせた。

那須先輩が生徒会の仕事に追われている理由が、ある界隈で出回っていた写真の一件であることに僕もマノ君もすぐにピンときた。

これに関しては那須先輩の自業自得だとは思う。


「そうなんですか。じゃあ、後で手塚課長に伝えるのを忘れないようにしませんとね」


那須先輩が生徒会の仕事に追われている原因を露ほども知らないという顔でマノ君は答えた。

ここまで上手くポーカーフェイスをするマノ君は一周回って怖いとすら感じてしまう。


「そうだね。波瑠見ちゃんが来たら労ってあげようかな」


「それはやめて下さい」


「え? どうして?」


「どうしてもです」


事情を知らない丈人先輩はマノ君が断固として拒否する理由が分からず、不思議そうな顔をしていた。


「よしっ」


僕は戸締りが出来ているか指さし確認をして、扉の正面を向いた。

その時、少し違和感を覚えた。


「あれ? 今さらだけれど、ここのマンションの部屋って表札が無いんですか?」


違和感の正体は普通ならあるはずの表札が無いことだった。


「いや、そんなことないと思うよ。ほら、向こうの部屋には表札あるよ」


丈人先輩が示した先には確かに表札があった。

でも、僕の部屋にもマノ君の部屋にも丈人先輩の部屋にも表札はなかった。


「なら、表札が無いのは僕達の部屋だけなんでしょうか?」


「どうだろう。探そうと思えば一つや二つ、表札の無い部屋はあると思うよ。表札を付けるかどうかは個人の自由だしね。ただ、六課の皆は表札は付けていないかな」


「どうしてですか?」


「う~ん、面倒くさいから?」


丈人先輩はいたずらっぽく笑う。


「あとは、少しでも六課についての情報を漏らさないためとかだったりな。表札なんてのは苗字を晒しているだけだろう。ここに住んでいるのは○○ですってよ」


「そういうことなのかな?」


納得出来るような納得出来ないような感じがする。


「そんなことより、早く行こうぜ。あんまり悠長にしていると乗り過ごすはめになるぞ」


「そうだね早く行こうか」


僕達は駅へと向かった。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


駅に着くと美結さんと市川さんが一足先に着いていた。


「あれ? 皆も同じ電車?」


「そのくだりもうやったから言わなくていいぞ」


「何よ、その言い方! それにもうやったってどういうことよ!」


「だから、やらなくていいって言っているだろ」


会って早々、マノ君と美結さんは相変わらずの口喧嘩を始める。

喧嘩するほど仲が良いとはこのことだなと僕はつくづく思う。


「皆と同じ電車だったのなら最初から集まって行けば良かったね」


二人の口論は気にせずに市川さんが僕と丈人先輩に向かって言う。


「それもそうだね」


「確かにね」


僕達が話している間に二人の口論もだいぶ落ち着いてきたみたいだ。


「ここから本部の六課までってどのくらいの時間が掛かるの?」


口論を終えた二人に聞いてみた。


「だいたい、1時間を少し超えるくらいだったかな」


美結さんが少し首を傾けながら答える。


「思ったより時間が掛かるんだね」


「同じ東京にいるはずなのにな。やっぱり、多摩は東京じゃねぇよ。東京にいるのに、なぜか東京に行くって感覚になるのはどう考えてもおかしい」


マノ君は多摩地域に対して相当鬱憤が溜まっているようだ。

けれど、マノ君が言わんとしていることは僕も分かる。

千代田区とか新宿区とか渋谷区とかの方面に出かける時、東京に行くという感覚を感じる。

東京にいて東京に行くというのはマノ君が言うようになんか変だ。


「それにこの辺は奥多摩の方のように豊かな自然があるかと言われればそうでもない。豊かな自然もなく、ただ住宅街が広がっているだけだ。本当に中途半端な田舎だよな」


「ちょっと! アンタには地元愛とかないわけ!?」


少し言い過ぎなマノ君に美結さんが待ったをかける。


「あると思うか?」


「あるとは思わないけど、少しは地元愛を持つ努力をしなさいよ!」


結局、いつも通り二人の口喧嘩が始まって、タイミング良く電車がやって来た。

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