Tier50 通り魔
辺りは何の変哲もない日常の風景が通り過ぎています。
もう少ししたら辺りには騒然としたような光景が広がり、日常の風景は割れやすいガラス物のように簡単に壊れてしまうというのに。
それだけの力を持った危険がすぐ傍にあるのに誰もそれに気づきはしません。
私だって知っていなければ気付けなかったと思います。
そろそろ日常が壊れる一振りが下ろされる頃でしょう。
辺りが酷いパニック状態に陥る前には、ここから徐々に離れないといけません。
目的の方向へと足を早めましょう。
目的の前に近づき早めていた足をゆっくりと緩めながら、ついには完全に足の歩みを止めました。
目的の物の前を周りの人達は気にも留めずに通り過ぎて行きます。
近くを歩いていて仕方なく目的の物が視界に入った人は一瞥はするものの、やっぱり通り過ぎて行くだけです。
周りの人達にとってこれは道端で寝ている、あるいは酔い潰れているだけの人間に過ぎないのでしょう。
だけれど、私にとってこれは貴重なお宝なのです。
「コラコラ、ダメじゃないですか。貴重な器をこんなところにおざなりに置いておくだなんて」
おそらく、私以上にこの物の貴重性や有用性に気付いている人はいないんじゃないでしょうか。
まず、この物の作り方を知らない人が圧倒的に多数です。
しかも、作り方を知っている僅かな人の中にもこれを副産物だとか副作用だとか罰あたりなことを言う人もいるくらいです。
本当に、「豚に真珠」「猫に小判」「馬の耳に念仏」と言ったところです。
簡単に思い出せる有名なものだけでこれだけあるのですから、昔から物の価値に気付けなかった人はいっぱいいたんでしょうね。
私は目的の物を持ち帰ろうとぐったりとしている左腕を肩に回して、右腕の方は一緒に来させていたもう一人の方の肩に回して、二人で両肩を担ぎ上げるようにして運んで行くことにしました。
そうこうしているうちに、騒然とした空気が交差点の中央から一気に広がって来ました。
私は逃げ惑う人々に紛れて目的の物を持ち帰るための車のある方へと運んで行きます。
目的の物を運んでいる姿を人がいっぱいいるおかげで上手く誤魔化せそうです。
普通に運んでいても酔いつぶれてしまった人を介抱しているようにしか見えないとは思いますが、念には念を入れておきましょう。
それにしても、凄い人の数ですね。
さすが、渋谷スクランブル交差点と言ったところでしょうか。
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ガヤガヤとした中、帰りのHRが始まろうとしている。
HRと言っても、必要な連絡事項を橋本先生から伝えられるだけなので毎日あるわけではない。
必要な連絡事項がなければ帰りのHRは必要ないからだ。
「え~皆さんもニュースとかで知っているとは思いますが、最近また通り魔による殺人事件が増えてきました。渋谷で起きた事件のことも皆さんまだ記憶に新しいと思います。ですので、なるべく明るい時間のうちに友達などと複数人で帰るようにしてください。もちろん、これは女子だけではなく男子もですよ。相手は凶器を持っています。男子だからといって大丈夫だというものではありせんよ」
橋本先生は釘を刺すように言う。
通り魔殺人による事件では小さい子供や女性を中心に被害者になりやすいイメージがある。
統計を取ったわけではないのであくまでもこれはイメージだが、犯人が多くの人を殺すことを目的としていた場合には力の弱い者から襲っていくというのは筋が通る話しかもしれない。
「また、不審な人物を見かけたらすぐに警察や学校に連絡してください。学校よりも先に警察に連絡してくださいね。たまに学校に先に連絡してきてしまう人がいますけれど、学校よりも警察を優先して連絡してください。皆さん、よろしいですね?」
小中学校の時のように全員が声を揃えて「はーい」と大きな声で言うわけではないけれど、クラスの所々から了承するような声が小さくバラバラと上がった。
「では、帰りのHRは以上です。皆さん、自習なり部活動なり下校なり自由にして下さい」
連絡事項を伝え終わった橋本先生はさっさと教室から出て行った。
「通り魔事件か……なんだか怖いね。僕達も捜査を手伝ったりするなんてことがあるのかな?」
隣の席のマノ君に声を掛ける。
内容が少し六課のことも入っていたので他の人には聞こえないように小さい声で話す。
「それは俺達の仕事じゃない。そういうのは
マノ君も僕にだけ聞こえるように小声で話す。
そのため、学校にいる時の口調からいつもの六課にいる時の口調に戻っている。
「捜一って捜査一課のこと?」
「そうだ、警視庁刑事部捜査一課。刑事ドラマで主人公が所属しているのは大抵はここだ。まぁ、それに飽きて主人公の所属先を他にフューチャーしている作品も多いがな」
頭の中に小さい頃に見ていた二人組の刑事ドラマが浮かんできた。
あれ?
でも、あの二人は捜査一課じゃなかったような……捜査一課なのは三人組の方だったかも。
「あ~確かに。じゃあ、僕達六課が普通の事件を捜査することはないんだね」
「原則な。どんな手を使っても解決しなければならない事件が未解決になりそうな時とかは捜査協力することもあるにはあるがな。なにせ俺達六課の持つポテンシャルは他のどこも欲しいだろうからな」
「どういうこと?」
「伊瀬なら少し考えれば分かるだろう。俺達マイグレーターはマイグレーションした時に相手の記憶をトレースすることが出来る。つまり、容疑者を取調べる手間が省けるわけだ。しかも、犯行時に取った行動が分かるんだから証拠だって簡単に押さえることが出来る。そしたら事件なんて意図も簡単に解決だ」
それをマノ君から聞いて、正直目から鱗だった。
相手の記憶を見られるというのがここまで強力な能力だとは思っていなかった。
他者と意識が入れ替わるというマイグレーションの能力の方に重きを置き過ぎていたのかもしれない。
「ううん、そこまで考えに至っていなかったよ。言われてみて改めて気付かされたよ」
「そうか、珍しいな」
マノ君に僕を褒めているつもりはないのだろうけれど、だからこそ自然に褒められているというのが無性に恥ずかしい。
「とは言え、何を持って普通の事件とするかだな。普通の事件だからといってマイグレーターが関わっていないという保証なんてものはどこにもない。マイグレーターが関わっている事件のほとんどは普通の事件にしか見えない。明日の招集だって、もしかすると通り魔事件関係のことかもしれないぞ」
そうなのだ。
明日は立川の方にある六課ではなく、警視庁本部にある六課に集まることになっている。
なんでもマイグレーターに関わる事件かもしれない情報が入ったので、今後の方針を決めるということらしい。
「そんな、
この時は僕もマノ君も冗談のつもりだった。
でも、その
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