Tier42 消去
「余談はこれくらいにしておこうか。私も君も少し言葉が過ぎたようだ」
榊原大臣は一つ咳払いをした。
「ええ、そうですね。こんなことは、さっさと終わらせて早く帰りたいですから。で、今回はどれくらいの期間の記憶を消せば良いんですか?」
「最低でも5年だ」
「5年!? そんなに長く? 俺のマイグレーションの記憶を消す特性はそんなに器用なことは出来ませんよ。5年分の記憶を消すとなると調整が難しいので、結果的に10年近くの記憶を消すことになります。
それに、マイグレーションに関する記憶だけではなく全ての記憶が消えるんですよ?」
俺のマイグレーションによる記憶を消す特性は、お世辞にも使い勝手の良いものではない。
短期間の記憶を消すのであれば、調整もしやすく狙った期間の記憶を消すことは出来る。
しかし、記憶を消す期間が長くなればなるほど調整が難しくなり期間に大きなズレが生じてしまう。
また、一部の記憶だけではなく全ての記憶を消してしまうという欠点もある。
「無論承知の上だ」
「だとしても、自国の諜報員が10年近くの記憶を無くして帰って来たとなると余計に疑念が高まるのでは?」
「諜報員を送られてきている時点で、疑念をどうこうするという話の以前の問題だ。それに、これは珍しい話ではない。過去にも、Jアラートを我々の目覚まし代わりに使ってくれる彼の国で捕まった大学生が米国に昏睡状態で返されたことがあっただろう」
榊原大臣が言っている彼の国とは北朝鮮のことだろう。
そして、捕まった大学生の話は俺も小さい頃に聞いたことがある。
たしか、昏睡状態で返された大学生は数日後に亡くなったはずだ。
「命を捕らずに10年近くの記憶を無くすだけの方が人道的ということですか?」
「当たらずとも遠からずだな」
榊原大臣は曖昧な返しをした。
どうやら、これで分かれということらしい。
「とは言っても、5年ですか……」
「大方、5年前の平川第五中学校の爆破事件でCIA辺りが勘づいて寄越したのだろう。全く、いくらマイグレーターの情報が少なかったとはいえ、前任の大臣は余計なことをしてくれたものだ」
六課の発足の大きなきっかけとなったあの事件は政府にとってはかなりの汚点のようだ。
「5年となるとマイグレーションの一部の情報はもう向こうに報告されているんじゃないですかね?」
「100パーセントとは言わないが、我々の調査によるとその可能性はない。経過報告によって、諜報活動をしていることが我々に勘づかれるリスクを避けたのだろう。向こうも、この件に関してはかなり慎重になっていたらしい」
それだけ慎重に動いていた諜報員を見つけるとは、この国もやれば出来るのか。
正直、見くびっていたな。
「そこら辺は記憶を消す際に君が確認してくれ。記憶を消すのもマイグレーションの応用みたいなものなのだろ? マイグレーションをした相手の記憶は全て視ることが出来ると言うじゃないか」
「出来ますよ。その記憶が本人にあればの話ですけど」
「米国も我々と同じように諜報員の記憶を消しているとでも言うのかね?」
俺の皮肉に榊原大臣も皮肉で返してきた。
この人とやり合っても勝てる気がしないな。
「分かりました。最低でも5年以上の記憶を消せば良いんですね」
俺は薄暗い部屋の奥で椅子に縛られている男に近付いた。
「あんたのことは気の毒には思うが、同情はしないぜ。こういうリスクも覚悟の上でこの仕事をして、高い給料を貰っているんだろ?」
男は声を発さないどころか、顔の一つも変えずに目もくれない。
まるで、俺の姿や声が無いかのようだ。
「世の中にはどうしても開けてはいけないパンドラの箱がある。だが、この国のパンドラの箱の中身がこんなガキのことだとは思わなかっただろう?」
「……今までの会話を聞いていて、薄々は分かっていたが本当に君はマイグレーターなのか?」
あれだけ無反応だった男が面白いほどに反応を示した。
自分が長年追い求めてきた真実を明かされて好奇心が抑えられなかったようだ。
「無駄口が過ぎるぞ。早くやりたまえ」
そうだと答える前に榊原大臣からの横槍が入った。
仮に答えたとしても、これから記憶を消される身にとっては答えても答えなくても何ら支障は無いか。
「分かってますよ」
俺は男の顔を覆うようにして、こめかみを右手で押さえた。
別に、これは何も右手でなければならないということはない。
左手でやることだって簡単に出来る。
単純に俺が右利きというだけだ。
雑念を払い、俺は深く意識を集中させる。
「――出来ました。これでコイツはもう何も覚えていませんよ。目覚めたら10年近く未来に来た感覚には襲われるでしょうけど。今は眠っていますが何時間かしたら起きると思うので、それまでにそっちで処理しといてください」
「そうか。ご苦労」
「あぁ、それと経過報告はしていなかったので情報は一切向こうに漏れていません。にしても、マイグレーションに関する情報量は今までで一、二を争いますよ」
俺の報告を聞いて榊原大臣は頬杖をついた。
「そろそろ現状維持も厳しくなってきたか。ありがとう。君はもう帰っていいぞ、お疲れ様」
「どうも」
俺が榊原大臣に背を向けると早乙女さんが扉を開けて待っていた。
「そうだ、少し待て。一つ聞きたいことがある」
あと一歩で部屋から出られるところで榊原大臣に呼び止められた。
「なんです?」
俺は不服そうな顔で振り返った。
「最近、六課に伊瀬という人物が着任しただろう。君から見て彼はどうだ?」
「どうって言われても……まぁ、悪くはないですよ」
「ほぅ。君がそう言うのなら、彼の見立ては正しいようだな」
彼とは手塚課長のことだろうか。
伊瀬を六課に推薦したのは手塚課長だそうだから、きっとそうなのだろう。
「もういいですか?」
「あぁ」
俺は前に向き直り、一歩足を前に出そうとしたが踏みとどまった。
「俺からも一つ聞いていいですか?」
「……いいだろう。何だ?」
少し考え込む素振りを見せてから榊原大臣は言った。
「伊瀬ってマイグレーターじゃないですよね?」
「もちろんだ」
「そうですか。なら、良いんです。すいません、変なこと聞いて」
「私は構わないが、なぜそんなことを聞いてきた?」
「それは……」
俺は答えるのに少し躊躇った。
「……伊瀬に初めて会った日の事件で、俺が犯人を追いかけているために全力で走った時に、伊瀬が僅か一瞬ですが俺に追いつてきたんです。マイグレーターでもない人間がマイグレーターである俺の全速力に食らいてきた。火事場の馬鹿力と言えばそれまでですが、俺は何か他に原因があるように思うんです」
俺は伊瀬に対して思っていたことを正直に話した。
「なるほど。君はいい目をしているな」
「それはどういうことですか?」
「なに、気にするな。いずれ分かる」
榊原大臣は含みのある言い方を俺にすると、もう帰れというようにそっぽを向いた。
これ以上は聞いても意味がないと思い、俺は部屋を後にした。
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帰りは行きと全く同じだった。
アイマスクと耳栓で視覚と聴覚を奪われた状態で早乙女さんに誘導され車に戻り、行きと同じ時間だけ車に揺られた。
「目的地に到着致しました。この度は誠にありがとうございました」
早乙女さんによってアイマスクと耳栓を外され、車の外に出てみるとそこはもうマンションのエントランスの目の前だった。
すでに、夜は明けているようで日はとっくに昇っていた。
「本当ですよ。今回のお礼か何かはあるんですよね?」
俺は少し意地悪な質問を早乙女さんにした。
「勿論です。何かご要望が御座いましたらお申し上げ下さい。私どもの出来る範囲であれば、ご要望にお応え出来るかと思います」
「そうですか。じゃあ、その時はお願います」
俺はそう言って、長時間座って疲れた体を伸ばしながら自分の部屋へと帰った。
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