Tier40 夜更け
辺りが寝静まり、夜も深まったころに俺は自分の部屋から外に出た。
チラリと伊瀬の部屋のドアを一瞥する。
伊瀬はドアの向こうで深い眠りについているようで、俺が外に出たことに気付いた気配はなかった。
いくら俺が物音立てずに外に出たからといって、もう少し何か反応を示しても良いだろ。
ったく、何のための監視役なんだよ。
なんて、俺は伊瀬に対して心の中で毒を吐いてはみたが本気ではもちろんない。
端から伊瀬は監視役であってないようなものだ。
実際に俺達を監視しているのは、この建物の監視カメラや盗聴器、ネット回線上から常に監視・追跡してくるマルウェアあたりだろ。
それらを統括して行っている監視の実働隊がどこなのかと考えるのは時間の無駄だな。
ここに住まわされている時点でマイグレーターであるかどうかに関わらず、監視の対象には他ならない。
オートロックのエントランスを出ると、目の前には夜の闇に溶け込むような黒塗りの車が停まっていた。
俺が車に近づくと後部座席のドアを音も立てずに開いた。
促されるまま俺は革張りのシートにスムーズに腰を下ろす。
ドアはすぐさま、また音を立てずに閉まる。
「お久しぶりです。こんな夜分遅くにご足労おかけして申し訳ありません」
俺の隣に座っていた女が言う。
聞き取りやすいにもかかわらず、声量自体はかなり小さい。
「本当ですよ。こんな時間はベッドの上で気持ちよく寝ていたいもんです。時間外労働にもほどがありますよ。ま、それは早乙女さんも一緒ですか。あ、あと渡会さんもか。お互い大変ですね、労基にでも訴えましょうか?」
「気にかけて頂きありがとうございます。ですが、訴えるのはあまり得策ではないと思いますので控えた方がよろしいかと」
早乙女さんは暗い車内でも分かるぐらいの苦笑いをしていた。
「分かってますよ、それくらい。冗談くらい言わせてくださいよ。これから目と耳を塞がれるというのに口まで塞がれるなんてたまったもんじゃない。東照宮の猿になるなんて真っ平ですよ」
「その点に関してはいつも申し訳ありません。しかし、それをしないというわけには参りませんのでご了承ください」
早乙女さんは俺にアイマスクと耳栓を渡して来た。
「目的地に到着致しましたら耳栓をお外ししてお声掛けしますので、それまではゆっくりとお休みになってください」
「わかりました。じゃあ、着いたらお願いします」
俺は渡されたアイマスクと耳栓をつけて、背中をゆったりと背もたれに預けた。
そして車が緩やかに動き出すのを感じながら、俺は光と音を感じることの出来ない世界で休むことにした。
先程、早乙女さんがいつもと言っていたように、こういったことは以前から不定期にある。
大抵いつも直前に手塚課長からこのことを伝えられる。
今回も六課から帰る直前に手塚課長から伝えられた。
そうして、俺をとある場所に連れて行くために早乙女さんと渡会さんが夜が更けたころに迎えに来る。
秘密保持のため目と耳を塞がれ、最低でも2時間以上は車に揺られて目的地へと向かう。
この2時間以上というのは、車に乗車している時間が短いと行動可能範囲が狭く場所の特定をされてしまうリスクが高いための対策であると考えられる。
そのため、2~3時間で目的地に着くこともあれば、半日以上時間が経過してから着くこともある。
また、長時間掛かるからといって目的地が遠いとは限らず、実際は10分程度で着くような距離に目的地が存在しているという可能性もある。
というか、目的地は毎回変わっているのだろうから特定は非常に困難であるはずだ。
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「目的地に到着致しました。お目覚め下さい」
俺は早乙女さんが耳元で囁いた声で目が覚めた。
閉じていた目を徐々に開いていったが、依然として視界は真っ暗なままであった。
それもそのはず、俺はまだアイマスクをつけたままであるからだ。
俺はまだ、だいぶ寝ぼけているようだ。
さて、今回はどのくらい時間が経ったのだろうか。
眠ってしまっていたせいで定かではないが、体内時計的には4時間程度だろうか。
いや、もう少し短いか……もう少し長いか?
駄目だ、分からん。
「これは、もう着いたんですかと言うのが正しいんですかね? それとも、やっと着きましたかと言うのが正しいんですかね?」
「……残念ながら、それはお答え出来ません」
フフッと少し笑ってから早乙女さんは答えた。
早乙女さんが笑うというのはかなり意外だった。
俺は早乙女さんが笑っていた姿をアイマスクのせいで見られなかったというのは、惜しいことをしたのではないかと一瞬だけ考えてしまった。
「ここから先、移動を致しますがアイマスクはまだ外さないでください。また、耳栓の方も再度付けて頂きます」
今、片耳の耳栓が外されているのは俺を起こして軽い説明を行うための一時的なものということだ。
「移動の際は私がサポート致しますのでご安心下さい。それでは、移動を始めますがよろしいでしょうか?」
「ええ、大丈夫です。さっさと行きましょう」
「わかりました。では先にお耳の方、失礼致します」
直後、俺の片耳は耳栓によって塞がれ再び静寂の世界に包まれた。
そして、肘のやや上辺りを早乙女さんに掴まれて車から降りるように誘導された。
車から降りた後は早乙女さんに誘導されつつ、いくらか歩いたところで立ち止まった。
少しすると体になんとなく重力が掛かるのが感じられた。
おそらく、立ち止まっていた場所はエレベーターで今は下の階に下がっているようだ。
エレベーターが目的の階に着いたらしく、俺は再び誘導されながら歩いた。
その後もいくらか移動を続けて、ようやく立ち止まった。
いくらか移動を続けたのはこの場所の広さや構造などを把握させないためだろう。
随分と慎重なことだ。
「お疲れ様でした。アイマスクの方も外して頂いて構いません」
俺の両耳の耳栓を早乙女さんが外していた。
アイマスクも外して良いということは目的の場所に着いたというわけか。
俺は遠慮なくアイマスクを外した。
真っ暗だった視界に眩しい光が入る……ということはなく、ダウンライトの落ち着いた光が視界に入ってきた。
目がくらむこともなく、俺はすぐに辺りを把握しようと視線を動かした。
俺は質素な扉の目のまえに突っ立っており、隣には早乙女さんが立っていた。
渡会さんの姿がなかったが、これは予想通りだ。
概ね辺りを把握し、ここが応接室というか待合室のような小さな部屋だというのが分かった。
「では、よろしくお願い致します」
ある程度の状況を俺が理解したと見かねて、早乙女さんが目の前の扉にノックをしようと一歩前に出た。
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