Tier39 勘

「あ! そう言えば、さっきの人一緒に乗らなくて良かったのかな?」


 車窓からの景色が少しずつ早く流れ始めた頃に、僕はふと声をもらした。


「え? どうして?」


 目の前に座っていた美結さんが聞いてくる。

 美結さんの隣に座っていた市川さんと僕と同じように吊革につかまって立っていたマノ君も視線を僕に向けた。


「だって、さっきの人も僕達と同じホームにいたでしょ。それなら、行先の方向も乗るモノレールも同じだと思うんだけど。あと、名前も聞けずじまいだったし」


「あ~確かに! え~何でだろう……実はアタシ達が来る前のモノレールから降りて来てただけだったとか?」


「残念だけど美結の予想はハズレだよ。自動運転について教えてくれた人がホームの階段から上がって来ていたのを私見てたんだよね」


 市川さんの証言が美結さんの予想がハズレていることの裏付けとなってしまった。


「そっかぁ~じゃあ、なおさら何でなんだろう?」


「う~ん……あるとすれば、乗るホームを間違えていたとかかな」


「うん、そうかも。たぶん、それだよ! あんな頭良さそうな人でもホームを間違えちゃうなんて、案外おっちょこちょいなんだね」


 美結さんと市川さんにとって、さっきの人はおっちょこちょいだったということになったようだ。


「なぜ、急にそんなことを聞いてきたんだ?」


 この会話にあまり参加してこなかったマノ君が、つかまっていた吊革に手首を通した状態で僕の顔を軽く覗き込んできた。


「何か気になるような違和感でもあったのか?」


「違和感っていうほどのものじゃないけど……なんとなく」


「なんとなくは、あったんだな?」


「うん」


「どんなだ?」


「それは……」


 ここで僕は言いよどんだ。


 さっきの人は、本当に間違えてあのホームにいただけなのだろうか。

 本当に僕達が自動運転について話していたから声を掛けてきたのだろうか。

 本当に僕達が六課という警察組織の人間であるという事情を知らなかったのだろうか。

 本当にたまたまあの場所に居て、思いがけず僕達の会話に興味を持って、偶然僕達に接触してきただけなのだろうか。

 どこか言動におかしなところは無かっただろうか。


「さっきの奴が八雲だったんじゃないかって疑ってんだろ」


「ッ!? なんで分かったの?」


 僕は驚いて一瞬、言葉を失いそうになった。


「お前が考えていることぐらいマイグレーションをしなくたって分かるってことだ」


 僕の思考がここまで見透かされているなんて、マノ君の洞察力はすごいな。


「伊瀬っち、さっきの人が八雲だと思ったの? まっさかぁ~そんなことあり得ないよ」


 ……


「あり得ないよね?」


 僕とマノ君が真剣な顔で黙り込んでいたせいか、美結さんが不安になって自分の発言に自信を無くし始めていた。


「どうしてお前はいつも、そうやってすぐに折れちまうんだよ。大丈夫だ。あれは八雲じゃない」


 マノ君はそう断言した。


「マノ君はどうして、さっきの人が八雲じゃないって思うの?」


「……勘だ。さっきの奴は八雲じゃないと、絶対的な何かが八雲とは根本的に違うと、俺の勘がそう言っている」


 マノ君が言っていることはさっきの人が八雲ではないということの何の根拠も無っていなかったけれど、こちらが納得してしまうほどの気迫がそこにはあった。


「また、勘? そもそもアンタの勘って本当に当たってんの?」


 美結さんがマノ君に疑いの目を向ける。


「勘だからと言って、馬鹿に出来ないからな。人間の脳は5%かせいぜい20%ぐらいしか解明されていないらしい。それに虫の知らせや第六感、サブリミナル効果とかは昔からよく言われているだろ」


「そう言われると馬鹿に出来ないかも。あっ、でも、脳の何%がどうのこうのってやつは迷信らしいよ!」


 美結さんがどこか勝ち誇ったように言う。


「それは人間は脳の10%しか使っていないっていうやつだろ。俺が言ったのは『解明されていない』だ。全体が十分に判明していないから解明の度合いは異なったりもするようだが、人間の脳はまだまだ未知の領域ってことだ。まぁ、人間は無意識下でありとあらゆる情報を得ていてもおかしくはないわけだな」


 言い負かされた美結さんは少し悔しそう頬を膨らました。


「マノ君がそう言うなら、さっきの人は八雲じゃないね」


「ここまで言った俺が言うのもなんだが、信じるのか?」


「信じるよ。マノ君が言ったことは正しいって、僕の勘が言っているからね」


 マノ君が小さく笑った。


「お前もなかなか言うな」


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 津田の台駅を降りてすぐのマンションに僕達は帰ってきていた。

 マイグレーターを監視する役割を担う政府直轄のこのマンションには六課の人の多くが住んでいる。

 乗っているエレベーターが5階に着いたことを知らせるランプが点滅して扉が開く。

 そして僕は……僕とマノ君はそこで降りた。

 僕はここで初めてマノ君と同じ階の部屋に住んでいることを知った。


「じゃ、二人ともじゃあね~」


「また、学校か六課でね」


 美結さんと市川さんが軽く手を振る。

 二人と那須先輩の部屋は6階にあるらしい。


「あぁ、じゃあな」


「はい、さようなら」


 僕達がそう言った頃にはエレベーターの扉は半分くらい閉まり始めていた。


「僕とマノ君って同じ階に住んでいたんだね」


 エレベーターに背を向けて歩きながら僕はマノ君に言った。


「同じ階っていうか、隣だけどな」


「え?」


 気付くと僕は「503」と書かれた自分の部屋のドアの前にいて、マノ君は「502」と書かれた部屋のドアの前にいた。


「ちなみに、お前の部屋の右隣は丈人先輩の部屋な」


「え!?」


 このマンションに引っ越して来てから三ヶ月以上も経っているのにその事実に気付かなかったことに僕は心底驚いていた。


「気付いてなかったのかよ。お前は俺達を監視するためにここに住まわされているんだろ。それなのに監視対象の部屋から離れた部屋をあてがわれるわけないだろ」


 そう言い捨てて、マノ君は鍵を開けて自分の部屋に入っていった。

 僕は何も言えずに少しの間、呆然と自分の部屋のドアの前で突っ立ったままだった。

 いきなり引っ越して来たし、マイグレーションのことや六課に入るまでの研修とかでいろいろバタバタしていたせいでお隣さんへの挨拶をすっかり忘れていた。


「あ、引っ越しそばも食べてなかったな……」


 僕は一人呟いて、そそくさと部屋に入った。

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