Layer38 たい焼き
八雲からメッセージが送られて来た後、俺達はなんとなく解散することになった。
メッセージについては俺も姫石も何かを言うことはなかった。
姫石とは適当に短いやり取りをして、そのまま別れた。
別れ際、姫石に家まで送ろうかと聞いた時に「近所だから大丈夫。あたしがはじめてのおつかいに行くような年齢に見える?」と軽口を叩かれたのが一番長い会話だったかもしれない。
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「三日後の午前、科学室に来てくれ。玉宮香六と姫石華の体を元に戻す」
八雲のメッセージは端的な内容だった。
しかし、こう文字に起こされると八雲に口頭で元の体に戻れると言われた時よりも現実味を帯びているような気がする。
姫石はメッセージを見た時はひどく驚いていたが、何かを言うことはなかった。
姫石はあの時、何を感じていたのだろう?
驚き、喜び、幸福、期待、希望、感謝、安堵、緊張、興奮、不安、疑心、躊躇、畏怖、どれだろうか?
それとも全て?
いや、まだ足りないのか?
……考えても時間の無断か。
そう思いながら俺は制服のネクタイを締めた。
今日が八雲から送られてきたメッセージの三日後だった。
俺はこうして学校の化学室に行く準備をしている。
今日で姫石の体とはさよならか……
ネクタイがズレていないか鏡で確認しながら、ふとそう思った。
戻れるという確証はない。
だが、今日で戻らなければならない。
俺達は次に進まなければならない。
そんな予感がしていた。
今日で姫石の体とさよならすべきなのだと。
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連休のせいか津田の台駅のホームには制服姿の学生など俺一人しかいなかった。
「玉宮、おはよ」
俺の容姿をした姫石が改札から入って来て声を掛けてきた。
「おう、おはよ」
これで制服姿の学生が二人になるなと思った。
それにしても、心なしか姫石が少し元気が無いように見える。
いつもなら人の肩をぺしぺしと叩いてくるところが、今日はただ一声挨拶をしてきただけだった。
もしかすると緊張しているのかもしれない。
メッセージグループに八雲からのメッセージはあれから一度も送られてくることはなく、どのようにして俺達の体を元に戻すかという説明が一切されていない。
何をされるかもわからないのに緊張するなという方が無理な話か。
「今日であたし達、元に戻るのかな?」
電車が来るのを待っていた姫石がポツリと言った。
「さぁな。今日で姫石とこんな風に顔を合わせるのは最後、そう願いたいものだがな」
「なんだかさ、あたしいろいろ実感がないんだよね。入れ替わりなんていう非日常を味わったはずなのに、入れ替わってからたった数日で今まで通り元に戻れますって、いつもの日常が帰ってきますって言われてもピンとこないんだよね。何も実感がないまま元に戻ちゃったらさ、入れ替わりなんて最初からなかった、夢だったんじゃないかって思っちゃいそうなんだよね」
誰に聞かれることもなく姫石は俺と入れ替わってからずっと思っていたであろうことをポツリポツリと話出した。
「夢でも何でも良いんじゃないか? 夢だろうと何だろうと俺達が入れ替わりを体験したことがなくなるわけじゃない。この数日間で築き上げた立花や八雲との関係性が綺麗さっぱりなくなるわけじゃない。入れ替わりがなくなった分だけ関係性が少し変わるだけだ。だから、そう不安を感じる必要も緊張する必要もない。どうしても夢だったと思いたくなかったら、いつでも俺を頼れ。俺が何度でも夢じゃなかったと証明してやる。だから元に戻ることを恐れるな。日常に戻ることを恐れるな。非日常は期間限定だから非日常なんだ。期間が限定されていない非日常は非日常なんかじゃない。それはただの日常だ。そうだろう?」
俺は自分にも言い聞かせるように、優しく姫石に言った。
「……うん、そっか。そうだよね! 玉宮の言う通りだよ! 元に戻るからって今までのことが全部無かったことになるなんてないんだよ!」
そう言った姫石の姿はいつもの元気な姫石だった。
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電車に乗ってから学校までの道を俺達はいつも通りの他愛もない話に花を咲かせながら登校した。
学校は祝日のため生徒の数が少なく、いるのは部活のある部員達だけだった。
普段なら雑多でうるさいはずの下駄箱から廊下を通り、目的地までへとたどり着いた。
さっきまで元気に会話をしていた俺と姫石も、さすがに化学室の扉を前にすると緊張してきたので二人して深呼吸をしてから扉をガラガラと開けた。
俺と姫石が元の体に戻るためにやって来た化学室の光景はいつもと同じということはなく、部屋の中央に白いキャスター付きの有孔ボードが何枚も置いてあった。
その複数の有孔ボードによって二つの部屋のようなものが作られていた。
そして、その二つの部屋はあらゆる物が対称的にそっくりそのまま配置されていた。
まるで一つの部屋がコピーされ、隣のもう一つの部屋に貼り付けされたような感じだ。
これは何に使うんだろうか?
いや、俺達を元に戻すために使うのは決まっている。
そうではなく、これでどうやって俺達を元に戻すのだろうか?
「二人とも来たか」
俺があれこれと考えていたところに八雲が化学室の隅にある化学準備室の扉から出て来ながら声をかけてきた。
「あれ? 八雲だけか? 立花はまだ来てないのか?」
俺は軽く右手を上げて八雲におはようと挨拶をしながら聞いた。
「まだ来てないが、もうすぐ来ると思うぞ……噂をすればだな」
八雲がパタパタと近づいてくる足音のする廊下の方へと目を向けた。
近づいてきた足音は化学室の扉のすぐ近くで止まった。
「おはようございます。あ、もう皆さん来てたんですね。お待たせしました」
振り返ると開けっ放しにされていた扉からぴょこりと立花が姿を現した。
その手には何やらビニール袋が提げられていた。
「大丈夫だよ。あたし達も今来たばっかりだから」
姫石が付き合いたてのカップルが待ち合わせでよく使うような常套句を言った。
ただ、俺達の場合は本当に今来たばかりなんだけどな。
「そうなんですか。なら良かったです。あ、これさっき学校来る前に買ったんですけど食べませんか? まだ温かいので冷めないうちにどうぞ」
そう言った立花はビニール袋から人数分のたい焼きを取り出した。
「あ、たいやきくんだ! ありがとう、歩乃架ちゃん! あたし、これ好きなんだよね~」
姫石が嬉しそうに言った。
それよりも「たい焼き」のことを「たいやきくん」なんて言う奴を俺は初めて聞いたぞ。
なんだ、およぐのか?
「お! 本当だ、温かいな。ありがとな立花、ありがたく頂くよ。これいくらだった?」
俺は手に取ったたい焼きを一旦置いて、財布を取り出しながら立花に値段を聞いた。
「そんな! お金なんて大丈夫です。私が勝手に買ってきただけですから気にしないでください」
立花は申し訳ないとばかりに断った。
「そういうわけにはいかないだろう。これでも先輩なんだ。後輩に奢ってもらうなんて格好がつかないだろう。しかも、わざわざ買ってきて貰ったんだ。だからお金ぐらい払わせてくれ」
「わ、わかりました。玉宮先輩がそう言ってくれるならお言葉に甘えようと思います。えっと、一個180円です」
レシートを見ながら立花が遠慮がちに値段を言った。
「……よしっ! これで丁度かな」
俺は財布の中から取り出した小銭を立花に渡した。
「ありがとうございます」
俺から小銭を受け取った立花がお礼を言ったが、すぐに突き返してきた。
「玉宮先輩! これは多すぎます。180円なんですから、こんなに要りません」
困惑したような立花に俺は大丈夫だからと手で制した。
「それは立花と八雲の分だ。二人にはいろいろ助けられたからな」
「私まで良いのか?」
八雲が少し驚いたように言った。
「良いに決まってるだろ。二人は入れ替わりという窮地に陥っていた俺達を助けてくれたじゃないか。これぐらいのお礼はさせてくれ。もちろん、ちゃんとしたお礼は他でするからな」
「そ、そうか? では私もお言葉に甘えるとしようか」
「玉宮先輩、ありがとうございます」
二人がお礼を言った中、一人だけ俺を恨めしそうな顔で見つめてくる奴がいた。
「ねぇ、あたしの分は?」
「ない、自分で払え」
姫石の質問に俺は冷たくあしらった。
「何であたしだけ駄目なのよ! 玉宮のケチ! あたしの分でけ奢ってくれないのひどくない!?」
「誰がケチだ! 俺が姫石の分まで奢る理由はないだろう!」
「理由ならあるわよ! その……玉宮と入れ替わっていろいろ大変だったんだから!」
「それは俺も同じだが?」
「……」
言い返せなくなった姫石が必死に他に何か言い返せるようなことがないかと口をごにょごにょとしている。
「……しょうがないなぁ。わかったよ。姫石の分も払うから」
なんだか面倒くさくなってきたので姫石の分も払うことにした。
「えっ本当? やったーありがとう!」
よほど奢ってもらいたかったのか姫石は飛び上がって喜んでいた。
いつも奢らせられているわけでもないし、こんな姫石の姿を見れるのなら別に悪くはないか。
俺は立花に姫石の分のお金を渡して、再びたい焼きを手に取った。
「それにしても、この時期はあまりたい焼きって見かけないよな」
「たしかにそうですね。たい焼きってなんか冬に食べてるイメージありますしね」
立花の言葉に姫石もたしかにと頷いている。
「寒い冬に食うたい焼きって何であんなに上手いんだろうな。あ、あとさ、最近いつの間にか外出ても皆マスクしなくなったよな」
こんなことを言ってる俺もマスクをしてないのだが。
「あ~……うん。まぁ、花粉の時期でも無くなってきてるしね」
花粉症ではない姫石があまり実感のない返事をしてきた。
「……そうだよな」
「あ! これ美味しい!」
早く食べたくて仕方なかったのか、さっそく姫石がたい焼きを食べ始めていた。
「俺達も食うか」
姫石が美味しそうにたい焼きを食べている姿を見て俺がそう言うと、立花と八雲もそれぞれ手にしていたたい焼きを食べ始めた。
「あっ本当ですね。美味しいです」
「あぁ、旨いな」
「うん、旨い。やっぱカスタードとかも良いけど王道の黒あんが一番旨いんだよな」
たい焼きの中身は黒のこしあんだった。
「歩乃架ちゃんが買ってきたお店はこしあんなんだね」
「そうですね。粒あんは売っていなかったのでこしあんだけみたいですね」
こしあんだけしか売ってないのか。
たぶん立花が買った店の店主は粒あんを認めないこしあん派なんだろうな。
「皆はさ、粒あんとこしあんだったらどっちが好き?」
姫石、それは聞いちゃ駄目なやつだろう。
たけのこの里ときのこの山、どっちが好きくらい聞いちゃ駄目なやつだろう。
まぁ、俺は聞かれたら答えるけどさ。
もしも、意見が割れたら戦争になりかねないからな。
「俺は……こしあんかな」
こういうのは誰も意見を言っていない最初に言った方が案外有利なのだ。
「私もこしあんですかね」
良かった。
立花は俺と同じこしあん派のようだ。
意見が割れずに済んだ。
「八雲君は?」
「……すまない、そういったことを気にしたことが無かったため考えたことも無かった」
八雲は……うん、まぁ、そんな気がしてた。
「そっかぁ。じゃあ、八雲君は無所属って感じかぁ」
そんな政党みたいな言い方をするな。
粒あんとこしあんのどっちが与党にあたるのかという新たな論争の火種になるからやめろ。
「そういう姫石はどうなんだよ?」
「あたし? あたしもこしあんかな。粒あんも好きなんだけどね。どっちかって言ったらこしあんかな。あ、でもあたしのおばあちゃんは粒あんが好きだったな」
「姫石もこしあん派か」
珍しいことに満場一致でこしあんということで、戦争にならなくて済んだ。
「それにしても、よく自分のおばあちゃんが粒あん派だったなんて知っているな」
「あ~あたし小さい頃は結構おばあちゃん子だったんだよね。お母さんが仕事の時はいつもおばあちゃんがあたしの面倒を見てくれたんだよね」
姫石から自分のおばあちゃんの話を聞くのは初耳だった。
「それでおばあちゃんの好物が粒あんのたい焼きで、よく一緒に食べてたんだ。けど、おばあちゃんはあたしが中学に上がるちょっと前に亡くなっちゃてさ。だから、たい焼きはおばあちゃんとの思い出の味なんだ」
「そうだったのか」
姫石の口からこんな話を聞く日があるとは思ってもいなかったな。
中学に上がるちょっと前ってことは俺と初めて出会った頃はまだおばあちゃんが亡くなったことへの悲しみが癒えてない時だよな。
それなのに姫石はそういう感じを一切表に出してなかったし、俺も気付かなかった。
姫石は人に弱みを見せない強い子で、人に弱みを見せられない弱い子なのかもしれない。
「姫石先輩がそれだけ好きだったってことは、きっと優しいおばあちゃんだったんですね」
立花がしんみりと言った。
「そうなの! あたしのおばあちゃん見た目も中身も絵に描いたみたいに優しいおばあちゃんだったの。ちょっと待って、もしかしたら昔におばあちゃんと撮った写真がスマホに入っているかも」
姫石はものすごい勢いでスマホの画面をスクロールし始めた。
「あ、あった。ヤバ、あたし小っさ~」
そう言いながら見せてきたスマホの画面には姫石の言った通り絵に描いたように優しそうなおばあちゃんと小学校低学年くらいの姫石が写っていた。
「たしかに優しそうなおばあちゃんだ」
いつの間にかたい焼きを食べ終わった八雲がスマホの画面を軽く覗き込みながら言った。
「私が想像していた倍ぐらい優しそうなおばあちゃんですね。それに姫石先輩の小学生姿とっても可愛いです!」
立花が姫石をべた褒めした。
「ちょっと、歩乃架ちゃん! 恥ずかしいから、あんまりそういうこと言うのやめてよ!」
姫石は嫌がっている素振りは見せているが、可愛いと言われてまんざらでもなさそうだ。
立花、姫石をあまり調子にのらせないでくれよ。
まぁ……可愛いんだけどさ。
「そういうことか」
スマホの画面をじっと見ながら俺はそう言った。
「どうしたの玉宮? そんなに写真をじっと見つめて。もしかして、あたしの小学生姿に見とれちゃったの? そっか、そっか。玉宮も男の子だもんね。あたしの小学生姿っていうお宝写真に食いついても仕方ないか。いつもはあたしに対して見向きもしないけど、これにはさすがに食いついたのね……えっ。これにだけ食いつくってことは玉宮ってもしかしなくてもロリコンなの!?」
「誰がロリコンだ! 断じて違う! 勝手に断定するな。あと言うならせめて、もしかしてで聞いてこい。ただ俺は、姫石の言った通り絵に描いたような優しそうなおばあちゃんだなと思って写真を眺めていただけだ。姫石の小学生姿など微塵も興味はない。姫石の小学生姿っていっても、それって要は背を縮めた姫石ってことだろう。そんなの別に見る必要ないだろう」
「聞いた歩乃架ちゃん! あたしの小学生姿のことをそんなのって言ったよ! ひどくない!?」
……
たい焼きを食べ終わるまでずっとぶつくさと言っている姫石を立花が褒めてなだめていた。
だから姫石を調子にのらせちゃ駄目なんだよ。
いい加減、今日ここに集まった目的を思い出せ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「どうやら全員食べ終わって一息ついたようだから、そろそろ始めるか。八雲、あとは頼む」
全員を見渡してから俺は八雲に言った。
「わかった。立花後輩、一応そこの扉を閉めてくれ」
八雲が示した扉は俺と姫石、立花が入って来た扉だった。
「あれ? 私ここに入って来た時、扉閉めてませんでしたっけ? 閉めたと思い込んでただけかな?」
立花が不思議そうに言いながら扉を閉めに行った。
「どうだろう? 俺は扉が閉まってたかどうか見ていなかったからな。わからないな」
「あたしも気にしてなかった」
「なら、私が閉めてなかっただけみたいですね。すみません」
「そういうことって俺も結構あるから、そんな気にしなくていいよ」
こんなこと一つでも謝る立花は素直で真面目で本当に良い子だな。
自分のことは棚に上げといて人のことを変態呼ばわりする奴とはえらい違いだな。
「何よ、急にこっち見て」
「いや、何でもない」
姫石を横目で見ていたのがバレたか。
立花が扉を閉めて帰ってくるのを見計らって八雲が口を開いた。
「では、これから玉宮香六と姫石華の体を元に戻すための実験の概要を説明する」
八雲の言葉を聞いて、俺達を取り巻く空気は一瞬でピンと張りつめた。
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