Phase1 入れ替わりというラブコメ
Layer1 始動
頭の奥の方から電子音が聞こえてくる。
電子音はだんだんと近づくにつれ、はっきりとしてくる。
それによって、視床下部と脳幹で睡眠状態から覚醒状態へとスイッチが切り替えられる。
俺は、思い切り手を伸ばして起床の合図であるスマホのアラームを止めた。
なるほど、さっきから聞こえていた電子音はこれだったのかと俺は当たり前のことを思う。
起きたばかりだからなのか妙に頭に違和感を覚えた……というか体全体が若干重い。
耳に熱を感じて、何気なく触ってみると、
「あっつ!」
想像以上の熱さに少し声を上げてしまった。
耳ってこんなに熱くなるのかよと思いながら、触った耳からの熱を感じながら指をさすった。
横を向いて見ると、電源が入っていない真っ暗なテレビ画面に指をさすっている自分と目が合った。
すると、どことなく自分の顔に似ている顔立ちの母親が俺の部屋のドアを開けて入ってきた。
こういう時は「ノックしてから入って来るようにいつも言っているだろ」というテンプレを言うべきなのだろうかなんて考えたが、そもそもそんな設定はないので言う必要はないな。
そんなことを考えているうちに、母親が俺の顔色を見るように聞いてきた。
「どう? 体調は? 熱下がってそう?」
そうなのだ。
俺は誰にとっても貴重である祝日というすばらしい休日を風邪で寝込むという失態を犯してしまったのだ。
なぜか俺は体調を崩す時はいつも決まって休日という傾向を持っているがために、今のところ皆勤賞で学校に通っている。
「うん。まだ若干重いけど、熱もだいぶ下がったぽいから学校には行けると思う」
またしても俺は続けたいわけでもない皆勤賞を続けることになった。
「そう、学校に行けるくらいの体調ならもう大丈夫ね。あ、お母さん今日の夕方くらいから仕事の出張でゴールデンウイーク明けまで家空けるから、留守番よろしく頼むね」
母親が務めている会社は本社が大阪にあるらしく、年に数回こうして出張に出ることがある。
「わかった。気を付けて行ってらっしゃい」
そう言いながら俺はのそのそとベッドから這い出た。
朝飯を食いながら、俺は今日までが提出期限の自己紹介カードを眺めていた。
最寄り駅から徒歩5分程度と交通の便が良く、東京の郊外に位置する俺が通っている高校、ひばりが丘南高等学校は普通よりも少し学力が高い位の全日制普通科の学校だ。
1970年代後半からの高校の建設ラッシュの波に乗って建てられたこの高校は、建てられてから半世紀近く経っているため、今ではもうお世辞にも綺麗な学校とは言い難い見た目をしている。
そんな俺の学校では、高二になるとクラス替えがあり、それからの2年間は同じクラスで卒業まで一緒に過ごすことになる。
そして俺のクラスである、2年3組の担任の奈良さち子先生は、生徒が高校生であるにも関わらず自己紹介カードを書いてくるようにと言ってきた。
ちなみに奈良さち子先生は定年間際で、決して超絶美人ではないし、ましてや鬼教師というわけではない。
正直、そっちの方が自己紹介カードを書くよりよっぽどいい。
しかし、書くだけならまだたいしたことではない。
問題なのはその自己紹介カードをホームルームの時間に全員で回し読みをすることなのだ。
中学生の時に単純に皆の前で立ってする自己紹介で、自己紹介ならぬ事故紹介になってしまった過去を持つ俺は慎重にならざるを得ない。
幸い今回は皆の前で自己紹介をすることはなくカードという形で行うため、慎重に言葉を選べば無難な自己紹介になるはず……少なくとも事故紹介にはならないだろう。
だんだん自信がなくなってきたため、もう一度内容を確認しておこうと俺は自己紹介カードを手に取った。
名前
生年月日 9月12日
出身中学校 平川第五中学校
性格 普通
趣味 特記事項無し
好きなこと 睡眠
好きな食べ物 鰹のたたき
何か一言 よろしくお願いいたします
「別におかしなとこはないな。よし、たぶん大丈夫」
こうして自信を取り戻すことが出来たので、提出し忘れないために目立つようにファイルにしまった。
朝飯をたいらげ、歯を磨き、洗顔を終わらせ、制服に着替えて、平凡な顔を眺めながら軽く身だしなみを整えると、俺は欠伸を噛み殺しながら家を出た。
周りに大きな公園とさびれた商店街とコンビニぐらいしかない津田の台駅から俺は学校へ通っている。
ただ津田の台駅は、全部で5つしか駅がない短線にも関わらず5分に1本電車が来るため、ある意味では充実しているのかもしれない。
ちなみに、コンビニの種類もなぜか充実している。
ぼーっとしながら乗る電車を待っていると、
「何ぼーっとしてんの! まだ寝てた方がいんじゃない? あんまりぼーっとしてると電車乗り過ごすよ!」
朝からたいそうなお元気で人の肩をぺしぺしと叩いてくるこいつは
家が近所で昔からの幼馴染である二人はなんとなくお互いが気になっている……ということは残念ながらなく世の中そうラブコメみたいに上手くはいってはくれない。
姫石とは中学で出会い、同じクラスでひょんなことから意気投合したこともあってよく話すようになった。
たまたま高校も一緒で、高二からまた同じクラスにもなり、気が合う腐れ縁みたいな関係だ。
よく男女の友情は成立しないなんて言うが、俺は姫石に対して恋愛感情を抱いたこともないし、女性として意識したこともない。
こんなことを言うと姫石にグーパンを食らわせられそうだが……
その反面、絶対に誰か一人と付き合えと言われたら姫石となら付き合ってもいいかなと思ってしまう面もある。
結局のところ友情か愛情かなんて、その時の環境や条件でいくらでも左右されてしまうのかもしれない。
こんなことを言ったら一部の男連中から「贅沢言ってんじゃねぇぞこの野郎!」と言われてしまうだろう。
その理由は姫石が細身でスラっとしていてスタイルが良く、肩に少しかかるぐらいのセミロングでかなり整った顔立ちをしているからだ。
ただ、「凹凸がもう少しあればなぁ~」と言った男子生徒のその後を見た者はいるとか、いないとか。
ここだけがラブコメ仕様のおかげで俺はよく周りからいらぬ疑いを受けている。
「別にぼーっとしてたって乗り過ごしたりはさすがにしねぇーよ。っていうかしょうがないだろう。病み上がりなのもまーそうだけど俺、朝はもともと弱いんだから。 というか明日からゴールデンウイークなのに仮病で休むこともせずにたった1日のために登校する俺って偉くないか?」
「偉いかどうかは置いといて、あたしだったら休んじゃうなぁ~ 意外と玉宮って律儀なんだよね~」
「ま、まぁな」
本当は提出物が今日までだから休むと面倒くさそうだからってだけだけど……
「そういえば玉宮、自己紹介カードちゃんと出した?」
「ッ!」
なんでこのタイミングでそれを思い出すんだよ
「いや、まだだけど……」
「まだ出してないの!? 提出期限4月の最終日じゃなかった? あれ? ってか今日じゃん! だから今日来たってわけね。さっきあたしが思った律儀返して」
「いや、律儀返してってなんだよ。ともかく今日までだからちゃんと書いて持って来ましたよ」
「なんでそんな最終日のギリギリに出すかな~それぐらいさっさと書いて出せる…あ~そっかぁそっかぁ。自己紹介カードだからかぁ~」
姫石は新しいおもちゃを見つけた子供みたいに爛々と目を輝かせて楽しそうに言ってきた。
姫石とは中学からの知り合い、そう中学からの知り合いなのだ。
つまり、俺の事故紹介を知っており、極めつけにその現場に居合わせていたとまである。
今まで何度ことあるごとにいじられてきたか……思い出したくもない。
「今回はあの時みたいに即興で考えてやる自己紹介じゃないから事故紹介にはならん」
「どうだかな~? ちゃんとした自己紹介が書けているか確認してあげようか?」
ニヤニヤしながら姫石は手でほれほれと催促してくる。
「お前に確認されなくたってちゃんと書けているから。余計なお世話は結構だ」
「本当かな~? でも、ちゃんと書けたって言うなら信じてあげよう。けど本当に大丈夫? ワンチャン再提出になったりしない?」
「さすがにそれは大丈夫だろ。未記入の箇所があるわけでもないし、まして今日が提出期限だぞ。滅多なことがない限り再提出にはならないだろ」
「それは確かにそうだけど……やっぱり面白そうだから見して!」
「確認するとか言っといて案の定本音はそれかよ! 絶対見せないからな」
「え~いいじゃん見せてよ~、ケチ~」
「ケチとか関係ないだろ、これは」
しょうもない言い合いをしているうちにちょうど良くホームに電車が滑りこんで来たので、一時休戦となった。
朝の通勤ラッシュの満員電車でさすがにこんな下らない言い合いをするほどの勇気は俺たちにはない。
電車を降りてから朝のホームルームになるまで、なんとか姫石から自己紹介カードを守り抜いた俺は無事に提出することができた。
その後は面白くもなく、将来のなんの役にも立たなそうな授業を6時間受け終え、やっと放課後になった。
帰宅部なのでさっさと家の帰路につこうとしたところ、耳を塞ぎたくなるような放送が入った。
「2年3組の玉宮君、至急、職員室までお越し下さい」
俺は放送で呼び出されることが嫌いな理由が2つある。
1つは、この呼び出しが業務連絡なのか、注意を受けるのか、どちらか分からないことだ。
そしてたいていは、「あれ? 俺なんかやらかしたかな?」と何も思い当たることがなくても思ってしまい、無駄に不安を煽られるからだ。
本当にやめて欲しい。
もう1つは、単純に目立つからだ。
こういう放送がされた時は、呼び出された対象が誰であっても「こいつ何やらかしたんだ?」という視線を一斉に向けられる。
全く生きた心地がしない。
天敵に狙われた小動物はこんな気持ちを味わっているのだろうか。
放送のおかげで一斉に視線を向けられた俺はその中にニヤニヤと面白そうに視線を向けてくる姫石を見つけた。
姫石のやつ何か知っているなと思ったが、いち早くこの大量の視線からおさらばしたいので、そそくさと職員室に向かった。
また、やってしまった……いや、まだこれが正式に出回ったわけではないから、セーフなのでは?
俺は自分が持っている物を見つめながらそんなことを考えていた。
まさか本当にこんなことになるとは思わなかった。
「結構いい感じに無難に書けたと思ったんだけどなぁ……」
この結果は割とショックだった。
「あ! 玉宮じゃん! 何で職員室に呼ばれてたの? あれ? 手に持ってるのってもしかして……」
最悪だ……絶対に会いたくなかったやつに会ってしまった。
あれだけ朝に豪語したというのに、綺麗にフラグ回収してしまった。
どうせこの後めちゃくちゃにいじられるのかと思うと憂鬱で仕方がない。
「あぁそうだよ。朝に話してた自己紹介カードだよ」
色々なことを諦めたかのように俺は言った。
「やっぱり。だからあれだけあたしが確認して上げるって言ったのに」
そう言う姫石はものすごく満足気に笑みを浮かべている。
「やっぱりって、姫石、お前まさか放送で俺が呼ばれた時にはもうこのこと知ってたのか?」
「いや、全然知らなかったけど」
知らないのかよ。
「じゃあ何で俺が放送で呼ばれた時、ニヤニヤしながら俺の方見てたんだよ」
「あぁ~それは、玉宮のことだからどうせ再提出でも食らったのかなーって思ったからさ」
さも当然だというような姫石の顔に何か言い返してやりたいところだが、正直まったくその通りでぐうの音も出ない。
「というか、何でここに姫石がいるんだよ。わざわざ俺が再提出になったかどうか確かめに来たのか?」
「そんなわけないでしょう。あたしはそんなことしているほど暇じゃありません。美化委員の仕事が終わったから、そこの提出棚に点検カードを出しに来ただけ」
「そりゃあそうか……」
ド正論を言われ、マジでこれ以上何も言えなくなった俺のことには目にもくれずに、姫石はさっさと教室に戻り始めた。
姫石はもう少し俺に優しくなった方がいいと思いながら、後を追いかけるようにしてついて行く。
姫石とはいつも一緒に登校はしているが、一緒に下校するというのは結構珍しいかもしれない。
なぜなら、姫石は女子バドミントン部で俺は帰宅部だからだ。
俺は帰宅部だからだ! はい、ここ重要! テストに出すよ、知らんけど。
こんなくだらないこと考えていると、俺の少し後ろから階段を下りていた姫石が急に肩を震わせながら立ち止まった。
なぜか手に持っている物で顔を覆いながら、姫石は肩を震わせながら笑いをこらえているようだった。
いったい何がそんなに面白いのだろか?
何を見てそんなに笑っているのだろうか?
俺にはわからない。
わかりたくもない。
……
俺の自己紹介カードです……
つい先ほど再提出を命じられた俺には抵抗する余地もなく、姫石に自己紹介カードを取られた。
そしてこのありさまだ。
とうとう耐え切れなくなったのか姫石が声を上げて笑い出した。
「ぷっ……あはははは! まさか玉宮これでオッケー出ると本気で思ってたの? そうだとしたら、もうこれはただのバカ! 純度100%のバカだわ、これは!」
「そこまで言うほどじゃないだろ!」
「いや、全然言うほどだから。何? 趣味 特記事項無しって? 書類じゃないんだからもう少しまともなこと書きなさいよ」
「無いものは無い!」
「しまいには、性格 普通って何? 普通ってどういうこと? そんな性格の人見たことも聞いたこともないけど」
「ここにいるだろ! しょうがないだろ。本当に俺の性格は普通なんだから……そりゃぁ俺の性格が優しかったり、面白いならもちろんそう書きたいに決まってるけどさ」
なんだろう、自分で言ってて悲しくなってきた……そ、そんなことはない! 普通だって悪いことじゃない。
だって普通ってことは可もなく不可もなくってことだろう。
悪いよりは良いに決まってる。
「あたしは玉宮は何だかんだで優しいと思うけど……」
近くの教室から机が崩れるような音がした。
まだ、掃除でもしていたのだろうか。
あれ? ちょうど今姫石が何か喋っていたような気がする。
「今、何か言ったか?」
「ッ! いや、別に! ただ、自分の性格が悪いとは考えないんだな~って」
「え!? 俺って性格悪いのか?」
さっき立てた仮説が根底から崩れてしまう。
「悪いわけじゃないわよ。ただ、そういうふうには考えたりはしないんだなぁ~ってだけだから」
よかった。
根底から崩れることはなさそうだ。
「そういうことならいいけど。びっくりさせるなよ。本当は俺、周りからみると性格悪いのかと思ったじゃんか」
「ごめん、ごめん。大丈夫。性格悪くないから。悪いのは……タイミングだけかな」
「タイミング? どういうこと?」
「いいの! 玉宮はわかんなくて!」
そう言って、姫石は少し不機嫌そうにしながらも、少し楽しそうに再び階段を降りはじめた。
何が俺はタイミングが悪いのだろうか? そう考えた時、一瞬足元に何か引っかかった。
引っかかったせいか、素早く階段を下りてしまった俺は、さっきまで自分が下りていた階段の方を振り返って見た。
階段の滑り止めみたいなえんじ色のやつが外れかけており、つまずきやすくなっていた。
どうやらあれに足を引っかけたらしい。
「急に駆け下りてどうしたの?」
そんなことを聞いてきた姫石がちょうど俺が引っかかったところを下りようとしていた。
「あぁ、そこら辺つまずきやすいから気をつけ……」
そう言い終わる前に姫石は壮大につまずいていた。
それはもう、つまずくというより階段から落ちていた。
目の前には姫石の顔があった。
うん? 目の前?
あ、これはヤバい……
次の瞬間、視界は真っ白になっていた。
そして、
ゴッン!
バチッ!
という音ともに前頭部に激痛が走った。
「ッ! いったぁ!」
ぶつかったところをさすりながら目を開けてみたが、チカチカとしていてまだよく見えない。
どうやら星が飛ぶとはこういうことを言うらしい。
「おい、姫石大丈夫か?」
耳もぶつけたのだろうか? 自分が発した声がまるで女子の声であるかのようにかん高く聞こえた。
ようやくチカチカも治まり、なんとか視界のピントを合わせると、親の顔の次ぐらいに見た自分の顔がそこにはあった。
鏡でも見ているのだろうか?
そう思ったが俺はそれをすぐに否定した。
こんな階段のすぐ下に鏡? なぜ? いや、ありえない。
かなりの激痛が走ったはずなのに俺の思考はいつも以上に冷静に周りの状況を観測、分析していた。
なぜ、鏡もないのに自分の顔が見えているのか?
なぜ、自分が発した声がまるで女子の声であるかのように聞こえたのか?
ありえないとは考えながらも、自分が立てた仮説を否定できずにいる。
この仮説以外に今の状況を説明することは到底できないはずだ。
どうやら俺たちは……俺と姫石は、ラブコメでよくある入れ替わりというやつをしてしまったらしい。
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