第3話 パパ降臨

 嵐は脅しを掛けて来た張本人、光と共に学校近くのカフェに来ていた。

 清閑な店内の雰囲気、鼻腔をくすぐるコーヒーの香り、コポコポと何かを沸騰させている様な音が気持ちを落ち着かせてくれるーー。


「いらっしゃいませ~、ご注文はお決まりですか?」

「はい、アッサムティーを1つ」

「はい、アッサムティーですね~……お、お客様はいかが致しましょう?」

「……水で」


 そんな中、嵐は眉を顰め険しい表情で告げた。店員は戦々恐々といった様子でそそくさと奥へと消えて行く。

 そう。今の嵐にはどんな事をされようとも落ち着ける訳がなかった。


「おい……俺を脅して何をさせるつもりなんだ?」


 何故なら自分が目の前に居る彼女、300万人ものフォロワーを誇る美少女インフルエンサー光のスカートの中を覗いている写真を撮られ、弱みを握られているのだ。穏やかに紅茶でも飲もうという気になれる筈もない。


「おい……聞いてんのか?」

「……」


 何も反応を示さない光に、嵐は聞こえていなかったのかと少し光に寄って話し掛ける。しかし、それでも反応は返って来ない。


 ーーそれにしてもと、嵐は改めて思う。

 シミ1つ無い白い肌、長いまつ毛の奥に輝く蒼眼の瞳、ピンク掛かった薄い唇、堂々と胸を張っているからか制服の上からも分かる膨らみが男心をくすぐる。

 校門の時のオドオドした様子は無く、何処か気品の溢れる所作でスマホを操作している。正にお嬢様と言った所だろう。


(こんなお嬢様が『脅迫』なんて……何を考えてやがる?)


 お嬢様なんて、何不自由ない生活を送って来ている筈。自分の様な不良を脅迫した所で何の得があるのだろうか。犯罪めいた事を命令されるのだろうか。


「ち……これじゃあ大乱闘動物園には行けねぇな」

「っ……」


 考えても仕方がない、そう結論付いた所で嵐は視界に入った時計を見て呟く。

 すると突然、光が視線を上げスマホを突き出して来る。


「あ? 何だよ……L◯NEのQRコードじゃねぇか」


 これでいつでも呼び出せる様に出来るという訳だろうか。何をやらされるのかは想像したくもない。


「おい、追加したぞ。次はどうすればいいんだ?」

「ん"んっ……あ、あー……」


 嵐が友達に追加すると、光はスマホを確認するなり顔を赤らめては咳払いを何度かして、小さく声を上げている。

 まるで発声練習の様だが、緊張しているとも考えづらい上に、此処に人は嵐しか居ない。美少女も同じ人間、痰でも絡んだのだろう。


 光の行動に、逐一目を光らせる。

 そんな中、光は喉の調子を整え終わると、意を決した様に大きく息を吸い込んだ。



「お待たせしました~、こちらアッサムティーとお冷になりまーす」



 その瞬間、先程の店員が品を持ってくる。

 何ともタイミングの悪い事だ。光は大きく開けた口を段々と窄めていく。


(店員にも気を配っている……本当に俺に何をやらせる気なんだ?)


 頑なに周囲を気にする光に、嵐は何をやらされるのか不安で一杯のまま、ただ光の様子を凝視しする。それに気付いた光は一段と顔を紅くしプルプルと震えを激しくさせて行く。

 そんな数秒、微妙な空気が流れた後に光は突然立ち上がり、ある方向を指差した。


「あ"? そっちは……」


 その方向には店の出入り口しかない。


「おいおい……まさか帰れってか?」

「っ! っ!!」


 何も言わず、ただ顔を俯かせたまま出入り口を何度も指差している。


「L◯NEの追加なら此処に来る必要も………まぁ、帰れと言われれば帰るけどよ」


 今の嵐には、光の言う事を聞くしかないのだ。

 嵐は茹で蛸の様に真っ赤な光をそのままに店を出るのだった。


 ◇


 嵐がカフェを出た頃、ほぼすれ違いにカフェへと入る女子が1人。


「急にカフェに行くなんて聞いてない……って、あれ!? 光!? 古賀くんは!?」


 黒髪ボブ、聖華恋の制服を少し着崩した格好をしている光の容姿と負けず劣らない彼女は、光の両肩を掴み前後に揺さぶった。


「ちょっと! 光!!」


 その行動に光が辛うじて反応する。


「ゆ、祐希ゆうきっ!いきなり1対1は無理ぃ~っ!!」

「あー……なるほど。ごめんごめん。私も一緒に居てあげたら良かったね」


 黒雲くろくも 祐希ゆうき16歳は、まるで子を慈しむ母親の様に、抱きついて来た光の頭を撫でるのだった。


 ◇


 聖歌恋女子校の『迷子の妖精女王』に脅された翌日、嵐は普通に学校に登校していた。

 そしてーー。


「はぁ〜……ラッシー君カッコ可愛過ぎだろ」


 SNSで投稿されている『大乱闘動物園 公式アカウント』のラッシー君の写真を見て酔いしれていた。


(シロクマという清廉純白のボディに、サングラスにトゲの首輪、そんな荒々しさを感じさせながらのラッシー君の華麗な芸。流石、大乱闘動物園。やる事が公開初日じゃないぜ。本当なら一昨日見れた筈なのに……はぁ、ショック過ぎる)


「あ、嵐ーっ! 昨日は急にどうしたんだよーっ!!?」


 そんな時、仁が学校から手を振って出て来る。

 そんな近づいて来る仁の手を、嵐は思わず逆手に取って有無を言わさずに地面に押さえ込んだ。


「少しはラッシー君みたいに落ち着きを持った大人になれないのか? 目立っちゃうだろ?」

「え! 俺って落ち着きラッシー君以下!? というか今のこの格好の方が目立ってるから!?」

「こんなの今となっちゃ日常だろ? それよりも朝から叫んで……お前は空気を読めんのか?」

「何で僕が悪いみたいになってんの!?」


 仁の腕を離し、嵐達は学校の敷地内へと入って行きながら会話を続ける。


「で? 態々昨日の嫌な事を思い出させようとして此処に来た理由は?」

「嫌な事……? 超絶美令嬢インフルエンサーと2人で出掛けて嫌な事なんてあるの?」


 仁は本当に不思議そうに首を傾げる。

 昨日、告げられた言葉を聞けば仁は同情してくれるだろうか、それは十中八九『否』と言わざるを得ないだろう。

 言ったら「僕がなりたかった!! その役……!!」なんて言いかねない。その上、口の軽い仁の事だ。これを聞いたらまるで水を得た魚の様に、女子達に面白半分で話のネタにするに違いない。

 相談する相手は慎重に選んだ方が良い。


「別に、言葉の綾だ」

「まぁ良いけどさ……昨日の『迷子の妖精女王』と2人で急に出て行ったこと、学校中で噂になってるけど? 大丈夫そ?」


 相手は大企業の一人娘、嵐は学校でも有名な不良。釣り合う訳が無いどころか、何かのトラブル等では無いかと噂されるのも仕方がない。


(まぁ本当の悪人は、アイツなんだけどな)


 と、そんな事もまた言える訳もなく、無視をして上履きを履き替えた瞬間だった。


「古賀くん、ちょっと良いかな?」


 話掛けて来たのは白髪の少し腹が出ている中年だった。


 何処か見た事がある様にも思えるが、どうも思い出せない。

 中年を見て固まっていると、仁が小声で叫ぶ。


「校長だよ! 校長!!」

(あぁ……そう言えば居たっけ、こんな奴)


 紅葉高校は、聖歌恋と同じ敷地内にある……というより聖歌恋の敷地内に紅葉高校があり、集会等で壇上に立つのは紅葉高校の校長では無く、聖歌恋の『理事長』だ。校長という地位はあって無いに等しい為、覚えられないのも無理はない。


「えっと、何の用っすか?」

「と、兎に角来てもらうから!!」

「え、おぉおぉぉっ!?」


 嵐は校長に腕を思い切り引っ張られ、何処かへと連れて行かれるのだった。


 ◇


「此処って……」


 そして数十分後、幾多のセキュリティーを潜り抜け校長と一緒に向かったのは、聖歌恋高校と紅葉高校の渡り廊下の中心、『理事長室』だった。


「兎に角! 後は此処に入るだけだから! じゃっ!!」

「あ! ちょっ! って、早っ!!」


 嵐が振り返った時には、校長は既に長い廊下の突き当たりを右に曲がった所だった。


 基本、嵐は学校の中では比較的真面目で通っている。先生達との仲も良好で、外での評判が悪くても普通には話掛けてくれていた……だが校長とは初めて話した。


(不良という認識なら、アレぐらいの態度が普通か?)


 何が何やら分からないまま服装を正すと、嵐は扉をノックした。


「紅葉高校1年A組 古賀 嵐です。校長先生に連れて来られました」


 ノック後、数秒してーー。


「入りたまえ」


 中から厳格な声が響き、扉を開く。

 中に入ると、そこら中に高級そうな物が置いてあった。目の前には柔らかそうなソファが対になって置かれており、壁際には天井まで届く本棚が全面に置かれている。

 そしてその奥には、某アニメの司令官の様に此方を睨んでいる男が居た。髪は黒、眉間には皺が寄り、鋭い眼光が目を光らせている。目から下は手でよく見えないが鼻下には髭を生やしているのが見え隠れしており、異様な威圧感がある。


「君が古賀くん、だね?」

「はい」

「学校を時々休んだりするものの授業態度良し、先生達に対しての態度良し、提出物はちゃんと提出していると……」

「まぁ、成績の方はあんま良くないっすけど」


 だからと言って嵐は何も気にした様子も無く答える。

 毎日の様に不良たちに絡まれていれば、このような鋼鉄のメンタルが手に入ると言う事だろう。


「ただ、他校との揉め事が何件もある……」


 しかし、次に続けられる言葉に嵐は思考を停止させられた。


「君、ウチの娘に手を出したんだって?」

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