第28話 幸せの怪猫

 梅雨の晴れ間。


 主人の、本当の心を知ったぽん太の嗚咽は止まない。

 三毛猫の楓は、優しく、この大柄な雄猫をいたわり続けている。


 合氣道教室の指導までには、まだ時間はある、遅れることはないだろう。

 ぽん太を、このままにして行くのは、忍びない。


 念の為、大学の後輩でもある一年生、鈴村千尋に、僕はLINEで、今日の稽古は出席するか?と聞いてみる。

 すぐに「はい、行きます」という武術家らしい簡潔な返信。


 四月に入門してからこの二ヶ月、彼女はまだ、一度も休んでいない。

 だが、入ったばかりとはいえ、黒帯の二段、立派な上級者だ。

 ここは、千尋に頼むことにする。


「今日は、もしかすると遅れるかもしれない、自分が時間に間に合わなかったら、準備体操の指揮を執って、稽古を始めていて欲しい。」

 という内容の連絡と、さらに僕が到着するまで、やっておいて欲しい稽古内容を千尋に伝える。


 またすぐに、「了解しました」という返信。

 冷静沈着なこの子は、頼りになる、しっかり者だ。


 暫くして、ぽん太は自分から口を開く。

(それからのオレは、地獄の日々だった。)


「誰も飼ってくれる人は、見つからなかったんだな?」


(その通りさ。

 オレは何しろ、このツラだからな。

 

 人間はオレを見ると、口々に罵り、ガキ共には石を投げられた。

 ガラスの破片の入った餌を食わせようとしたジジイもいたな。


 一度、人間に飼われていた猫は、野良猫達も友達になっちゃくれねえ。


 保健所に「気持ち悪い猫がいる」と通報されて、役人がオレを捕まえに来たのも、一度や二度じゃねえよ。


 だが、こちとら猫又だ。普通の猫とは違うからな、捕まるようなヘマはしなかったぜ。


 しかしよ、保健所でもし、毒ガスで窒息させられんじゃなく、苦痛無しで、一思いに殺してくれるんならよ。

 いっそのこと、連れてって楽にして欲しいくらいだったさ。


 身体に残ったマシンガンの弾丸はオレにすげえ痛みを与え続けた。


 おまけに、野ネズミや蛙を喰うしかねえから、そっから口に入ってくる寄生虫が頭痛と吐き気を引き起こすんだ。


 牙は何とか付いちゃいたが、長い年月の間に歯ぐきも痛みだす。


 冬に凍傷にかかろうが、どれだけケガをしようが、治る訳じゃねえ。


 何で、オレだけが、こんな目に遭う?オレが一体、何をした?

 天を恨み、自分を呪ったよ。


 走ってる列車や車に飛び込んで、何度、楽になりたいと思ったか分からねえ。


 けどよ、動物おれたちは本能で自殺はできねえようになってんだ。


 そして60年近く、オレは独りで彷徨い続け、もう何も感じられねえ、何の感情もねえ、魂の抜け殻みたいになっていったんだよ。)


 ぽん太......、そんな激痛と孤独に何十年も耐えて来たのか........、辛かったろうな.........。


 楓は、いよいよ二本の前足でぽん太を抱きしめ、ペロペロ顔をなめている。


 ぽん太も軽く、鼻先を、楓の鼻先に付けて、お礼の合図をしながら

(時代は昭和から平成、令和とかになっていったな。


 ルメイも、戦争の時の大統領トルーマンも、とうにくたばったってのに、オレの身体には何の変化もねえ。

 相変わらず、不老のまま、苦しみ続けるだけだ。


 そして、去年の四月の夕方な。

 カラスがギャーギャー言ってる中、オレが公園のベンチの上で寝そべっていると、頭の上から女の声がするんだよ。


「もしも~し、そこの王子様~☆」

 とな。


 何のつもりだ?からかってんのか?

 どうせオレのブサイク面見たら、悲鳴上げて逃げ出すんだろう。


 そう思ったオレは、思いっ切り牙と目を剥き出して、「シャーーーーー!!!」

 っと唸ってやったんだがな。


 その女の口から出たのは

「キャー!!!カワイーーーーー!!!!!♡♡」


 という言葉だったのさ。両方の拳を、胸の前で握り締めて絶叫してよ。)


「それが、佑夏ちゃんだったんだな?」


(他に誰がいるってんだ?

 その女を一目見て、オレは最初、真白様があの世から、迎えに来てくれたんだと思ったんだ。


 そのくらいソックリだったのさ。


 夕陽を浴びた白い肌と、優し氣な瞳なんか、真白様そのものだったぜ。


 けどよ、彼女ソイツは肉体を持った生身の人間だった。

 髪に付いてる白い貝殻が、夕焼けにキラキラ光って、やたら、印象に残ってる。

 

オレに引っ掻かれるのが怖くないのか、佑夏は両手でオレを抱き上げてくれてな。

「キミ、行くとこ無いんでしょ?ウチにおいでよ。」


 耳を疑ったぜ。

 だが、紛れもなく本当の言葉だった。


 佑夏は一目で、オレが丸っ切りの野良猫じゃねえと見抜いていたっけな。


 あの娘の思考が流れ込んで来ると、小さな頃から、猫と犬がたくさんいる家で生まれ育っていたと分かったよ。

 猫を見慣れていたんだろう。オレの素性も想像がついたようだ。


 なんせ、人間に抱かれたのは、真白様以来、78年ぶりだ。

 まだ、ジタイが信じれねえオレに、佑夏は歩きながら歌を歌って聞かせてくれたんだ。天使みてえな優しい美しい声だったぜ。

 歌の上手さは、真白様よりずっと上だな。


 そしてな、アパートの部屋に入るとよ。オレと一緒に風呂に入ってくれてな。

 オレの身体を丁寧に洗って、歯まで磨いてくれたんだぜ、信じられるか?


 ん?オイオイ、変な想像して興奮すんなよ、ジンスケ!)


「ハハハ!してないって。おかしなこと言うなよ。バ~カ!」


(イ~ヤ、興奮してるな。言ったはずだぜ。オレには隠し事はできねえとな。ニャハハハハ!)


 暗く凄惨な話が続いた中、ようやく僕達は笑顔になって笑い合う。



ぽん太の傍らにいた楓も、ゴロゴロいい出している。


 怪猫の機嫌も良くなってきたようである。滑らかに話出して

(何しろ、オレは80年近く風呂に入ってなければ、歯も磨いてねえ。

 身体も口も、さぞや臭かったろうぜ。


 だが、佑夏はずっと笑顔のまま、

 オレを洗ってくれてる間、ニコニコ、まるで楽しいことでもしてるようだったな。


 んでな、風呂から上がったオレを、ドライヤーとかいうヤツで、ブラシを使って乾かしてくれたのさ。)


 佑夏ちゃん、ぽん太の巨体を抱いて家まで連れて来たのか?体力あるな~、いや、思いやりの力かな?


 ぽん太の口調も、さっきまでとは違ってきて、楽しげに

 (引っ越してきたばかり、まだ荷解きしてねえ段ボール箱がたくさんある部屋で、何故か猫用のケージがあってよ。


「用意いいでしょ?こんなこともあるかと思って、持って来てたの。ゴメン、ちょっとこの中に入ってて。

 アパートここ、本当はペットはダメなのよ。」


 そう言って、あの娘は勉強を始めたんだ。

 ずいぶん遅くまでやってたっけな。


 深夜になって、やっと寝る時間になってよ。


 オレをケージから出しながら、佑夏は

「キミ、全っ然、騒がないね。前の飼い主さんが、とっても優しい、いい人だったんだね。

 そうでなきゃ、こんなにお行儀良くなれないもの。」


 何ー!そこまで分かるのか?オレは本当におでれーたさ。


 そしてな、オレを「高い高い」のポーズで持ち上げてよ。

「すっごく優しい、カワイイ目だね。よっぽど大事に可愛がられてたんだね。

 愛情を、たくさんもらった顔だよ。こんな風に、かな?」


 今度は、佑夏はオレをギューっと抱きしめてくれたんだ。

 オレは空襲の朝、真白様に裏山で口付けしていただいた時のことを思い出したよ。


 んで、あの子は、またオレを見てな

「でも、どうして、そんな優しい飼い主さんと離れちゃったんだろ?ご主人様は、きっと今でもキミのことを愛してくれてるよ。」


 うう、嬉しいこと言ってくれるぜ。


 ここで、佑夏は、今の名前を付けてくれるんだ。

「キミ、狸に似てるね?アハッ、カワイ~!名前、”ぽん太”にしよーか?

 今日から、あなたは、ぽん太よ!お~い!ぽん太~!!!前の名前の時のことは、もう忘れようね!!!」


 それからよ、オレをベッドまで運んでくれてよ

「よし、一緒に寝よーね。ぽん太!」


 布団にオレを入れてくれてな、子守唄を歌って寝かしつけてくれたのさ。

 半端じゃねえくらい心地いい、綺麗な歌声だったよ。


 突然、降って湧いたような自分の幸せが信じられないまま、オレはあまりの心地よさに気絶するように、眠りに落ちていったんだ。


 人間と一緒に寝たのは78年ぶりだ。

 もう、飼ってもらえることさえ諦めてたオレに、またこんな日が来るたぁ、本当に夢にも思わなかったさ。)


 佑夏ちゃん、君って子は..........。

 僕は感動で震えているのが、自分で分かる。


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