第二章 ヤマネの棲む森

第6話 幸せのキリギリス

 佑夏が添乗員の男性に、明るく笑顔で挨拶する。

「こんにちは!“空の旅行社゛の方ですね?」


「はい、そうです。ようこそいらっしゃいました。

 よろしくお願いします。」

 と答えた添乗員は、かなり大柄で180センチをゆうに越えそうだ。


 僕よりずっと大きい。

 年齢は三十代後半から、四十代前半くらい?


 芸能人なら、ディーン・フジオカを彷彿させる、なかなかのイケメンぶり。


 佑夏は、すかさず他の女性客二人にも挨拶する。


 どちらも眼鏡をかけていて、一人は痩せており、もう一人は太っている。

 両方、若くもなければ、高齢でもない。

 別々に立っていたから、ペアで来たのではないだろう。


 が、佑夏が入ると、とたんに雰囲気が一変してしまう。


 まるで古くからの知己のように、笑顔で、三人の会話が始まるのである。

 またしてもここで、僕のお姫様は不思議な力を発揮される、こりゃホントにかなわない。


 ようやく、僕も挨拶する。

「中原です。よろしくお願いします。」


 全く、「礼に始まり礼に終わる」のが武術家であるのに、いつも佑夏の後手後手に回るな。


 間もなく、すぐに全員が揃った。


 二十代半ばくらいの、OL風の女性。


 そして、関西の言葉を喋っている母娘。

 なぜ、親子と分かるかというと、顔も姿形もそっくりだから。

 娘の方は、かなり若い、まだ高校生じゃないか?


 僕と佑夏を入れて、客は七人。


 思った通り、僕以外は全員女性。

 普通の男は、こんなことに金と時間は使わないだろう。


 添乗員を合わせて、運転手を除き八人でマイクロバスに乗り込み、一路、霧ヶ峰を目指す。

 諏訪湖がどんどん眼下になる。


 標高が上がるにつれて、次第に木葉が赤く染まり、紅葉が始まっていく風景に変わる。


 なかなか素晴らしい景色だ。

 だが、僕は突如、大声を上げた!

「すいませーん!ちょっと停まって下さい!」


 みんなが一斉に僕を見て、佑夏だけはニコニコしている。


 一番、前の席に座っている添乗員が振り向く、

「どうしました?」


 僕は、右手で捕まえたキリギリスを差し出して訴える。

「これです!」

 車内に紛れ込んでしまっていたのである。


 関西の親子、母親の方に声をかけられた、

「お優しおすなぁ。」


 お優しいですね、と言っているのか?

 大阪弁とは違うようだ。何処の言葉だろう?


 ハスキーな声で、氣の強そうな人ではある。

 しかし、なんて人情味溢れる、温かい方言の響きだ。


「いやぁ、アハハ。」

 僕はいたって適当な返事を返す。


 すぐに、マイクロバスは停車し、僕は外に降りて、キリギリスを逃がすことができたのだが。


 ??どういう訳か、車内に戻ると、全員が爆笑し、笑いの渦ができてるじゃないか?


「あの?何かありましたか?」

 ポカンとして、僕が聞いてみると、添乗員がまだ笑いの収まらない顔で答える。

「何でもありません。さあ、行きましょう。」


 後から聞いた話では。


 僕が車外に出ている間、佑夏は運転手に

「運転手さーん!このまま先に進んで下さい!中原くんを驚かせましょうー♩」

 と、進言したそうだ。


 もちろん、却下されたが、一同の爆笑を誘ったのだと。


 再び、関西人の母親が笑って話かけてくる。

出目金でめきんみたいな顔しはって、どしたんです?」


 僕はしどろもどろになってしまう。

「は、はあ出目金ですか?」


(中原仁助・注釈)


 出目金。

 金魚の一種。

 明治時代に中国から伝わったとされる。

 大きく突き出た目が特徴で、飼育は容易。


 僕は、佑夏によって、今度は鑑賞魚に変えられてしまっていたんだな。

 だけど、和やかな雰囲気作りに貢献できたことを喜ぶべきか。


 ここで、関西の娘の方が口を開き、母親を諌めてくれる。

「出目金ちゃうわ。失礼なこと言わんといて。」


 母親は、ショートカットの髪をかなりきつめに茶色に染め、娘は日本的な黒髪をポニーテールに結っている。


 そのせいか、漫才でいえば、母がピエロの「ボケ」、娘はしっかり者の「ツッコミ」に見えてしまう。

 もっとも、娘は多分、高校生。

 染髪は校則で禁止だろう。


 こちらの女子高生、僕に向き直ると、恥ずかしそうに何やら誉めてくれたりする。

「おかんが失礼なこと言うて、すんまへん。あの·········あなた········、男前·······です······。」


 マイクロバスが、また走り出しても、親子の掛け合いは続く。

 やはり関西系は、東日本の人間に比べ、数倍よく喋る。


 母親が娘をひやかして、僕に語る。

「コイツ、めっちゃ惚れっぽいですねん。すぐ、人を好っきになります。あなたみたいな、ええ男さんが虫助けた優しいところ見たら、イチコロですわ!」


 女子高生も負けてはいない。

「何ゆうとんの!ええ歳して、いっつも男、男、騒いどんのは、自分やないの!」


 大阪の漫才は、あまりに攻撃的過ぎて、品がなく、人によっては気持ち悪くて苦手という話も聞く。


 しかし、この二人の会話はさほど早口ではなく、おっとりした感じで柔らかく、落ち着いた印象を受ける。

 それに、優雅で品がある。

 僕のことを「男前」、「いい男」と誉めてくれたように、他人への思い遣りが感じられるのだ。


 まあ、僕は誉められて氣を良くし、多少、この母娘を贔屓目に見ているのは、否定できないかもしれない。


 そして、母親は佑夏に侘びを入れるではないか。

「こないな、はんなり美人の恋人さんの前で、彼氏さんのこと、娘が男前やなど、勝手なことゆうて、えろうすんまへん。」


 佑夏が氣を悪くしているはずもなく、いつものように、微笑んで答える。

「いえいえ、美人なんて。ありがとうございますー☆」


 彼女は、僕と恋人呼ばわりされ、僕を彼氏と言われても否定しない。


 止まらない口元のニヤケを隠すのに、僕は必死である。


 すっかり、和やかで、一体感の出てきた車内。


 添乗員は、これで言い易くなった、とでもいうように説明する。


「今回の企画は、ヤマネの棲みかを訪ねるものです。でも、絶対にヤマネを見れる保証はありません。

 もし、見れたらラッキーくらいに考えて下さい。」


 誰からともなく「は~い」という返事が響く。


 文句を言う者は一人もいない。それはそうだろう。

 相手は自然であり、野生動物なんだから。


 出発地と、宿泊先でもあるベースの宿までは、あっという間の道のり。


マイクロバスから降り立つと、高原はすっかり秋だ。

草紅葉くさもみじで紅く染まっている。


今夜、泊まる宿は、ログハウスではないが、木造の山小屋風だ。


「講師が到着するまで、しばらくお待ち下さい。」

と、添乗員が告げる。


大きな荷物は、宿の中に入れ、ザックだけの軽装となる。


続いて、山小屋の賄い風の中年女性から、昼食のお弁当が配られた。。


外に出て、周囲を見渡すと、ミニチュアサイズの笹や、小さな高山植物の茂みが広がっており、自分がゴジラになったような気分になる。


笹は高さ10センチあるかないか。

ちょっと笹藪を歩いてみたくなり、足を踏み出しかけたその時。


「中原くん、笹藪に入っちゃダメだよ。」

背後から、佑夏に咎められてしまう。


「踏んだりしないよ。」

それでも、歩を進めようとしたのだが。


「えい!大地の怒りじゃ!」

そのかけ声と共に、この子は、僕のザックを引っ張り、仰向けにひっくり返してしまった。


僕は、合氣道の受け身が取れるから、後ろ向きに倒れてもケガをしたりはしない。

それを知っての、お姫様の狼藉だ。


それに、彼女は、僕がバランスを崩すと、両手で背中から僕を支え、そっと地面に降ろしてくれた。

だから、ズボンが破けたりすることもなかったのである。

 

まだ、僕の背中と頭には佑夏の手が当たったままだ。


見上げると、すぐ上には美しい美女の顔、その背後には秋のウロコ雲。

髪の白い貝殻が、秋空に映えるのなんの。


その上、温かく、柔らかい手の感触。心地いい。

ずっと、このままでいたい。


ちなみに、僕の合氣道教室での話。


中学生や、小学校の高学年の生徒で、幼稚園や低学年の子の面倒見のいい、優しい子も中にはいる。


こういう、優しい生徒は、他の道場生への触れ方が柔らかく、触れる相手を思いやる。


そして、触れ方が優しく、柔らかい子ほど、技の理解と上達が早い。


反対に、年少の生徒に露骨に嫌な顔をしたり、世話を全くしない子は、触れ方が硬く、冷たい。

そういった道場生は、あまり上手くはならないものだ。


他人への触り方一つに、性格も人生も現れるのである。


佑夏のこの手は、とてつもなく優しい、柔らかい、温かい。


僕を支えたまま、彼女が囁く。

「ほらほら、中原くん、雲が綺麗だよ。下ばっかり見てたら見えないよ。」


「ああ、そうだね。」

ずっとこんな態勢のままでは、イチャついてるように見えて、他の参加者をシラケさせてしまう。


僕はようやく起き上がる。


秋の爽やかなウロコ雲に、紅葉、小さな高山笹が絶妙なコントラスト、最高の景観だ。


「すまなかった。佑夏ちゃん、ありがとう。」


僕の謝罪に、いつものように、彼女は優しいクスクス笑いで返してくれる。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る