第7話 幸せの写真家
幸福論のアラン大先生は、旅行についても述べている。
それを、佑夏が教えてくれるのが、これまた興味深い。
「観光地を駆け足で回ったりするのは良くないわ。思い出に残らないの。
気持ちは分かるけどね。」
僕も頷く。
「やりがちだね。だけど、そんなことやってたら、スゲー疲れそうだ。」
「そーなのよ。
今ここ、ちょっと歩いてみて。それから、立ち止まってみよーか。それだけで、景色が違って見えるよ。」
彼女に言われた通り、少しずつ歩き、また立ち止まり、この素晴らしい高原の景観を見直してみる。
「ホントだ。少し動いただけで、全然違って見えるよ。」
佑夏は、一面の紅葉を見ながら微笑む。
「変化のあるものは、見るのに、喜びを持っているのよ。
この高原は、春から冬までずっと違う姿をしてるわ。」
僕も大いに同意する。
「確かに、ニッコウキスゲや花の季節に来たら、それは見事だろうね。」
「ふふ。変わっていくものに喜びを見つけるのは、習慣の中に眠ってしまわない為に、必要なことなの。
でもね。季節の移り変わりだけじゃないのよ。
もし、お花の時期だったら、どうかしら?」
唸って答える僕。
「時間や天気によって、陽の当たり方が違うし、色んな虫も来る。
一秒ごとに、もう別物だよ。」
「うん、正解!
お庭やベランダのお花でも楽しめるよね。鳥の来る木だったら、もっと楽しそー☆」
姫は合格点をくれたようだ。
すると、ちょうどその時、小型のSUV車がやって来て、駐車したりする。
中に誰が乗っているのか、ここにいる全員が承知しているが。
運転席のドアが開き、小柄な男性が降りて来る。
年齢は60代前半くらい。
銀縁のメガネをかけて、髪には白いものが混じっている。
写真集の著者近影にあった髭は無いな。
身長は160センチちょうどといったところか?
やはり、アウトドアルックが、ピッタリ似合っている。
この人が、霧ヶ峰のヤマネを撮り続けて30年。
動物写真家、東山大悟氏だ。
「東山です。こんにちは。」
落ち着いた声。
腰が低く、穏やかそうな、すごく感じの好い人じゃないか。
ディーン・フジオカ似の添乗員が、東山さんに駆け寄って頭を下げる。
「先生、よろしくお願いします。」
全員が東山さんを中心に輪になった。
これで正真正銘、全てのメンバーが揃ったのである。
ディーン添乗員(本名は聞いたが、すぐ忘れた)が僕達に向き直る。
「皆さん、東山大悟先生です。
先生に、一人ずつ自己紹介をして下さい。」
七人の参加者が、それぞれ自己紹介することに。
僕と佑夏は、時計回りの一番最後。
よってラストである。
トップをきって、黒縁のメガネをかけた痩せている女性。
諏訪駅の待ち合わせ場所に、僕達より早く来ていた一人である。
黒髪のボブカットというのだろうか?僕は女性の髪型については、良く知らない。
年齢は30代後半のようだ。
「長野県に住んでおります、小林です。よろしくお願いします。
パーク協会の職員です。」
見るからに学歴の高そうなインテリ風な人である。
パーク協会といえば、日本でただ一つ、ヤマネの博物館がある八ヶ岳の施設で知られている。
二番目。
あの関西の親子、母親から。
「京都から来ました、
よろしゅう、お
通りで、大阪弁よりおっとりした話し方だと思ったら、京言葉だったのか。
昭和臭漂う名前。
40代中頃だろう。
続いて、その娘。
「娘です。
よろしゅう、お頼申たのもうします。」
やっぱり高校生、最年少だよ。
学校は休みなのか?
次に20代半ばくらいの女性。
僕と佑夏より、2、3歳上かな。
「横浜から来ました。
よろしくお願いします。」
肩くらいの髪をチョコレート色に軽く染めている。
ごく普通の女性。
こんなところにいるより、彼氏とテーマパークに行っている方が似合いそうだが。
もう一人。
太っていて、あばた顔。
お世辞にも美女とは言えない参加者、50代前半?
最年長になりそうだ。
背も一番低い。145センチくらい。
「東京から来ました。山田です。よろしくお願いします。」
ブスっとした挨拶だ。
せっかく、景色のいい場所に来ていて、楽しくないのか?
銀縁のメガネの奥にある目も、なんだかギョロギョロして怪しげである。
そして、僕と佑夏の番になる。
「◯◯県、△△市から来ました、中原です。大学四年生です。
よろしくお願いします。」
「中原さんに同行させていただきました、白沢です。
大学生です。よろしくお願いします。」
どよめきが起こる。
ええ!そんな遠くから?とみんな顔に書いてある。
東山さんと、フジオカ添乗員は、僕と佑夏がどこから来たのか知っているから、驚いたりはせず、微笑んでくれている。
添乗員から、簡単な名簿というか、名前のリストが渡される。
これでも、僕は武術家である。
礼儀上、すぐに全員の名前と顔を一致させて、名前で呼ばなくては。
フルネームと居住地だけが書いてある。
そして
全員の自己紹介が終わった後、東山さんが宿のスタッフと、何やら打ち合わせをしている。
東山さんは「分かった」といったように、頷くと、全員に出発前の注意を与える。
「皆さん、飲み水と雨具は必ず用意して下さい。」
添乗員が引き継ぐ。
「雨具をお忘れの方は、宿の方にございます。」
再び、東山さんが。
「予定のコースを変更します。
昨日、熊が出たそうでして。谷底まで降りず、楽なコースになります。」
さらに、東山さんがつけ加える。
「歩く道の外にある笹藪や、茂みには決して入らないようにお願いします。
植物を痛めます。
この中には、そんな方はいないと思いますが。」
ギクッ!すいません、自分のことです。
恐る恐る、佑夏を見てみると、やはり目が合ってしまう。
口元を手で隠し、僕を見つめて、クスクス笑いしていた。
ともかく、僕達は出発することができた。
熊鈴は全員が付けている。
東山さんは、少し歩いては立ち止まり、植物や虫の解説をしてくれる。
「皆さん、図鑑で調べても紹介されてない植物については名前を言いますが、それ以外は言いません。」
東山さんのこの言葉に、全員がやや意外そうな顔をする。
「数百種類になる植物がありますから、一つずつ詳しい話をしていると、それだけで精一杯になります。
せっかく、ここに来ているのだから、今ここでしかできないことをしましょう。
ただ、名前を言って、時間が過ぎるのは、もったいないです。」
なるほど、この自然写真家さんの言う通りだ。
この人が、幸福論を読んでいる確率は極めて低いんだけど。
アラン流のガイドであり、何だかすごい充実感だ。
道にヒミズ、モグラみたいな小動物の死体があり、なんのことはない、ただの小さな動物の死体なのに、東山さんの解説で、全員で大いに盛り上がった。
集団心理による一体感。
それに、物事は、細部から全体を見るように、という幸福論の話、そのままだ。
やがて、高山植物帯を抜け、楢の原生林に差し掛かる。
下り坂の細い道、一人ずつしか歩けないな。
ちょうど沢沿いの谷間、その上の方を歩くような状態で、はるか下の方から水の音がする。
「今日は、本当は、この下にある沢沿いを歩く予定だったんです。」
東山さんが沢を見下ろす。
「しかし、昨日、熊の目撃情報がありまして。
このまま、尾根伝いに行きます。この先がヤマネの森です。」
東山さんが先頭になり、添乗員が最後尾につく。
唯一の男性客だからということか、他のメンバーに促され、僕は東山さんの次になる。
佑夏は、歳の近い横浜の女性、水野さんと意気投合し、僕のすぐ後ろを女二人で歩いている。
時折、見晴らしのいい場所に出ると、東山さんは歩みを止めて、森の説明をしてくれるのである。
それにしても、紅葉が実に見事。
東山さんが、熊を敵視しているとは思えなかったが、やはり、寂しそうな表情で語り始める。
「熊は大変臆病で、平和的な動物です。
私は霧ヶ峰や八ヶ岳で、30年、夜の森で野生動物を撮影していますが、一度も熊に悪さされたことはありません。
そうだよ!
どうして、テレビなどのメディアは、熊のことを人間を襲う、恐ろしい血に飢えた化け物のように言うのだろう?
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