第5話 幸せの湖
長野に入ると、風景がガラリと変わった。
「日本アルプス」の名を冠するヨーロッパアルプスに似た山々に、東洋的な情緒が溢れるように相まって、その美しさは、今まで見た日本のどの絶景とも違っている。
植物の植生にも、変化が見られる。
山梨では無かったモミの木の大木が群生し、言葉を失いそうな迫力と感動である。
ちょっとハイジしてるような?
「素敵ね~!何だか景色が煌めいて見える。」
終着駅の上諏訪駅は、もう目の前。佑夏は子供のように目をキラキラさせている。
山梨より、澄んだ空気の為か、世界全体が輝いているようだ。
明るく強い陽射しが照り付けるのに、気温は上がらない長野独特の気候。
古くから、軽井沢が避暑地として人気のある理由。
そして、快晴の青い空に、トンボが舞っている。
霧ヶ峰で、僕達を待つ小動物はトンボが好物のはず。
冬眠に備えて、食べまくっているだろうか?
夜行性だから、今頃は巣穴の中かな。
その地に向かう僕達の汽車旅も、間もなく終わりを告げることになる。
地元の駅から、新宿までは夜行バスに乗った。
実に六時間もの道のり、しかも出発は深夜。
男一人なら、そのまま特急に乗り継ぐところだが、美しいお姫様をエスコートの最中。
大急ぎで、新宿のネカフェでシャワーを浴び、あずさに飛び乗った。
こんな「美女を何だと思ってるんだ?」と言われそうな旅程にも関わらず、佑夏は、終始にこやかである。
ぽん太の奴、何が「住む世界が違う」だ!
佑夏は、僕とピッタリの庶民派じゃないか。
僕はバブルを知らない世代。
時代によっては現実に存在したらしい、移動はグリーン車か、それなりの車の助手席、宿泊は一流ホテルでなくてダメだという女性。
が、僕は知らない。
もし佑夏が、そんな人だったら、今こうして、一緒に列車に乗ってはいないと思う。
再び、彼女が幸福論を解説する。
「アランのお話だとね、汽車から見える景色は無料なんだって。」
「え?俺達は料金、払ってるよ?」
「それは運賃でしょ?風景を見るのに、お金は払っていないのよ。
車窓から見える世界は、人に見せてお金儲けする為に、造られたものじゃないわ。」
「ああ、そりゃそうだね。」
「最高コスパね!
私、ありのままの自然の風景や、線路沿いの人達の普段の生活見れて、とっても楽しかった!
ありがと、中原くん!」
「いや、俺は何もしてないよ。
そういえばさ、インディアンの格言に、゛大地も自然も、みんな地球の無償の贈り物だ。欲にかまけた連中が自分のものだと言い出して、金を取って見せるようになった“っていうのが、あるんだってさ。」
「そうよねー。自然の美しさは、お金じゃ計れないよね。」
自然の造形美は無料。
こんな当たり前のことが、当たり前でない、今の世の中。
今、氣付いたが、佑夏の口から、T◯Lや、U◯Jの名前を聞いたことが無い。
あれは、今回の長野行きとは対極だ。
僕も興味が無い。
人口の、大していい光景とも思えないものを、バカ高い金を取って見せる。
しかも、観てる時間より、並んでる時間の方が長い。
知り合いにLA出身のアメリカ人男性がいるんだけど。
彼は、家の目の前がディズ◯ーランドだったが、一度も行ったことが無いそうだ。
「The height of stupidity.」愚の骨頂、というのが、そのアメリカ人のDL評だったりする。
その人とは、僕は氣が合う。
やはり、類は友を呼んでいるのである。
そこ行くと、アラン推薦の汽車旅の何と素晴らしいことか!
彼女が気に入ってくれて、本当に良かった。
「佑夏とはこれでお別れ」。
あの怪猫にそう言われた不安を打ち消す為に、自分に何度も言い聞かせる。
ぽん太!この子と俺は似た者同士だ!
中央本線、特急あずさ3号が、目的地、上諏訪駅に到着したのは、その時だ。
そして幸福論にある通り、乗客達がバタバタと「自分の家が家事にでもなったように」慌ただしく降りて行く。
まるで、そうしなくてはならない、といった様相だ。
これでは、楽しくないだろう。
あずさが停車する前に、既に佑夏は、この為に持ってきたのか、マイクロファイバータオルとせっけんスプレー(化学物質無添加のこだわりがスゴい)で、窓とフードテーブルを綺麗に拭き上げていた。
アランに同意を求めるように、僕達は顔を見合せて、お互い微笑んだ後、名残惜しさを楽しみながら、立ち上げる。
佑夏は、さらに座席まで拭いてしまう。
この子は、万事この調子だ。
幸福論に、ここまでしろと書いてあるのだろうか?
試しに、その逆を考えてみたい。
車窓の風景には、見向きもせず、しかめっ面でスマホをいじっている。
「金出して乗ってやってるんだ。」と言わんばかりの横柄な態度で、備品を乱雑に扱って汚す。
停車直前までアプリでも見ていたのに、到着をまるで不満のように、荒々しく席を立つ。
アラン、ヒルティ、ラッセル、幸福論の三人も認めるだろう。
どんな福の神でも、これじゃ逃げて行くと。
そして、僕の女神様は。
「足湯入りた~い!」とご希望され、足だけ温泉で、旅の疲れを癒された。
どういう訳か、ホームの中に足湯がある。
上諏訪駅は、全国でも珍しい駅。信州情緒、満点だな。
「素敵ね~、長野に来た!って感じがするわ♡」
と、ご満悦な我が姫君である。
なんと、100円で「温泉たまご」まで作れるそうだが、時間の都合で、今回は断念。
駅を出て、諏訪湖に向かおう。
コンビニがある、日本の何処にでもある通り。
そして、「ふれあいの渚」と石に彫ってある、湖畔にたどり着く。
石像がいくつも、並んでいて、なかなかカワイイじゃないか。
秋の空は高い。
長野独特の明るく柔らかく、涼しい日射し。
本格的な紅葉には、まだ少し早いのが、惜しいような、寒さが無いのが嬉しいような。
そして、信州の湖畔を歩く、美貌の女性。
湖面から吹く秋の風に、黒いロングヘアーがなびき、佑夏は天を仰ぎ、心地良さそうに目を細める。
降り注ぐ煌めく陽光と、水面からの光の照り返しで、粉雪より白い肌、純白の巻き貝の髪飾り、三個のシーグラスが一層、輝きを増す。
あまりの美しさに、僕は言葉を失ってしまう。
「あれれ?」
僕の視線に氣付いた彼女が足を止めた。
「アハハッ!どーしたの?中原くん?ひょっとこみたいな顔して。
私の顔に何かついてる?」
(中原仁助・注釈)
ひょっとこ。
口をとがらせ、おどけた顔の男性の面。火の神ともされる。
何ということか。
怪猫ぽん太をして、「合氣道の達人」と言わしめる、この僕を伝統工芸品にしてしまうとは。
この娘、どこまで美しいのか?
「い、いや、何でもないよ。その服、似合うね。」
とりあえず僕は、その場を繕おうとする。
「アハッ、ありがと。」
佑夏は自分のトレッキングウェアを見ながら呟く
「今頃、お昼寝だねー。」
今から棲み家を訪ねる小動物は、苔のある沢沿いを好む。
この子は、「お家の色に合わせる」と言って、今日はグリーンのトレッキングルックに身を包んでいる。
いつもは、レディースジャケットにロングスカートなど、教育大生らしい清楚な服装が多い彼女。
しかし、こういう活動的なコスチュームも思いの外、良く似合っている。
もっとも僕の場合、佑夏が何を着ても、激カワ似合いと言うだろう。
僕はといえば、ワクワクマンで買った、登山服もどきを着ている。
本格的な登山ではないし、これで十分。
佑夏も、服にはお金をかけない主義で、普段はバーゲン品ばかり。
彼女はブランドの服などは軽蔑し、「フフフ!高い服、私じゃ似合わないね。服負けしちゃうよ。♫」と言って笑い飛ばす。
このトレッキングウェアはブランド品だろうか?
だとしても、ルルカリなんかで買った中古に決まってる。
ぽん太!俺と彼女は同類だ!分かったな!
佑夏と二人、天国にでもいるような気持ちで湖畔を歩いて行く。
すると、運命のシンクロか?
まるで僕と、この子の現在を暗示するような。
二本の鋭角な金属のモニュメントが向かい合って立っていたりする不思議。
台座部分は魔法陣とも言うべきか。
かなり高い。
5メートルを軽く越しそうだ。
僕達の気持ちと、天をつないでいるかのように見える。
同じことを、僕の姫君も考えたらしい。
「じゃ~ん!運命の塔、現る!って感じかな?」
そう、クスクス笑われる。
さらに、この県立教育大ケンキョーのお嬢様は、湖畔の「運命の塔」を見上げて宣言した。
「私、明日ここで発表見る!」
もどかしい。勇気づけてあげることもできない。
こんな時、何て言えばいいのだろう?
もし、本当の恋人同士だったら、優しく肩を抱いてやれるのに。
「うん。いい感じだね。」
と、僕は愚にもつかない一言を絞り出すのがやっとだ。
だが、本人はいたって快活に笑い続ける。
「中原くん、そんな深刻な顔、しないでよ。
私、嬉しくなっちゃうよ♫でさー、そろそろ駅に戻ろーか。」
佑夏に促され、再び上諏訪駅へ。
集合場所のロータリーに、マイクロバスが停まっている。
あれで霧ヶ峰に行くんだな。
バスの傍らには、添乗員らしい長身の男性が立っていて、リュックを背負った女性客が既に二人。
いよいよだ。
僕達がこれから訪ねる小動物は、体長10センチに満たない小さな体。
丸まって冬眠する愛らしい姿で知られる。
モフモフの、マリモのような胴体に、クリクリした瞳。
楕円形の愛嬌ある尻尾。
容姿は「森の妖精」と呼ぶにふさわしい。
写真を見るだけで、誰もがつい、微笑んでしまう。
一説には日本最古の哺乳類で、国の天然記念物。
ヨーロッパや、アフリカにも近縁種はいるが、日本のものは一属一種、世界中でこの国にしかいない。
なんの変哲もない、だけど守ってやりたくなるような、儚い名前で呼ばれる。
そのとてつもなく可愛らしい生き物は
「ニホンヤマネ」
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