タクシー降りたら



「はぁっ…」


 タクシーを降りてすぐ

 私はおっきい溜め息をついた。


 "瀬島さんと飲み直せば良かったかな…"

 そんな後悔が押し寄せる。


 もしかしたらキスくらい出来たかも…


 運良ければ、その先も……って。


 私しか望んでない妄想が駆け巡る。



 マンションのエントランスについて

 自動ドアを開ける為に鍵を探すけど

 鞄のどこを探しても鍵はない。


「…えっ、どこかに落としたかな…」


 終いには鞄をひっくり返してみたけど

 鍵はどこにもなかった。


 タクシー会社に連絡…

 それに会社の管理センターに連絡したが

 いずれも鍵の落とし物はなく…。


 気付けばディスプレイには

 "瀬島さん" の文字が映し出されていた。



 …電話掛けてどうするの、私。



 しばらくの葛藤の末———



「……どうした?」


「……あ、ごめんね、陸…」


 元彼の陸へ電話を掛けていた。



「鍵? やばいじゃん…」


「帰る場所……なくってさ」


「あー…でも、俺……今は…」


 ……女といんのね。


「いや、良いよ。1人ならって思っただけ」


「まじごめんな。鍵見つかると良いな!!」


 掛けたのは私なのに

 掛けなきゃ良かったと思いながら電話を切った。



 あーあ…どうしよう、ほんと。


 管理会社は明日の朝8時からじゃないと繋がらないし

 ビジホか……野宿か……それとも…。


 —————…


「…?」


 握っていたスマホが急に鳴った。



 ディスプレイに映った名前を見て

 すぐに分かった。


「………陸でしょ…」


『…そんな電話の出方ある?』


「だって私……陸にしか言ってない」


『飲み直そうって誘ったんだから俺に掛けてくれば良いのに』


 ………やだよ、そんなの。


『それにさ…楓が欲しいもの、いま俺が持ってるよ』


「——え、なんで?!」


『タクシー乗るとこに落としてた』


 チャリンって音が、電話口から聞こえた。


「なんで連絡くれないの…!?」


『欲しかった?連絡』


「あ…当たり前でしょ!!」


『…鍵に付けてんだね。俺があげたキーホルダー』


「……」


 …??!?!?!????!!!


 頭は一瞬で真っ白になった。


『やっぱ楓ってさ…俺のこと好きだったりする?」


「……っ、」


 最悪だ……最悪すぎる。


 よりによって

 一番拾われちゃいけない奴に拾われるとか…


 ……人生最大の汚点だ。


「……それ、瀬島さんにあげます」


『……は?』


「鍵もあげます。……それでは」


 ブチッ。


 電話を切ってすぐにスマホの電源を落とした。



 もう、良いや。

 ビジホに泊まろう…それしかない。


 鍵は新しいの作ってもらおう。


 なんならマンションも引っ越そうかな…。



「…………はぁ…キーホルダー…」


 あれは…

 あれだけは…見られたくなかった。


 だって、あんなの見つかったら…

 あなたが好きですって言ってるようなもん。

 …キモすぎでしょ。

 良い年齢した大人が…あんなの持ってるとか。



 自己嫌悪でその場にしゃがみ込んだ私は

 キキィ、という音で顔を上げた。


「………な、」


「…陸に聞いた」


「…は、」


「家の場所ね」


「……す、」


「…す?」


「ストーカー!!!」


「………ええっ、わざわざ来たのに」


「……今は会いたくなかった」


「ねぇ、家入れてよ」


「…………人の話聞いてる?」


「聞いてない」


 ——"家に入れろ"?

 何言ってんだ、このクズは。


 そんなこと許したら…


 どうなるかなんて、火を見るより明らかで。



「家は……ダメ」


「じゃあ…青姦?」


「?!?! は、なんでそうなる」


「……なんかさ、俺があげたキーホルダー大事にしてるんだ、とか思ったらさ……楓のことすげぇ抱きたくなったんだよね」


 ……これが "彼氏" からの台詞だったら

 どれだけ良かっただろう。


 所詮、浮気男の戯言。


 頷いたら…ただのセフレになるだけ。



 ……そんなリスク、いま負いたくない。



「……ありえないから、今更」


 一線を引かなきゃ……バカ見るのは私の方。


「…今更か……確かに。そうかもね」


「……鍵、ありがとうございました」


 瀬島さんは、背中を向けて言った。


「じゃあさ、今度俺ん家来なよ」


「……また何を」


「彼女いない時に」


「……」


 それは… "一昨日来やがれ" 的なあれ?



 そんな時が来る訳ないのを分かってて

 この人はサラッと言ってしまう。


「安心してください、いなくても行きません」


 私がそう言ったら、先輩は少し笑った。



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