緊急契約・新たな任務(1)

 マリアの背に乗せられたまま第九野戦基地へと近づく。まず最初にあったものは鉄条網だった。敵の侵入を防ぐために東側に向かって一面を遮っている。マリアがストックから手を離して空中で動かす。ハンドサインだ。送る先は監視塔の守衛だろう。そしてマリアは鉄条網を飛び越えて内部へ入った。

 次に見えたのは東部戦線ではお馴染みの塹壕であった。しかしこの野戦基地のそれは。


「でかい……!」


 深く、太く、長かった。深さは5メートル、幅は4メートルほどもある。側部にはコンクリートによる強化が施され、底部には木板が敷き詰められて泥から兵を守るように作られている。

 マリアは壕内に降りることなく、そのまま塹壕を軽く飛び越えた。そして基地の中央付近へある施設へと近づく。

 それは殆どが地下にあり塹壕とつながった建屋であった。裏に回ると広い入口があり。


「着いたぞ、指揮本部だ。降りろ、コースチャ。中に俺たちのボスがいる」

「ああ、分かった」


 返答しつつ一個だけになった担架から右足を地面に伸ばして降りる。そこで気が付いた。


「ここは泥濘化していないのか」


 地面はややぬかるんでいるが、勢いづいて飛び降りても足首まで沈むようなひどい泥地とまではいかない。そのことを考えているとマリアが装備を外し、金属がぶつかり合う音が鳴った。

 そしてそのまま入口へと向かい、やや離れた位置で施設の中へ声を掛けた。


「シュメーツ・マリア・エックハルト伍長、帰投しました」


 獣人の敬礼である、起立姿勢で言う。


「良く戻った、マリア」


 野太く、だが聞き取りやすいきっぱりとした声が建物の昏い入口の奥から帰ってくる。そして、その姿を現した。

 ゴリラだった。

 身長2.5メートルはある巨大な人型が。入口の階段を上って、頭を低く下げて天井の敷居をくぐりながら出てくる。

 その仕草は完全に人間のそれだ。ウルシーナ軍の軍服を隙なく着込んだその男は、露出した肉体に黒い肌、そして獣毛を生やしている。顔は皮膚が現れ、厳めしい人相と力強い黒の瞳がマリアを見ていた。

 獣人ではなく、亜人だ。ゴリラの亜人で、これがマリアたち義勇兵部隊の「ボス」らしい。

 マリアが報告する


「第17塹壕より、一名を救出。対象に負傷無しです」

「うむ。通信ではその兵士と、遺体一人、負傷者一人の計三名を後送と連絡を受けたが、残りはどうした」

「撤退中、敵の襲撃を受け、自分の判断で遺体と重症者を諦めました」

「最初に基地からの支援を断っておきながらこれか。無様だぞ、マリア」

「申し開きもありません」

「そ、それは俺が自分勝手を……」


 思わず声を挟んでしまう。二人を見捨てたマリアに思う所はあるが、自分を救助してくれた者に叱責がいくことは止めてほしかった。

 ボスがこちらを見る。


「貴官はもしや、殿部隊の隊長かね」


 強い視線に圧を受けて、緊張で思わず唾をのむ。体の大きさだけならばマリアの方が巨体ではあるが、このゴリラ亜人のボスが纏っている覇気は物理的な大きさ以上の威圧感を感じる。

 その人が一歩こちらへ踏みして来る。反射的に体が起立の姿勢を取った。だが、次にボスが取った行動は予想外だった。


「うちの担架兵が力及ばず、貴官の部下たちを救えなかった事、謝罪を申し上げる」


 帽子を取り胸に当てて頭を下げたのだ。その礼に威圧感は無く、変わりに真摯さが込められていた。その姿に緊張が解けて、思わず素の声が漏れてしまう。


「受け入れがたいことですが、妥当な判断でした。マリア伍長には……責められる理由は無い」


 2人を諦めたことについて未だに飲み込めない感情はマリアに対してある。しかしあの時、自分はまさしくただの重荷でしかなかった。マリアを責められる道理があろうはずも無い。

 ボスは、目を閉じて沈黙した俺に言葉をかける。


「我々の任務の性質に理解を示して下さること、感謝する」


 顔を上げてこちらを見る視線には穏やかさがにじんでいた。


「ところで、自己紹介がまだだったな。当方は第九師団第五防衛中隊長、ガブリエル・ンガングラ少尉です」


 こちらも敬礼をして返す。


「コンスタンチノス・ミハイロヴィッチ・ミハールカ軍曹です」


 ボスが頷いて敬礼を解き、こちらに近づいて手を差し出してきた。自分も数歩を寄り握手をする。ボスの手はタクティクスグローブの様な頑健な感触があった。互いの紹介を終えて、ボスが再びマリアへ向く。


「マリア、お前は残って報告を続けろ。特に敵からの攻撃について詳細を聞きたい。あなたにも塹壕戦での戦闘詳報を後でお聞きしますが、今はまず休んでください、コンスト……ンチノス軍曹」

「コースチャで構いません」

「かたじけない、コースチャ軍曹。部下に休憩所へ案内させます」

 そういうと、ガブリエル少尉は塹壕の内側へと大声を掛けた。

「コルン!」


 呼び掛けに現れたのは、小柄な兵士であった、その姿を見て、失礼だと思いながらも驚いてしまう。


「鳥亜人……」

 極めて珍しい人種だ。というのも、鳥類の霊長種はほぼ獣人であり、更に身体的制約から現代の軍隊では全くという程見かけないのである。事実、自分は鳥亜人も、その軍人も見る機会はこれが初めてであった。

 腕に羽翼を並べ、頭は鳥の形そのもの。鋭い猛禽の瞳孔と嘴を持った顔が特徴的だ。

 その鳥亜人へ上級軍曹が指示を与える。


「コースチャ軍曹を第二待機所へ案内しろ」

「へーい、りょーカイでス」


 奇妙なイントネーションで話すコルンは、塹壕の中らぴょんと飛び出て地上に立ち、こちらを向いた。


「ササ、こちらへどうゾ、コースチャ軍曹」

「ああ、よろしく頼む」


 歩き始めたコルンの後ろに付いていきながら、振り向いてマリアを見る。起立を崩さずガブリエル少尉へ報告する姿は少し小さくなったよな印象を感じた。

 やや後ろ髪引かれる思いを感じながら。言われた通りコルンへついていく。

 基地の地上部は塹壕を主軸とした防御陣地が構成されている。対空砲や大砲の並びの間を過ぎて塹壕の後方へと移動していく。そして着いた先にあったのは、コンクリート製でアーチ型の掩蔽壕であった。大きさは高さが7メートル、幅と奥行きは20メートルほど。本来は戦車や航空機が収まっているはずのそれを人員用に使っているらしい。

 コルンが言う。


「知ってノ通り、航空機がいないので、代わりに救助した人たちの避難施設にしていルのです」


 つまり、撤退した仲間たちがいるということである。だが敵の非道な攻撃に見舞われ、多くの仲間が死に雰囲気は絶望に満たされているはずだ。

 どんな声をかけるべきか考え込んでいる間に、扉の代わりに幕が掛っている入り口をコルンくぐった。自分も付いていき中へ入る。そしてそこで見たものは。


「ヘリ撃墜とマリアの帰還を祝って、カンパーイ!」

「ヒューッ、イェア!」


 知らない兵士たちが口笛と快哉を叫びながら、粉末ジュースと乾パンで祝宴を上げる姿であった。


「おう、ボスのとこから戻ったかコルン。ホレ、お前の分だ」

「うん?見ねえ顔ががいるが……まさか」

「マリアと一緒に戦った例の兵士か。やるねえあんた。名前は?」


 獣人、亜人、人間。様々な人種の兵達からジュースやパンを押し付けられながら、あっけにとられつつ返事をする。


「コ、コンスタンチノス・ミハイロヴィッチ・ミハールカ軍曹、です」

「コースチャか、いい名だ」


 余りの勢いに思わずコルンへ視線を向けて助けをこうたが、コルンはさっさと奥へ行ってジュースを一気飲みに煽っているとこであった。

 ジュースと右手に、パンを左手に持たされた後で、はっとして叫ぶ。


「って、誰だあんたたちっ。撤退した俺の仲間がいるんじゃなかったのかよ!」


 パンにかぶりつくコルンへ尋ねる。コルンはパンをぼりぼりと嘴で齧りながら答えた。


「あなたの仲間タチは、ちょうど後方輸送用のトラックが満パイなったので先に首都方面へ送リ出シたんですよ」

「で、代わりに俺達が飲み場所に使ってるわけ」

「いやあ、内壕より全然いいわやっぱり」

「わはは、カンパーイ!」

「酒じゃねえけどな。ヒュー!」


 命がけで逃がした仲間の安全を告げられて安心する。そうすると緊張の糸が切れて地面に落ちる様に胡坐で座りこんでしまった。さすがにため息が零れ落ちる。しかしそれを気にも留めず、人間の義勇兵が隣に座って話しかけてくる。


「ピエール・パティーニュだ、よろしく、コースチャ。にしても戦闘ヘリを落とすなんて、久々に痛快なもんを聞かせてもらっていい気分だぜ」

「俺は……何にも」


 自分はただマリアにおぶれていただけで何もしていない。


「何言ってんだい」


 ピエールに背中を叩かれてむせる。


「マリアは冷静な判断で合理性を突き詰められる奴だ。助ける正攻法が無いと結論したら容赦なく全員捨てて自分だけでも生きようとする。そうじゃなかったのはあんたが命を懸けて救うに値する人だって思ったからだぜ?」


 言われても自覚は来ない。自分は自分の信念を無理に主張していただけだ。それがマリアに本気を出させる理由になるというロジックが繋がらない。ため息みたいな曖昧な返事をこぼして頷いておく。


「あの冷血ぶった仁義者に本気出させるとは、あんたも”サムライ”と同じくらいの良い馬鹿ってこった」

「仁義者って、マリアが?確かに最初はそう感じたが」


 だが結論だけ言えばマリアはシーマたちを見捨てた。その事を考えれば冷血漢と仲間内で呼ばれそうであるが、実際は違うらしい。慈愛の心があっても表の性格は合理の冷徹をとっているというのがマリアに対する同僚からの評価のようだ。

 そのことを考え出すと再び思考が混乱してくる。しかし、そこでさきほど聞いた台詞の中の奇妙な単語に気づいた。


「えっと、”サムライ”とは一体……」

「ああ、それは俺たちの仲間だった、マリアの――」

「なんの話をしている、お前ら」


 噂をすれば影。マリアが入口の天幕をくぐって入ってきた。その表情は目尻が上がり口が結ばれている。


「おっと、悪い。まあ、知りたかったらマリアから聞くんだな」


 言うと、ピエールは自分のカップと乾パンをマリアの外装義手へ持たせ、奥へ引っ込んでいった。他の兵士も一旦口をつぐんで再びジュースとパンの宴会を始める。

 マリアはその様子を見ると硬い表情を解き、入り口付近の壁際に身を低くして座った。


「なあ、マリア。”サムライ”ってなんのことなんだ」





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