第4話 心のキズ

身体に痛みはない。

ふわふわと宙に浮いているようだ。

免れぬ死を未だ脳が受け入れられていないのか。


否。


身体は無事だ。

自らの両手を見る。握り、開き、神経の繋がりを確認する。自分の脚はどうか?四肢の欠損は無いかどうか入念に確認した。


「無事...... あっ、シゲ......シゲ爺は」


自らの無事を安堵すると同時に、網膜に焼き付いて離れない悪夢の様な光景。

たった1週間とはいえ、寝食を共にした者の呆気ない死。

人間は悲しみのキャパシティを超えると涙が出てこなくなるのだとこの瞬間初めて知った。


意思とは無関係に小刻みに震える身体。

何に恐怖しているのか自分でもわからない。ただ独り、虚無の空間で生と死を実感していた。


少し冷静になり辺りを見回すと見覚えのあるある空間であった。一週間前に見知らぬ地で目を覚ます前に訪れていた空間だ。


「土石流に巻き込まれた瞬間ここに戻ったのか」


幸か不幸か。偶然か必然か。判断する事は出来なかったが、ただただ夢であってほしい。目を閉じて開ければ、またいつもの狭くても快適な我が家のベッドで目を覚ますのでは無いか?

そんな祈りも虚しく目の前に文字が浮かび上がる。


【ヒント。自らに出会い自らを超えよ。才能や努力を己が力とすべし】


目線で一通り読み終えるのを待っていたかの様にまた、悪魔の顔が施された扉が現れ開いた。前回同様吸い込まれ、再び目を覚ますと、そこは駅のホームだった。椅子の上で横になっていた様で、駅員らしき人物に起こされた。


「お客さん、もう終電行っちゃいましたよ。ホーム閉めるから出てってね」


急に起こされたワタルは微睡の中身体を起こしてその場を後にした。

外に出て駅名を確認するとそこそこ活気のある町だった。

無数の居酒屋が軒を連ねている。

終電以降もお構いなしにサラリーマンや学生が酒を片手に談笑していた。


見た事ある様で記憶と何処と無く違う町に思えた。

念の為駅名を確認すると《西日保里駅ニシニッポリ》と書いてある。


「あれ? 西日暮里ってこの字だっけ? 」


どこと無く違和感を感じたが普段から意識して文字を確認しているわけでは無い。自身の説明できぬ怪奇現象の中些か疑心暗鬼になっているだけだと自らを納得させ、とりあえず何処か入ってみようと思った。


「あっ。金が。そういえば服はシゲ爺のとこでどうにかなったけど。って......そうだシゲ爺」


再び最後の光景がフラッシュバックする。

一度心に刻まれた傷は、思い出す程に深く深く傷を抉っていくのだ。


胃の中には何も入っていないはずなのに何かが込み上げてくる。人目を逃れる様に路地裏に駆け込み、全てを吐き出す。もちろん何か出るわけでも無く、胃酸が自らの食道を焼き溶かすだけだった。


5分ほど声を上げながら嘔吐をしていると段々落ち着いてきた。

スマホも現金も今は持ち合わせていない。

ただ、家まで歩いて帰れない事もない。前回の酷道とは違い歩きやすい舗装された道だ。

胃酸で汚れた口を袖で拭い、ヨタヨタと家に向かって歩き出した。


スマホさえあればナビアプリを起動して道案内させる事ができるのだが、手元にない。非効率ではあるが線路伝いに歩きおおよその目的地まで歩くことにした。


駅にしたら数駅程度だ。

前回は見慣れぬ地に戸惑いはしたが、今回は見慣れた都内。何処か心の余裕はあったのだ。ただし、この時までは。


「おかしい? どういう事だ? 確かにここに家はあるはずなのに、なんで違う家が建ってる? 」


1時間強歩くと家があるはずの場所へ辿り着いた。

確かに歩いている途中、一向に見慣れる景色が続き、些か不安になってはいたものの、改めて自分の部屋があるはずの場所に違うマンションが建っているとなると、最早自分の頭を疑うしかない。


「俺は病気にでもなったか? なんでだ......」


この一週間の鬱憤が咆哮となって体の外へ溢れ出た。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーー」


深夜の住宅街に響き渡る。

声は霧散して消え去った。その時窓が開く音がした。


「うるせぇ!!! 」


近隣住人が怒りを露わにした。

ヤバいと我に返り、そそくさとその場を後にした。

行くあても無くフラフラと徘徊を続けた。

途中手頃なベンチを見つけたので腰掛けた。


接着剤でも塗ってあったのだろうか。身体はベンチに固定されそのまま意識を失った。


瞼に突き刺さる朝日。小鳥の声が煩わしい。

いつもの朝と同じ状況。


「あぁそうか。夢だったか......」


身体を起こして凝り固まった筋肉を伸ばす。

目を擦り重たい瞼を持ち上げる。

眼前に広がる公園。


残念だが夢オチにはならなかった。

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