中話

 36歳の夏のこと。

 茹だるような暑さに辟易しながら母の手伝いで手作り野菜を道の駅へと納品し終えた帰りのことだ。喫煙所で一服をしようと口に咥えて火をつけたところで、ふと視界の片隅に不思議な姿が目に入った。


 制服姿の女子高生だった。


 そういった趣味がある訳ではないので予め断っておくが、この付近に高校などアリはしないし、そもそも飯田市内でも見かけることのないデザインであることに気がついた。なにより視線が向いたのはその髪の毛だ。向日葵の花びらのように鮮やかな金髪が風に流れて揺れるさまはとても綺麗だった。CMで流れるような髪へと言っているが、まさにそれに等しいだろう。

 看板の下が村営バスの停車場になっているから、そこでバスでも待っているのかと思っていたが、不意にその子が視線を上げた。互いに視線が重なり合う。私はサッと視線を逸らしたが先方はどうやらその気がないらしかったようで、私が視線を上げて再び重なり合うと、その子がスッと立ち上がった、脇に置いてあった大きなスーツケースに手を掛けると国道を横切りこちらへと一目散に駆け出してきたのだ。日の光を反射した金髪が鮮やかに揺れていたのが印象的だ。

 やがて喫煙所へ駈け込んで来たその子は私の前に立ちはだかるとギロリと私を睨むように視線を合わせる。


「ねぇ、おっさん」


「私?」


「おっさん以外いないじゃん」


 周りを見渡せば同じように居たはずの同郷の喫煙者と観光客の喫煙者共は雲の子を散らす様にいなくなっており、喫煙所には私だけが取り残されていた。

 なんと素晴らしい田舎的危機管理能力であろう。

 

「あのさ、教えて欲しいんだけど、香川雅子って家、どこにあるか分かる?」


「香川?」


 名前を聞いた途端、眉を顰めるようにその子を見てしまった。


「そ、おばあちゃんの家らしいんだけどさ」


 潜めた眉の皺が更に深まってゆく。


「香川さんとこのお孫さんなの?」


「お婆ちゃん、知ってるの?」


「知ってるけど、よく来れたね」


「へ?どういう意味?」


 率直な感想が口をついて漏れてしまった。

 香川さんは数軒先に住んでいたお婆さんで1年前に他界している。娘が2人いたがそれぞれが嫁いでしまってからは、まったくと言っていいほど母親を気にして面倒を見に来たりすることは無かったはずだ。高齢になって病弱となってしまってからもそれは続き、やがて誰にも看取られることなく自宅で息を引き取っていた。幼馴染の村役場に務める親友からは、遺骨まで取りに来ることのない有様であったそうだ。結局、町内で簡易の葬儀を行って荼毘に付し、遺骨はこの辺りの菩提寺である「東光寺」に収められている。


「いや、気にしないで。それより香川さんなら1年前に他界してるよ?知らないの?」


「え!?」


 驚愕の表情に変わった香川さんのお孫さんを名乗るその子はそれを聞いて固まった。音の止んだ喫煙所に蝉の声が妙に響く。


「えっと…、そんなこと…一言も聞いてない…」


 悲しそうな顔をしたその子が唇をくッと噛む、それは自分のためでない、何かこう、居た堪れなさや後悔に近しいものに感じられるほどであった。


「お母さんから聞いたりしなかったの?」


「親、居ないようなもんだから…」


 その子は俯くとやがて小さな嗚咽を漏らし始める。

 思わず視線を下げると、その子の綺麗に磨かれたローファーの上にポタリ、ポタリと涙の雫が落ちていた。


「話、聞いたほうがいいかな?ここじゃあれだから隣の東屋にでも行こうか」


 その子が頷いたのを確認してから、煙草を灰皿へと落として火を消し、喫煙所脇にある東屋へと場所を移した。

 私が自己紹介を済ませるとその子は川路香夏子と名乗った。こんな田舎でも聞こえてくるほどの学園の高校生で見た目に捕らわれてはいけないことを改めて思い知らされる羽目になった。

 両親は共働きでアメリカに在住しているらしい、父方の祖父母宅で生活していたそうだが、幼い頃から折り合いが悪く、ついに怒りに任せて飛び出してきたとのことだった。両親とも上手くいっていないために電話で大喧嘩となった際にこの村へ行けと言われて電話を切られたらしい。まったくもってろくでもない親だ、普通、とんでもない仕打ちをして迷惑をかけたところへ子供を送り込むなど人の所業ではないだろう。

 まぁ、お前はこの世で独りぼっちだ、帰るべき場所は飛び出してきたところしかない、という安易な考えで行ったのかもしれないが。

 仕方なく私は今までの経緯を話聞かせることにした。

 どいう経緯か、どういう結果か、そしてどう終えたか、今考えれば人としてどうかと思う。高校生に対してお前の親は、と高説説教のようなことを垂れていたのだから、まったくもって情けない。だが、その時、驚いたことにその子、いや、香夏子さんは私の話をしっかりと視線を合わせて聞いていた。時折、涙するものの、視線を外すことなく身に刻むかのように聞ている姿に話を終える頃には感心してしまっていた。


「あの、知らなかったとはいえごめんなさい、その、恥ずかしい限りです」


 話がある程度終わったところで、香夏子さんから開口一番に出た言葉を聞いて猛烈に我が身が恥ずかしくなった。


「いや、私こそ、こんなこと言うべきではなかった。酷いことを言ってしまった、本当にごめんなさい」


 深々と香夏子さんに頭を下げるが気にしないでくださいと泣きはらした顔で笑顔を向けられてしまった。


「あの、そのお婆ちゃんの眠るお寺はどこにありますか?」


「え?東光寺?」


「はい、きちんと謝って供養してあげたいです…」


 芯がしっかりしている子だと感心した。話を聞いてしまえばほぼ敵地に等しいだろう。だが、それでもそれを言い出せる気概は誰しも持ち合わせているものではない。


「しっかりしてるねぇ、いいよ、乗せて行ってあげる」


 リリスに香夏子さんと荷物を載せてそのまま東光寺へと向かった。

 これがそれからの一カ月間の付き合いとなった。別段、男女がどうこうということではない。香夏子さんの身の上と道の駅での話を寺で和尚へと伝えると、和尚の好意で香夏子さんは寺でしばらく生活をすることになった。行き場がなかった香夏子さんがようやく安心できる場所を得れたと言っても過言ではないだろう。誰も入ることのないあばら家となっていた雅子さんの家を区長から鍵を借りて1週間をかけて香夏子さんは綺麗に片付け、そして毎日の墓参りと集落の家々へお詫びとお礼をしに回る、それはまるで台風に耐える向日葵のようで決して折れることなく立派な姿だった。


 本来なら娘達がやるべきことであるはずなのに。


「若いからと盲目になってはだめねぇ」


 母がそう漏らして近所のババどもと反省会をしているのを聞き、その夜、私は香夏子さんにどう伝えたのかを母に問われ、この年になってもこっ酷くお叱りを受けた。


 叱られて当たり前の話である。


 それからというもの、ババどもは娘ができたかのように香夏子さんを可愛がった。もちろん、負い目もあったろうが、それ以上に、気丈に振る舞い、そして、笑顔を絶やすことなく、愚痴にも、嫌味にも、なにもかもの理不尽にさえも、真摯に向き合う姿に若き日の自分自身を重ね合わせていたのかもしれない、特に母は入れ込んだように可愛がっていた。


「息子捨てて、養子にしようかしら」


 夕飯後の洗い物を終えて廊下を自室へ向かおうとして、居間にいる母が聞こえるように漏らした言葉に言い返すことなどできなかった。


 1か月後、香夏子さんは卒業まで頑張ると再起を決めて集落を後にしていった。もちろん、超高齢者から高齢者に至るまで、出征並みの盛大な見送りと両手で抱えることができないほどのお土産を持たされてである。


「たくさんの荷物になっちゃったね」


「大事に持って帰ります、皆さんに本当に良くしてもらいました。少し…寂しい…」


 助手席でポロポロと涙を零してやがて大きな嗚咽を溢す香夏子さんに掛ける言葉が見つからず、黙ったままでハンドルを握り続けていたが、途中から私も貰い泣きをしてしまい、車内は涙と声で溢れていた。


「送って頂いてありがとうございました」


「香夏子さん」


「はい?」


「いつでも帰っておいで、何かあればジジババ共でも私でも連絡すればいい、すぐにでも飛んでいく」


「ありがとうございます。でも、頑張ってみます」


「うん、みんなも私も応援してる。でも、無理はしたら駄目だよ。辛くなったら故郷ふるさとに帰っておいで」


故郷ふるさとですか?」


「うん、生まれてなくても、住んでいなくても、香夏子さんが集落で耐え忍んで頑張って溶け込んだ時間は、故郷と呼べるほどの時間だよ。私だって逃げ出したくなるくらいの状況だったのにそれを成し遂げた。集落の一員になったんだからね。だから、帰ってくるところはあるということだけは覚えておいてね」


「帰ってくるところ…」


「そ、香夏子さんが自分で頑張って作った故郷ふるさとなんだからね」


「へへ…、そう言って貰えると嬉しいです」


 弾けんばかりの眩しい笑顔が満開の向日葵のように光り輝いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る