Helianthus

鈴ノ木 鈴ノ子

前話

 雪の粒を見た。

 今年初めてではなかろうかと自分ながらに思う。

 飯田で仕事を終えた帰り道を愛車でありコンパクトカーのリリスで走りながら、フロントガラスに当たったソレに率直な感想が浮かぶ。12月初旬だというのに道路の脇には除雪された残雪が残っている。温暖化など何処へ行ってしまったのかと疑問に思うほどに今年の雪は早かったようだ。


「久しぶりの帰宅だというのに…」


 ワイパーを動かさなければならないほどに雪は強くなり、そしてその雪の粒を吹いてきた風が巻き上げては、フロントガラスや車の周囲をまるで薄い霧が景色をぼやかし溶かしていく。アクセルを緩めてフォグランプのスイッチとエアコンの温度を2,3度ほど上げる。子犬の威嚇のような音と温風が車内へと漂ってきた。

 11月の頭に東京出張を命じられて本社へと手伝いに出ていた。

 それがあれよあれよと伸びるに伸ばされ、危うく東京住まいになりそうになったところを針の穴に糸を通す様にして抜け出してきた。別段、仕事ができるわけではないし、要領も良くはないので、別の代わりの者を探せばよいのに、しつこいほどに東京に来るように迫られた時には退職が頭の片隅を過ったほどだ。


「母の介護がありますので、申し訳ないですが」


 テンプレートで魔法の言葉、田舎であれば仕方ないと済ましてくれるこの文言でさえ、都会人には通用しない、いい施設を紹介する、いや、東京に呼び寄せればいい、などなどと、まぁ、よくも言えたものだと感心してしまうほどだ。老人を介護すること、いや、人を大切に、いや、その人の人生を思いやる行為を忘失してしまったエコノミックアニマルの世界にはどうしても馴染むことができなかったのだ。


「自分の進路を本気で考えているのかな?今ならまだ間に合うから、どうだい」


 部長室に呼ばれてそのように諭されるように言われたが、頑として頷かず、私は低評価で飯田支社へと送り返されたと言う訳だ。旧知の中であり同期でもある芥田支社長は笑いながら気にするなと言ってくれたのがありがたかった。


 母は今年で88歳になる。


 60歳で乳がん、70歳で胃癌を患ったが、切除で一命をとりとめ、そして矍鑠と畑と田んぼ、先祖代々の墓を女手一つで守りながら「家」を守り続けている。まぁ、私が独り身のせいで家は絶えてしまいそうではあるが、こればかりは縁の話になるのでどうにもできない。別段、奥手でもないし、自分でいうのもなんだが、平凡な顔立ちであるはずだ。恋人も何人かいたが、些細な理由から別れてしまった。35歳から40歳の現在に至るまで1人で居たせいか、焦りすら忘れてしまっている。


 雪が激しさを増してくる。


 やがて山間の僅かな平地に煌々と光り輝く施設が見えてきた。村役場横にある道の駅だった。

 早くは帰ってやりたいがこの強い雪ではどうしようもない、仕方なく道の駅の駐車場へと車を乗り入れて止めると、母へと帰りが即なる旨のRAINを入れた。素早く既読がつくと了解!と杖を掲げたババアスタンプの返事が来た。60歳の乳がんでの入院のおり、予後不良でベッドで暇を持て余した母が携帯をスマホへと変更してくれと頼み込んできた。仕方なしに高齢者向けのでよいか?と尋ねると、最新型の果物社製の最上位機種と指定された。ついに気でも狂ったか、と心配になったがそれは杞憂であったようで、今では2代目となり、RAINはもちろん、アプリゲーム、少額株式投資、畑と田んぼの管理、ブログ、その他を精力的に行っており、東京の女子高生と同じくらいの速度で使いこなす恐ろしい後期高齢者となり果てた。

 ちなみに先ほどのスタンプも自作である。


 エンジンを切りコートを羽織って雪風の吹き荒む外へと出てトイレへと向かう。

 駐車場には同じように立ち往生ではないが避難してきたトラックや乗用車が停車しているのが見えた。トイレ内も混雑していて時間がかかってしまったが、それでも外の景色は相変わらずだった。


「久しぶりに煙草でも吸っていくか」


 何度となく来慣れた道の駅であるから喫煙所までは眼を瞑ってでも向かうことができる。

 ちなみに車内は自己ルールで禁煙であるので吸うことはできない。かと言って煙草はたまに吸えばいいだけのいい加減な喫煙者でもある、検診で指摘された高コレステロールの治療のために通院しているかかりつけ医は、自分はスパスパと吸っているのに健康に悪いから止めろと言う。まったくもって余計なお世話である。70歳まで吸いに吸って人を診察している医師の言葉とは甚だ疑問を感じるところだ。

 まぁ、たまの一杯が極上の美味さであるように、たまに吸う1本が極上の美味さの時もあるのだが…。

 透明な風雪避けのビニールカーテンで区切られただけの寒風が拭き荒む喫煙所は、誰一人おらず独壇場のような有様であった。

 シルバーでできた年季の入ったシガレットケースから吸いなれたピースを取り出し口へと咥える。同色のガスライターを取り出して火を点けると一息をいれるように吸い込んでから、ゆっくりと紫煙を吐き出した。あたりに白い煙が満ちるが隙間から吹き荒ぶ風があっという間に散らしていってしまった。

 ふと、前方を見ると風雪避けの透明ビニールで歪んだ先に、走って来た国道とその奥に空き地が見えた。空き地の脇には大きな「向日葵迷路」と書かれた向日葵型の看板が風に揺れているのが見えた。


「そういえば、香夏子は元気かな」


 親戚の子ではない、全くの他人で元恋人の名前でもない。

 あの向日葵畑でであったのだ。そう考えると眼前の景色が真夏の向日葵咲き誇るあの頃へと誘った。

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