「やり直して、見るかい?」

「え…」

 しわがれた男の声で、我に返った。

あの事件から、六年後の、二〇二一年、五月五日。

 僕の鼓膜が、役割を思い出したかのように、雑踏の音、車が行き来する音、路上ライブの音、自転車の音、そして、目の前の男の声を、僕の脳に伝えた。

 震えた目で見ると、路肩に腰を掛けたホームレスらしきみすぼらしい男が、僕を見上げてにやにやと笑っていた。

「え…、今、なんて…」

「だから、人生、やり直してみるかい?」

 男は、僕が与えたコンビニおにぎりを掴むと、フィルムを剥ぎ、真っ黒な歯で噛みついた。

「兄ちゃん、やり直したいことがあるんだろう?」

「…なんで、それを…」

「後悔を抱えている奴の目ってのは、常に濁っているものなのさ」

 三口でおにぎりを口に押し込んだ老人は、それから、茶のボトルを掴み、一気に飲み干した。そして、盛大なげっぷを吐く。

腹が満ちた老人は、黒ずんだ指で、脇に置いてあった杖を掴んだ。

 その杖の先を、僕の胸に突き付ける。

「何するんですか」

 反射的に後ずさった瞬間、杖から光が放たれ、僕の心臓を打ちぬいた。

 まるで殺人鬼に包丁を向けられたみたいに、全身が冷たくなる。

 死んだ…と思ったのは一瞬で、すぐに僕の心臓は脈を刻み始めた。

「…今、何したんですか?」

「お前に、命をやった」

 男は言うと、杖を置く。

「命を、二つやった…」

「二つ?」

「ああ、二つだ」

 折れ曲がった指を二本立てる男。

「お前これから、二回、死んでいい」

「…死んで、いい?」

「そうすれば、時間は巻き戻る。ただし、赤子からじゃない。お前が、一番、後悔した時…。お前の、人生の分岐点となった時に、巻き戻る…」

 後のことはわかるな? とでもいうような目が、僕を見据える。

「好きな道を、選びなよ…」

「待ってください」

 男のことは一ミリも信用していなかったが、僕は疑問に思ったことを口にした。

「なんで、二回なんですか?」

 鼻で笑う声が聴こえた。

「なんだお前、巻き戻りは一回きり…っていう設定でもあるのか?」

「いや、そうじゃないんですけど…」

「良いじゃないか…。二回でも」にやりと笑う。「二回だと、安心するだろう? だって、一回巻き戻って失敗しても…、まだもう一回チャンスがあるんだ。今度こそ間違えるわけがない…」

 そう言った男は、肩を落とし、その濁った眼で僕を見上げる。

 次の瞬間、遠くから救急車、消防車のサイレンが近づいてくるのがわかった。

 それは段々と大きくなり、歩道を往来する者たちの鼓膜を貫きながら通り過ぎていく。

 吹き付ける風。舞い上がる砂埃に目を細めていると、男は下唇を湿らせながら言った。

「この先に、ラブホテルがある」

「………」

「そこで、男が心中を図った」

 背筋が、少し冷たくなった。

「どうして、それを、知っているんですか?」

 その質問には答えず、男は続ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る