第6話 脅迫事件
裁判が終わってから、罰金も払い、結果、この事件は落着したことになった。
息子は家に帰り、結局借金は、父親が立て替え、少しずつでも、親に返していくということで決着がついたのだ。
仕事も父親の紹介で就職が決まり、ここまでであれば、完全に、
「ハッピーエンド」
だといってもいいだろう。
しかし、世の中、そんなにうまくいくものではない。
一度、踏み外した人生、そう簡単に建て直すことはできないもののようで、どうしても、一度狂った方に、自然と流れていくようになっているようであった。
まず、せっかく決まった仕事だったのに、対人関係でうまくいかずにすぐに辞めてしまった。
理由は些細なことだったにも関わらず、息子は決して謝ろうとはしない。
どちらかが、少しでも折れればまとまっていたものを、
相手は、
「何だ、あの生意気な態度は。先輩を先輩と思っていないではないか?」
と思っていた。
普通は確かにそうであるが、息子の方とすれば、
「せっかく、仕事をしてやっているのに、教えてやっているという上から目線の態度は何なのだ」
と思っているようだ。
そうなってしまっては、決して交わることはない。どんどん差が広まっていって、それこそ、
「その開きが徐々であるほど、地球を一周しないといけないのだから、まず生きているうちに交わることなどあるわけもない」
というわけである。
一度拗れてしまうと、難しかった。
実は先輩社員も、以前に、
「粗相をして、一度人生を踏み外しかけた」
という男なので、一度人生を踏み外した人間の気持ちは分かるのだ。
だから、意地を張っているというのも分かるし、その気持ちを、
「こっちが分かっているのに、なぜ、お前たちは分からないのか?」
と、自分が立ち直った時のことを思い出すと、それが腹立たしいのだ。
そう思ってしまうと、何もできなくなり、相手が逆らう理由も分かるだけに、
「下手に意地を張っては、生きていけない」
ということが分かるのだった。
そんな先輩に逆らうのは、先輩とすれば、
「数年前の自分を見ているようだ」
と思うので、どうしても、相手に逆らえなくなる。
しかし、実際には、
「相手に流されてはいけない」
ということである。
自分がしっかり受け止めなければ、その力を逃がすことはできず、うまく教えることなど、できるはずもないだろう。
どうしても、一度、人に気を遣うということをしなければ、それを忘れてしまったとでもいえばいいのか、決して、二度と人に気を遣うようなことはしなくなる。
できないといってもいいだろう。
トラウマのような形になるのであって、特に最初に先輩ともめてしまうと、収拾がつかなくなる。
もう、そうなると、辞めるのも時間の問題だった。
そのうちに、
「俺が頭を下げて、入れてくれと頼んだわけではない」
と思うのだ。
自分がなぜ、ここにいるかということを忘れてしまい、すべてを人のせいにするようになってしまうと、
「悪いことがあれば、それはすべてが、人のせいだ」
と思うようになるのだった。
ある人の言葉で、
「悩むとは、物事を複雑にすることであり、考えるとは、物事をシンプルにすること」
と言われているという。
なるほど、
「ものは考えよう」
であり、考え方としては、
「ポジティブシンキング」
ということになるのであろう。
シンプルに考えることは、ある意味、人間の本質であり、難しく考えると、それがこんがらがってくるというのは、まさに、そういうことになるのだろう。
この男は、きっと、
「すべてを難しく考えるのだろう」
と思った。
考えすぎて、ループから抜け出せない。それが、先に進めない一番の原因なのだ。
先輩に逆らっても、どうしようもないということに気づかない。
それは、考えすぎて、ループしてしまい、それを悩みだと思うからなのかも知れない。
人によっては、
「悩むということと、考えるということを同じものだ」
と思っているのかも知れない。
確かに、悩むことは考えているから悩むと思えるし、考えることは、悩みからの派生に見えるからだともいえるだろう。
悩むということは、
「俺は考えているんだぞ」
ということをまわりに示すための、
「ポーズ」
だといえるのではないだろうか?
悩んでいると、考えているように見えるのは、その格好にもよるのかも知れない。
たとえば、ロダンという人の、
「考える人」
という彫刻があるではないか。
あれを見て、
「この人は何をしている人なんでしょう?」
と聞かれた時、知らない人だったら、何と答えるだろうか?
果たして、
「考える人」
皆思うだろうか?
むしろ、
「悩んでいる人」
という答えが返ってくるのが、普通ではないだろうか?
確かに、手のひらの甲を顎に当てて、前屈みで、背筋を丸めている姿を見ると、
「考えているというよりも、悩んでいるという姿に見えるといっても過言ではない」
と言えるであろう。
物事を考えるということと、悩むということは、一見して、格好としては、
「同じに見える」
といってもいいかも知れないが、
「これは考える人だ」
と言われるから、皆がそう思い込むだけなのかも知れない。
仕事を辞めてしまった息子は、しばらくしてから、失踪したようだ。
「二度目の家出」
といったところであるが、さすがに前の時、戻ってきたのが、
「空き巣事件の犯人」
としての最悪の形での帰還だっただけに、今度は、捜索願を出しておいた。
といっても、夫婦としても、
「警察が動いてくれるわけがない」
ということは百も承知であろう。
しかし、一応、
「前科者の失踪」
ということで、事件性はないかも知れないが、帰還してきた時が、空き巣だったということを考えれば、まったく無視ということもないだろうと、夫婦は思ったのだ。
とはいえ、どのような形であれ、いなくなったのが、息子だというのは、心配しないわけにはいかない。それでも。過度な心配をしていれば、自分たちの身体を壊すことになるので、なるべく気にしないようにしていた。
そのあたりは、最初に喧嘩して家を出た時と同じであった。
今回の、お濠に浮かんだ男が発見される2年前の出来事であった。
死体が発見されてから、自殺、事件の可能性から捜査が行われた。遺書が残っている以上、事故ということはありえない。しかも、服毒していたのだから、ただの事故ということは、本当に考えられないだろう。
鑑識の結果、服毒したのは、青酸カリで、
「苦しみながら、濠に落ちたのではないか?」
ということであったが、そこもハッキリとしない。
そもそも、被害者が、
「なぜあの場所で毒が回ったのか?」
ということである。
自殺であったにしても、殺しであったとしても、
「なぜ、城址公園のお濠なのか?」
そこに、一つの事件の謎があるのだと思っていた。
その死体が発見されて2週間くらいが経った頃であろうか? 警察に、一本の電話がかかってきた。その内容というのが、
「浄水場に毒薬をぶちまける」
ということであった。
同じ内容の脅迫が、市の水道局の方にあり、水道局の方では、警察に通報しようか、迷っていたところだったという。
彼らが脅迫を受けたのは、2日前であり、最初に掛かってきた電話というのは、
「我々は、毒薬を浄水場にぶちまけるという計画がある」
というのだ。
「どういうことだ。そんなことをすれば、大量無差別殺人になるんだぞ」
というと、それを聞いた職員たちは一斉に電話を掛けている職員の方を振り向き、さっと緊張が走った。
職員のほぼ全員の顔は青ざめていて、
「何やら、状況は最悪の方へ向かっている」
ということを、ほぼ同時に、瞬時にして、皆気づいたようだった。
電話口の男は、その状況を分かってか分からずか、ほくそえんでいるように思えてならなかった。
そもそも、電話の相手が男なのか女なのか分からない。相手はボイスチェンジャーをかましていて、聞こえないのだ。
この電話の内容は、すべてが録音されるわけではなく、録音が必要だと思った時だけ、手動で録音する形になっている。
したがって、最初の肝心の脅迫部分を録音することはできなかったが、それを知ってか知らずか、相手は。もう一度、しかも、一言一句変わることなく、同じ言葉を吐いたのだった。
警察がやってきて、録音を聴いた時、
「このタイミングで脅迫を入れるというのはおかしいですね」
と刑事がいうと、
「ああ、これは、相手が二度目に発した脅迫だったんです。この録音は、児童で行われるものではなく、録音が必要だと思った時、手動で録音するようになっているんです。もちろん、プライバシー保護の観点からですが、そのせいで、肝心の脅迫部分の録音ができなかった。残念だと思っていると、相手が、それを見透かしたように、再度、脅迫を仕掛けてきたというわけなんですよ」
と水道局の役員は言った。
「もちろんだとは思いますが、このような脅迫を受けたこと、今までにはなかったんですよね?」
と刑事が聞いた。
それは、今回のように、2日も経っているのに、警察に通報もしないということは、
「悪戯だ」
と思っているのか、それとも、
「相手が見返りの条件をつけてくるのを待っているのか?」
という、
「これだけでは悪戯かも知れない」
という思いから、すぐに警察に通報するということをしなかったのだろう。
いや、刑事が考えたのは、それよりも、
「今までに何度か同じような脅迫があり、脅迫があるだけで、実際に何もなかったというのが続いていることで、次第に、狂言だと思うようになった」
とも考えられなくもない。
刑事は、そう考えたのだ。
職員の方では、さらに戸惑っていたが、それを見越した刑事が、
「あったんですね? ただ、今まではそれが、本当に悪戯だったということで、今回も、悪戯に違いないと思ったんでしょうな。だから、警察が来た時は、本当にびっくりした。寝耳に水状態だったのが、急に現実味を帯びてきたということでしょうね」
と刑事がいうと、職員は、それぞれに顔を見合わせて、
「ええ、おっしゃる通りです。こう何度もあると、次第に相手が悪戯で、その目的は、自分たちの脅迫によって、市の職員が慌てふためくのを見たかった」
ということかも知れないことを、刑事は話した。
職員も、
「そうです。まさにその通りだという意識もあって、下手に慌てないようにしたんです」
というと、
「なるほど、皆さんは、愉快犯だと考えたわけですね?」
と刑事がいうと、
「ええ、そうなんです。下手に慌てると、相手の思うつぼだってですね。だから、職員には慌てないようにさせ、ここに掛かってくる電話のことは、本当に一部の人しか知らない状態で、いたんです」
というではないか。
それを聞いた刑事たちは、少し苦み走った状態で、
「皆さんは、オオカミ少年の話をご存じないんですか?」
と聞かれると、
「もちろん、知ってます。それも考えてみました。でもですね。相手は最初に一度脅迫しては来るんですが、その見返りを何も求めないんです。見返りを求めてくれば、手の打ちようもあるんでしょうが、見返りがない以上、悪戯だと思っても仕方がないでしょう? 変に慌てて、仕事に集中できなかったりするのも、悔しいですからね。だから、職員のほとんどが、過去に脅迫があったということは知らないんじゃないでしょうか?」
と言っていた。
実は、この後、職員にも聞き込みをしてみた。
「実際に、警察にも同じ内容の脅迫があったので、皆さんだけの問題ではないので、職員には、過去に脅迫があったということを、時と場合によっては言いますが、構いませんよね?」
と言われた。
「それは仕方のないことでしょうね」
と、半分他人事だった。
職員が苦み走った顔をしたのは、
「これで、職員たちからの信用を失うかも知れないな」
ということが一番の危惧だった。
この職場は比較的、上司と部下がうまく行っているところのようであった。
それは、
「刑事の勘」
というもので、雰囲気から察することもできた。
しかし、それが、ちょっとした亀裂であっても、大きなひびが一瞬にして入るのではないかと職員は思ったのだった。
職員に聞き込みに行くと、意外な答えが書いていた。
「ああ、脅迫事件ですね」
といって、やけに落ち着いていた。
「どうして、そんなに冷静でいられるんですか?」
と聞くと、
「職員は皆少々のことは知ってますよ、上の連中は知らないとでも思っているのかも知れないけど、こういうウワサというのは、本当に小さな穴でも、開いていれば一瞬にして、伝わるもので、それこそ、ウワサというものなんですよね」
と知ったかぶりに近い様子で、比較的若いその職員は、ニンマリとしていたものだったのだ。
「上の連中は、取り越し苦労をしていたわけか」
と刑事は思ったが、
「それだけに、職員の考え方が、本当に役所仕事を思わせることなんだろうな」
と妙な納得をしたのだった。
その納得ということが、どこか、警察の組織に似ていると思うと、刑事の立場から、顔が苦み走った気持ちになるのも、分からなくもなかった。
「部下の気持ちも分かるし、上司の気持ちも分かる」
ということであった。
本当はそれがいけないという思いがあるからこそ、顔が余計に苦み走ってしまうのであろう。
「脅迫の録音を聴いた時、ボイスチェンジャーではあったが、言葉のくせなどから、犯人は、同一犯ではないかと思いますね」
と、警察に掛かってきた脅迫電話を聴いた刑事がそういった。
すると、他の刑事たちも一様に頷いたが、驚愕電話だと思った瞬間、録音と同時に、受話器を、スピーカーにしたのだった。
「今までに、このような脅迫電話はどれくらいあったんですか?」
と聞かれた職員は、
「分かっている限るでは、5回くらいでしょうか? 昨年の年末くらいから、2カ月に一度くらいに掛かってきた脅迫電話だったんですよ」
というので、
「2カ月に一度というのは、図ったようにという言葉で解釈してもいいんでしょうか?」
と訊ねると、職員は、一度頷いて、
「ごっくん」
と喉を鳴らして、
「ええ、そうです」
と答えた。
職員は、冷静さを装っているが、さぞや喉の奥はカラカラに乾いていることだろう。
それを察した刑事は、少し質問をタイミングを開けた。
「それにしても、2カ月に一度とか、異常ではあるが、結局何も起こらないということは、やっぱり、相手が慌てているのを見て楽しむという愉快犯なんでしょうが、実際には緘口令をしいて、誰も、表に出すようなことはしないだろうな」
と刑事は思った。
「でも、本当に愉快犯なんでしょうかね? 私は、2カ月に一度というのが何か気になるんですよ。それ以下だと、警察に通報されるだろうし、それ以上だと、本当に信憑性のない話として、悪戯と思われて、相手にもされないというようなことになりかねませんよね?」
と若い刑事は言った。
そう、そうなのだ。問題はそこだったのだ。
犯人は、脅迫の感覚が長くても短くても、信憑性にかけ、まったく相手にされないことが分かっているのではないかと思えた。
そして、そろそろ一年が経つというこのタイミングで、脅迫というのも、
「次の段階に入った」
ということになるのだろう。
「一体、犯人は何がしたいというのだろう?」
ということを思うと、警察の方も、それが分からないだけに、
「下手に動けない」
というのが、本音だったといってもいいだろう。
そんなことを考えていると、刑事は、警察に掛かってきた電話のことを思い出していた。
ただの脅迫電話だと思っていたが、何やら、少し違うというのを感じたのが、
「上水道に毒薬をぶちまける」
という、完全に、
「無差別な大量虐殺」
であり、もし、これが現実になると、そこに見えてくる犯人像は、
「テロリスト集団」
ということだということである。
かつて、今から四半世紀前のことであったが、ある新興宗教の団体が、組織ぐるみで毒ガスを作り、それを地下鉄内部でぶちまけたことがあった。
それを、警察は、
「テロリストによる犯行」
と位置付けて、捜査が行われた。
国会の方でも、
「テロ防止法」
などというものが制定され、
「我が国は、本格的なテロ対策を講じる国にならなければいけない」
と言われ始めた。
幸いなことに、あの時ほどの凶悪な、大量殺戮事件は起こっていない。
さらに、
「毒を仕込む」
ということであれば、昭和の頃に起こった、
「青酸カリ入りチョコ事件」
というのがあった。
「ある会社の製品に毒を仕込んだ」
ということで調べていると、いくつかの製品から、本当に青酸カリが発見され、
「陳列台からチョコが消えた」
という事件もあった。
それが今から20年くらい前だっただろうか?
さらに、そこから二十年くらい前になるだろうか?
その事件は、国内でも、いよいよアメリカから、コーラというものが入ってきた時に起こった事件だった。
その事件では、青酸カリが入ったコーラを飲んで、死んでしまう人がいたということで、その後に起こった、
「青酸カリチョコ事件」
よりも、衝撃的だっただろう。
実際に人が死んでしまうと、こうなると、
「無差別大量虐殺事件」
としての様相を呈してきたのだった。
ただ、その事件は防ごうと思えば防げたのだ。
というのも、毒を呑んだ人間は、自販機の横に、いかにもという形で、誰かが口をつけたのかどうか分からずに置いてあるものを、衝動的に呑むと、そこに毒が入っていたということである。
今の世の中、人の飲みかけと分かると、絶対に口をつけないのが普通なのである。
昔の人は、伝染病を恐れてはいただろうが、そこまで気にしていなかったのだろう。
「怪しい」
とは思ったかも知れないが。それでも、口にする人は一定数はいるのだろう。
だから、青酸
カリを飲んで染む人が後をたたなかったのだ。
この、
「20年置き」
で発生するという事件は、
「感覚的に、ほぼ同間隔であいている」
ということで、
「等間隔というのが、何かを意味しているのではないか?」
と思われるのは、偶然だと思っているわけではないのだろう。
それにしても、人間というのは、模倣犯だとしても、こんなに期間が離れていることで、それは、模倣犯というよりも、大量虐殺という発想を、拭い去ることができないのは、
「人間の本性なのかも知れない」
と言い切れることなのかも知れない。
「古今東西の脅迫、大量殺戮、テロ行為」
それらは、どこか、共通性があり、それに導かれるかのような事件が、今日も起こっていることであろう。
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