第5話 空き巣事件
だが、どうやら、息子の、
「言い分」
というか、
「言い訳」
は、的を得ていたようだ。
だから、通帳がなくなった翌日にはすでに被害届が出ていて、その日に空き巣の捜査ということで、鑑識が入って、調べられるものは、調べていったようだ。
ずっと、夫婦の二人暮らしの中で、もう一つの、摂取できない指紋が、いたるところにあったのは、その息子の指紋だったのだ。
警察は、これ以上、犯人が特定されていて、しかも、犯人が簡単に捕まるような事件に、関わっているのは、時間のムダだった。
取り調べをさっさと済ませて、あとは検察官が起訴すれば、こちらとすれば、終わりだったのだ。
「一つの犯罪で、判決が出ると、二度と同じ犯罪で裁かれることはない」
ということで、
「もう、この事件は、起訴が決まった時点で、二度と警察に戻ってくるものではない」
ということである。
執行猶予がついたのだが、息子は、いくらかをすでに使っていた。
というのも、息子は親と喧嘩をして家を出てから、仕事をしていても、長続きしなかった。
それだけ、一所懸命に仕事ができる性格ではなかったのだ。
飽きっぽいし、人からの命令に、ついつい逆らってしまう。
これは、親と喧嘩をして家を飛び出したという性格からも分かることで、かなりの短気だったのだ。
それでも、仕事を転々としながらの、
「転々虫」
だったとしても、収入もあり、何とか生活できていたのだ。
しかし、そのうちに、ストレス解消という意識からか、フラット立ち寄ったパチンコ屋で、その面白さに触れたことで、今までのストレスが一気に消えた気がした。
それと同時に、
「ギャンブルを辞めてしまうと、またしても、鬱状態に入り込んでしまい、まったく前が見えない将来について、夢も希望もない、そんな毎日が待っている」
ということで、
「引き返すことはできないんだ」
ということを思い知らされることになるであろう。
そして、
「ギャンブル依存症」
と呼ばれるまでになっていたのだ。
彼の目的は、
「ストレス解消」
ということのための遊びであり、
「金もうけをするための、ギャンブル」
ということに走っていないと思っている分、
「俺はまだマシな方で、ギャンブル依存症になんかなっていないんだ」
という思いだった。
だが、実際には、
「立派なギャンブル依存症で、しかも、
「自覚がない」
という分、たちが悪いのだ。
つまり、意識がないということは、罪の意識がないということで、借金をしてでも、パチンコをしていても、
「そのうちに借金を返せるさ。逆にここで辞めてしまうと、今までつぎ込んできた分が水の泡になってしまう」
と考えていたようだ。
だから、何度も消費者金融の会社で簡単にお金を使うようになり、いつの間にか、数百万という借金に膨れ上がっていた。
ギャンブル依存症のために、パチンコ屋でもいろいろな工夫が行われている。
パチンコ屋にあるATMでは、一度に下ろせるお金の上限を厳しくしたり、利用回数に制限を設けたりはしているが、近くにはコンビニやスーパーなどのキャッシュコーナーがある以上、そこでの利用回数制限はない。
少々遠くなって面倒にはなるが、
「抑止力」
という意味ではまったくの効果はないといってもいいだろう。
だから、息子は、さらにパチンコにもめり込む。
他に、パチンコ屋が精神的な面で抑えるようなシステムがあるようなのだが、それも結局、
「本人次第」
ということで、抑えにはならないということだ。
そのせいで、気が付けば首がまわっていない。
「ギャンブル依存症」
であっても、ここまでくれば、どうしようもない状態になっていて、
「まずは、借金をどげんかせんといかん」
という形になっていたのだった。
そこで思い立ったのが、
「親がしていた、自分名義の通帳」
だったのだ。
親の性格をよく分かっていたので、
「どうせまだ、あの場所に通帳をしまっているに違いない」
と思っていた。
問題は、玄関から、今持っている、家を出てきた時のカギが通用するか?
ということであった。
確かに、無頓着の親だとは思ったが、本当にカギが合うとはおもわなかった。
親がでかけてから、5分ほど待ったところで、部屋に入ってそそくさと手帳を持って出たのだが、その間、5分も経っていない。計画通りだった。
通帳の親名義に手を付けていないのは、ただ単に、押し入るのに、
「時間がなかった」
というだけのことであった。
別に他意があったわけではなく、
「親に気を遣ったなどというものでもない」
ということである。
そうなると、
「計画的ではあるが、ところどころに間抜けさというのが露呈しているのは、犯人が、一つのことしか見えていなかった」
ということと、
「目的は借金返済というものだけだった」
ということになるのであろう。
これなら、罪に問うという考えから、どんどんかけ離れて行っているといってもいいだろう。
そんな空き巣だったが、さすがに、パチンコにのめりこんでいるとはいえ、我に返ってみると、数百万の借金、笑い事ではなかった。
仕事も定職を持っているわけでもない。臨時バイトを探しても、あるわけもない、あったとしても、一日いけば、そこから先は保証がない。
借金まみれになった時点で、すでにマイナスの人生なので、どうすることもできなくなった。
それでも、何とかなると思ったのは、
「いざとなれば、実家がある」
と思ったのかも知れないが、いざ実家ということになると、頼みに行くということが想像もできなくなっていた。
実際に、喧嘩をして家を出てきたわけである。その時の事情を思い出そうとしても、思い出せないのは、
「明らかに自分の方が悪かった」
という自覚があり、
「それを認めたくない」
という思いなのか、それとも、
「大人げない」
という思いが強いのか、とにかく、いまさら、家に頭を下げたとしても、どうなるものではないと考えたのだ。
それが、いきなり、
「実家に空き巣に入る」
という発想に行き着いたというわけでもないだろう。
極力、穏便に済ませたいというのは当たり前のことだったが、どうしても、借金取りの存在が浮き上がってきて、恐怖がリアルに感じられるようになると、
「もう逃げられない」
という思いが強くなってきて、最初から、
「空き巣に入ろうとまでは思わないまでも、家を意識しないわけにはいかない」
ということだったのだ。
実際には、
「実家に帰る」
という意識だった、
「カギが、入るということは、いつでも帰ってきてもいいぞということなので、家に帰るまでは、別に悪いことではない」
と思うのだった。
さらに、家に帰って、自分名義の通帳が、昔あった場所にあるとするならば、それは、自分が、
「自分のものだから、貰ってもいい」
ということだろうと解釈する。
もちろん、身勝手な解釈なのは分かるが、息子はそれ以外の解釈を思いつかなかった。
「尻に火がついている」
ということは間違いなく、
「このままだったら、俺は間違いなく、命を落とすことになるだろう」
と言えるのではないだろうか?
家を出てから、数年。自分がどこで何をしていたのか、自慢できないまでも、普通に言えるようなことをしていたわけではないだろう。
確かに、生きるためということで、少々危険なこともしてきた。底辺にのたうち回っているかのような生活だったといってもいいだろう。
「ギャンブルが癒してくれる」
という思いも、本当にのめりこむ前からあった。
だからこそ、のめり込んでいった時も、
「別に悪いことだというよりも、むしろ、気分転換になるという意味で、パチンコも悪いことではない」
と思っていたのだ。
それが、あさかのめり込むことになって、二進も三進も行かなくなるとは、想像もしていなかったことだろう。
そんなこんなで、結局、
「一番安直な方法で、苦しみから逃れる」
という道を選んでしまったのだ。
「自分の家に空き巣に入る」
いや、味方によっては、
「実家に帰って、忘れ物を取りに行く」
という感覚であろうか。
カギも変えておらず、通帳も同じ場所にあるということは、
「息子が戻ってきたら、息子が使うのであれば、それもいいだろう」
ということだと解釈したのだ。
確かに、そう解釈すると、一発で解決することもあり、罪悪感も薄れてくる。
一度薄れてきた罪悪感が、元に戻るということはほとんどない。それだけ、自分が年を取ってきたということであろうか。
そんなことを考えていると、いつの間にか家に入っていて、普通にタンスから通帳とハンコを抜いていた。
そして、そのまま、普通に通帳からお金をおろした。
「もし、何か言われても、自分の運転免許証を示し、本人ですと言えば、それ以上何かを言われることはないはずだ」
と考えた。
ただ、両親が気づいて、銀行を止めていれば、ダメだろう。印鑑はこっちにあっても、向こうは、
「こちらが知らない暗証番号」
と知っているのだから、それは当然、止めることができるだろう。
もし、そうなると、即行警察に連行されるに違いない。覚悟のうえでの強硬だった。
幸いと言うべきか、止まってはいなかった。
怪しまれることもなく、普通にお金をおろすことができたが、さすがに、一気に下ろすと、怪しまれると思ったので、最初は、100万ということにした。
それでも、借金には、程遠かったが、
「今日は様子見で、明日、もう一度くればいい」
と思った。
一度うまくいったことで、
「次からも大丈夫だろう」
という考えが、果たして甘くないといえるだろうか?
実際に下ろしてみると、下ろせたのだから、
「今後も大丈夫だ」
と思い込むのは無理もないことだろう。
しかし、次回、下ろしにいくと、すでに、口座は止まっていた。案の定、銀行側から質問を受け、息子としては、最初に考えていたように、身分証明と印鑑を提示したが、
「それは、盗んだものではないんですか?」
と言われると、
「いいえ、自分の家から自分名義の通帳を持って出たことの何が悪いんですか?」
というと、
「あなたは、この通帳の暗証番号をご存じなかった。ということは、これは、あなた以外の人があなた名義で預金していたということで、確かに、名義はあなたですが、実際にはお金を振り込み続けた人がいるわけで、その人を裏切っているということですよね?」
と銀行マンが強い口調でいうと、
「我々銀行マンは、そういう人にお金をためてもらっておいて、後になって、自分のものだと主張するのは、理不尽だと思っています。だから、決して許すことはできないということで、銀行側の立場から、毅然とした態度をとらさせていただきます。今の状態でいえば、あなたは、うちのお客様ではないということですね」
というのであった。
さっそく警察がやってきて、少し銀行で事情を聴かれ、警察に連行された。
そこでは、さらに事情を聴かれ、息子としては、ここまでくれば、神妙になって話をするしかなかった。
この状態で、強気になったとしても、もうどうしようもないのだった。
だが、救いは、
「名義は自分で、自分の家に帰ったということだけは、何とかうまくいっただけに、それで押し通すしかなかった」
それを言い張っていると、刑事の方も疲れてきているようだ。
ほとんど陥落させている相手が、最期の最期で試みる抵抗というものは、そう簡単には、攻略できるわけではないということだ。
警察は、もうついてこない。事情が聴かれただろうが、あくまでも事務的なこと、警察に引き渡せば、後は、警察に任せるしかないだろう。
両親の方も、
「息子を売った」
という意識からか、あまりいい気分になっていることは間違いないだろう。
ただ、それでも、夫婦はお互いに話し合い、
「このまま庇い続けても、息子のためにならない。あの子が、罪を認め、立ち直ろうという気持ちになったのであれば、お金はあの子のものだから、普通にあげてもいいと思っている」
と感じていたのだ。
そういう意味で、
「断腸の思い」
で、あえて、
「ライオンの親が子供を千尋の谷につき落す気分」
になっているのかも知れない。
ただ、それでも、かなり甘い采配である。いくら親子の間であっても、金銭が絡むととたんにシビアになる親だっていることであろう。
実はこの親もそうであった。
それまでは、
「子供のために、できるだけのことはしよう」
と思っていたのだが、子供と喧嘩別れをしてはいたが、
「改心すれば、許してやろう」
と思っていて、お金も息子のものだということも思っていたのだが、
「もし、悪いことに手を出すのであれば、息子とはいえ、容赦はしない」
と、父親は思っていた。
母親は、それでも、
「もう少し、柔軟であってもいい」
という思いがあったが、旦那の思ってることが正しいので、逆らうという気にはならなかった。
だからこそ余計に、
「わざと家にも入れるようにもしておいたし、通帳も前の場所においておいた」
ということなのだ。
それは、
「勝手に使ってもいい」
ということではなく、
「そうしておけば、息子がまさか、それを盗むようなことをせず、親の気持ちを察してくれるだろう」
という、親バカだったといってもいいだろう。
そもそもが、親子喧嘩になったのも、息子との考え方に、激しい温度差があったからであり、父親の厳しい考えと、息子の甘い考えが激突したからだったのだ。
父親も息子も、相手との温度差はハッキリと分かっていた。
それは、
「相手の考えが分かるレベルの温度差」
であった。
だから、お互いに相手が考えそうなことは分かるのだ。それだけに、
「どうして俺の考えていることを分かってくれない」
とお互いに感じていると、すでにすれ違ってしまった考えが、お互いに、
「一度すれ違ってしまった直線は、もう一度地球を一周しない限り、戻ってこない」
と言えるのではないだろうか。
しかも、すれ違った以上、もう一度地球を一周して、同じ軌道上にいることができるという保証はない、
つまり、
「すれ違ったところで、すでに終わっているのだ」
ということになるのかも知れない。
父親の方としては、その思いを強く抱いていた。だから、こうなることは分かっていたと思っている。
「もう、どうしようもない」
と思いながらも、それでも、
「どうすれば、改心するだろうか?」
と考えるのであった。
だから、通帳がなくなっているのを見た時、母親は、この世の終わりを見たかのように、気を失ってしまったが、父親は、
「来るべき時がきたか」
ということで、
「遅かれ早かれ、こうなることは分かっていた」
と思っているのだった。
銀行には手配をして、
「もし、息子が来て、多分、自分の金だとかいうでしょうが、容赦なく、警察を呼んでください」
というのだった、
そして、
「私は銀行には顔を出しませんので、事実関係だけご連絡ください。事情は警察から来るでしょうからね」
と父親は言った。
そして、まさにその通りになったというわけである。
父親からすれば、
「しょせん、ただのチンピラに成り下がっただけの息子」
としか思っていなかった。
父親がここまで、非情になれるというのも、この父親も、極端な、
「勧善懲悪な人間だった」
ということである。
息子が警察に連れてこられた時、ちょうど、刑事になりたてだったことであった三浦刑事は、まだ、捜査一課ではなく、防犯課に当時は勤務していた。
最初は、
「捜査一課ではないのか?」
と思ったが、勧善懲悪を守るというのであれば、何も一課でなければいけないわけではない、
むしろ、社会生活に直轄しているということであれば、防犯課であっても、少年課であっても、そこは変わりないということである。
「やっぱり、刑事ドラマの見過ぎなんだろうか?」
と思うのだった。
そんな時に、目の前に鎮座しているこの息子に、三浦刑事は、
「勧善懲悪の影も形も感じられない」
と思うと、すぐに思ったのが、
「親の顔が見てみたい」
という感覚であった。
確かに、
「この親にしてこの子。この子にしてこの親」
というのはいえるのだろうが、ここまで腐っているのを見ると、
「もはや、親の性だということを超越しているように思う」
ということであった。
そう思っていると、警察からの呼び出しで、男の親、つまりは、被害者が駆けつけてきた。
すぐに面会というわけではなく、まずは被害者として、息子であるという確認をマジックミラーから面通しさせたのだ。
「別にいきなり会わせてもいいのではないか?」
と思ったが、
「二人の関係が、親子であるということと同時に、被疑者と被害者であるということも理解しておかないといけないぞ」
と先輩に言われ、
「なるほど」
と、三浦刑事は感じたのだった。
「間違いありません」
と言った父親のその表情は、もはや息子を見る目ではなく、凝視知った先にいる男に対し、何らかの意地と覚悟のようなものを感じるかのように見えることだった。
「覚悟というものを持てるようになった人間は、自分だけのことだけでなく、相手のことも分かっているので、全体を見ることができる人間ではないかと思うんだ」
と言っていた人がいたが、
「まさにその通りかも知れない」
と感じたのが、その時の、
「父が子供を、被疑者として見なければいけない」
という覚悟なのだろうと、感じるからであった。
「親子関係も、えてして、ここまで厳しいものなんだな」
と、三浦刑事は、いまさらながらに感じたのだった。
親は、
「泣いて馬謖を斬る」
とでもいうような感覚だったのだろうか、それとも、
「千尋の谷から子供を突き落とす、親の気持ち」
だったのだろうか、子供に、覚悟のようなものを見せなければいけないと思っていたのかも知れない。
そのうちに、裁判も進んでいき、結局は、情状酌量から、刑としては、罰金刑くらいに収まったのだった。
ただ、
「親が子供に示した覚悟」
というものの存在が大きかったということは確かで、それだけがこの裁判において、重要なことだったようであった。
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