第4話 三浦刑事と、間抜けな犯罪
そんなこんなで、F市の事情もあるだろうが、少なくとも、
「重要文化財である城門の前で、タバコに火をつけて、あからさまに吸っていた」
という事実があり、その証拠をシャッターチャンスしているわけなので、市の文化局の方も、簡単に、
「善良な市民」
からの通報をむげにはできないはずである。
特に、最近では、
「世界的なパンデミック」
による、
「緊急事態宣言」
なるものを発出したことで、現れた社会現象として、
「自粛警察」
なるものの存在があった。
つまり、緊急事態宣言というのは、国民の行動制限を行うことで、伝染病の蔓延を防ぐという、
「人流抑制」
ということである。
要するに、街の店を閉めて、
「皆さん、おうちで過ごしてください」
という政府からの呼びかけであるが、確かに強制力はないとはいえ、やっていることは、完全に、
「半強制」
である。
そんな中において、日本国には、憲法9条によって、
「有事はない」
とされていることから、明治憲法では存在した。
「戒厳令」
というものは、ありえないものとなった。
だから、国が国民に発出するものに、強制力のある権利の抑制というものはありえない。いくら国民の命に係わるといっても同じなのだ。
だから、国家が、
「強制できない」
ということで、本当に経営がいっぱいいっぱいのところは、店を開けるのを余儀なくされるのも仕方がないだろう。
「国に従って、飢え死にするのをただ待つだけにするか?」
あるいは、
「国に逆らってでも、イチかバチかで営業するか?」
ということである。
だが、店を開けたからといって、客が来るとは限らない。店によっては、
「そんな国逆らうようなことをしてまで」
というところもあれば、逆に、ギャンブルのお店で、
「ギャンブル依存症」
の人であれば、禁断症状の最中に店を開けてくれたことで、本能的にいってしまう人はたくさんいるに違いない。
そんな人たちに対して、
「自分たちは不自由であっても、ルールを守っているのに、守らないやつには、天罰がくだらなければいけないと思っている人がいることで、許されてもいいのだろうか?」
ということをいう人がいる。
一種の正義感に近く、
「勧善懲悪の精神」
と似てはいるが、正直、まったく違うものだといえるだろう。
「他府県をまたいだ移動はしないでください」
と政府がいっているからといって、車のナンバープレートが他府県ナンバーだと分かると、車を攻撃したり、嫌がらせをする人が集団でいる。
そういう連中を、
「自粛警察」
というのだった。
彼らには、正義があるのかどうかは分からないが、やっていることは、
「天に変わってのおしおき」
である。
そういう連中は、
「自分がすべて正しい」
と思い込んでいるのだろう。
平時であっても、そのような考えの人は結構いることは分かっている。しかし、人に害を与えることもないので、さほど、気にされることもないだろう。
しかし、今回の緊急事態宣言のように、明らかに、
「国の強制」
ということにおいては、
「どのようにすればいいのか?」
という、彼らの中でも戸惑いがあったのだろう。
しかし、自分たちは国の政策に、とりあえず従うと考えている。その中にどれだけの矛盾が含まれているのか、山ほどあるに違いないが、それをいちいち意識していれば、対応などできるはずもないといえるだろう。
それを思うと、国からの強制というと、同じ考えの人でも、微妙な違いを持った人がいるだろう。
国からの強制と、勧善懲悪というものを天秤に架けると、当然のことであるが、勧善懲悪というのが勝つだろう。
しかし、今回の宣言は、
「勧善懲悪であっても、それが、国からの強制に従うことだ」
という、一種矛盾したものを、自分で認めなければいけないということになるのであった。
そして、国が国民を締め付けているという事実の中で、
「これは強制ではない」
などという生ぬるいやり方しかできないのだから、当然、要請を守らない人も結構いるだろう、
それを法律で、罰則を設けたとしても、結局、
「開店したことで、閉めてから垂れ流すお金との差額分が、十分に罰金よりも、多いのであれば、
「罰則なんて、怖くない」
と言えるのではないだろうか?
そういう意味でいけば、
「ルール無視」
という人が増えてくるのも否めないが、しかし、
「このまま死を待つよりも」
ということであれば、同情の余地はあるというものだ。
ただ、それを許さないのが、
「自粛警察」
というもので、
「例外は認めない」
という、かなり厳しい集団だといえるだろう。
確かに、自粛警察というのは、
「勧善懲悪の固まり」
であり、もっといえば、
「勧善懲悪そのもの」
だといえるだろう。
耽美主義が、いかなるものに美が優先するという考えであれば、自粛警察というものは、
「勧善懲悪が、すべてのものに優先する」
という考えだ。
耽美主義でも嫌われる傾向にあるのに、このようなパンデミックでなければ、自粛警察なるものは、
「悪の権化」
といってもいいくらいのものであろう。
だとすると、
「タバコを吸っているやつが許せないというのも、完全に、勧善懲悪への挑戦だ」
といってもいいだろう。
自粛警察というものを見ていると、同期のやつが、
「あいつは、本当の警察官ではなく、自粛警察なのではないぁ?」
と思うことがある。
つまり、
「犯罪者の敵が警察であるが、その警察の敵が、実は、そいつではないか?」
という発想である。
ただ、ここで矛盾があるのだが、犯罪者と、やつが、近しい関係だというわけではない。
まるで、パラレルワールドの発想だと言えばいいのか、
「マイナスとマイナスを掛ければ、プラスになる」
というような発想ではなく、たまには、マイナスにもなる、足し算の発想ではないかと思えるような発想であった。
ということは、数学的な考え方になるのだが、
「ここでいうそれぞれのマイナスは、数学的なマイナスという定義よりもむしご、幅がひろいのではないか?」
と言えるのではないかと思うのだった。
同じ発想でないからこそ、どちらかに、全体が靡かれてしまう帰来がある。つまりは、
「力の強い方に引き寄せられることで、コースが変わる台風のようではないだろうか?」
確かに、やつの性格は、勧善懲悪という、徹底的に引き寄せる力の強さが影響することで、普通の人が警察官になったのと違い、彼のような性格の人間が警察官になれば、そちらに引っ張られて、まるで、
「自粛警察」
の様相を呈してくるのではないだろうかというころである。
マイナスとマイナスが一つになるという発想を考えた時、ふいに感じるのが、
「色の三原則」
の発想であった。
「円盤に均等にカラフルな色を塗って、高速回転で色の変化を見て行った時、最期は何色になるか?」
ということである。
これは、たいていの人が実験をやっていて、知っていることのはずである。
そう、最期には、
「白色」
になるのだった。
白色が目立つというのは、ある意味、
「いろいろな色が混じって、その末にできた色だから」
という説は、あながち否定できないのではないかと思うのだった。
これだって、
「どんなにカラフルで鮮やかなものだって、最期は、真っ白で何もないと思われるような城に変わるということは、まるで、
「生態系の循環に似ている」
と言えるのではないだろうか?
だから、
「マイナスとマイナスを掛け合わせて、プラスになるという考えは、逆に、パラレルワールドという考えを否定し、数学の根本的な理論を覆すというような考えになるのではないだろうか?」
ということであった。
そのどちらのマイナスが強いかということは、
「マイナスに相手をプラスにできるだけの力を自分一人でも兼ね備えている者だけに言えることないのだろうか? マイナスをマイナっすとしてしか判断できないと、相手がマイナスでないと、プラスになれないということで、それが、自分をいかに、生かすことができるかということを示しているのかも知れない」
と言えるのではないだろうか?
その時の動機の中で、
「一般的なマイナスの代表が、自分である」
ということで、
「元々のマイナス」
を感じていた。
友達には、特殊な性格のマイナスを持っていて、
「それを生かすマイナスが自分」
であり、
「自分が一番流動的なのではないだろうか?」
と感じるのだという。
「マイナスとマイナスを掛けると、プラスになる」
という考えを否定するということは、
「生態系などの、循環を否定する」
ということになる。
ということは、
「生態系などの循環と、パラレルワールドという発想が同じものなのではないか?」
と、かなり、信憑性はないが、考え方として、研究するに値するものではないかと言えるのではないだろうか?
つまり、考え方としては、
「三段論法」
を理屈づけるものとして、考えると、
「A=B」、「A=C」だから、それゆえに、「A=C」だ。
というのが、いわゆる、
「三段論法」
である。
しかし。
「A≠B」、「B≠C」、だから、「A=C」
という考えは、かなり、矛盾はしているので、可能性は限りなくゼロに近いものなのかも知れないが、考え方として、今まで、同じ次元で考えることすら、まったくありえないと思っていたことを、少なくとも同じ次元で考えてもいいということになると、研究に値するものであるといえるだろう。
そこから研究が始まれば、この理論が証明される可能性があるとすれば、
「生態系の循環の矛盾と、パラレルワールドの、平行世界という考え方を同じ次元で考える。
そこから生まれてくるものが、どういうものなのかということを、想像すれば、これも、新しい形の、
「三段論法だ」
と言えるのではないだろうか?
三浦刑事は、本来は文系であったが、こういう理論的なことを考えるのが好きだった。
もちろん、数学や物理などの、専門的な知識などあるわけはないが、中学時代までに習った、基礎的な数学であったり、物理、化学などの学問は好きだった。
そんな中において、自然の摂理であったり、数学の数列などといった、例えば、
「記憶的に並んだものを、いかに論理づけた公式を、たくさん考えることができるか?」
ということを考えるのが好きだった。
中学時代において、一番好きな学問が、実は歴史だった。
歴史の勉強をしていると、他の学問と違って、
「まったく違ったものをしているんだ」
と思うようになり、つまりは、
「勉強ではない」
ということで、自分なりに興味を示して、勉強ができるようになったのだった。
だから、歴史の授業は、
「勉強ではない」
と思っていたので、学校の授業だけでは物足りない。
何といっても、興味を持った部分を、すぐに数行で通り過ぎてしまうのだ。
ここ二十年ほどの間で、歴史の勉強もかなり変わってきた。
以前は、
「暗記科目」
だといって、語呂合わせで、年代を覚えたりしたもので、
「なくようぐいす平安京」
などと言ったものだ。
ちなみに、一番メジャーな覚え方をした、
「いいくにつくろう鎌倉幕府」
は、今の研究で、
「1192年ではなく、1185年の、守護地頭を、全国に配置した時だ」
という説が有力で、
「いいくにではなく、いいはこだ」
と言われるようになっていた。
それが、歴史の勉強としては、一番大変であり、嫌いになる理由の一番だったというのも、実に皮肉なものだった。
三浦刑事は、そんな理論的なことを考える人間だったが、いつの間にか、
「勧善懲悪」
という考えに感化されるようになっていた。
だから警察に入ろうと思ったのだが、それが友達の影響によるものだということを意識していなかった。
だが、実際に警察官になって、最初は巡査として、交番勤務をすると、自分の中にある勧善懲悪の気持ちが芽生えてくるのを感じたのだ。
あれは、空き巣事件が起こった時のことだった。
近所の夫婦がよく差し入れなどを持ってきてくれて、最初に仲良くなれたことで、その土地に馴染めたという意味で、恩人のような人たちだった。
ある日のこと、そお夫婦から通報があり、
「空き巣に入られた」
というのだった。
通帳と印鑑を取られたということであったが、すでに、引き落としが完了しているようで、通帳から、少しであったが、お金が消えていた。
警察は、そのお金が引き出された銀行で張っていると、再度引き落としに来た犯人を逮捕することに成功したのだが、何と、その犯人というのは、その夫婦の息子だったのだ。
息子は、数年前の大学2年生の時に、親と喧嘩して、出て行ったということであった。
その後どうなったのか、夫婦もその消息を知ることもなく、結果、
「息子は家出をした」
ということで、探すこともしないまま、放っておいたのであった。
そういう意味で、同じ年代の三浦巡査が頑張っているのを見て、
「まるで息子のよう」
と感じることが、夫婦にとっての、癒しとなっていたようだ。
心配をしないと言えばうそになるが、けんか別れで出ていった以上、帰ってくるのを待つしかないと思っていたようだ。
「自分の息子のように思えたのが、警察官というのも、皮肉なものだ」
と思っていた夫婦だったが、その息子が、まさか、空き巣というような、
「ブサイクな犯罪」
で戻ってくることになるとは、思ってもいなかっただろう。
夫婦は、元々、
「息子のために」
ということで、息子名義で、貯めていた金があったという。
それを息子は思い出したのだ。
だから、警察の取り調べの際、
「俺の金を俺が貰って、何が悪い。それにあの家だって、俺の家なんだ」
と、一度は喧嘩をして出て行ったのに、この言い草は、言い訳と言っていいのだろうか?
確かに、男の言い分を認めないわけにはいかない。そうなると、問題は、被害届が出ている以上、被害を受けた夫婦がどうするかということになるだろう。
裁判になれば、有罪になるかも知れないが、それはやってみないと分からない。ということになると、夫婦の出方が問題になってくる。
「被害届をそのまま生かして、取り調べの跡に、起訴することになるのか、あるいは、老夫婦が、息子のやったことなので、として、被害届を取り下げるか?」
ということの二択にしかならないだろう。
被害届を取り下げると、何もなかったことになり、後は財産的な問題として、民事の問題になってくる。警察というのは、
「民事不介入」
という原則があるために、被害届が取り下げられたら、その時点で、事件は終わりになってしまうのだった。
夫婦がどうするかと見ていたが、夫婦は、被害届を取り下げることはしなかった。
かなりの葛藤が夫婦二人の間にあったようだが、
「このまま、何もなかったことにするのは、息子のためにも、自分たちのためにもならないことで、後は司法の手に委ねるということを考えました」
ということをいって、被害届を取り下げなかったことで、検事は起訴したのだった。
裁判としては、事件が大きなものではなく、誰かが殺されたというわけでもなかったので、すぐに結審がついたようだ。
被害者が肉親であること、裁判にはなったが、別に息子を犯罪者にしたかったわけではないが、このまま見逃せば、今度はまた繰り返すことになり、今度はもっとひどいことになるだろう。
明らかに、人様に迷惑をかけることになり、さらに、また捕まれば、今度は容赦のないリアルな犯罪として、厳しい沙汰が下るに違いない。
それを思うと、
「ここでハッキリさせるしかない」
と考えたのだろう。
親の方が考えたのは、どうしても、親子としての情があり、贔屓目に見てしまう自分がいるのを分かってもいた。
特に、警察もであるが、親は気になったこととして、
「なんでこんなにあからさまなことをしたのか?」
ということである。
犯罪からすれば、
「クソのような犯罪」
といってもいいかも知れない。
そもそも、空き巣に入って盗んだものが、
「自分名義の通帳とハンコ」
ということであれば、犯人は自分以外にはないということだ。
本来なら、簡単に盗まれるような場所に通帳を置いていたことも、
「無防備も甚だしい」
と言われても仕方のないことであろう。
しかも、通帳一式を同じ場所に保管していたのだ。そして犯人が持っていったのは、自分名義のものだけで、親名義の通帳もあるのに、そっちには一切手を付けていないのだ。
確かに、裁判になった時、
「自分のものを取りに来た」
ということであれば、犯罪にならず、無罪の可能性もあるだろう。
しかも、入った家が自分の家なのだ。空き巣と言っても、実際には、
「持っていたカギで普通に玄関から入り、通帳の場所から、自分の分だけを持っていったのだ」
ということであった。
だから、これを本当に、
「空き巣」
と言えるのかということであり、裁判も略式起訴のような形であった。
ただ、無罪というわけにはいかなかった。執行猶予がつく中で、かなりの情状酌量があり、刑としても、
「最も、軽い刑だ」
ということであったのだ。
それにしても、事件としては、いろいろ情けないようなポンコツと言ってもいいものだった。
そもそも、夫婦が、息子が出て行ってからでも、カギをそのままにしておいたというブサイクなこと。夫婦とすれば、
「息子が自分の私物を取りにくることもあるだろう」
ということで、わざとそのままにしていたということであった。
まさか、通帳を取りにくるなどということは、まったくといって考えていなかったということであった。
さらに、
「通帳を、別々に保管もせず。さらには、印鑑もそばにあった」
ということであった。
いかにも、
「取ってください」
というような無防備さであったが、正直、警察も、
「これほど無防備だったら、いつ誰に狙われるか分かったものではないですよ」
と忠告したくなるのも、当然であった。
さすがに夫婦も、自分たちの無頓着さというものを反省していたようだが、息子の方としても、
「この親にしてこの子あり」
というべきか、
一度、お金を下ろす時、普通に下ろして、さらに、二度目に下ろす時も、同じ銀行に来るなど、本来であれば、
「開いた口が塞がらない」
といっていいほどの、情けないものであった。
警察も呆れていた。
取り調べの時、
「何で他の銀行に行こうとは思わなかったんだ?」
と聞かれると、
「前の時に、捕まらなかったし、お金を凍結もしていなかったので、てっきり、このお金は俺が自由に使っていいものだということなんだろうと思った」
というのだった。
なるほど、息子とすれば、盗まれたということが分かっているにも関わらず、止めていないということは、自分のお金だということで、普通に使っていいものだと思ったとしても、無理もないだろう。ただ、警察が気になったのは、
「お前は、お金を盗まれたことを、両親が知っているはずだという話し方をするが、どうしてそうハッキリ言い切れるんだ?」
というと、
「あの親は、ああ見えても守銭奴だからな。結構ケチなところがあるので、趣味として、毎日預金通帳の額面を見ることだというような人が、盗まれて数日経ったにも関わらず、通帳がなくなったことに気づかないなどありえないと思ったんですよ」
というのであった。
三浦巡査も、まさか、あの夫婦が、そんな守銭奴だとは思わなかった。だから、それに関しては、
「息子のウソ」
だとしか思えなかったのだ。
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