第二話 得を説き得を納めん
2-1
「基本、おれたちみたいなのは秘密主義者だからね。その職員さんとだっておれ、もうやっちゃってるかもしれないし」
土曜日。ファミレスで雅哉は文彦とブランチを取っていた。
「別に個人情報は言いませんよ」
「そうしてくれると助かるよ。“その人”とおれがもう関わっていた場合、余計なバイアスがかかるからね」
こうして度々文彦と食事をしていると、自分がはっきりとゲイのような気がしてくるが、つまり“気がしてくる”ということが雅哉がクエスチョニングの状態にある証左だった。こうやって会話をしていても雅哉にはまだちょっと自分が同性愛者であるという自覚が芽生えていない。もしかしたら最終的には異性愛者に変化する可能性を常に感じている。ただ一方で、一旦グラデーションの深層に入り込んだ以上、男を愛する男になるような気もしている。つまり“気もしている”。文彦はいつも「自然な流れに任せなさい」と言ってくれている。自分で決められるものではない、ということであるようだった。とにかく今は親とも兄とも友達とも先生とも異なる大人と、ちょっとした異次元交流をすることを楽しむばかりだった。
雅哉はさっきからひなたの智也の話をしている。この時点で雅哉は智也に興味があった。別に容姿が好みというわけではない。ただ、もしかしたら自分と語り合える存在なのかもしれないという期待を抱いていた。
「ゲイで、もしくはバイセクシャルで、女性というか異性と結婚するというのは、文彦さんを見ていると、色々つらそうだなと思うんです」
「同性愛の世界の先輩として言わせてもらうとだね」
「はい」
「その人、ノンケの可能性もあるんだぜ」
「は?」
一瞬、文彦が何を言っているのかよくわからず、雅哉は目を剥いた。
文彦は、ふふ、と微笑みながら、先輩として雅哉に教える。
「男同士のセックスが好きなノンケ男性、っていうのもいるよ」
「そんなことあります?」
「世の中にはいろんな人がいるのさ。それは君が思っているよりも遥かにね」
この言い方であればわからない話ではない。しかし、男同士のセックスが好きなノンケ——。
「それは、今の僕と同じで、クエスチョニング、ってこととも違う?」
「そうだね。性的指向は異性愛」
「なのに男同士というか同性同士のセックスをするんですか?」
「セックスだけね。恋愛にはならないパターンだ」
「それじゃ単なる性処理ですね」
「楽しんではいるんだろうさ」
「ふむ……」
「それは君に訪れる未来の可能性だってあるんだよ」
非常に不誠実な人物のような気がした。
「性処理にゲイの人を利用するっていうのはいかがなものか」
「それが彼らの生きる道である以上、既婚のゲイのおれとさほど違いはないよ」
「それは、そうかもしれませんが」
「それが不誠実であれ、真面目なセックス活動であれ、クエスチョニングの今の君にとってはゲイになる未来と同じ可能性を持っている」
それはそうだ、と、雅哉は、はい、と、頷く。
「まあその職員さんがゲイであれノンケであれ、既婚者の身でありながら男同士のセックスを楽しんでいることそのものは変わらない」
「まあ……そういう結論にはなるんでしょうが。でも」
「ん?」
「もうちょっとこう、延長線上に恋愛がある方が、僕は」
「真面目だね。君も早くセックスを経験した方がいい」
「文彦さんは相手になってくれないんですか?」
「十代の少年に興奮したりはしない。何、雅哉くん、おれとやりたいの?」
「やりたいです」
目を輝かせた。
「そんなに瞳をキラキラさせても無駄」
「割といいなと思うんですけど」
「同年代の子にしなさい」
「まあ、それがいいんでしょうね」
と言って雅哉は紅茶を飲んだ。一旦この話はここで終わりだ。
雅哉は文彦に恋愛感情は抱いていない。しかし、非常に酷似したものは抱いている。それも雅哉にとって、文彦が今のところ地球上でただ一人のゲイの知り合いだからだ。感動的である、というのが要因として大きい。もちろん文彦の言うように同年代のゲイの子とセックスをするべきだとは思う。文彦を付き合わせるということは文彦を犯罪者にするということだ。それは避けなければならないことだった。ただ、性的関心を抱いてしまうものは仕方がない。しかし雅哉は生来の頭の良さから超えてはならないラインをちゃんとわかっている。だから文彦が自分と度々会ってくれることもわかっている。この信頼を裏切るわけにはいかない、と雅哉は常々思っている。文彦もそれは望むことだった。
「ところでこの後は?」
と、文彦は文彦で話題を切り替えたかったのだろう、雅哉にそう訊ねた。
「病院です」
「君も大変だね。特に病気ってわけでもないだろうに」
「カルテに何て書かれてるのか興味もあるんですけど、先生、なんだか答えがぼんやりしてるんですよね。思春期の気分障害がどうとかっていう診断を便宜的には下してくれてるみたいなんですけど」
「君は要するにクエスチョニングについての話を傾聴のプロに聞いてもらいたくて精神科にかかっているんだろ」
「そうです。兄貴がうつで病院に行って、それで僕も診てもらいたくなったんです。いい先生みたいだったし、実際、いい先生だし」
「ま。あれだね」
一瞬、文彦がちょっと目を翳らせたのを雅哉は気づいた。
「?」
「おれが子どもの頃は、同性愛の話を聞いてくれる人は周りに誰もいなかった。それでいうと、なんだかんだ今の時代はいい時代になったものだと思うよ」
文彦は色々大変だったんだろう、と思う。
自分は色々恵まれている、と、思うばかりだった。
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