2-2
「安定しているね」
「そうですね」
「まあ、病気じゃないからね」
「それはそうですね」
診察室。医師の都雪尋を前に雅哉はのんびりと診察を受けていた。
「悩み相談の場として精神科が使われることはぼくとしては願ったり叶ったりだ」
「病気じゃなくても?」
「例えば試験の点数が悪かったとか、ペットが死んじゃったとか、そういう理由で来てくれていいんだからね」
「そんな理由で?」
「そんな理由を放っておいたらうつ病だったり統合失調症になったりするものなんだよね。今まで、どうしてこんな状態まで何も手を打たなかったんだって患者さんにやたらと会ってきた」
「それでいくと、僕なんかははっきりと悩みがあるわけではないんですが」
「そうでもないだろう? クエスチョニングの状態なんて悩みに満ちているだろうに」
「話を聞いてくれるゲイのおじさんがいるので、その辺は安定していて」当然、文彦のことである。
「まあぼくもその人みたいに話を聞いてあげたいところだけど、僕はあくまで異性愛者だからね。どうしても前提を共有することはできない」
ちょっと虚を突かれた。
「諦めですか?」
「諦めだね。今まで、同性愛者の患者さんはたくさん診てきたけど、中には『先生は他のあらゆる話題だとキャッチボールができるのに、こと同性愛のことに関しては何もできないんですね』とバッサリ言ってきた患者さんもいた。そしてそれは、否定できない。異性愛者のぼくは同性愛者、もしくは同性愛に関しての悩みを抱いている君みたいな子の話を直接聞くことはできない。結局、そこから病み始めてから、それからぼくの出番ということになるわけだけど」
「うつ病とか統合失調症に関しては、先生はプロフェッショナルですもんね」
「そういう意味では、君はぼくの話を聞いてくれていると言えるね」
「まさかそんな」
「実際、君は色々な人の話を聞いているだろう」
「それは多分そうだと思います」
「でも、君も、論理基盤の異なる相手と話す際はぼくと同じような状態になるはずだ」
「論理基盤?」
雪尋は頷いた。
「そう。論理基盤の異なる相手は本質的に何を言っているのかよくわからない。論理基盤が異なる相手に言葉でものを説明するのは酷く困難だ」
ふと雅哉は、直亮やすずかけのYさんのことを思い出した。
「ひなたの利用者さんなんですけど。すずかけの利用者さんのことでもあるんですけど」
「どうぞ」
「親とうまくいってないみたいで。引いては家族親戚と」
「血族と分かり合えていない?」
「そうです」
「親御さんと、その利用者さんたちだと論理基盤が異なるんだね」
「親子なのに?」
「だからこそ根深い」
そう言われて雅哉はあっさりと飲み込む。
「そうかもしれません」
「君は、ご家族ご親戚とうまくいっているみたいだね」
「おかげさまで。兄貴も、みんな兄貴に優しくしてくれて。でも厳しくもしてくれて」
「一世くんも素直だしね」
「……その利用者さんたちだって素直なんですけどね」
「だからこそ、根深い」
「?」
「素直だから、周りが言いたい放題やりたい放題になることもあるってこと。君たちの場合はそうじゃないけれど」
「わかります」
「古屋さんの親御さんは気分が安定している。君がいつも分析している通りなんだろう」
「恵まれていると思います」
「“家に居場所がない”っていうのは——親御さんに問題があるケースがほとんどだ。そして親御さんはそれに無自覚だ。だから子どもは苦労する」
「気分が安定しているのは幸せなことだと思います」
「そうだね。少なくとも、不安定にはならない。やや言葉のマジックっぽいけれど」
「それは論理基盤が異なるから、気分が安定しないんでしょうか」
「というより、論理基盤が異なることで弱い立場が追いやられるということだ。家族の中にも力関係、権力関係はあるから」
「——つまり」
と、雅哉は咀嚼した。
「気分で子育てしている?」
「その通り」
「それは、不安定になるでしょうね」
「そうだね。君のところはそうじゃなくてよかった。おかげで一世くんの治療も速やかに行われている……」
ゆったりと時間の流れる診察室。
自分は恵まれているとつくづく思う。あるいはそう思うこと自体が、自分が高い知能指数を持っているということの証左なのかもしれない、と、思うこともある。
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