第三部

第一話 他人という存在

1-1

 家庭に“原則”があるということ。


 古屋雅哉ふるやまさやは高い知能指数を持っていたが、その影響を日常的に感じていることは自分自身あまりない。自分としては、自分は鈍いし、行動が遅いと思っている。ただある程度時間をかける必要はあるが比較的同年代の子たちよりも俯瞰で自分のことを見ることができているような気はするが、しかし彼らの内的世界がどうなっているかなどはわからないため何となくそう思うだけだった。

 しかし雅哉は自分のIQにあまり興味がない。いや、元々はあったのだ。低いよりは高い方が“かっこいい”と思っていた。小学校に上がる頃にはミステリーを読むのが趣味になっていて、その中で読んだ漫画で主人公が高いIQを持っていたことで、自分も成績は良い方だしもしかしたら結構な数値を弾き出しているんじゃないかと期待したことがあった。小学校六年生のときに知能検査があり、なかなかワクワクしながら問題を解き、結果を心待ちにしていたことがある。

 だが三者面談。母親と共に臨んだのだが、そのとき雅哉は自分のIQはいくつでしたかと担任の男性教諭に質問すると、彼は「雅哉はIQは高いかもしれないけどEQは低いだろうね」と言われ、そのときから雅哉は知能指数など当てにならないと悟った。

 雅哉としては、自分のことを殊更に理性的な人間だと思っていたわけではないのだが、それにしても普通に誠実に人と付き合っていたような気がしていた。ところが教師からすれば「優しい人間ではない」とバッサリ斬り捨てられた——ように雅哉には感じた。担任としては、だから優しい人間になりなさいと言ったつもりだったのかもしれない。しかし、子供心に“優しくない”という評価は相当傷つくものだった。雅哉としては、頭がいい、成績がいいということは単に取り柄の一つであり絶対的なものではないとは思っていたのだが、それにしても“意味がない”とは思わなかった。とにかく「EQが低い」という担任の感想は雅哉の心に決定的な罪悪感を植え付けた。

 それから雅哉は自分の知能指数のことを気にしなくなった。それより優しい人間になりたいと願うようになった。誠実に、理性的に、他人に優しくありたいと願うようになった。だからそういう意味では担任の教育は正しかったとは言えるのだが、雅哉としてはあれから中学校三年生になった今でも自分は根底の部分では優しい性格の持ち主ではないという評価がずっと尾を引いている。

 それでも雅哉には友達がたくさんいたし、クラスの委員長としてそこそこ人気者だった。ペーパーテストの成績だけではなく、体育や音楽といった実技の成績もそれなりに良かったことは小学生男子としてはバレンタインにチョコレートをもらうレベルの人気にはなっていた。結果的にはこれで良かったのだと思う。心に引っかかりはあれど。

 家に帰ってから母親がぷんぷんしていたことが雅哉にとっては救いだった。いくら何でもあんなにバッサリ斬り捨てることはないだろうと母は全面的に雅哉の味方だった。だからこそ、自分の気分は常時安定しているのだと思う。もちろん家庭内でトラブルやストレスがまるでないわけではない。だが、兎にも角にも両親の気分はすこぶる安定していた。それは兄の一世いっせいにとっても救いであるはずだった。雅哉は時々、今まで出会った人々、間接的に関わった人々の中で、気分の安定しない人間に出会うと、おそらく彼らの両親引いては家族は気分が安定していなのだろうと思うことがある。具体的に他の家庭の細かい事情を聞いたことはあまりないが、自分と他の子たちの決定的な違いは何だろうと考えると、それは自身の高い知能指数などに要因があるのではなく、家族の気分が安定していることをまず第一に思うように今ではなっている。

 誠実な両親。優しい兄。とても恵まれた環境にあると、雅哉はつくづくそう思う。

 ただそんな家族も自分の進路については悩ましいようだった。雅哉はいずれ親戚の葡萄農家を継がせてもらえたらと夢見ている。あるいはそれがちょっと難しければ、とにかく、どこかの農家に勤めて農業に勤しみたいと思っている。それが家族引いては親戚たちが難色を示すことであるのもわからないことではなかった。雅哉はとにかく成績がいい。中学校だって、雅哉の学力なら灘や開成を目指すことだって可能なはずだったのだが雅哉がそれを拒んだのだ。なぜなら家族といたいから。少なくとも成人するまでは家族と仲良く毎日を過ごしていたかった。だがそれは同時に“せっかくの才能が勿体無い”と周囲に思われることだった。それだけの頭脳を持ちながら勿体無い。農業は確かに素晴らしい仕事だが、しかしお前ならもっと上を目指せる、周囲の感想は軒並みそれだった。しかし雅哉の小さい頃からの憧れはそうそう簡単には止められない。両親としては、「とりあえず大学には行ってほしい」ということで、それは雅哉にとっても望むところだったので、とりあえず地元の農学部進学を目指しているのだが、しかしそれも東大や京大に行けるのではないかという周囲の期待に反することであった。だが、雅哉の夢は止められない。

 とりあえず一旦保留にしておく、という選択を、表面的に雅哉は取っている。一応地元の進学校には行くつもりでいるし、そもそも勉強自体は好きだから進学校に行くこと自体は理想的な展開だった。現に今の雅哉の成績なら県内の高校ならどこでも合格できるようなレベルを誇ってはいる。もちろん雅哉としては試験には運の要素もあるからと楽観的にはなっていない。要するにそれが雅哉の知性だったが、周囲としては運の要素などは関係なくお前なら進学できるからと鼓舞する日常だった。雅哉としては、人生は何があるかわからないのだから運の要素を完全に無視することは不可能だと自然に思っているのだが、周囲としてはそれはあまりリアリティのない発想のようだった。あるいは雅哉の“頭の良さ”とは、そういうことなのかもしれなかった。

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