第五話 ひと仕事終えて

5-1

「僕はお父さんお母さんにとって望ましい子どもじゃなかったんだろうな〜って言うのは、まあ思うよ」

「そんなことないよ、生まれてきてくれただけでありがとうって思ってるよ」

「え〜。でもお母さん、前、僕が子どもの頃はピアノだったり習字だったり水泳だったり毎日いろいろお稽古事頑張ってたのにあのときの一志はどこ行っちゃったのみたいな。僕が不登校なの嫌だったでしょ」

「それは」

「小学校のときは将来お医者さんになりたいって一時期ちょっと言ってたのが嬉しかったけどすぐ僕は小説家になるんだってなったのは単純に面白くなかったでしょ」

「だから」

「お父さんも、息子とキャッチボールするのが夢だったっぽいけど、当の僕はお家で本を読んだりゲームをしたり勉強をしたりするのが好きなおとなしいやつに生まれちゃって、やっぱ不満だっただろうな〜と」

「そんなことない」

「だから生まれてきて悪いことしちゃったなぁ〜って思うよ。もうちょい二人にとって望ましい子どもだったらよかったものの、とても申し訳ない気持ちでいっぱい」

「そんなこと言わないでよ。お母さん哀しくなっちゃうよ」

「でもま、いずれ僕の“力”がなんとかなればいいわけだから、全ては結果オーライなんだけどね」

「……いつなんとかなるの?」

「それは僕のタイミングで決まることじゃないから」

 ——確かにもともと病気ではあったが、ショック死したのかもしれない。


 ——ある朝。姉におはようと言っても返事がなかった。聞こえなかったのかな? と思って挨拶を繰り返し、三度目で「私に言ってんの?」と返ってきた。だからもうこの人に朝の挨拶をするのはやめようと思った。なんで朝からこんな嫌な気持ちにならなきゃいけないの。

 二十四歳のとき——その時点で唯一の友達の高校生のときから仲の良かった女友達をリセットしてからずっと家族親戚としか関わってこなかった。

 二十六歳で入院して、すごく良かった。前の病院を医者と喧嘩して行かなくなり服薬を中断してから二年が経つころ、奇っ怪な幻覚と妄想が出現し精神科に入院することになった。かつて精神科にかかっていたことがあったためとにかく最低限自分の話を聞いてくれる場所だと考え精神科救急に駆け込んだ、と思ったら速攻で入院だと当直の医者に言われたのである。最初はもちろん抵抗した。自分は病気ではない。起こっている全ての出来事が現実だと思っていた。言葉にすれば普通のことを普通に言っているかのようだったが、実際はなにも起こっていなかったということは治療の結果やがて自覚した。それから通院に切り替わり、主治医の先生がすごくいい人で。二十歳のときから数年間関わったヤブ医者とはまるで違っていたことに感動した。

 そして健康的な引きこもりを目指すことになる。その二年後、母が亡くなり、その四年後、父が亡くなった。そして遺産の一千万円を手にしたが、五年で使い切った。ようやくちゃんとした自宅療養ができた結果だった。親がいたころは、自宅療養などとてもできなかった。それだけ彼らと自分は合わなかった。

 金がなくなり、就職活動を始めたがどれもこれもうまくいかず、にっちもさっちもいかなくなって市役所に生活保護の申請に行った。

 ネットでよく見ていた水際作戦に遭うと思ってすごく用心して行った。

 ところが担当してくれた若いあんちゃん職員が、僕の話をすごくじっくりと聞いてくれた。もちろん生活保護についてすごく丁寧ていねいに説明してくれた。それで——もしかしたら、結構、人って助けてと言えば助けてくれるのかもしれないと思った。それで家に帰ってからそのままハローワークに行って、申請をやめる電話をした。頑張ってください、とはげましてくれた。そしてそのままスーパーの朝の品出しのアルバイトを始めた。

 そして、それでもどうしてもお金がなかったから、親戚中に二万円ずつ借金した。みんな貸してくれた。でも姉と弟には頼まなかった。なぜなら彼らのことが嫌いだから。二人にはなぜ先に家族に相談しないのかと追求されたが、そんなの、あなたたちのことが嫌いだからに決まってる。まだマシな親戚に頼むのは自分としては妥当なことだった。でもその中で、小さい頃から仲良くしてくれていたいとこのお姉さんは手違いで貸してくれなかった。僕は借金の相談をしたとき、彼女の夫にも頼む、と言ったが、そのときたまたま姉からの電話が入りその件でめちゃくちゃ怒鳴られたためうっかりその約束を忘れてしまったのだ。僕が悪かったと思う。自分で言っておきながら行動しなかった自分が悪かったと思う。でも、だからその件で怒ったお姉さんから長文のメッセージが何通も送られてきて、一志くんの今後に幸多からんことを願ってとか書かれて、生活のことは長期的に考えてほしいとか言われて——どうして僕が長期的なことを考えていないのだろうと不思議だった。確かに僕が悪かった。原因が何であれ約束を反故にした僕が悪かったと思う。でも、それにしてもやっぱりそれほどのことかと思ってしまう。こんなことは電話で一言二言やりとりすれば解決したのではないかと思えてならない。それをこんな長文のメッセージたちでドラマチックなことを書かれれば僕だってイライラしてくる。彼女からすれば“世の中のことを何にもわかっていない一志くんのために、ちょっと厳しいかもしれないけど私が現実を教えてあげましょう”とでも思ったのだろうか。

 余計なお世話だった。

 それで僕も超長文のメッセージを送った。僕には僕で言い分がある、そんな一方的に長文を送られても困るということを、半ばどうせわかってなんかもらえないだろうと思いながら。そしたらブロックされた。このいとこのお姉さんは、祖父母の位牌とか、お墓がどうとかお寺がどうとか、認知症のおばさんが亡くなったらどうするつもりなんだろう。きっと全てのことは妹にお任せで、私は何にもしません、ということなのだろう。それならそれでいい。どうせそんなものなのだから。このお姉さんは子どもの頃から大袈裟おおげさだった。以前はそれはそれで彼女の味だよねと思っていたが、いまはもう鬱陶うっとうしくて仕方がない。人は自分を攻撃した人ではなく自分を助けてくれなかった人に敵意を抱くそうだ。すごくよくわかる。

 とにかくそこから生活が始まって、ついに障害年金の申請をした。アルバイト代だけではとても生活できなかったため、主治医の勧めだった。これはなかなかハードなことだった。自分が“障害者になる”ということに関する自分自身の差別心の自覚——。

 それでも。だって、生きていかなくちゃ。

 その後センターの存在を知ることになる。病院はいつも混んでいて、突然具合が悪くなったときにてくれるわけではなく、どうしたらいいのかわからずわらにもすがる思いで市役所に飛び込んだら、そこでセンターを紹介してくれた。そして、みんなと出会って。

 もちろん主治医の先生がずっと僕の話を聞いてくれていたからだが、でもこの数年の間に分岐点が集中していたと思う。どうしてかというと、そもそもは遺産でようやく本格的な自宅療養ができたからというのはあるとして、あのとき生活保護の申請に行ったとき、あの職員さんがすごく真摯に誠実に僕と向き合ってくれたからだと思う。もしもあのとき水際作戦の対応だったら——絶対にいまここにはいない。よくて生活保護、悪くて自殺、もっと悪くて、殺人犯だったと思う。

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